ザ・怪奇ブログ

怪奇小説・絵画・怪奇の世界!

水面の彼方に 3話

 

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             3  奇妙な死体


 新米刑事の村山涼子と利根川警部の二人が、東京のある河川敷へとやって来
た頃、ようやく日が昇り始めた。

 辺りはまだ薄暗く、背の高い草が生い茂り、数日前の雨によりあちらこちら
に水たまりが出来ている。それもその筈、激しい雨による増水は各地に被害を
与えていて、ようやく昨日になって雨が上がったところだった。

 想像以上に足場がぬかるみ歩きずらい場所に、涼子はヒールのある靴を履い
てきたのは失敗だったと知り、おまけに伸び放題の草が足にふれるたび、雨粒
が太腿を伝い、涼子はどきりとさせられた。

 

 そして、その雨による増水が、一つの奇妙な事件をもたらしたのである。
河川敷に女の水死体が上がったというのだ。

 

 

 


【無料フリーBGM】事件調査のクールな曲「Investigation」

 


「警部、ご苦労様です。」

 一人の中年の刑事が二人へと小走りでやって来て、利根川に声をかける。
立ち入り禁止の紐をくぐり、利根川警部はブルーシートに隠された裏側へと回
ると、コートのポケットから白い手袋を取り出して言った。

「ここか?」
「はい、警部。連絡があったのは今朝の四時です。ランニング中の夫婦が発見
したそうです。」

 中年の刑事は利根川警部と一緒に仕事が出来る歓びに、つい顔がほころぶ。
それもその筈、この利根川警部は今でこそ板橋区に席を移しているが、元は
警視庁捜査一課の花形刑事である。

 捜査一課とは主に殺人、強盗、誘拐、立てこもり、未解決事件などの凶悪
犯罪を担当するエリートで、利根川警部はいくつもの難事件を解決してきた。
同じ刑事の中ではまさに英雄と言える刑事である。

 現在、板橋警察署の刑事課に所属しているのは、定年が近いためもあるが、
刑事生活の最後は自宅のある街を守る仕事をしたかったからである。しかし、
彼を知る昔の同僚は今でも、難事件や未解決事件に協力を要請してくる事も
少なくない。


 警部の後に続き、涼子もブルーシートの裏側へと向かう。
そこには八名ほどの人間が動き回っており、何かの痕跡や証拠となる物を捜し
ていた。

「この仕事に就いてかれこれ十五年になりますが、こんな奇妙な遺体は初めて
ですよ。」

 警部と同じく、涼子も白い手袋を取り出すと、自分の両手にはめて二人の
刑事の後からついてゆく。

 その時、涼子はこの場の何かがひどく嫌な感じがした。

 だが、裏側へやって来た時、涼子は水たまりの泥に思いっ切り滑り片足を
上げてしまった。何とか転ばずにバランスを取ったが、捜査中の連中には失笑
を漏らす者もいた。足場の悪い河川敷の現場にヒールのある靴でやって来て、
いきなり滑ってパンチラ見せる新米刑事など、めったにいるものじゃない…。

「涼子君、大丈夫?」
「…はい、警部…ちょっと緊張してました。」

 草が生い茂る水たまりの傍に、何か肌色をした衣服のような物が、くちゃく
ちゃの状態で落ちている。最初、涼子は一体どこに遺体があるのだろうかと、
辺りを見回したが、警部がしゃがみ込み、その奇妙な物体を見つめているのを
見て、ようやくそれを理解した。

 警部がそれを掴み上げると、涼子は不覚にも小さいうめき声を上げた。
肌色の衣服のように見えた物は、人間の皮だったのである。それもほぼ全身と
いえるほど完壁な人間の皮だ。

「被害者は女性、年齢は不明…女である、というより他はありません。衣服、所
持品などはいっさい見つかってません。」

 警部の後ろから中年の刑事が状況を説明する。
つまり、被害者が「女らしい」という事しか分かっていないのだ。

「これは本当に人間の…ものなのか?」
「ええ、間違いありませんね。皮膚組織、髪の毛の生分、どれを取っても人間
の遺体に違いありません。」

 警部の言葉に傍にいた鑑識官が無表情に言った。
その無機質な鑑識官の仕事ぶりを見ながら、今だに自分がこうした事件現場に
慣れない現状を、涼子は悔しく思った。

「…しかし、皮が見つかったというだけで、どうして遺体だと断定できるのか
ね?」

 警部は鑑識官の隣で、さらに質問をぶつける。
彼は仕事を中断させられるのが面白くないのか、少々むっとしながら警部に答
えて言った。

「頭の先から脚の先まで、これだけ全身の皮が剥がれているんです。この仏が
今でも生きているとはとても思えませんよ。」

「でも…一体どうやったらこんな風に綺麗な状態で全身の皮だけ残す事が出来
るの?」

 顔色の悪い女刑事がさらに鑑識官に質問する。
涼子が言うように、この奇妙な皮だけの遺体?には、おかしなところがある。
お腹の部分に縦に長い切れ目がついていて、まるで動物や何かのキャラクター
の着ぐるみのような構造をしていた。かなり趣味の悪い着ぐるみであるが…。

 すると今度は女性の鑑識官がやって来て、涼子に言った。

「川に流された遺体は多くの場合、魚や昆虫などに食べられてしまうんです。
このように皮だけで見つかる事もよくある事なんですよ。水死体の多くは何ヶ
月も水の中にあるんです、発見された時の状況はどの場合も酷いものなんです
よ。」

 それきり鑑識官たちは無言で黙々と自分の仕事に専念していた。
涼子には無言の彼らから、自分達の相手をしている暇は無いという思いが感じ
られた。

「涼子君、行こう。」
「でも、警部ー」

 覆われたブルーシートから出ると、利根川警部は現場を離れ歩き出す。
涼子は慌ててその後を追った。その後を、中年の刑事が駆け足で追いかけて
くる。

「…警部!連中の態度が悪くてすいません。」
「いや、こういう現場では刑事なんて役には立たんからな。」

 そう言って利根川警部は彼に笑って見せる。
その中年の刑事は少しほっとした表情になり、一度だけ小さく頭を下げた。

「…警部、署の方にファックスで資料を送ります。」
「ああ、頼む。」


 河川敷を離れ、乗ってきた車に戻った涼子は、運転席に座るやいなや警部に
不満をぶつける。

「警部、どうしてこんなにあっさり戻ったんです?もしかしたら何か事件の
可能性だってあるかも知れません。これじゃ、あの人たちにただの溺死事件
にされてしまいますよ?」

 少々いらつき気味に涼子は話したが、警部はいたってリラックスした様子で
車を出すように指示する。

「事件というものは、隠れたものがあれば、いずれ表に出てくるものだ。それ
より大事なものは…」

 涼子は河川敷の砂利道を進み、隣の警部をちらちらと見ながら運転する。

「涼子君、君はあの現場で何かを感じたかね?」
「え?何かって…そうですね…何だか凄く嫌な感じがしました。何が、とは
言えませんが…。」

 それを聞いて利根川警部はにやりと笑い、ポケットから煙草を取り出す。
とはいえ、本物の煙草ではなく禁煙パイポと呼ばれる物で、利根川はしばらく
前から禁煙していた。

「そうか、私もそう思ったよ。こいつは何か起きるぞ。」

 涼子は警部が自分と同じような感覚をあの現場に感じた事に、嬉しそうな
表情を見せた。ベテランの利根川警部と同じ感覚を持てたというのは、まだ
新米刑事の涼子にとっては大変に光栄な事なのだ。

「ところで涼子君、彼はどうしてる?確か…陸軍の特殊部隊だった男…」
「ああ…まあ、メール交換程度には…付き合いがありますけど、何か…?」

 警部の突然の質問に、涼子はあからさまにうろたえながら答える。
それもその筈、時々ではあるが休暇の日に会う事もあったのだから…。

「署に戻ったら資料を彼に送ってもらえないか?彼らなら鑑識官たちでも見つ
けられない何かを見つけられるかも知れない。頼めるか?」
「え、ええ、そんな事なら…お安い御用です!」

「これもついでに見てもらってくれないか?現場に落ちていた物を拝借してき
た。あれをつまみ上げた時、地面に落ちたんだよ。何か気になってね。」

 そう言うと、警部はポケットから何か石のような物を取り出し、涼子に見せ
る。それはひどく小さな緑色の宝石の欠片のような物だった。輝きのようなも
のは無く、何かの原石だと思われる。

「さすが、警部。現場から物を拝借するなんて…普通の刑事に出来る事じゃな
いわ。上に知れたら、えらい事になりますよ?」

 警部がやる気なのを知り、涼子は少しほっとして運転に集中する。
この偉大な先輩は、興味のある事件でなければ中々重い腰を上げない人だった
からだ。

「ところで、さっきの現場に鑑識官に雑じって二人ほど妙な者がいたのに気ず
いたか?」
「いえ…気ずきませんでしたが、どんな人です?」

 涼子はあんな奇妙な遺体のある現場にいて、警部が捜査員の様子までチェッ
クしていた事に驚く。自分には怪しげな者がいたなんて、全然気がつかなかっ
たからだ。

 なにせ自分は、現場の捜査員たちに挨拶がてら、パンツまで見せるお間抜け
刑事だし…。

「鑑識官たちとは違い、その二人は現場の様子を見ているだけだった。どこの
部署の者か…見た事のない連中だったな。」
「何者でしょうか?」

 それきり警部は声を発っさず、腕を組んで考えにぼっとうした。
というより涼子には、この偉大な先輩は眠っているんじゃないかしら?と思っ
た。

 

 

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 朝早くにプレハブの事務所に戻った博士は、さっそくパソコンの電源を入れ
、何かメールでも来ていないかを確認するため自分のホームページを見るが、
相変わらず何のメールもコメントも無かった。

 博士は画面から視線をはずし、ちらりと部屋の様子を見る。
本やら新聞だらけの狭い部屋の真ん中にあるソファーに、あくびをしながら
秘書が横になった。ここは彼女のお気に入りの昼寝場所なのだ。近くのホーム
センターで購入した特売品で、それほど大きくはないがふかふかで寝心地は
最高なのである。

 画面に視線を戻すと、博士は僅かの間だけ腕を組み何かを思案していたが、
すぐにホームページにブログの記事を書いてゆく。キーを打つのは人差し指
一本だけだ。彼は今どき超がつくほどのアナログ人間なのである。

「よし、これで何か反応があるか…。」

 ブログの記事を書き終え送信ボタンを押すと、博士はパソコンの電源を落と
した。

 そしてソファーで眠る秘書にタオルケットをかけ、起こさないように本だら
けの狭い部屋を静かに動き回り何かを捜し始める。

「確かこの辺りにあったんだがなぁ…。」

 まるで統一感の無い本棚を、一列ずつ眺めながら回ってゆく。
政治、経済、哲学、錬金術、歴史、料理、野球、はたまた官能小説とジャンル
をとわず様々な本が並び、おまけに床にも山のように本が積まれている。

 まともな政治本を読んだと思えば、陰謀論も読む。天使について書かれた本
を読めば悪魔について書かれた本も読む。本当の悪を知らなければ、本当の
正義も分からないというのが博士の理論だった。

 古代史関係の列に目を向けると、博士は慎重に本を選び始めた。
昨夜の家の二階で見た、奇妙な民族関係の飾り物がひどく気になっていたが、
博士にはどこかでそれを見た事があるのだ。

 古代エジプトインカ帝国マヤ文明、アフリカ探検記、アステカ文明、ペ
ルシア帝国、ポンペイ古代ローマ帝国メソポタミア文明ケルト、ビザン
ティン帝国、バビロニア


         …そう、バビロニアだ! 

 何百とある本の中から、とうとう博士は望みの物を見つけると、それを手に
戻ってきた。

「あったあった、これだ。バビロニア。」

 秘書はソファーから首だけ出して、本を見つけて喜んでいる博士を見ながら
言った。

「…博士、ぱぴろぴあって…何です?」
「いや、バビロニア。世界四大文明の一つ、メソポタミア文明の古代都市。」

 まだ寝ぼけているのか、秘書は虚ろな目で博士の説明に小首を傾げる。
目の下には大きなクマが出来ている。

「…四大文明文星芸大付属、日本文理新潟明訓明徳義塾?」
「そりゃ高校野球四大文明だろ。ていうか、文星とか…渋いところで来た
なぁ…。」

 秘書はにこにこしながら起き上がり、博士の問いに答えて言った。

「知ってるよ。ティグリス川とユーフラテス川の間に起こった文明でしょ?」
「…そう、よく知ってるじゃないか。」

 ひどく得意な表情で、秘書は熱いココアを入れながら博士に説明を始めた。
少々ひびが入っているが、お気に入りの博士のコップは、可愛い車の絵が描か
れてあった。

「…紀元前四世紀までさかのぼる人類最古の文明、メソポタミア(川に挟まれ
た土地)は、北部のアッシリア、南部のバビロニアに分けられるが、今日の
世界文明の土台を築いたのはバビロニアにある…と、その本に書いてあったの
よね。私、暇な時にけっこう読んでるの。」

「……時々、君って凄く賢いんじゃないかと思う時があるよ。」
「ちょ…時々って。」

 と、博士は急に何かを思い出し、本を手に立ち上がった。
こんなところで、のんびりココアを飲んでいる場合ではなかったのである。

「早紀君、旅支度をしたまえ。すぐにここを立つぞ。昨夜の連中が、我々の事
を捜し出しここにやって来るかも知れない。その前に姿を隠さなければ…。」

「昨夜の…あの人たち一体何者なのかしら?」
「さあね、それが分かれば何か対処の方法もあるんだけどね…いずれにしても
昨夜の現場を見られた以上、我々を野放しにはしておかないだろうな。」

 それを聞いた秘書は、急に顔色を変え慌てて大事な物をカバンに詰め込む
作業を開始した。服や小物を詰め込みながら秘書は博士に質問する。

「博士、パンツは何枚持って行ったらいい?」
「五枚。あとは現地で調達するさ。」

 一瞬だけ秘書は動きを止め、博士の方を見たがすぐに準備を再開した。
パンツの数に、思った以上に長い外出になるのだろうと、秘書は思ったので
ある。

「でも博士、姿を隠すって…一体どこに?」
「俺たちが逃げこめる場所っていったら、あそこしかないじゃないか?」

 博士はにやりと笑う。
秘書も口を開き、ぽんっと手を打って答える。

「あぁーっ!あそこ!……って、どこだっけ?」 


 博士は真横にずっこけ、本の中に埋まるように転がった。

 

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 目を覚ました時、杏は畳の上に毛布一枚で横になっていた。
時計を見ると午前七時を過ぎていたが、杏の出勤時間はお昼近くという驚くほ
どの社長出勤であるから、まだまだ時間はある。

 科学者というエリート的特権ではあるのだが、むしろ杏にはそれが嫌なこと
であった。早起きしたとあっても、仕事までやることと言えば喫茶店で一人、
窓の外を行き交う忙しそうな人々をのんびりと眺めている事くらいである。


 部屋の中を見回すと、すでにベルの姿は見えない。彼は朝から出掛けていく
と、決まって夜までは戻らないのだ。一体どこまでうろついているのだろう?

 猫の行動範囲は人間が想像するよりも広い。
野生のトラにいたっては、一日に移動する距離が数十キロにもなる事があると
いう。

”…日本の軽トラだって馬鹿にしたもんじゃない。一日の走行距離が数十キロ
にもなる事がある、と運搬業者も語っているという…。”

 そんな事を一人で考えているうち、危うく涙がこぼれそうになる杏だったが
、電源を入れっぱなしだったパソコン上に、ブログの更新を知らせる合図があ
った。

「あっ…来た!」

 杏はむくりと起き上がり例の探偵ブログを見ると、つい先ほど新たな記事が
更新されていた。つまり、彼らは無事に家に戻った事を意味している。

 

 

 


The Golden Ring - Korobushka

 

 

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           ☆ 本日の探偵日記! ☆

『 昨日旅先で、通りすがりのおじさんが怪我をして皮がむけた。ひどく痛そ
うだったが、自分達は何とか無傷で一日を終えられ運が良いなと思った。』


「…………。」

 その短い日記の文を読み杏は理解した。
あの家に彼ら二人が侵入し、家の主が”皮”となっているのを彼らが見た事…
そして何とかあの家から逃げてきたという事実…。

 彼らの無事を確認して、ほっと胸をなでおろした杏だったが、すぐに分析好
きの血が騒ぎだす。


 そもそも彼ら二人は、どうやってあの連中から”逃げ出せた”のだろう?
けっきょく家は火事で焼けてしまった…おそらく連中が火を放ったのは明白で
ある。何の武装も無い探偵二人が、一体どうやって”連中”の動きをかわす事
が出来たのか…。

 そしてもう一つ、こんな内容の日記をアップした理由である。
それはたぶん…彼らが手紙を送りつけてきた者、つまり”私”にこれを見せる
ためである。それは昨日あそこで何かが起きる事を、私が知っていて手紙を送
ったのだと彼らは知っていた、ということだ。

 連中を切り抜けた事といい、こちらの意図を漠然と見抜いた事といい、杏は
自分の選択が間違いじゃなかったと知り、嬉しくなってきた。

 となると、彼らが自分の意図を解明し、こちらへとやって来るのもそう遠い
事ではないなと、杏は思った。一週間…いや、二週間の内には自分の元へとや
って来るかも知れない。もちろん早ければ早いにこした事はないが、連中に知
られずに事を運ぶには、どうしてもこんな方法を取り、彼らに事の真相に気ず
いてもらうしかないのである…。

 人間が知りえる筈も無い、大いなる秘密…。
また、直接的に世界そのものに暴露してもいけない、奇妙な秘密。それを解明
してもらうには、ひどく回りくどいが時間のかかる方法を取らなければならな
かった。そして、それを知る人間も、僅かな者たちだけでなくてはならないの
だ。

 そうでなければ、一瞬にして自分などは連中に消されてしまうだろう、と。
計画は正確かつ、綿密に行わなければならない。一つのミスも許されないので
ある。

 それも、たった一人で…。


「…ごめんなさい。こうするしか他に手がなかったの。」

 杏はそんな事を思いながらパソコンの電源を落とすと、表情を引き締め仕事
に向かう準備を始めた。

 

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       (続く…)