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水面の彼方に 8話

 

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            8  茶封筒の謎


 雨音が庭の砂利にぽつぽつとあたり始めた頃、智佳子はにわかに湧き始めた
黒雲に視線を向けながら眉をしかめた。このところ、こうした急激な天候不順
による家屋の傷みが激しく、修繕などの費用にも頭を痛める事が多くなってき
ている現状に智佳子は朝からため息を一つ漏らし、憎らしそうに黒い雨雲を見
つめる。

 この南條家は江戸時代から代々続く名家であり、今年で三十になる智佳子は
その第九代の南條家当主だ。彼女が不幸だったのは、現在の南條家に男が生ま
れて来なかったことで、長らくこの名家を守ってきていた祖母が数年前に亡く
なり自らが当主となってからは、その苦労と共に忙しい毎日を過ごしていた。

 何より大変なのは古くから親交のある、他の名家や大物実業家、はたまた
政治家やら何やらといった連中との付き合いである。もちろんこの家は智佳子
一人の物という訳ではなく、親戚から一族含めれば数百人にも及ぶ者たちの
当主として智佳子の役割は大きい。

 そして何より大切なのが、この南條家の歴史と由緒ある家屋や広く美しい庭
などを守り続けていく事にある。これは祖母が亡くなる前、智佳子に涙ながら
に託されたものであった。他の親族一同の中で祖母は唯一、彼女を信頼出来る
として当主に選んだのである。

 

 


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 もちろん、智佳子には南條家の由緒ある歴史と伝統を伝えうるための天武の
才が備わっていた事もその理由であった。


 それは「南條流古武術」の最高師範としての実力である。
江戸中期から南條家に続いてきた古武術最後の継承者が、僅か身長百五十セン
チの智佳子だった。彼女の印象は、黒髪の長い日本人形のような可愛らしい
小柄な女性で、何かの武術を行うようにはとうてい見えない。

 だが、物心ついた時から祖母により南條流古武術の心得を学び、そしてその
技を厳しい祖母の指導の元で学んできたのである。この武術は空手や柔道とい
うような”表の世界”で披露するようなものではない。実戦で使われる裏技の
ようなもので、いわゆる暗殺術として存在しているのである。今でも国の機関
のSP(セキュリティポリス)などに、いくつか護身用の術を手ほどきしてい
た。

 そんな智佳子だから、いまだに彼氏も出来ず独身生活である。
いくつかの縁談もあるにはあるが、名家どうしの縁談などで良い人なんて見つ
かる筈もなく、智佳子は一人独身生活を楽しんでいた。
 

 武家屋敷のように長い廊下を歩き、居間にやって来るにも一苦労なほど広い
屋敷を恨めしく思いながら、智佳子はあまりにも広い居間を眺める。中央には
一人分のお膳がぽつんと置いてあり、その図の可笑しさに笑いが込み上げそう
になったが、智佳子は無言でお膳につくと朝の食事をはじめた。

 食材は質素なものだったが、まるで料亭の高級料理かと思うほど上品な作り
の朝飯を、智佳子はまるで関心が無いというような表情でたいらげていく。


「あら、今朝は早いのね?」

 広い居間に現れたのは智佳子の母親で、この南條家で唯一の理解者である。
智佳子がまだ小さい頃、南條家のあまりにも厳しい生活に耐えられずに父親が
この家を出て行った時から、母は一人で自分を育ててくれた。祖母が生きてい
た頃は随分苦労をしてきた彼女だったが、智佳子がこの家の当主になってから
はかなり母も気楽な日々を送れるようになった。

 南條家で智佳子がこれまでの年月過ごせてきたのは、全てこの優しい母親が
傍にいてくれたからである。

「…ねえ、お母さん。お願いだからスーパーの納豆くらいお膳につけるように
料理長に言ってくれない?こんなお寺の精進料理みたいな食事ばかりじゃもう
うんざり!もっとパンチの効いた味がほしいわ。」

 名家の当主として普段立派にこなしているとはいえ、母親と一緒の時だけは
智佳子も子供のままである。

「はいはい、言っておきますよ。ああ、そうだわ、あなた宛てに手紙が届いて
るわ。」

 そう言うと彼女は食事をしながら手を出す智佳子に数枚の手紙を渡す。

「それじゃ、お母さんは今日一日お友達とお茶飲み会に行ってきますね。」
「はーい、楽しんできてよ。」


 母親が居間から姿を消すと、智佳子は残ったお味噌汁を飲み干し手紙を手に
取りどこから来たものかを見る。自衛隊からの南條流古武術の稽古依頼が一枚
と、ギフトのカタログが一枚。

 そしてもう一つ、少し大きめの茶色の封筒を手に取って見る。
智佳子はその茶封筒のどこにも、送り主の名前も住所も書いてない事に首を
傾げた。それどころか、郵便局の消印さえ押されていない。

「…何だろ?これ…」

 奇妙な感じはしたが、さっそく封筒を開けて智佳子は中を覗いてみる。
封筒の中に何か紙きれのようなものと一枚の写真が落ちてきた。

 それを見た時、智佳子は僅かな時間だけ時が止まった気がした。ほんの僅か
な時間だけ…。

 
 写真には数年前の新聞の記事が写っていた。
忘れもしない、炭坑跡で起きた火災の記事である。昔の友人が数人命を落とし
た…あの恐ろしい出来事だ。この数年あの日以降、智佳子は生まれ変わったよ
うな気分で人生を過ごしてきた。事実あの事件のことを智佳子もすっかりと忘
れていたのである。

 あの事件は、精神が病んでいたという一人の友人が炭坑跡で火災を起こし、
もう一人の友人と共に焼死するという事で終わったのだ。それ以外の事実を知
る者は、智佳子と共に生き残った四人の親友たちだけ…後は誰も、誰一人あの
事件の”本当の結末”を知る者はこの世にいないのだから…。

 いや、そもそもこの新聞には生き残った智佳子やその友人たちの名前は出て
いないのだ。この事件の記事を自分に送りつけてきた人物とは一体何者なのだ
ろうか?この記事を自分に送りつけてきたのには、どんな意味があるというの
か?

 あの日以降、あの親友たちとは会っていない。
みなそれぞれの生活に戻っていったのだ、今更あの事件を蒸し返す者などいる
筈はないのだ。

 なら、一体誰が…?何のために自分にこんなものを送ってきたの?

 智佳子にはまるで分からなかったが、茶封筒に入っていたもう一枚の紙切れ
には印刷された文字で一言だけ書かれている。


 それは、智佳子が幼少期の数年、母親と二人で過ごした炭鉱町…「緑川町」
という言葉だった。 

 

 

 

 

 

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 大食堂で朝の食事を済ませた博士や秘書は、須永理事長と共に理事長室へと
やってきていた。昨夜、図書館で須永理事長が言っていた、写真の男が何者な
のかを調べるために、である。

「あれ、どこにあったかしら…。」

 まだ寝ぼけまなこの須永理事長は、自分の部屋を行ったり来たりしながら
あちこちの戸棚や本棚を見回していた。

 博士と秘書は大きなふかふかのソファーに腰かけていて、理事長が出して
くれた高級なウイスキー入りのチョコを食べている。

「それ、凄く美味しいんですのよ。マッカランていうウイスキー入りなの。」

 彼女の酒好きは言うに及ばずだったが、もう一つ大のチョコ好きでもあるの
だ。その酒とチョコが合体したウイスキーボンボンという存在は、理事長にと
っては最高に相性の良い食べ物だった。朝、昼、晩とチョコしか食べない日も
あるくらいのチョコ好きである。

「特にこのマッカランがとても上品なお酒なんですの。モルトウイスキーの中
ではたぶん最高峰ですわね。それが贅沢に入ったボンボンなのよ。ウイスキー
のコンテストでも……そう、ウイスキーだわ!」

 突然何かを思い出した須永理事長は、ある本棚から一冊のファイルを取り出
してきた。何かの会合の集合写真で、ページをめくる手を止めると須永理事長
は説明する。

「あった…これですわ!これ、三年くらい前のウイスキーの品評会に出た時の
写真なの。確かこの中に…あ、ほら、いましたわ。この人。」

 指を刺した人物は、確かに茶封筒に入っていた写真の男だった。
三年前とはいえ頭の禿げ具合は同じで、まず写真の人物に間違いはない。

「この方、たいへんなウイスキーの愛好家でいらしたのよ?」
「一体何者なんですか?」
「確か…名刺を貰った筈ですわ。」

 博士が自分の持っている写真と見比べながら理事長に聞く。
彼女はまた本棚へと戻ると、小さな箱に入っている名刺入れを取り出し、写真
の男に貰ったという名刺を探し始める。


 と、理事長室にコンビニへと行っていた真理と光が戻ってきた。
手には弁当を二つ持ち、心なしか嬉しそうな表情の真理は、部屋の三人が何か
真剣な顔つきに変わった事に気がつき様子を窺うように声をかける。

「…何か分かったの?」
「うん、例の写真の親父、理事長が会った事のある人物だったんだよ。」

 博士が真理に答えると、後から部屋に入ってきた光は青い顔をしながら飛ん
でくる。

「ちょっと…良美ちゃん、誰なのよ!あの親父ー」
「ああっ…ほら、これよ。これが彼の名刺。」

 その名刺には海原邦男という名前が印刷されてあり、環境庁緑化推進委員と
あった。

環境庁だって?政府の役人って事か。」
「でも、一体何の関わりがあって政府の人間の写真が私たちに届けられたって
いうのよ?何でこの人を見張る仕事をあなたたちに依頼してきたのかしら?」

 光はその疑問を博士にぶつけながらソファーに腰を降ろす。
その間、真理はヤカンでお湯を沸かそうと火にかける。光がコンビニの弁当が
食べたいと言い出したのでわざわざ車を走らせ、好物の海苔弁を買ってきたの
だ。

「…まず、整理して考えてみよう。光さんの家や我々の事務所に送られてきた
茶封筒に意味不明の写真や、奇妙な見張りの依頼があったのは何故か?」
「あなたたちの封筒には三万入ってて、私のには一円も入ってなかったのは
何故か?」

 博士は光の言葉には答えずに先を続ける。

「もし、これを送ってきた何者かが、この環境庁の男が謎の集団に狙われてい
たのだとして、何故最寄りの警察や機関に連絡するなりせずに、我々なんかに
こんな謎かけを送ってきたんだろう?向こうはどうやったのか知らないが我々
の住所を知ってて封筒を送ってきたんだ。おそらくは我々の経緯や過去の件も
知っている可能性がある。」

「…私の正体が間宮薫だと知っていたわ。真理と一緒に写ってる写真も封筒に
入ってた。こんな事知ってるのは警察の一部の人だけだし、ましてや…彼女は
とうの昔に死んだ人間なのよ?」

 お茶を入れ真理もテーブルへとやってきて弁当の蓋を開ける。
光の言う言葉に一瞬だけどきりとして彼女と視線を合わせた真理は、会話を
聞きながら弁当を食べ始めた。



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「…これは推測なんだがね、封筒を送った何者かは、須永理事長がこの写真の
男と会った事があるという事も知っていたんだと思う。我々がこうして会う事
も当然にね…この事が示すのは、非常にやっかいな結論が導き出される事にな
るんだよ。」

 眉毛をしかめながら博士は腕を組んでソファーに深く座り直す。
いまいち良く事情が分かっていない須永理事長は、にんまりしながら博士と光
の方を交互に見つめて言った。

「あら、どうしてですの?」
「どうしてって…良美ちゃん、封筒の送り主は、私が”間宮薫”と知ってて
何かの情報を送りつけてきたのよ?警察でもなく政府の機関でもなく、とっく
の昔に死んでる筈の”お尋ね物”の私に…ね。」 

 それを聞いて須永理事長は、分かったんだか分からないんだかどっちつかず
の表情を浮べて自分の口にチョコを一つ放り込んだ。

「つまり、この封筒の送り主はかなり難しい立場にある人物なんじゃないかと
思うんだ。この奇妙な事件に関わりながらも、謎かけのような情報しか送って
きていないのには理由がある筈だ。これも推測なんだけど、第一に自分の素性
を知られないためであること。そしてもう一つは、我々が不用意に”敵”の
存在に気がつかないようにするため…である事だと思うんだ。」

「でも博士、私たちが敵の正体を掴まなければ、謎が解けないんじゃない?」
「うん、そうなんだよ。だからこそ、封筒の送り主の思惑は今のところは成功
しているんだ。封筒の送り主は、きっと我々に情報を送りながらも謎の敵から
の危険を極力避けてもらいたいと考えているんだろう。我々がもし用心もなく
不用意に敵の謎を解き明かそうとしたなら、きっと一瞬にして全員やられてし
まうだろうね。」

 光も弁当をほうばりながら、博士の言う真意がいまいち分からずに首をひね
る。確かに坊主頭の言う事には意味の分からないところがあるのだ。情報は送
りたいが、敵の正体や謎を教える訳にはいかない…ときてるのだから。

「…だけど、封筒の送り主は二つほどミスを犯したんだ。一つは、俺たち二人
を写真の男の家に見張らせるまでは良かった、ところが家に侵入した事によっ
て、敵に遭遇してしまった。きっと敵にも我々の情報が漏れたに違いない。」

 だからこそ博士と秘書は、急ぎこの聖パウロ芸術大学へと逃げ込んで来たの
である。今思えば家に侵入したのは、いささか間違いだったのではないか?と
博士は考えていたが、それがなければ幾つかの奇妙な痕跡や謎を見つける事は
出来なかった、とも思った。


「もう一つは封筒に入れてしまった買い物レシートだ。あれはこちらに大きな
情報をもたらしたと思う。送り主についての決定的な何かを…。」

 博士の言うもう一つの推測を隣で聞きながら、秘書はぼんやりと何かを思案
していた。自分達二人を、あの知らない街のコンビニに足を運ばせた事による
ミステイク…それは…

「一体、この封筒の送り主は、私たちに何を伝えようとしてるのかしら?」


 光の疑問に答えられる者は、この時はまだ誰もいなかった。
しかし、この日さらに奇妙な偶然と出来事が重なり、謎がさらに深まる事を誰
も想像だにしていなかったのである。


(続く…)