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水面の彼方に 26話

     

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          26  全てに至る場所へ…


 一昨日の騒ぎがまるで嘘のように静かな聖パウロ芸術大学のテラスで、千恵子は
眼下に広がる美しい森を眺めていた。周囲数キロに亘り誰一人住む者もない深い森
の奥、現在この大学に残っているのは理事長の執事である白川と千恵子本人だけで
ある。

 あの夜を境に、大学への襲撃は一度も無い。もっとも、あんな目にあわされて戻
ってくる者などいないと千恵子は思ったが、彼らが無事に戻るまではこの場所を守
ろうと考えていたのである。


 何より一目見て彼女はこの場所が気に入ってしまったのだ。
人里離れた静かな森の真ん中で、かつて中世ヨーロッパ時代から慣れ親しんだ美し
い洋風建築。当時彼女はまだ人ではなく、別な物に寄生して存在していたのだが、
時代の文化・芸術などを知る歴史の生き証人なのだ。

 しかし、千恵子が人となって一番気に入ったものは「風呂」というものだった。
人というものに同化した事で得た感情なのか?あるいは、それ以前から持っていた
感情なのか?とにかく、お湯というか水に浸かるという事にえらく気に入ってしま
ったのである。そしてここには、これまで見てきたものとは比べる事も出来ない程
美しい大浴場もあるのだ。

 この日も、千恵子は朝から一人、地下の大浴場でたっぷり時間をかけてお湯に浸
かり、髪を乾かすため見晴らしの良いテラスに出て日光浴をしていたのである。


「千恵子様、お昼の準備が整いましたが?」
「…もう少ししたら行きます。」

 背後で声がして、千恵子は振り向きもせずに執事の白川に言った。
実は先ほどからテラスの上で、千恵子は遠くの方をじっと見つめていたのである。
そう、彼らが向かったという栃木県の方角を…

「どうか、なされましたか?」
「……誰かが、呼んだ。」

 テラスのロココ調と呼ばれる美しい手すりに両手を置き、千恵子は瞬きもせずに
両目を開き、どことも知れぬ遠い場所を見つめていた。執事の白川は、彼女がかつ
て伝説の”暗闇の魔女”として恐れられていた事を知っている。

「呼んだ?どなたがですか?」
「わからない…。」
「探偵様や良美様たちでしょうか?」
「違う、彼らではない。もっと、別のものだ。別の…何か…分からない。けどー」

 言いかけて、遠くの方角を見るのを止め、千恵子は執事の方を振り向いた。
彼女が珍しく不安な顔を見せている…その姿だけ見れば、どこにでもいる二十歳
前の娘である。

「前にも、同じことがあった。数年前…二度。どこかで、誰かが呼んだ。これで
三度目。よく分からない…けどー」
「行きますか?私たちも。探偵様たちのところへ。」

 執事はなんとも愉快な表情を浮かべて、千恵子に言った。

「……ここみたいに、楽しいところではないかも知れないよ?」
「ええ、ですが、私ももう充分長生きいたしましたから。少々、最後は冒険しても
よろしいのではないかと…いちよう男の子ですので、危険なことに惹かれる部分も
あるのです。」

 その言葉が、男のせめてものユーモアなのだろうという事は千恵子にも分かるよ
うになっていた。人というのは、心とは裏腹なことを言うことがある。それが時に
優しさであるということも。

「じゃあ、私は女の子らしく、お弁当詰めますね。」


 初老の執事の何千倍もの長い時間を生きてきたであろう”暗闇の魔女”は、白い
歯を見せて笑った。
 

 

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 ちょうど同じ頃、地下基地司令本部に出資者の坂槙が到着した。
神楽山の裏側、山の麓にある立ち入り禁止区域の森の中に、上空からでしか見る事
は出来ない場所に地下基地のヘリポートはあるのだ。

 出迎えたのはほんの数名の護衛と、新しい司令官である白石だけだったが、彼は
なんとも機嫌良く彼らに自己紹介した。

「君が司令官か?坂槙正三だ。よろしく頼むよ!」
「……坂槙…あの、坂槙ですか…!?まさか…」

 基地司令の白石は、その若者の名を聞いて驚きの表情を浮かべる。
これまでこの地下基地全ての施設に資金を出していた真の代表の名前は、誰にも知
らされていなかった。しかも、その男の名前が坂槙と聞き、司令官の白石は驚かず
にはいられなかったのである。

 何故なら、白石は知っていたからだ。この男が表向きの商売以外に、何をしてい
るのか、を。この男が「ある大国」の軍事・軍備に多大な影響を与えている商売人
…いわゆる”戦争屋”としての顔があることだ。

 一口に戦争と言っても、爆弾や銃器を直接売るわけでなくとも、それを起動させ
る精密機械、駆動部分の重要な部品など高性能な物が重宝する。そういう物を普通
の企業、工場で日々我々が生産しているものが間接的に”そういう事”に利用され
ているのだ。この坂槙は、それらの重要な物を取り扱う商売を大国と行っている。

 つまり…この若者の後には、その”大国”がついているという訳である…。


「たぶん、その坂槙だと思うよ。まずかったかな?」
「いえ、とんでもない!光栄であります。」
「そうかい、君は出世の見込みがありそうだね!よろしく頼むよ。」
「…はっ!」

 山の中に作られた巨大なトンネルの先に地下へのエレベーターがあり、それに
乗り込んだのは司令官の白石と坂槙、それに護衛の兵士が一人だけだった。この先
には誰でもが入れる訳ではないからである。エレベータはどんどん下へと降りてゆ
き、とうとう地下十五階で止まった。 

 

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「…この最深部が基地司令部です。例の場所は、このさらに下になります。」
「例の場所…つまり、その上に地下施設を建設した訳だな?」
「ええ、そうなります。どうぞ…」

 エレベータのドアが開くと、そこは開けたホールになっていて、目の前には巨大
なスクリーンやら地下基地のモニターが沢山ならんでいる。坂槙はオペレーター用
のデスクにある椅子に深々と腰を下ろすと、指令室の中を見回しながら言った。


「なかなか立派な施設じゃないか?」
「お陰様で…。」

 すると奥のドアが開き、一人の白衣を着た女性が坂槙らのところへと歩いてやっ
てくる。白石は坂槙の傍に立ち、ぼそりと囁くように彼女を紹介した。

「…彼女が、入江博士です。」
「ほう…彼女が!想像してた雰囲気とは全然違うな!」

 椅子から素早く立ち上がると、坂槙はやって来た彼女に右手を差し出す。

「坂槙正三だ。よろしく、入江博士?」
「……入江杏です。」

 陽気な笑顔を見せる坂槙に対して、あきらかな不機嫌そうな表情の杏は握手も
せずにスクリーンの傍へと行き、コンピュータの制御を始める。

「…そういう”キャラ”なのかい?」
「まあ…科学者なので…すいません。」

 苦々しい表情で杏の姿を見ながら司令官の白石が坂槙に言った。
だが、坂槙はまるで気にした様子もなく、椅子に座り直しスマホをいじり出した。


「…今の状況はどうなってんの?」
「はい、そろそろ例の場所の最深部に到着する頃だと思います。」
「それで、”あれ”についてはどうなってる?危険は無いんだろうね?」

 坂槙は少し離れている杏に向かって言った。
杏は機械の制御作業の手を止め、彼の方を振り向きその質問に答える。

「…”あれ”については、計算上では危険はありません。確かに、クリアプルト
ウムが貯蔵されている最深部付近へ行くには”あれ”のエリアを通過しなければな
りませんが、三つあるうちの二つのシェルターは健在です。核爆発にも耐えられる
強度を持っていますから、時間と共に風化したりもろくなっていたとしても問題は
ないはず。一つのシェルターは、おそらく落下衝突時に壊れ開いてしまいましたが
、数年前に問題は解消されています。問題は…」

「なにかな?」
「…液体金属であるクリア・プルトニウムの保存状況がどうか?という事です。 
もしも、最深部が乾燥や、ガスが充満するなどの状態であった場合、液体自体が
蒸発あるいは結晶化している可能性もあります。最深部は円形状の作りになって
いて、液体金属のある動力プールはそれより少し高い位置にあり、下に水が溜まっ
ていた場合、状況は判断できません。それらを考慮して、私の意見としてはもう少
しデータを取ってからの方が危険は少ないと思っていたんですけどね…。」

 ちらりと司令官の白石を睨み、杏はまたパソコンのキーボードを叩く作業を続け
る。もうじき最深部に向かった部隊から映像が送られるようにするためセッティン
グのプログラムを打っているのだ。

「あっ…映像が繋がります。スクリーンに出します。」

 と、巨大なスクリーンに真っ暗な映像が映し出された。
そしてカメラの前にガスマスクのような物をつけた兵士が写る。画像はさすがに
荒く、綺麗には写ってはいなかったが、なんとか状況は伝わってきた。


『…司令、最下層付近まで来ましたが、大量の水が溜まっています!この先は水の
中を潜り、動力室へと行かなくてはなりません。恐らく高さから考えて動力室には
水がきていないと思われますが…』

 現地から兵士が映像を送ってきているスクリーンに向かって、杏は真っ先に声を
かける。

「シェルターはどう!?二つとも無事かしら?」
『…シェルターは…この水の下にあります!こちらからは判断は出来ません。完全
に水の底に沈んでいます。確認は出来ませんが…水に潜り動力室へ向かうにはそこ
を通過しなくてはいけませんがー』

「確認出来ないうちはとても危険よ!時間はかかってもー」
「なら、潜らせろ!時間がないんだ!動力室に行き、目的の物を回収して速やかに
帰還しろ。以上だ!」

 司令官の白石が大声で言うと、現地の兵士たちは急いで水中用のボンベを用意し
始めた。白石の隣で椅子に座りスマホをいじる坂槙は、それを聞いて笑いがこみ上
げている。彼は今、人の命が危険に晒されている状況でも、ゲームのような物で
遊んでいるのだ。


 その二人を唖然と見つめながら杏は、彼らの貪欲さに気分が悪くなると同時に、
この数年自分が密かに行ってきた事が間違いじゃなかったのだと悟った。

 

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 中華飯店の中は縦長に狭い作りで、L字型にカウンターになっていたが、博士と
秘書の二人は唯一のテーブルに向かい合わせで座り、壁に並ぶメニューを眺めなが
ら言った。その種類はそう多くない。

 「…とりあえず、お昼でも注文するかな。」

 昼飯の時間はかなり過ぎていたが、博士はお店にお金を落とすつもりで注文をし
ようと思った。

「普段客なんか来ないから材料が少ないんだよな…今作れるのは天津丼くらいしか
出来ないぞ?」
「ああ、それでいいよ。二つね。」

 中華飯店のおやじは久しぶりのお客の注文に、腕まくりしながら厨房へと向かっ
た。もう一人のスタジャンの野球帽は、博士ら二人のテーブルとは離れたカウンタ
ーの椅子に腰かけ様子を伺うようにちらちらと見ている。


「それで、あんたら一体何を聞きたいんだ?」
「まず、数年前に起きた炭鉱の大火災について何か知っているかな?」

 カウンターに座るスタジャン男と中華飯店のおやじは、博士の質問に顔を見合わ
せ驚きの表情を見せた。

「…あんたあの事件を知ってるのか?」
「いや、資料館で事件の記事を調べてたんだよ。」
「なんで、資料館なんかでそんなもの調べてるんだ?」
「今、この街で起きつつある出来事を知りたいからさ。」

 スタジャンの男はそれを聞いてにやりとすると、少し近くの椅子に腰かけ直すと
話をはじめた。カウンターの向こう側から中華鍋の上で油が跳ねる良い音がする。


「…そもそもの始まりはな、三年前の大火災よりも前の話なんだ。ある日、俺が街
の外れを歩いてるとき人に声を掛けられたのさ。見たことのない奴で、この街をう
ろうろしてたんだ。色んなことを質問していたな。たぶん、政府の関係者かなにか
だと思う。」

 男は椅子から立ち上がると、傍にある小さな冷蔵庫を開け三本ほどジュースの瓶
を手に取り、博士らのテーブルに置いた。そして自分の分も一本取ると、元の椅子
へと戻る。

「…お前いつもかってに入ってきて飲んでんだから一本しまえや。」

 厨房の奥で炒め物をしながら店主のおやじがぼやくが、スタジャンの男は構わず
に話を続けた。

「それからだ、神楽山周辺で奇妙な飛行物体を目撃するようになったのは。たぶん
その連中がUFOの秘密基地を造ったんじゃないかと俺は睨んでる。まさか、自分
の住んでる街でそんな事が起こるようになるとはな!」

「…山の裏側にも何かあるらしいよ?なんでも立ち入り禁止区域に迷い込んだ知り
合いが、大きな穴が開いてる場所があるって言うんだ。」

 スタジャンの男の後に今度は、店主のおやじも情報を話した。
すると、よれよれのスタジャンのポケットから一枚の写真を取り出すと野球帽の男
は得意げに博士らにそれを見せた。

「ほら、神楽山で撮影したUFOだ!こんなの見た事ないだろう?」

 男がテーブルに置くと、確かに神楽山上空を飛ぶ奇妙な物体が写っていた。
何か黒いとげのような物が沢山ついている飛行物体が木々の上を横切るように写り
込んでいるが、博士はそれを手にする事なく、ちらりと見て顎に手を置き思案して
いる。代わりに秘書がそれを手に取り、しげしげと眺めながら言った。

「なんかこれ、便所コオロギじゃない?ピューンて、飛んだとこ撮ったとか…」
「ちょっ…あんたね……」

 と、中華屋の店主が出来たての天津丼を手にやってきた。
丸々と盛られたご飯の上に薄焼き卵がのっていて、その上に熱々のあんかけがかか
っている。

「やあ、うまそうだなぁ。」
「二つで千円でいいよ。」
 
 店主がそう言うと、博士はポケットから五千円札を取り出しテーブルに置いた。

「とりあえずこれで、お釣りはいらないよ。ああ、それと今晩また食事に来るかも
知れない。」
「おお、そうかい!?有難いね!」
「…隣にある俺の金物屋にも寄ってくれよな…」

 博士と秘書の二人は少し遅い昼ご飯を食べる。
お店は客も無く、お世辞にも綺麗とはいえない店内だが、中華屋の店主の腕前は
良いようで、味も中々のものがあった。

「おい、美味いなー?」
「んんー!」

 二人はお腹がすいていたこともあり、あっという間に天津丼を平らげ、博士は
いよいよ本題となる質問を彼らにぶつける事にした。

 

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「…ところで、あんた方は例の食品加工会社がこの街にやってきた時、どうして
ひともんちゃく起こしたんだい?」

「そりゃ決まってる、三年前の炭鉱跡の大火災はUFOの目撃と関係があると思っ
たからさ。そんな危険な場所に工場を建てるなんて危険もいいとこさ!だから俺た
ちは建設に猛抗議したんだ。まあ、けっきょく頭のイカレた連中だと思われたんだ
ろうな。抗議の甲斐も無く、工場は炭鉱跡の上に建設されちまったんだ…。」

 なんとも憎々しげな表情で、スタジャン男は自分の両手をパチンと叩く。
隣に座る中華屋のおやじは無言でそれを聞き、静かに頷いている。二人とも同じ
考えのようだ。

「…火災のあった炭鉱跡の真上に?それって…丘のある場所じゃないのかい?」
「ああ、そうだよ?よく知ってるな?神楽山の麓にある、町外れの丘さ。あんな
場所に工場を建てるなんて俺には信じられないね!」

 それを聞き、博士は椅子から立ち上がり腕を組みうろうろと店の中をうろつき回
りながら何かを思案する。どうやら想定していた事が当たっているのではないかと
博士は思った。


「…つまり、こういう事だな?三年前以前に何者かがこの街を調査しに来た。その
写真のUFOは見たところ無人偵察機のようだね。おそらく念入りに何かを調査し
て、炭鉱の大火災の後、丘の上に巨大な食品加工会社が建設された…そういうこと
か…」
「一体、どういう事だよ?」

 何とも意味の分からない話に、中華屋のおやじが博士に聞いた。

 

「UFOかどうかは分からないが、何者かがこの街…いや、その丘の上に何かの
施設を建造したというのは有り得る話かも知れない。食品加工会社というのは仮の
姿でね。」

「…そうか!あの工場自体が秘密基地かも知れないってことか!?一体あそこは
何なんだ?何をやってるんだ?」

 スタジャン男は、博士の話にひどく興奮しながらまくしたてる。
男はその話を聞いて眉をひそめるどころか、むしろ嬉しそうな表情をしながら博士
の言葉を待っていた。


          < ” 丘へ向かえ! ”>


 
 この街に古くから起きている奇妙な出来事の中心である「丘」と呼ばれる場所。
その丘へ向かえという事は、現在の食品加工会社へ向かえ、という事ではないかと
博士は思った。

 そしてそれは、送りつけられてきた茶封筒から始まった不可解な出来事の、全て
に至る場所への入口なのではないかと博士は思った。


(続く…)