ザ・怪奇ブログ

怪奇小説・絵画・怪奇の世界!

水面の彼方に 17話

 

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           17  国道145号線へ


 空がうっすらと明るくなってきた頃、人一人がやっと歩けるくらいのけもの道の
眼前に、遊歩道のような砂利道が見えてきた。とはいえ、めったに人が踏み込むよ
うな森ではないので辺りには民家も人の姿もなかった。けもの道を抜けたとはいっ
ても、まだ山奥の遊歩道なのである。

 何はともあれ、色々な出来事があった一夜は終わりを告げて、新たな一日が始ま
った。


「でも、ここまで来れば森を抜けたも同然よ。」

 いち早く遊歩道に出た光が、近くの草むらを見渡しながら言った。
ここまで約四キロほどの山道を歩き続けてきた涼子や須永理事長らの疲労はかなり
のもので、光の言葉にもその表情は暗かった。

「あの、刑事さん。もう少しその自慢のあんよ鍛えた方が良くない?」
「…ヒール履いてきたからよ。登山するなんて聞いてないから…」

 秘書のにやけた言葉に、涼子は額の汗を拭きながらぼそりと答える。
ここまでくる途中、涼子は何度かすっ転び尻もちをついていた。

 すると光は草むらに近ずき、手で草をかき分け始める。
埋もれるように草むらに隠してあったのは、何ともくたびれかけた白いワゴン車で
あった。

「見て、私が大学へ戻るたびに使用しているワゴンよ。こんなとこに隠しておけば
見つかることもないの。便利でしょ?」

 彼女はそう言うと草むらから、遊歩道の砂利道へと車を出す。
六人乗りの小型のワゴンで、見るからにおんぼろであちこち錆がついている。

「……これに乗ってくの?すんごいボロね…。」
「そう見える?それは外側だけ、盗まれないための工作。中身はまだ新品よ?さ、
乗って!」

 ともあれ、ようやく暗い山道を歩く事から解放された面々は、嬉々として車に乗
り込む。光の運転は”信用ならない”とのことから運転席には真理が座った。刑事
の涼子は不満そうに後部座席へと回ったが、真理のドライバーとしての能力の高さ
は、この場にいる者たちが良く知っているのだ。

「…暑い!エアコン全開にしてね。」

 九月の半ばとはいえ、まだまだ蒸し暑さの残る中での山歩きである。
女性陣がぱたぱたと扇いだり汗を拭いたりしている間、助手席の光はまたも地図を
広げてルートを確認していた。

「さて、大学からは何とか脱出したわ。例の町までのプランは?」

 光は後部座席の博士に視線を向ける。
すると彼は地図をまじまじと見つめ、ある地点を指さして言った。

「光さん、この県道に出てすぐのこの建物は何だい?」
「ラブホテルよ。山の中に隠れるようにあるけど…それがどうしたの?」

 ほんのしばらく博士は地図を手に何かを思案していたが、すぐに光に地図を返し
て運転席の真理に言った。

「真理さん、とりあえずこの場所まで走らせてくれ。」
「…ラブホテル?緑川町に行くんじゃないの?」

 意外な言葉に車内の面々は一瞬驚きの表情を浮かべ、博士の次の言葉を待つ。
女性陣らと違い、あれだけの山道を超えてきたにも関わらず、この坊主頭の男は汗
をかいた様子も無く、涼しい表情で説明を始めた。

「もちろん、目的地は緑川町だよ。ただ…今すぐ動くのは非常に危険な気がするん
だ。おそらく我々が大学から脱出した事は敵にも知れたはず。敵の組織力がどれ程
のものかは知らないが、ここですぐ動けば必ずどこかでやられると思う。」

すぐさま博士の意見に反論したのは涼子である。
おまけに逃げ込む先がラブホテルなどと聞いて、明らかに眉間に皺を寄せている。

「私は反対。のろのろしてたら、どれだけの敵がこの場所にやって来るか…そんな
怪しげな場所でじっとなんてしてられないわ。大体、亀さんタイプのあなたに付き
合ってたら逃げられるものも逃げられなくなるわ。」
「あら、涼子ちゃん、彼は亀ではないわよ?」

 今度は光が涼子の意見に、にやついた笑みを浮かべて言った。

「毒蛇は急がない、よ。」
「なによそれ…?」

 後部座席を振り向きながら光は奇妙な言葉を放ち、またもにんまりと笑った。
当の博士は苦笑いを浮かべて頭を掻いている。

「タイのことわざ。毒のない蛇は自信がないからこそこそ動くのよ。毒蛇は自分が
強いという自信があるから悠然としているの。つまりね、自信のある者は慌てない
ということよ。」

「光さん、博士が毒蛇ってこと?」
「いえ、違うわ、彼は”私たちの毒”を良く知っているって事。だから慌てないの
よ。」

 涼子は後部座席で腕を組み、無言で車内の連中を見回す。
確かに、おかしな連中だが不思議な力を持つ頼りになる者たちだと、刑事の涼子は
認識していた。

「こっちは奇想天外な行動が出来る才能があるし、ここまで敵さんを退けてきた事
が何よりの証拠だろう?慌てて動く必要はないさ。」 
「分かった、あの時と同じね!フェイントでしょ?」

 博士の言葉に運転手の真理が答えると、彼は無言で頷いた。
数年前、大学の地下に広がる研究施設から脱出する際、すぐに街を離れずに一旦
敵をやり過ごし、かく乱する事に成功した。慌てて出ていれば、あっという間に
捕まっていただろう。

「一度我々がどこかに姿を消せば、敵も困惑する筈だよ。その間に、何か策も練る
ことが出来るし、そしてもう一つ大事な事は睡眠をとる事さ。なにせ昨夜は一睡も
していないんだからね。これでは長旅も出来ないよ。あくまでも戦いは避けるべき
だと考えてはいるんだがね。」

 車内の面々を見回しながら博士は言った。
さしあたっての目的地がいきなりラブホテルという事で、女性陣らは戸惑いの表情
を見せたが、一人二人楽しそうな表情をしている者もいる…。

「…まあ、もっともな話ね。分かった、真理、車を出してちょうだい。」

 

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 勢いよく車を出した真理は、砂利道が二手に分かれている右側へと走らせる。
光の説明では、ほんの数分で県道に出るらしいが、いずれにしても山の中であるら
しく、町まではかなりの距離がある。

「ほら、道路に出るわよ?」

 ようやく砂利道のがたごという衝撃から解放されたワゴンは、薄暗さの残る山道
の道路に出た。もちろん朝の五時という事もあり、すれ違う車は一台もなかったが
、例の武装集団がどこに待ち構えているかも分からない状況で、ワゴンの中は緊張
感に包まれている。

 博士は光から地図を借りると、広げてこの先のルートを確認していた。
現在走っている道路の先には群馬県沼田市という割と大きな市街地がある。

「国道145号線か。ふむ、いわゆる…ロマンチック街道ってやつだな。」

 地図から顔を上げ、外の山道を眺めながら博士が言った。
ワゴンの最後部に座る須永理事長が、聞き慣れない言葉を聞いて顔を上げる。

「エロチック街道?探偵さん、それ何ですの?」
「ちょっと…エロじゃなくて、ロマンよロマン!良美ちゃん、あんた何年ここら辺
に住んでるのよ!?」


 光が須永理事長に説明して聞かせたロマンチック街道とは、もともとドイツの
ロマンチック街道に由来している。軽井沢、日光国立公園などの観光地を結ぶ全長
300キロにも及ぶ街道で、沿線の自然が豊かで最もドイツ的な自然環境を持って
いることから名ずけられた。

 現在地でもある国道145号線から120号線というルートを経て、沼田市から
日光市へと至る道のりは、美しい景色と急カーブの連続であり数多くの名所を通過
する極上の観光ルートなのだ。

 そもそも博士らが向かう緑川町は、この街道の終点でもある日光市の先に存在す
るのである。 


「つまり、300キロ近い道のりって事ね…これは大変だわ。」

 運転席でハンドルを握る真理がぼそりと呟くように言った。
それだけの距離の道のりを、謎の敵の襲撃にも警戒しながらの旅に、車内の面々は
不安な気分をつのらせる。


「あのさ、博士。そもそもどうして謎の敵の本拠地かも知れない街に行かなきゃな
らないの?逃げるなら別な場所に行った方が良くない?」
「ふむ、早紀君、実に良い質問だ。」

 ラブホテルへと向かう車は国道145号線を進む中、秘書が博士に思っていた
ことを質問した。これはおそらく、この車内にいる者はみな思っている事である。
緑豊かな山道の景色を眺めながら、博士は秘書の質問に答えて言った。

「そもそも今度の一件には、俺たちも含めて何か大きな出来事に関係しているんじ
ゃないかと思ってる。あの例の茶封筒が、俺たちに送られてきたのには理由がある
筈で…あれだけ恐ろしい連中に我々が命を狙われる事も、茶封筒の送り主はたぶん
最初から知っていた筈なんだ。」

「最初から危険なのは承知で、私たちに事件に関わらせたってこと?どういうこと
なの?」

 博士の言葉に、さらに秘書は困惑する。
だが、秘書の次の質問に答えたのは博士ではなく、助手席に座る光であった。

「…つまりね?私たちみたいな”民間人”に危険を承知で情報を送ってきたという
事は、かなりヤバイ事が起きているってことよ。付け加えていうなら、私たちでな
ければならなかったという事は、それだけ事件の何かに私たちが関わりがあるのか
も知れないってこと。となると…私らが逃げても、この事件は解決するどころか、
最悪の結果を招くことになるかも知れないわ。」

「そういう事だね。」

「…一体私たちが事件の何に関わりがあるっていうのかしら…?」

 秘書が光の言葉に小首を傾けながら、博士の方を見る。
彼は地図とにらめっこしながら、にこやかな表情で答えて言った。

「その謎は、緑川町へ行ってみれば分かるかも知れない。おまけに、敵の本拠地に
我々が逃げ込むなんて、向こうは夢にも思わないだろう?実は一番安全な逃げ場所
なのかも知れない。どのみち、いつまでも逃げ続ける事は出来ないんだから、その
間に事件の謎を解くしかないんじゃないかな?」

 徐々に明るくなりつつある山間の景色を車内の面々は無言で見つめながら、車は
最初の目的地へと近ずきつつある。

「…あ、でも、大学抜け出して朝からラブホテルなんて本当にエロ…いえ、ロマン
チックですわね!」

 一人嬉々としながら最年長の須永理事長は、ドライブを楽しんでいるようだ。

 しかし、目的地である緑川町へと向かう全長約300キロに及ぶ旅は、誰も想像
出来ないほど過酷なものになるのである。

 

 

 

 

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 その江田という男が指令室に呼ばれたのは、日が明けてすぐの事だった。
部屋にはいつもとは違い、司令の補佐を行っていた白石という大男が椅子にふんぞ
り返るようにして座っていた。

 江田は今日は勤務の無い日であり、朝から呼び出され機嫌がひどく悪かったのだ
が、白石という補佐官の顔を見るとさらに憂鬱な気分が増していた。まるで、怪奇
映画に出てくる人造人間のような顔立ちで、むき出しの歯は奇妙なほど長い。


  ”そもそもこの大男を見て、気分が悪くならない奴なんているのか?”


 と、江田は思ったが、どうも基地内のただならぬ様子にそんな気分を引っ込めて
大男の言葉を待った。

 そして指令室にはもう一人男が立っており、その顔立ちは補佐官の白石に負けず
劣らずの嫌な感じであった。彼よりは少しだけ背は小さかったがそれでもかなりの
体格で、その顔は無表情である。何か二人とも鼻っつらが羊のように突き出ている
のが奇妙だった。


「君は確か、追跡任務が専門だと聞いたが…」
「ええ、そうですが何か?」

 白石という大男は数枚の写真を取り出し江田という男に手渡す。
そこには金髪の女性やぼうず頭の男が写っていて、それを手にした男は奇妙なもの
でも見るようにしながら大男への質問の返答を待つ。

「この者たちを見つけて追跡してもらいたい。頼めるかね?」
「それはまあ…問題はありませんが、そのくらいの任務なら藤原司令の部下で充分
こなせるのではないですか?私が出しゃばる必要もないのでは…」

 江田の言葉を受けて、しばらくの間、大男は無言で椅子を揺らしていた。
そこには、どこか上機嫌な表情も見て取れる。

「…実はな、藤原司令の隊はある場所でこの写真の連中を拘束しに向かったのだが
、どうやら隊は全滅。十数名ほどの兵士も皆ここまで連絡もない状況で、当の司令
も音信不通で生死は不明だ。おそらく連中もどこかに逃げ出したと思われる。」
「まさか、あの司令が?一体こいつらは何者なんです?」

 あの歴戦のレンジャー部隊の猛者でもある藤原司令官が不覚を取ったと聞いて、
江田は手に持つ数枚の写真を見返す。美しいが、どこにでもいるような普通の女性
らとおじさんである…。

「…そういうわけで、君の力が必要なのだ。頼めるかね?この連中が反乱分子たち
と協力関係にある可能性があるからだ。」
「ええ、そういう事なら…」


 それでこの基地内の異常な雰囲気も理解できると江田は思った。
この気味の悪い大男が指令室で大きな態度を取っている意味も、良く分かる。自分
としては司令官が誰に変わろうが興味はないのだが、さすがにこの男の下で働くの
は気持ちの良いものじゃないと江田は思った。

「そこで、君には連中が消えた街へとさっそく向かってもらおう。我々は例の計画
の作戦行動中で人員は出せないが…君の追跡能力をもってすれば連中の居所を捜す
事など造作もあるまい?」

「そりゃあ、もちろんそうですがね。連中を見つけて追跡するだけでいいんですか
い?」
「ああ、連中がどこに逃げ込むのか。そして他の反乱分子仲間がどれほどいるのか
を確認してほしい。もちろん、余裕があれば…連中を拘束してくれても構わんが、
見つけ次第、俺に連絡を入れろ。」


 江田は白石という男に軽く会釈をすると、入口辺りに無表情で立っている兵士を
一瞥して急いで指令室を出ていった。この場の雰囲気がとても居心地が悪いという
のもあるが、何よりも嫌だったのは部屋にこもる”匂い”であったからだ。

 

 

 

 

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 国道145号線を走る光らのワゴンは、木に隠れるように立つラブホテルの看板
を見つけると小道を左に曲がった。先にはシンプルな二階建ての作りになっている
ホテルが見える。

 昔風に言うとモーテルというものだが、山間の峠などに建つものは長距離ドライ
バーなどが利用する格安の宿泊施設となっている事も多い。そのため、各部屋には
シャッター付きの車庫がついており、そこから直接部屋に入れる作りになっている
ものが多い。このホテルもそのタイプだった。


 ワゴンを建物の入口に止めると、唯一電気がついている玄関ロビーが見える。
助手席に座る光が一人で車から降りると、日が昇り始めた朝もやの中を小走りで
玄関ロビーに向かった。

「ねえ、見て、薫ちゃんの走り方。ずいぶん、おばさんくさくなってない?」

 後部座席から身を乗り出して前方を見つめる須永理事長は、にこやかな笑みを
浮かべながら言った。真理はそれを聞いて、ぷっと吹き出す。

「きっとお尻が重いのよ。」

 真理の言葉に、ワゴンの中には軽い失笑が漏れた。

 

 薄暗いロビーのカウンターには中年の男が雑誌を読みながら座っていたが、入っ
て来た金髪の女性を見るなり驚きの表情を見せる。だが、もっと驚いたのは外人と
思われた女性が、あまりにも普通に日本語で話かけてきたことだった。 

「あの、部屋開いてる?出来れば数人泊まれる大きな部屋がいいんだけど…」
「ありますよ。ほとんど開いてますがね。ひと部屋でいいんですか?」

 光は無言で首を縦に振ると、誰もいないながらもロビーの中を見回しながらホテ
ルのおやじに囁くように小さな声で言った。

「あのさ…ちょっとつかぬ事を聞くけど…。」
「何でしょう…?」

 カウンターに肘をついて話しかける光は、ポケットから束になった万札を取り出
すと、ホテルの主人に手渡す。

「…えっ、こんなに?」
「いいから取っといて…それでね、何かこの辺で事件とか何か起きてるって話聞い
た?例えば、警察だとか…」

 光はさらに主人に近ずいて聞く。

「…いえ、何もありませんけどね。」
「そう、ならいいけど…私らちょっと訳ありなのよ。出来れば…私らがここに泊ま
ってるって事はナイショにしててくれると有難いんだけど…?」

 そう言って光はウインクをすると、さらに札の束を主人に渡した。
男は一瞬目を大きく開くと、慌てて札束を自分のポケットにしまい込む…。

「…ああ、構いませんよ…!問題さえ起こさなけりゃね。へへっ…。」
「もちろん、一休みしたらすぐに出て行くわ。面倒はかけませんから。」

 ホテルの主人から部屋のキーを貰うと、光はお礼を言ってロビーを出る。
男はまたカウンターの椅子に戻ると雑誌を再び読み始めた。

 

 


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 ワゴンを車庫に入れ、シャッターを閉めると階段を上がり鍵のかかったドアを開
けた。

「あら、広くて綺麗な部屋ですわ。」

 窓は無かったが、大きな長方形の部屋の奥に大きなベッドが一つ。大理石とレン
ガを使ったシンプルながら美しい部屋だが、半分のスペースがベッドという…まさ
に、「寝る」ためだけの空間である。

 こういう場所に初めて入った真理や涼子は、何とも物珍しそうにあちこち見て回
っていた。

「ほら、お風呂綺麗よ?はいろ、はいろ!」

 秘書が楽しそうに言って上着を脱ぎ始める。
それもそのはず、たった今、登山をしてきたばかりなのだから、さっぱりしないと
眠る事など出来ない。

「…早紀君、六時間しかいられないんだから、風呂は急いでな?」
「はいはーい!」


 一時間が過ぎた頃、ようやく全員がお風呂から出て寝じたくを始めたが、いかん
せん女性というものは支度が長い。おまけにしゃべる。その間、唯一の男性である
博士は隅の絨毯の上にあぐらをかいて座り、一人何かの本を読みふけっていた。

 
 ようやく静かになった二時間目…。
すでに博士は一人、ベッドから離れたソファーで横になり夢の中だったが、大きな
ベッドにごろごろと雑魚寝していた女性陣は…

「むぁあっ!ダメだ、眠らんね…」

 いきなり光がベッドの上にむくりと起き上がると、叫び声を上げる。
もちろん、他の女性陣も同じく起きていて、光と同じように眠れないようだった。

「まあ、無理でしょ、こんな時に眠れって言われても…。日差しは物凄く明るい
し。」


 けっきょくベッドの上に全員起き上がり、おしゃべりを始めてしまう。
確かに、昨夜は大学の大浴場で入浴中に襲撃され、全身縛られるというとんでもな
い目に遭わされた。その後は敵の襲撃から逃れるため、暗闇のなか山越えまでした
のである。おまけに、朝っぱらからラブホテルで眠れというのだから…このような
興奮した状況下で眠れという方が難しい。

「というか、あのおじさんは何でこんな時に眠れるの?」
「おぉーい、博士~!眠れないぞー?」

 眠れないとはいえ、昨夜のどたばたで全員疲労困憊なのは間違いない。
光や秘書などは特にオルゴンの力を使っているので、目の下に隈が出来ている。
ここにどうしても立ち寄らなければいけなかった最大の理由は、彼女らを休ませる
事にあるのだ。もちろん、この先の長旅のための休息も必要不可欠である。


「……君らは子供かね?ここに来た意味が分からないのかい?」

 と、博士は明るい朝の日差しが入り込む窓際へと近ずくと、厚手のカーテンを
いっきに閉めてしまう。そして何やら壁際のスイッチを押して、部屋の照明を薄暗
い照明に変える。まるで一瞬にして夜に戻ってしまったかのようだ。

「じゃ、とりあえず全員上着を脱ぎたまえ。」
「えぇーっ!何でよっ…!?」

 博士のとんでもない提案に、女性陣らは驚きの声を上げた。
須永理事長だけはにやにやしながら楽しそうに黙って様子を伺っている。

「何でって…そりゃあ服着たままじゃ、身体がリラックスしないんだよ。肩を出し
た方がストレスを感じなくて眠りやすい、これは科学的に証明されてるんだ。」
「ほんとかな…。」
 
 いかにもな博士のもっともらしい説明に、渋々上着を脱いで軽い格好になった。
まあ、裸になる訳でもないし…

「あれ?なんか……確かに緊張感が減った気が…」
「まあ、単に気分の問題じゃない?軽くなったっていう…」

 すると今度は自分の防寒着のポケットから小さなウイスキーの瓶を取り出す。
これは昨夜、理事長室の棚の中に並んでいた高級ウイスキーを拝借してきたもので
ある。

「魔法の水だ。これを一口だけ飲むんだ。一口だけ。」
「あら、たった一口ですの?」
「そりゃそうだよ、車の運転もあるんだからね。」
「あの…私いちおう刑事なんですけど…?」

 まずは秘書に手渡し、みな渋々ながら回し飲みした。
最後に小瓶を手渡された博士は、残るウイスキーを飲み干してカラ瓶をポケットに
しまい込む。量は少ないが、かなりきつめの高級ウイスキーである。確かに少量な
がらアルコールが入れば眠り易くはなるはずで、緊張が解ける効果はあるのだ。

「よし、今度は静かに寝られるだろ?見ててあげるから早いとこ寝て寝て!」


 博士にせかされるように、女性陣らはもそもそと大きなベッドに横になった。
先ほどまであれだけ眠れないと騒いでいた彼女らも今度は驚くほど素直に眠る態勢
を見せる。魔法の水もさることながら、薄着にした事による羞恥心が上手く作用し
たのだろうと博士は思った。

(もちろん、科学的根拠もないし、単に薄着の彼女らを見ていたかっただけの事で
はあるが…。)

 おまけに頭を撫でたり、お尻をぽんぽん子供をあやすように叩くと、僅かの間に
五人とも眠りについてしまった。とまれ、彼女らを寝かしつけるという荒業に成功
したのである。

 

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 午前十時を過ぎた頃、藤原弘毅はひっそり地下基地へと戻って来ていた。
真夜中に車でどことも知らぬ山へと置き去りにされたのだが、数時間のうちに基地
へと戻ってきたのである。

 レンジャー部隊として様々な局面に対応するため鍛えられてきた弘毅にとって、
山からの生還などは造作もない事だったが、問題なのは地下基地の様子がどうなっ
ているのか?自分の目で確認しなくてはならないと思ったのだ。

 もちろん、任務に失敗した自分はすでに”用済み”の可能性が高い。基地内の
連中に見つかればやっかいな事になるだろう。そこで彼は誰にも知られずに基地へ
と潜入したのだ。ここのセキュリティーや防衛網も、司令官を務めていた弘毅にと
っては役に立つものではなく、簡単に内部へと侵入した。


 例の作戦が実行に移されたというのは基地内の異常な様子で分かる。
これまで働いていた多くの者たちの姿が見えない。おそらく作戦行動を行う部隊
以外の連中は、すでに地下基地を出たのだろう。入口のセキュリティーもほとんど
機能していなかった。いわゆる、もぬけの殻状態。

 それもその筈、例の作戦行動が成功すれば、この地下基地はその役目を終える。
その時、プロジェクトに関わる全ての施設を破壊し、地上からその存在は跡形も無
く消え去るのだ。


 基地内の様子を確認した弘毅は、作戦行動部隊の最高責任者である入江博士の
研究室の前を通りかかった。入口のドアが開いている…すでに博士もこの地下基地
を出たのであろうか?

 弘毅は音も無くドアに近ずき中の様子を伺う。
どうやら研究室内に博士はいないようだ。部屋に入り中を見回すと、パソコンの
電源は消えている。


「あら、藤原司令…無事だったんですか!?」

 ふいに背後から声をかけられ、弘毅は驚きながらも素早くドアの陰に隠れる。
そして入江博士の手を掴んで部屋の中に入れた。いきなりの事で手に持っていた
カップからコーヒーがこぼれる。

「ちょ…何なんですか!?」

 弘毅は自分の口に人差し指を当て、研究室のドアを閉めた。
博士はせっかく購入してきたコーヒーをこぼされた事に、眉間にしわを入れ弘毅を
睨んでいる。

「…どうして戻って来たんですか?戻れば危険な事は知ってるでしょう?あの白石
さんに見つかれば…大変ですよ?」

 入江博士は腕を組み、ひそひそ話をするように言った。
弘毅は壁にもたれるようにしながら、顔をしかめ皮肉気に笑う。

「…あいつが嫌いでね、一言文句が言いたくなって来たのさ。」
「あ、その気持ちは分からなくはないですけど…ね。」

 彼女はそう言って笑った。
地下基地の司令であった弘毅は、この博士が人並みに笑う姿を見たのは初めてだと
思った。

「…どんな状況なんだ?」
「そうね、白石さんの大部隊が降りていったのが四時間前だから…明日の昼頃には
最深部に到達するわね。もちろん無事なら…だけど。」

 弘毅はそれを聞き、頷きながら机に片手をつく。
と、机の上に載っていた大きな封筒が落ち、中から一枚の写真が出てきた。

「あっ……。」


 その写真には例の家で皮だけになって見つかった、禿げ頭の男が写っていて、
床に落ちた大きな封筒はこげ茶色をしていた。確か聖パウロ芸術大学の倉庫に縛ら
れていた時に聞いた連中の会話の中に出てきた”茶封筒”。彼らがこの一件に関わ
らされた原因になった代物である。

 一瞬だけ目が合った二人には、これらの事実が一体何を意味するのか?を、瞬時
に理解した。

「あ、あの……これは…ええと、あの…」

 その時の杏は、頭の中がパニックになっていて、しどろもどろな声を出した。
何故なら今、杏の目の前にいるのは昨夜までプロジェクトの実行を邪魔する不満
分子たちを見つけ、一掃する事を仕事としてきた基地司令官なのだから。


「そうか、あんたか。あんたが……」

 そう呟くと弘毅は笑みを浮かべて、床に落ちている男の写真を手にすると茶封筒
の中にしまい込み袋をきちんと閉じる。弘毅はしばらくの間、緊張しながら自分を
凝視している入江博士を見つめ、声を出さずに笑っていた。

 この地下基地のプロジェクトを任されている最高責任者、入江杏博士。
彼女はこの一件について最も多くの知識と情報を持ち、最も深く関わってきた人物
である。常に我々の傍にいて、我々プロジェクトの連中と一緒に計画を進めてきた
最重要人物だ。

 そんな人物が、よもや反乱分子の一味であった…いや、むしろ彼女こそが”反乱
分子そのもの”だったといえるのかも知れない。

 これにはさしもの基地司令官も、笑いを抑えることが出来なかった。
秘密裏に計画されてきた組織のプロジェクト最重要人物が、それを阻止するために
活動していたというのだから。そして彼女が何故、仲間を犠牲にしてもこの計画を
阻止しようと考えたのか?今の弘毅には何となく分かる気がしたのだ。


「……私を、捕まえますか?そうすれば、あなたもまた基地司令の地位に戻ること
が出来る筈よ。私は最初から覚悟はしています。」
「いや、そんなことはしない。それに俺はもう司令官じゃない。」

 意外な回答に杏は驚き、目をきょろきょろさせながら基地司令を見つめる。
彼はいつもの攻撃的な様子とは少し雰囲気が違い、いくらかくたびれ疲れている
ように見えた。

 何かを言いかけようとした杏を片手で制した弘毅は、部屋のドアを開け暗い通路
を見回すと、杏に振り向いて声をかけた。

「…上手くやれよ?」

 そう言って彼はにたりと笑い、暗い通路へと素早く消えていった。

 杏にはどうして彼が自分を見逃したのか?本当の事は分からなかったが、きっと
彼は”あの人たち”に出会ったのだ、と思った。そして、そのことを彼に聞くこと
が出来なかったことが、杏には何故だかひどく悲しかった。

 

        f:id:hiroro-de-55:20200425101038j:plain

       (続く…)