ザ・怪奇ブログ

怪奇小説・絵画・怪奇の世界!

水面の彼方に 24話

 

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            24  奇妙なメッセージ


 少し前の時間、京都市内にある老舗の料亭にて深夜秘密の会合が開かれてい
た。一見すると、外国の旅行者とそれをもてなすための御一行であったが、実はと
んでもない大物たちの会合だったのである。


 そのメンバーは多国籍に亘り、中には数名の日本人も含まれていた。
世間的に見ればその顔は知るよしも無い人物たちばかりであり、申し訳程度のSP
(要人の身辺を守る私服警官)は従えてきている。

 もっとも、彼らが何者かから危害を加えられるというような事は絶対にありえな
いのであるが。彼らの乗った飛行機が落ちる事もない、彼らの住む家がテロによっ
て爆破されるなどという事もない。何故なら、この世界において彼らを攻撃する者
が存在しないからだ。攻撃することはあっても…。


 今回この秘密の会合をセッティングしたのは、日本人の内の一人だった。
坂槙正三、まだ三十代ではあるが海外に本拠地を置く、次世代エネルギー産業の
若きホープである。

 外見はどこにでもいるような今時の若者のようで、およそ大企業のリーダーなど
とは到底思えないだろう。身長は170センチほど、黒縁の大きな眼鏡をかけてお
り、顔つきにいたってはどこにでもいる街行く若者の一人にしか見えない。

 その若い青年が、世界中に数百とある会社企業を束ねるグループの代表だった。
石油から電子部品、飛行機や通信機器といった精密機械や次世代熱エネルギーなど
の開発を手掛ける、いわゆる”複合軍事産業”だ。

 軍事産業とは、表向きには飛行機や自動車などを扱う大企業だが、その莫大な
収入源は”戦争”にある。消費される科学エネルギー、ミサイルや爆薬、銃器など
、それらは世界的な規模で行われ、消費される費用は天文学的数値に上る。

 例え戦争ではなくとも、今もこうしている間に世界各地で民族紛争やテロ行為な
どが行われ、それら消費されるエネルギー、武器弾薬は休むことなく使われ莫大な
金を生んでいるのだ。これらには、敵も味方も国も宗教も関係が無い。

 争い、紛争がこの地球上から無くならないのはこのためでもある。


 何故、それらの唸るほどの金を得ている彼らが表向きに長者番付などにランク
されないのか?そこには謎がある。巨大な会社を家族、親族、婿や養子などに分散
し、個別の会社として運営させているからだ。つまり、表向きは別々の会社だが、
裏では国境も超える巨大なグループというか、”ファミリー”を形成しているので
ある。

 そういう意味では、やれこの国は良い国だ、悪い国だなんていう定義は存在しな
いのかも知れない。それこそがグローバルスタンダードという言葉の本質なのだ。


 そして、ここに集まった者たちもまた、いずれも似たり寄ったりの者たちばかり
だった。この日、深夜から続いていた秘密の会合は、来るべき新しいエネルギー産
業と、その融資者たちの集まりであり、この先の世界の流れを決める重大な会議で
あったのである。

 

 
 そんな者たちの秘密の会合が終わり、坂槙正三は一人早々と料亭を抜け外に待た
せてあった黒塗りのリムジンに乗り込み、スーツから携帯を取り出す。

「これからすぐにそちらに向かう。ヘリを一台用意してくれ。」

 通話先の相手は一瞬驚いたように言葉を詰まらせたが、すぐに返事をして準備に
入る。何せ相手は反論のしようもない人物で、そもそも今回のプロジェクト全てを
含む、例の地下基地全ての資金提供者…つまり真の代表責任者なのだ。


「地下の本部に連絡を取りたい。司令官につないでもらえるか?」
『…はい、ですが…』
「何か問題でもあるのか?」
『…はい、司令官の藤原様が不満分子の掃討作戦中に行方知れずになってしまいま
して…』
「ふーん、代わりの司令官はいるんだろう?」
『…はい、それはもちろん…』
「なら問題ないじゃないか、つないでくれ。」
『…はっ!』

 基地司令官が消えたという不祥事も、この男にはどうという事も無いというよう
な涼しい顔で通信がつながるのを待っている。

 数秒ほどして坂槙という男の携帯に、地下基地から連絡が入った。
藤原に代わり、基地司令官になった白石という男である。

「君が司令官か?調子はどうだい?」
『…現在作戦行動中であります。まもなく、部隊が「あれ」の最深部に到達する頃
です。目的の物はご期待通りすぐに入手出来ます。』

 その基地司令官の言葉に、坂槙という男は思わず笑みをこぼす。
そう、そのために多額の資金をこのプロジェクトに投入してきたのだから。


「クリア・プルトニウム。放射性を含まない特殊な液体金属!まさに未来の超エネ
ルギーだよ。分かるかい?司令官。放射能を含まないプルトニウムという物に、ど
れだけの価値があるのか!?」
『……ええ、何となくは。』

 黒塗りのリムジンは近くの空港へと向かっていた。
突然の男の申し出にも、すぐに自家用機を用意させることが出来るのである。

「これからすぐにそちらに向かうが、本部は安全なんだろうね?」
『…もちろん、核兵器の直撃にも耐えられる無敵の要塞であります。当然、不満分
子の掃討にも時間はかかりません。』

「そうか、司令、楽しみにしているよ!」


 携帯を切ると坂槙という若い男は、どんどん近ずく空港を見つめながら、にやつ
いた笑みを隠す事が出来なかった。目的の物を手に入れたならば、この先の世界の
未来は自分を中心として大きく変わる事だろう。

 

 

 

 


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 朝日が昇る頃、霧が立ち込める緑川町の入口付近で智佳子は皆に別れを告げ、車
を降りた。近くにあるという昔の知り合いの家に行くのだという。

 むろん、ワゴンの面々は智佳子を途中で降ろす事に反対したが、彼女の意志は固
く、そして何よりも自分たちとこれ以上一緒に行動することは危険が高まる、との
判断からやむなく彼女を降ろしたのである。


 小さな少女のような智佳子はワゴンの面々に深々と頭を下げると、霧の立ち込め
る中、一人歩いていった。


「良かったのかな?一人で行かせて…」

 あっという間に霧の中に消えていった智佳子の姿を見つめながら、ひどく残念そ
うに秘書がつぶやく。と、その肩をぽんぽんと叩きながら、光が窓の外を覗き込む
ようにしながら言った。

「大丈夫よ、彼女にも何か用事があるんでしょ。それに…きっとまた彼女には会え
るわ。そんな気がする。」

 
 ワゴンは静かに走りだすと、霧深い町の中心へと向かう。
おそらくこの広い一本道が緑川町のメイン・ストリートであると思われ、意外にも
シャレた街並みが続いている。

 

 

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「なんか、想像していた街よりもずっと綺麗ですわ。ね?薫ちゃん。」
「…そうね、チューリッヒの郊外に住んでいた時に見た景色にちょっと似ているわ
ね。」

 洋風のパン屋にレストラン、古いが趣味の良いログハウスたち。
通り過ぎた中には中華飯店や金物雑貨屋などもある。もちろん、どれもほとんどが
お店を開いているのかどうかすら疑わしげなものばかりだったが、都会暮らしに疲
れた者が住むには何とも静かで良さそうな街だ。

 そしてメイン・ストリートの横には街を横断する二つの川の一つ、黒川が流れて
いる。歩道はそのほとんどがレンガ造りで、どこか外国に来てしまったかのような
印象を受けてしまう。


「…とりあえず、朝のうちにどこか落ち着ける場所を探しましょう。ここは敵の
本拠地かも知れないんだから、大勢してうろつき回る訳にもいかないし。」

 まだ薄暗い外の様子をきょろきょろと眺めながら光が言った。
運転席の真理はメイン・ストリートを外れ、すり鉢状の盆地である緑川町の小高い
丘の方へと車を走らせる。町の中心街を外れると、緑が増え始めペンションが沢山
立ち並ぶのが見え始めた。
 

「どれも今は営業していないみたいね。ところで…」

 後部座席に座る博士の方を振り向きながら、光が切り出す。
博士は気にする様子もなく、窓の外の深い霧の街を眺めている。

「茶封筒の差出人の情報を得る、という目的は分かるんだけど…どうして逃げ込む
先が敵の本拠地かも知れない危険な街でなくてはならないのかしら?」

「…それは簡単だよ。恐らく敵は秘密の組織だ。という事は、自分たちの存在を隠
している筈で、その街で大っぴらに動き回ったり姿を見せるなんて事はしない筈な
んだ。つまり…この街で彼らに遭遇する機会は非常に少ない、と考えたからさ。」
灯台下暗し…って訳ね。なるほど…」


 随分街の中心街から離れた時、ある古いペンションと思われる建物を見つけた
須永理事長が声を上げて運転手の真理の肩に手をやる。

「…ちょっと!真理さん。そこで車停めて下さらない?」

 それは小さな洋風の一建屋で、小高い丘の中腹あたりに建っていた。
ちょうど中心街を見下ろせる位置に建てられていて、身を隠すにはおあつらえ向き
だった。その白い地中海風の建物は、明らかに須永理事長の好みである。
古いペンションの裏にワゴンを止め、博士らは朝もやのなか車の外へと出ていく。

「静かな良い街ね。」

 運転席を降り、辺りの緑を見回しながら真理が言った。
すぐ後ろに立つ博士は彼女の言葉には答えず、何か遠くの音に耳をすませるように
して目だけをきょろきょろと動かしている。


「薫ちゃん、ここでよろしいんじゃない?隣近所も遠いし。」

 得意満々の笑みで後ろを振り向いた須永理事長へと、ワゴンを降りた面々が近寄
っていく。

「…まあ、ね。少し痛んでるけどかたずければ何とか住めそうだし…こんなとこに
二・三日潜伏してても誰も文句言う人いないでしょうから…」
「ええ、万が一にも文句言ってきた人がいたら、私が小切手を切りますわ。」
「よし、じゃあ博士ここに荷物下ろしましょう!」

 秘書と博士が楽しげにワゴンに荷物を取りに戻るのとは対照的に、刑事の涼子は
眉間に皺を寄せながら戻っていく。そして荷物を降ろしている博士らにぶつぶつと
悪態をつき始める。

「…また野宿みたいな事しなくちゃいけないのね…そもそも本当にこの街に目的の
茶封筒の送り主がいるっていう保証も無いし…。おまけに私らはついさっき、人を
一人殺めたかも知れないのよ?」
「……人なら、ね。」
「人じゃなかったら何だっていうのよ!?あっ、ちょっと待ー」


 朝もやの中、博士らは急ぎ荷物を手に空き家となっている古い一建屋へと入って
いった。 



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「…ああ、ずいぶん長い事空き家だったみたいね。このペンション…」

 入口のドアをこじ開け、小さな玄関ロビーへと入った光が小さな声で言った。
壁は全てシンプルなコンクリで、床は全て石造りである。もう何年も人が入った跡
もないようで、かなりクモの巣がかかっていた。

「でも薫ちゃん、コンクリとレンガ造りだから拭き掃除すれば問題なさそうよ?
洋風建築の良いところね。木や畳だとそうはいかないもの。さ、真理さんも手伝っ
てちょうだい?」

 そう言うなり、理事長は自分の髪の毛を後ろ手に縛ると、楽しそうに腕まくりを
始める。

 だが、流しの蛇口をひねったが水は出てこなかった。錆びついているのか、すで
に止められているのか。いずれにしても、飲み水には向いていないようだった。

「しかたないですわね。水は後で買った物を使いましょう。とりあえず、外の雨水
を使って拭き掃除よ。」

 


 ロビーの奥のカウンターに、一冊の宿帳のような物が置いてあるのが見える。
秘書と涼子は、それを開いてページをめくっていく。宿帳の最後は男女のカップ
が二日ほど泊まっていたらしく、そこで終わっている。日付けを見ると2010年
5月3日、今から五年近く前で、それ以降は一人もお客が来ていないのだろう。

「ほら、見て。一ページ前の五人の泊り客の中に、最後のカップルもいるわ!」
「…それがどうしたっていうのよ?」

 宿帳を見ながらにやける秘書に、涼子が不機嫌そうに尋ねる。
このペンションは二階建てになっており、二階への階段が上に伸びていた。恐らく
二階は寝室になっている筈。

「…あのね、五人でペンションに泊まったのよ、たぶん友達とか仲間とかなんかで
ね。その後、三人は帰ってこの二人の男女だけまた泊まる予約をしたの。それも
二日もよ?二日!」 
「だから、それがなんだっていうのよ?」
「もうーっ!ほんと鈍いなあ…お邪魔むしの三人が帰って、男女のカップルが続け
て二日も同じとこに泊まったのよ?こんな何もない街で二晩もやる事っていったら
一つしかないでしょ?一晩では足りなくて二晩もよ?」
「あっ………」

 彼女の言う事がやっと理解出来た涼子は、顔を紅潮させ手で口元を覆う。
すかさず秘書は、涼子の左胸の中心を人差し指でつついた。

「きゃっ…!?」
「ちょっと、なに今頃すけべな想像してんのよ。あっ、博士ほらこれ見て。博士な
らすぐ分かるー」
「ああ?」

 近くへとやってきた博士に、秘書は嬉しそうに宿帳を見せる。
ノートに書かれた名前を見せられた博士は、一瞬興味のなさそうな表情を見せたが
、急にノートの何かにくぎずけになった。

「…おい、五人の泊り客の中に”智佳子”って名前がある!南条智佳子…これって
あの子じゃないのか…?」
「あ、ほんとだ!ゆうべ、何年か前にもこの街に来た事があるって言ってたから…
へえ、あのこ南条っていうんだ…」


 数年前から使われなくなったペンションの宿帳に、先ほど別れた智佳子の名前が
あった。彼女は過去この街に何度もやって来ている…昨晩この街で出会った彼女は
、今度の一件に何か関わりがあるのだろうか?


「…つまり、彼女も今日この街へやって来たのには何か理由があるって訳ね?」
「たぶんね。ここに泊まった他の四人が何者なのかは知らないが、智佳子という
女性はこの街に関わる出来事に何か関係があるんだろう。」

 そう言うと博士は壁にかけていた自分の防寒着を手に取ると、外へ出る支度を
始めた。

「あれ?博士出掛けるんですか?なら私もー」
「それなら私らもー」

 皆で外へと出ようとしたところを博士が片手で制した。

「いや、ここは私ら二人で行こう。君たちのような美しい女性たちが田舎の街を
大勢でうろうろしていたら目立つからね。まずは我々で偵察だよ。」

 その博士の言葉を聞いて、光も無言で頷き窓の外を見た。
確かに、金髪のお姉ちゃんに超ボインの美魔女…そしてパンチラ刑事。目立つこと
この上ない…。

「…ま、やみくもに大勢で動き回っても目立つだけだし、偵察はこの人らに任せて
私らはここの掃除でもしてましょ。」
「すまんね、夕方には戻るからそれまで今晩ここで眠れるくらいには掃除しといて
くれ。いくぞ、早紀君。」

 それでもごねていた刑事の涼子の肩に手を回した光は、そのまま彼女らを連れて
ペンションの奥へと戻っていく。それを見た博士は、音も無く霧の立ち込める街の
中へと歩いていった。

          

 

 

 

 

 

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 丘の上からずいぶん下り、再び街のメイン・ストリートへと戻ってきた博士は、
人気も少ない静まり返った街を歩きながらどうやら想定していた通り、聞き込みを
するのは無意味であると思った。

 道行く途中ですれ違った数人の人々は、愛想も無くどこか人目を忍ぶようなとこ
ろもあり、閉鎖的な雰囲気を持っているようで、おおっぴらに街の事を聞くという
ような事は難しかったのである。

 博士は足を止め、もう長いこと無人となっているガソリン・スタンドを眺めなが
ら言った。

「ふむ、これこそ大都市中心、大企業優先社会の悪弊だよ。巨大産業や大企業の
一部が儲かれば、その恩恵が各中小企業や地方へも行き渡る…なんていうのは幻想
だね。例え一部の企業の業績でこの国の貿易黒字が上がっても、それはそこだけの
利益で、結局は小売店も商店街も消えてゆく事になるんだ。競争社会っていうのは
そういうものなんだよ。いずれ、結着がつく日が来るのさ。」


 それにしても奇妙だった。
確かに山奥にあるとはいえ、人口五百ほどもいるこの緑川町だったが、朝の通勤時
間にも関わらずほとんど人の姿を見かける事は無かった。僅かに見かけた者たちは
みな老人ばかりで、どこかぼんやりと遠くを見つめるような感じである。

 そもそもこの街の人々は、事件の事柄について何一つ情報を持ってはいないもの
と思われる。唯一なんらかの情報を持っているか、あるいは、よそ者に街の情報を
教えてくれそうな可能性を持つ人物を博士は知っていた。

 僅かにネットに出ている、緑川町関連の”ゴシップ記事”の連中である。
彼らは三年前、この街に大手食品加工会社が工場を建てる時に一悶着を起こしてい
るのだ。彼らからなら、この街の情報を聞き出す事が出来るかも知れないと博士は
思ったのである。


「博士、何だかこの街…気味が悪い。」
「ほう、君は一体何がおかしいと思う?」

 隣を歩く秘書へと視線を向ける博士は、自分の質問に答えるまで彼女の姿を見つ
めていた。外へと出る前に秘書は髪を後ろで束ねている。この娘はその服装や髪形
で、雰囲気が大人っぽくもなり、若者っぽくにも変わるのだ。しかも癖毛である。

「…なに、とかって言えないけど、私この町に入ってから…何故か胸がざわざわす
るの。」

 そう言うと秘書は胸のポケットの中にあるお守りを不安げに握りしめた。
それがどんな物なのかは博士にもよく解っている…。

 

    (…ふむ、彼女もこの街に”何か”を感じているようだな。)

 

「それに、町の人に話を聞くのは無理なんじゃないかと思うの。コンビニも無けれ
自動販売機もないし。完全に寂れた街ね。」
「…となると、俺たちに出来るのは…」


 と、博士が指をさし示した先に古びた建物が見えた。
入口の看板には消え入りそうな文字で”緑川町郷土資料館”とある。いわゆる街の
図書館だ。

「街の歴史を知るには図書館が一番だよ。何か面白いものが見つかるかも。」

 博士は腕を組み、楽しそうな表情で古びた木造建築の中へと入ってゆく。
少し遅れて秘書が辺りを見回してからその後を追って行った。

 

 

 彼らと別れ行動を別にした智佳子は、数年前この街で亡くなった友達の一人であ
る通称「メガネ」の家にやってきた。町の外れに位置するこの家には、その母親が
一人で住んでいるはずである。

 五年ほど前に葬儀でやって来た時とそれほど変わった様子も無いが、伸び放題の
草を見ると現在この家に人は住んでいないようだった。町の様子を知るためには、
彼女の情報が必要だっただけに、空き家同然の惨状にがっかりする。窓ガラスは割
れ、とても人が暮らしているようには見えなかったからだ。


 来た道を引き返そうとした智佳子は、玄関の戸が開いているのを見つけ、その場
に少しの間だけ立ち止まり考えを巡らす。もしも家に誰もいない場合、しばらくこ
の家に身を隠すのも良いかもと智佳子は考えたのである。


「お邪魔します…?」

 誰もいないと知りつつも、智佳子は行儀よく靴を脱ぐと玄関から中へと入ってゆ
く。外の様子に比べると思いのほか中は荒らされてはいなかったが、家の物などは
家具を含めほとんど残ってはいない。

 長い廊下を抜けると畳の広い部屋へと出る。ここは葬儀の日、皆で食事をご馳走
になった部屋だ。思えばここが智佳子にとって、事件の始まりでもあった。


 ここで昔の友達の一人、裕くんが描いた一枚の絵を見たことからそれは始まった
…いや、実のところそれ以前から続いていた恐怖の出来事であり、それはむしろ
解決のための始まりでもあったのである。


 子供の頃、僅かの期間過ごした緑川町の、いつも遊び場だった町外れの「丘」…


 当時の恐怖や発作は、今の智佳子にとってはもう過去の事に過ぎず、今この場に
立つ彼女にとっては何の恐怖も恐れも無かった。


 平屋建ての家を一通り見て回り、人がいないのを確認した智佳子は、また畳の間
へと戻ってきた。時刻は午前九時を過ぎている。

 広い畳に行儀よく正座すると、智佳子はポケットから一枚のチョコレートを取り
出し袋を開けた。彼らとの別れ際、早紀という女性に貰ったものである。それを手
で割りぽりぽりと食べていた智佳子は、広い畳の間の何も物がない奥の壁に奇妙な
ものがある事に気がつく。

 ほこりまみれの壁に、不自然なほど真っ白な一枚の紙が貼ってあるのが見える。
数年近く空き家になっている筈のこの家には、およそ奇妙なほど真新しい紙…

 

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「…何かしら?あれ。」

 智佳子はチョコを口に咥えながら、膝小僧のほこりを手で掃いながら立ち上がる
と、好奇心にかられその紙が貼られた壁へと歩いてゆく。


 紙には何かの文字が書かれているのが見え、それを目にしたとき智佳子は口に咥
えていたチョコの欠片を下に落としてしまった。

 

 

 

          ”「 丘へ向かえ!! 」”


 智佳子には、いつ誰が書いたかも分からない壁に貼られた謎のメッセージを見て
、自分がこの街にやってきた事は間違いではなかったのだと悟った。


 だが、同時に底知れぬ不安と恐怖がまたも戻ってきたという事を感じずにはいら
れなかったのである。

 

(続く…)