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水面の彼方に 4話

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             4  想定外の出来事


 緑川町から離れること数キロの地点、深い山間の中にその施設はあった。
入口は分かりずらい作りになっていて、そこへ向かう道路もまるで無く、空か
らはそこに何かの施設があるなどとは夢にも思わないだろう。

 だが、良く見れば木々や岩に隠れた一本道の道路や、地下への電力を供給す
るためのコンテナや電線が各所に接置されているのが分かる。とはいえ、そも
そもこの町周辺は見渡すかぎり山しかなく、土地の者たちすら好んで近ずく事
も無かった。しかもその山岳周辺は、ある狩猟会が持っている土地であり、数
十キロ範囲は立ち入りが制限されていた。

 まして、緑川町は近年益々人口が減りつつあり、山の中に何かの施設がある
などという事は、人々の興味の対象になる筈もなかった。

 その山の中に数年前、密かに多額の費用をかけて建造された施設がこの地下
軍事基地「クル」だった。

 この国は軍隊を持たないという決まりがある。
したがってこの施設に駐留する部隊は表向きには外国の軍隊の所属という事に
なっていて、多国籍の軍事施設という役割があった。

 巨大な削岩機を使って岩盤を削り、山の地下に巨大なトンネル網を張り巡ら
せ、施設を建造するのに僅か一年たらずで行われた。一体こんな山奥に巨大な
物を建造するのにどれだけのお金がかかることか。

 地下施設はこの緑川周辺では一際高い神楽山の麓に掘られていて、全部で七
層に別れている。それらは全て地下のチューブシャトルやエレベーターで繋が
っており、有事の際に地下核シェルターの役割も担っていた。

 だが、その本来の目的は別にある。
それは七層に渡って様々な実験、研究が行われていて、医療・科学・軍事とい
う最先端の技術がここには集まっているのだ。しかも、それに参加を許された
のはほんの一握りの科学者や医学者のみで、ほとんどの者たちがこの地下施設
に住み込み状態で生活している。日本人のみならず、外国人も多数ここに参加
していて、いわば国際宇宙ステーションの地下版といったところだ。

 もちろん秘密保持は最重要課題ではあるが、何より彼らをこの施設に引きつ
ける魅力は、ここの施設の充実度である。そして完全に下界と隔離された環境
において、非合法な実験や薬物の使用までもが行える点にある。つまりここに
参加する連中にとっては、何より魅力的な環境にあるといえた。

 

 その地下施設の指令室の一つで、藤原弘毅は時間を過ぎてもやってこない
報告にいらついていた。こんな時は決まって悪い報告があるものだと、基地
司令官の弘毅は想像する。

 弘毅はここに配属になり三年近くが経とうとしているが、ほとんどこの地下
施設で過ごしていた。家族も、そして恋人もいない、特別身体も大きくもない
この男がこの地下施設の司令官を任されているのである。

 四十にも満たない年齢の男がこれだけの軍事施設を任されているのには訳が
あるのだが、彼はここへ来る前までアメリカの特殊部隊に所属していたエリー
ト軍人であった。いくつかの戦争、秘密の作戦行動にも参加してきた猛者中の
猛者で、主に要人の暗殺や口封じのための…いわゆる汚れ役のエキスパートな
のである。

 つまり彼のような男や軍隊が必要なほど、この施設の秘密保持は最重要な
ものであるという事だ。


 何の飾りもよけいな物も存在しない部屋の中央に立ち、弘毅は頭の中でこれ
から想定されるであろう二つの事柄の結果を思い描いていた。彼は用心深い男
で、常に最悪の状態を想定において行動を行ってきた。

 昨日、司令官である弘毅は二つの部隊をある場所へと送った。
その状況報告が一夜明けて自分のところへと届くのを今か今かと待っているの
である。

 と、部屋の入口のインターホンから声がした。とうとう待ちわびた報告が来
たのである。

『指令、二つの部隊から最終報告が届いています。』
「…よし、入れ。」

 電子ロックで管理されたドアが開くと、背の高いひどく気まじめそうな男が
指令室へと入ってきた。司令官の弘毅はかなり背が低いので、随分身長さがあ
る。

「まず、東京の河川敷で見つかった例の物ですが、この件はただの水難事故で
処理されそうです。もちろん、我々の手の者が数名手を回しておりますから、
問題はないかと。ですが…一つ気になる事が。」
「何だ、何が起きた?」

 案の定心配していた事が起きたのではないかと、弘毅は背の高い軍人を見つ
めて言った。この気難しげな大男は、内心では背の低い司令官を馬鹿にしてい
るんじゃないかと弘毅は思っていた。この手の男は、野心の塊のようなタイプ
でプライドも高い。

 もっとも、そういう野心を持った男であるからこんな場所での任務を部下と
して任せていられるのだが。

「河川敷の現場に、利根川という刑事が現れましてー」
「……待て待て、利根川だと?元捜査一課の?」
「はい、そうだと思います。」

 


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 軍人である弘毅も噂には聞いた事があるその名前、元捜査一課の敏腕刑事。
その破天荒な行動力で、様々な難問事件も解決に導いたという経歴を持つベテ
ラン警部の事は知らぬ筈がない。

 その刑事が何故にこの事件に首を出してきたのか?
いや、”こんな事件”だからこそ何かを感じてやってきたのかも知れない…。

「事件から手を引くように仕向けますか?」
「馬鹿を言うな、そんな事をすれば彼の様な刑事は益々事件に興味を持つよう
になるだろう。事件の背後にきっと何かがあると感ずくに違いない。」

 しばらくの間、弘毅は考えをまとめるために指令室の中をうろうろと歩き回
る。その間も背の高い部下は、気難しい顔で行儀よく立ち上司である弘毅を見
つめている。

「…とりあえず、ほうっておこう。どの道、警察の連中ではここまでは辿りつ
く事は出来ない。万が一にも、この真実に近ずいたとしても、個人ではどうに
もなるまい。」
「分かりました。それからもう一つの件なんですが…」

 おや?と、弘毅は背の高い部下を見て思った。
いつも憮然とした態度を取っているこの男が、珍しく動揺を隠しきれずに話を
切った。先の河川敷の件で小さな問題が発生していた事から、もう一つの件は
何の問題も無いと思っていたのだ。

 だが、この普段から無表情で冷徹な男が動揺を隠せずにいる、それはつまり
もう一つは、先の河川敷の件よりも大問題が発生した事を意味するのだ。

「どうした?何が起きた?」
「それが…まだ状況がよく掴めていないのです。」
「掴めていないだと?あの家に送り込んだ部隊はどうした?戻ったのか?あの
男は連れて来たか?」

「…いえ、ここへは戻っていません。山道でトラックが転落事故を起こして、
皆病院に運び込まれたという事にしてあります。」
「…何を言ってる?皆病院に運び込まれただと?たった一人連れて来る事が
出来なかったと言うのか?何が起きた、あの家で!?」  

 背の高い男は青い顔をしながら一枚の写真を弘毅に見せる。
それは大きくプリントされた暗視カメラ用の画像で、部隊の連中が身につけて
いたカメラで撮影されたものである。

「何だこれは?」

 そこには何かの動物のようなものが映っていた。
というのも、暗視カメラにあの家と思われる建物の天井付近に、二つの目の
輝きが映っていたからだ。暗視カメラに映る瞳の輝きは、おおむね夜行性動物
の特徴を示しているからである。

 だが、弘毅がその画像を良く見たとき、天井付近の暗がりにぼんやりと映る
人型の影が見えたのだ。この二つの瞳の輝きは、夜行性動物でもなんでもなく
て、人間のものであると弘毅は認識したのである。

 女の足と思われるものが僅かに映っていたからだ。
つまりこの画像は、上空から何者かが飛びかかってきている状況であると弘毅
は判断したのである。

「これは…人間じゃないか?部隊の連中は一体どうなったというんだ?」
「全滅です。一人残らず、命には別状はありませんが完全に叩きのめされてい
ました。まともに撮れているのはこの写真一枚です。」

 

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「あっ?何と言った?」
「…全滅です。一人残らず…十二名全員です。」

 弘毅はなかば信じられないというような表情で背の高い部下を見た。
何故ならあの家に送り込んだのは暗殺部隊である。あの家に住む者を連れ去る
目的で送り込んだ自分の部下たち。たった一人の人物を連れ去る目的で念には
念を入れ送り込んだ精鋭たち。それが全滅だと?

「…あの家に、あの男以外にも何者かがいたというのか?」
「はい。ここを見て下さい、ぼんやりともう一人の人影が映っています。」

 天井付近の輝く瞳の人影から随分左下の隅に、ぼんやりと映る坊主頭と思わ
れる男が見える。つまりあの家には謎の人物が二人いた事になるのだ。

「もう一つ、どうやったのかトラックも壊され、ひっくり返されていたようで
す。敵はどうやらえらく力が強い相手のようですね。不満分子でしょうか?」

 またしてもあり得ない情報に、とうとう弘毅はキレ気味に大きな声を出し、
背の高い部下を怒鳴りつけた。

「不満分子以外の者が、昨夜のあの場所にいる筈がないだろう!捜せ!この
画像に映っているどんな小さなものからでも、この連中について分かること
をな!」
「は、はい。では…」

 慌てて指令室を出てゆく背の高い部下を、目だけで追いかけながら弘毅は
何故か自分が笑っている事に気がついた。

 まもなく例の計画が実施されようとしているこの時に、二つもの予測不能
出来事が降りかかってきたのである。これを天の計らいと言わずして何と言お
うか?こんな事を上のお偉方連中が知ったら、大騒ぎどころではないだろうと
、そんな事を考えているだけで可笑しさが込み上げてくるのである。

 ”…我々の邪魔をしたこの連中は一体何者なのか?どこの組織に所属する者
たちだろう?隣国か?あるいは大国のスパイか?CIAという事もある…いや
、特異な宗教観を持つ集団という可能性もあるかも知れない。”

 そうなのだ、何か大きなものを行う時には、それに伴うリスクもまた背負い
込むという覚悟も必要なのだと弘毅は思っていた。生きるか死ぬかという戦場
で弘毅は学んだ事である。お偉方というものは、自らがリスクを背負うという
事をしないものだ。この機会に連中にも多大なリスクを背負わせてやりたいと
いう気持ちも弘毅にはあった。


 だが、その連中のリスクを減らすのが自分の仕事なのだという事も、弘毅は
充分に理解したうえで、今まさに自分の前に立ちはだかろうとしている者たち
を、心のどこかに「面白い」と感じたのだ。

 

 

 

 

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 仕事までにまだ数時間の余裕がある杏は、隣町まで車で移動していた。
大きなトンネルを抜けると山の合間から隣町の家並みがちらりと見えてくる。
こうして隣町までやって来るのは今月に入って三度目の事だった。

 山の中にある緑川町とは違い、この隣町は大きな市街地になっており、人口
も桁違いに多い。杏も買い物をする時は、いつもこの街へとやって来ては服な
どを購入していた。

 山道を下り、街の外れにあるコンビニの駐車場へと車を入れると、杏は辺り
を見回し誰もいないのを確認してから外へ出る。

 今朝早く二人の探偵が無事だった事を知り、安堵と共にいずれ数週間くらい
の内に、彼らがこの大きな謎に気がつき、自分のところへとやって来るだろう
と想定した杏は、すぐに次の行動に移ったのだ。

 

 すると、駐車場に一台の自動車がやってきて、杏のすぐそばに止まった。
杏は無言でその運転手に大きな茶封筒を手渡すと、その自動車は凄い勢いで
町の方へと走り去った。

 あとは今の人物がある人の元へと茶封筒を届けてくれる手筈になっている
のである。

 杏は祈るような仕草をし、一つだけ大きくため息を吐き出す。
何故なら、このことでまた一人の人物を危険にさらす可能性があるからであ
る…。

 だが、今さら後戻りも出来ないと知っている杏は、このコンビニで何か美味
しい物でも買って帰ろうと思い、店の方へと向きを変えた。

 

 ドアを開けコンビニへと入った杏は、まっ先に冷やし中華が置いてある棚へ
と向かった。すでに秋に入っていたので、そろそろ冷や物は置いてないのでは
ないかと杏は思ったが、心配もよそに冷やし中華はまだ置いてあった。

 店内には二人ほど店員がいて一人はレジ、もう一人は奥で何かの商品を確認
する作業をしている。他にお客の若者が一人、レジで会計を済ませている。

 杏は籠を手にすると冷やし中華を入れ、まだいくらか時間があるので本でも
見ようと外側が見える方へと歩いて行く。杏にとってはコンビニはとてもくつ
ろげる場所で、冷やし中華に次いで、コンビニも人類が生み出した傑作の一つ
である、と思う。

 雑誌を一つ手に取りレジへ向かおうと振り向いた杏は、驚きのあまりその本
を床へと落とした。

 信じられない事にレジの店員と話しているのは、黒い防寒着を着た坊主頭の
男…例の探偵だったのである。そう、何度も彼らのブログで見たその姿だ。
多少くたびれたマントのように長い防寒着。若いのか歳なのかよく分からない
その容姿。お世辞にも敏腕探偵とは言えないような喋り方…。何か聞いた事も
ないような方言が言葉の端々に出てきていた。


 ”…何で!?どうしてあの人たちがここに!?いや、マジあり得ない…
偶然ここに立ち寄るとかないだろうし…昨日の現場から二県も離れてるのよ?
私がここら辺をうろうろしてるのに気ずいたとしか思えない…どんだけ敏腕
探偵なのよ!?”

 

         ”早い、今はまだ早すぎる…!”


 杏は信じられないというような驚きの表情で、レジの店員と話す坊主頭の男
を見ていた。一体どうやって一日も経たずにこんなところへとやって来れたと
いうのか?例の茶封筒にも手紙にも、自分の正体やこの周辺についての情報な
どは一切書いてもいない。こんなにすぐに分かる筈がないのだ。

 想定外の出来事に杏は思考停止を起こして、その場にぼんやりと立ちつくし
てしまっていた。

「…落ちましたよ?本。」 
「えっ?」

 ふいに横から声をかけられ、杏は金縛りが解けたように振り向く。
と、目の前に立っていたのは、こちらも何度も見た事がある女性だった。

 自分よりは少し背の低い、唇の小さな女性…全体的に細っそりとしているが
、服の上からも抜群なプロポーションが見て分かるぼうず頭の秘書。彼女は落
ちている本を拾ってくれた。「ラーメン街道」というタイトルの雑誌で、一瞬
だけ彼女は本と杏を交互にチラ見した。

 それが初めて杏が彼女らに出会った瞬間だった。


「あ、ありがとう…。」

 レジにいたぼうず頭の男がこちらにやって来るのが見えた杏は、本を受け取
るとお礼を言い、慌ててレジへと急いだ。


「ん?どうしたい?」

 慌ててレジで会計を済ませ店を出てゆく女性客をちらりと見ながら、博士は
秘書に声をかける。

「ああ、本落ちてたから…それより、何か分かりました?」
「いや、何の情報もないな。ま、予想はしてたけどね。」

 窓の外の広い駐車場から一台の軽自動車が出てゆく。

 

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 博士と秘書は、情報の収穫がこれ以上見込めないコンビニから出ると、駐車
場の真ん中あたりまで歩いていく。

 
「でも博士、どうしてこのコンビニに茶封筒の送り主が来てるって分かった
んですか?」
「ふむ、それは簡単だよ。これを見てくれ…」

 と、博士はポケットから一枚のレシートを出して見せる。
それはこのコンビニで買い物をしたと思われる領収書だった。この所番地と
日付がしっかりと記されてあり、博士らの事務所に茶封筒が届く二日前の日付
になっている。

「この一枚の小さなレシートが、例の茶封筒の中に紛れてたんだよ。つまり、
茶封筒を送りつけてきた人物は、ここのコンビニで買い物をしているんだよ。
ここいらに住んでいるのか、あるいは通り道の間にあるのかは分からんがね。」

 秘書はもう一度その小さなレシートを見つめる。
茶封筒250円、冷やし中華346円、ストロベリーチョコ158円、ストッ
キング980円、スキンケアクリーム…

「…これ、女の子ね!それもまだ若い方だわ。」
「うん、茶封筒を送りつけてきたのは女性のようだね。」


 意外な情報が一枚のレシートからいくつか分かったが、それがどのような
人物なのか、一体何の目的があるのか?など、まるで分かってはいなかった。


 秘書は山の麓の広い駐車場を見回す。
この先は峠と山しかなくて、反対側には割と大きな市街地が見えている。

「手紙の送り主は…この辺りに住んでるのかな?」

「まあ、可能性はあるかもね。郵便物を正規のルートで送らなかった人物が
ここから茶封筒を誰かに渡し、それを事務所のポストに入れておいたのかも
しれない。」

 

 博士はそう言って腕の時計を見つめる。
時刻は午前十時を過ぎたところで、そろそろ目的の場所へと移動しなくては
ならない時間だった。とにもかくにも、落ちついて考えられる場所へと急がな
ければ、昨夜の連中が自分たちを捜し、追いかけて来ないとも限らないのだ。

「早紀君、そろそろ行こうか。」
「はい。」


 あの家で見たものの事、そして運送屋に化けてまでやって来た武装集団が
何者で、目的は何なのか?茶封筒を送りつけてきた人物は、それらについて
何を我々に伝えようとしているのか?

 まるで分からないままではあるが、とにかく今は身を隠す必要があるのだと
博士は思った。


(続く…)