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水面の彼方に 28話

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 さかのぼる事二日前、元捜査一課の利根川警部は部下の村山涼子に連絡を入れた
あと、休暇を利用して十二時発の新幹線、やまびこ137号で栃木県宇都宮へと向
かっていた。


 先日東京の河川敷で、皮だけになった女性と思われる水死体が発見された奇妙な
事件現場から警部が”拝借してきた”緑柱石と呼ばれる珍しい石を手に、自分なり
に事件の捜査を行うつもりである。

 それというのも、数日前から降り続いていた激しい雨と増水による事件性に乏し
い水難事故という事で、すでに捜査本部は解散していたのだ。もちろん、いつもの
警部なら早急な解散に異を唱えるところだったが、今回の事件は何かキナ臭いもの
を感じ、密かに捜査を行うことにしたのである。

 何故こんなにも早急に水難事故と決定されてしまったのか?
そして、警部も感じた事件現場の妙な違和感と、二人の所属不明の捜査員が現場に
いたこと。なによりも、女性と思われる遺体から見つかった石が、珍しい緑柱石と
呼ばれるものであると分かったことー


 それらの状況を考えると、長年の刑事としての”勘”がこの事件は何か裏があり
そうだと警部は判断したのである。


 東京から新青森駅までを繋ぐ高速鉄道、やまびこ137号は定時刻に出発した。

 

                           

 


PeriTune - Investigation2(Suspense/Royalty Free Music)

 

 

 

 

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 利根川警部は荷物らしい物も持たず新幹線に飛び乗ると、自分の指定席の番号を
見つけ腰を下ろした。

 席に着くといつもの癖で、車内の中をひととおりぐるりと見回すのを忘れない。
それから警部は東京駅で購入した弁当を開け、外の景色も見る事もなく食べはじめ
た。宇都宮までは五十分ほどで着いてしまうので、のんびり旅を楽しんでいる訳に
はいかないのである。


 と、警部の携帯に本署から連絡が入った。
弁当をテーブルに置くと、彼は席を立ち新幹線の通路へと出る。着信の相手は同僚
のベテラン熊野刑事だった。

 

「やあ、熊さんか。どうしたの?」
『どうしたじゃないですよ、警部。急に休暇なんか取って一体どこに行ってんで
す!?どうせ例の件で自分一人で何か調べてるんでしょう?』

 通話先の相手は少々いらつきを抑えながらいっきにまくし立てると、利根川は顔
をほころばせながらベテラン刑事に言った。

「さすが、熊さんには敵わないな。そうです、今、宇都宮に向かってます。」
『…事件の被害者、川岸理恵の身辺をあらおうってんですね?でも警部、それは
もう出来ませんよ?』


 利根川はベテラン警部の言葉に、急に表情を曇らせる。
東京河川敷で見つかった”皮だけ死体”の被害者、大学に籍を置く生物学者・川岸
理恵52歳。彼女は宇都宮の自宅に一人住まいだそうだ。今日、現地の刑事と連絡
を取り合い、これから自宅を見せてもらえる事になっている。


「出来ないって…熊さん、一体どういう事?」
『…それがですね、つい今しがたの事なんですが、その川岸理恵の家が火事で焼け
たという話なんですよ。おまけに焼け跡から、宇都宮署の刑事が焼死体で発見され
ました。警部、これからその刑事と会う約束だったんじゃないですか?』


 その驚きの事実を知り、利根川警部はショックを隠せずにいた。
それと共に、やはりこの一件には何者かが事件の謎をもみ消そうとしているのでは
ないか?という予測が当たっていた事を示している。焼死した宇都宮署の若い刑事
は、一人この事件を丹念に調査していたのだが…


『…警部、どうもこの一件には悪い予感がするんですがねぇ?捜査当局の人間まで
も巻き添えにするとなると…公安か、もっと上の人間が動いてる可能性もあるんじ
ゃないでしょうか?警部もすぐに署に戻られた方がー』
「いや、熊さん、それは出来ない。もしもー」


 そう言った利根川には、通路のドア窓から車内の様子がちらりと見え、先ほどま
で誰もいなかった席に身なりの良い二人組が座っているのが分かった。利根川警部
の斜め後ろの席…そして、その二人組の無表情な顔には見覚えがある。

 そう、例の河川敷にいた、奇妙な二人組の捜査員だ。
その高級な黒の背広は公安の連中でもない、あるいは暴力団関係者のようにも見え
ない。そして、警部の鋭い観察は二人の耳にイヤホンのような物がつけられている
のを見逃さなかった。


「熊さん、私どうやら見張られているようです。先日の河川敷にいた二人組の捜査
員。」
『…何者ですか?公安調査庁ですかね?』
「どうかな…熊さん、私ね次の駅で降りるわ。後の事、頼みますー」

 

 何かを言いかける熊野刑事にお構いなく、利根川刑事は携帯の通話を切った。
次の停車駅、栃木県小山が近ずいてきていたからである。

 

 


 小山市は人口16万7千人、栃木県第2の人口都市だ。
東北新幹線宇都宮線両毛線水戸線といった周辺県を相互に結ぶまさに栃木の
玄関口である。

 自分の指定席には戻らずに、利根川警部は停車した小山駅で降りると足早にホー
ムを離れ、後ろを振り返る。新幹線を降りたのは警部と他数人の旅行客だけで、例
の二人組は降りることなく新幹線は宇都宮へ向けて走り出す。

 この事から、彼らが最初から私が宇都宮の川岸理恵の家へと向かう事を知ってい
たのだという事が分かる。捜査員ごと家を焼き払う連中だ、とても公安調査庁の人
間とは思えない…一体何者だろう?

 これではっきりしたが、おそらく今度の一件は”触れてはならない事件”なのだ
ろう、という事だ。長年刑事をやっていれば一つや二つはそういった事件に出く
わすこともある。一昨年に起きた板橋区の連続殺人事件もその一つだ。


 この先、誰がどこで自分を見張っているのか?まったく分からないことから、
警部は休暇旅行であると見せかけるため、駅近くの菓子屋に入り地元の名産品を
一箱購入した。現地では有名な生どらやきらしい。

 その買い物袋を片手に、警部は駅裏の商店街を眺めながら歩いてゆく。
居酒屋、和菓子屋、良い香りのするお茶屋に、もつ鍋の看板も見える。土曜のお昼
にしては人が少ないなと警部は感じたが、地方の都市とはこんなものなのだろうと
思った。

 そして、二つほど十字路を曲がったところで、急にビルの角に背をつけ、警部は
身を隠すようにしながら通り過ぎようとする男の背後を取った。


「…君、私をつけていたね?一体何者だ?」
「おっ…と、見つかっちゃったか…。」


 年の頃は三十くらいか、もう少し若いと思われる男が、警部が駅を出る辺りから
ずっと後をつけてきていたのだ。もちろん、新幹線の車内に現れた二人組とは違う
男で、なにより警部には見たこともない男だった。


「身分を証明するものを見せてくれるかね?でなければ…一緒に来てもらわなきゃ
ならないが…?」

 利根川警部は警察手帳を見せながら、若い男に小声で言った。
男は照れくさそうに頭を掻くしぐさをしながら警部の言葉に答えた。


「まいったな…しょうがない、別の場所で話しましょう。実は知り合いが近くで
待っているんです。すぐそこなんですが…」

「妙な動きはするなよ?よし、行こう。」

 警部は用心しながら、男の言う場所へとついていった。

 

 

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 男はいたって普通の、どこにでもいるような若者で、ニットのパーカーにジー
パン姿で少々面長の顔と、髪の毛は茶色に染めている。時折彼は、居酒屋や
バーの店の前を通り過ぎると中を興味深そうに覗いていた。


 場所はさらに裏通りにある小さな喫茶店で、そこには男と待ち合わせをしてい
たと思われる一人の若い女性がいた。他に客はいない。

 待っていたのは、いたって普通のどこにでもいるような三十代くらいの女性で、
なんとも落ち着いた物腰であった。
 

 喫茶店とはいえ、ほとんど店として営業しているようには見えない狭い店内で、
警部とその二人の男女はテーブルに向かい合って座る。その二人は、奇妙なほど
落ち着いた表情で警部を見つめていたが、彼らの目は何とも活力に満ち、どこか
心の奥を見透かすような不思議な輝きを持っているように見えた。


「…まず警部さん、一つ約束していただきたい。私たち二人の素性はお聞きになら
ないという事を。」
「素性を聞くな?だが、私はその素性を調べるのが仕事なんだ。そういう訳にはい
かないな。」


 警部の言葉に二人はお互いに顔を見合わせ、何も会話を交わさずに小さく頷くと
若い女性の方が口を開いて答える。


「…今日警部が向かっている、川岸理恵さんの家に行くのはやめていただきたいの
です。行けば、きっと警部の身に良くない事が起きる筈です。彼女の事を調べるの
はよしてください。」
「そうです、警部も知ってるでしょ?彼女の家が焼けて警察の方が亡くなったの
を。そういう恐ろしい連中なんです。」


 二人の言葉に、警部はこの男女が事件についての深い部分まで知っているのだと
理解した。この相手がかなり危険な連中であるという事も…。だがー


「しかし…私は刑事だ。彼女に何が起きたのか?調べる義務がある。まして捜査員
が命を落としたともなればなおさらだ。目の前で事件が起きていれば、たとえいか
なる理由があろうと、相手が誰であろうと捜査はやめない。それが、権限を与えら
れた私たちの使命です。」

 それを聞いた二人は、またもお互い頷き合い、何故か小さく笑みをもらしながら
言った。

「…彼女は生きていますよ。厳密には…川岸理恵さんは、もうどこにもいませんが
、彼女は間違いなく生きています。だから、彼女の事はもう調べないでいただきた
いのです。」

 にわかには信じられない事を男は言った。
警部は事件現場で被害者の亡骸を自分の目で見ているのである。有り得ない事だが
、確かにこの二人は事件について深く知りえる立場にいると、利根川には確信があ
った。

「…彼女が生きている?一体どういうー」
「それを世間に知られれば彼女は危険になり、連中から逃げる機会を失ってしまい
ます。市民の安全を守るのも、警部さんたちの仕事じゃないんですか?」

 若い男の方がそう言って、隣の女性を見て笑った。
彼女も大きく頷いて、困惑する警部の顔を見る。あの河川敷で見つかった皮だけと
なって見つかった生物学者、川岸理恵は生きている…そう言われて信じれる者はい
ない。だが…

 何故だか分からないが、利根川警部には今、目の前にいるこの若い女性が、当の
川岸理恵なのだと感じたのだ。理由はない。

 
「…分かった、彼女の事は調べるのはよそう。だが、私はこの事件の捜査を止める
訳にはいかない。私の部下も途中で諦めることはしないだろう。それで最後に一つ
だけ聞きたい。君たちは一体…どういう者なんだ?」

 その警部の最後の質問に、男は何やら楽しげに、にこやかな表情で答えた。
 
「…大いなる旅人…あるいは、大いなる傍観者…とでも言いましょうか?ですが、
あなた方含め、この世界の人々が大好きな者たち、そう言っておきましょう。」


 それだけ言うと彼らは店を出ていき、その後二度と警部は二人に会うことはなか
ったのである。

 

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         (続く…)