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水面の彼方に 30話 

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              30  水面から


 地下基地のさらに下、目的の最深部に向かった白石の部隊から連絡が入ったのは
それから一時間も後の事だった。”動力室”と呼ばれる場所に兵士たちがようやく
辿り着いたのである。

 送られてきた映像は先ほどのものよりも悪く、時折ノイズのようなものが入るが
何とか確認できるものだった。ライトに照らされた地下の最深部は、まるで何か
遺跡のような形をしたホール状の部屋になっている。

 その部屋の中央部にはプールのようなものがあり、ライトの光に反射して時折
きらきらと輝いていた。恐らく水が張られているのだろう。


 そして、それこそが多額の資金を投入して行われてきた地下プロジェクトの最重
要機密、最重要目的の液体金属、クリア・プルトニウムが貯蔵された動力プールで
ある。それを持ち帰ることで、プロジェクトの目的は果たされる事になるのだ。


「司令官、よくやった!これで世界は新たな時代を迎える事になるよ。もちろん、
我々の手でね。」

 映像を見ながら、地下基地プロジェクトの代表、坂槙は手を叩いて喜んでいる。
司令官の白石も珍しく白い歯を見せながら笑みをこぼす。 

 だが、スクリーンを見つめながら杏は映像の先にいる部隊兵に大きな声で語りか
けた。


「シェルターは!?どうなっていましたか?」
『…水の中は思った以上に暗く、どのようになっていたかは見ていません。ですが
、ここまで危険は一つもありませんでした。恐らくシェルターには異常は無いもの
と思います!』

 総勢十数名の潜入部隊兵が一人も欠けることなく無事に目的地へ到達したことが
何よりの証拠となっているのだが、それでも杏には安心することが出来ずにいた。


「入江博士、クリア・プルトニウムとは一体どういう形なのですか?」

 映像の動力プールを食い入るように見つめる司令官の白石は、傍にやってきた杏
に尋ねる。


「…あれは世にある液体金属と良く似ていますが、少し違うのは、銀色では無く、
あらゆる色に光る金属なんです。もちろん他の液体金属と同じく、水に溶ける事は
ありません。ですから、クリア・プルトニウムが状態良く残っているとすれば、プ
ールを覗けば見えるのではないかと思います。」
「状態が悪ければ…どうなるのだ?」

 白石が眉をひそめながら杏に聞いた。
機嫌の良さそうな顔の坂槙も、その時だけは無表情になり杏の方を振り向き、返答
を待つ。


「全ての色に輝く事無く、塵に分解され水中に沈んでしまうでしょうね。かなりの
年月が経過していますから、状態良く残っていたら奇跡だと思います。その可能性
はかなり低いと、私は最初から申していましたけど…」
「…おい!動力プールを映せ!何か見えるか!?」


 司令官の白石は映像の先にいる部隊兵に、声を荒げながら言った。
兵士はすぐに動力プールへとカメラを向ける。相変わらず映像には時折激しいノイ
ズが入る。そしてそこには黒々と濁った水面だけが映し出されていた。


「博士、ほんとにこの動力プールにクリア・プルトニウムが貯蔵されているんだろ
うな?」
「ええ、間違いないわ。そうでなければ、”あれがここまでやって来ること”は
出来なかった筈です。」

 その杏の答えを聞き、司令官の白石は納得しつつも暗い水面を凝視する。
だが、いくら覗き込んでも液体金属の輝きが見える事はなかった…。


「…おい、隊長!予定の通り、動力プールの水を全てタンクに詰めろ!全て回収し
て帰還するのだ。」
『…分かりました!さほど大きなプールではありません。持ってきたタンクで何と
かなると思います!』


 さっそく部隊兵たちは、吸引ポンプで持参したタンクに動力プールの水を吸い込
みはじめる。さほど大きなプールでもないし、深さがあるようにも見えない動力
プールの水を汲み出すのはそれほど時間の掛かる作業ではない。どのような状態に
せよ、クリア・プルトニウムが眠る水ごと回収するのがプロジェクトの目的なので
ある。

 かりに液体金属が年月で風化していたとしても、その分析や成分といった研究は
出来る…まるで無駄になる事はない。それほど目的のクリア・プルトニウムは価値
のあるものなのだ。

 指令室の三人は、その部隊兵たちの作業を無言で見守っていた。


 その時、暗い水面の中で、何かが動いた。
その水の波紋を追うようにして、兵士がカメラを向ける。すると、次第に水面が
銀色の淡い光を放ちはじめた。これこそクリア・プルトニウムの輝きだと思われ
る。


『…司令!見てください!見つけました!例の液体金属です!』
「よし!よくやった!回収して直ちに帰還しろ!いいな?」


 と、兵士の一人がカメラに向かって喜びの声を放ったその時、背後の暗い動力
プールに何か動くものが見えたのである。兵士の背後にある闇が、静かに、そして
徐々に音を立てて動きはじめたのだ。


「気を付けて!何かいるわ!」
『…えっ?うわっ!何だこりゃあー』


 その瞬間、いきなり大きな振動と共に地面が揺れた。ほんの数秒ー
そして、カメラに向かって何かが激しい勢いでぶつかり、それきり映像は途切れて
しまった。


 …それが、彼らにとっての恐怖の始まりであった。

 

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 緑川町へと続く唯一の道、県道六号線のトンネルを超えた場所で執事の白川は車
を止めた。たった今、地震と思われる強い揺れを感じたからである。

 トンネルの出口で、白川は今やって来た道を振り向く。
奥の方で何か土砂が崩れるような、岩が転がるような音が聞こえてくる。どうやら
トンネル内で落盤事故でも起きたようだ。

 それはつまり、この緑川町とその外への唯一の道が閉ざされた事を意味している
のである。


「これは、困りましたな。」

 しばらく辺りの景色を見ていると、すぐ先の急カーブのところに一台の四輪駆動
ジープが止まっていて、執事と同じように数人の男女が車外に出てきていた。

 執事は街の様子を聞こうと、彼らの方へと歩いていった。


「あの、すみませんが。」

 数人の男女は、声をかけてきた執事を振り向き驚きの表情を浮かべた。
こんなところで人に会うとは思っていなかったのだろう。


「この先の緑川町へと行きたいのですが…。」
「…緑川町?一体こんな夜中に何しにあんなところに行くんだ?」
「ええ、友人に会いに行こうと思っているんですよ。この辺の道には詳しくない
もので。」
「ちょっと失礼…」

 数人の男女は、執事から少し離れた場所に移動して、小声で何かを話はじめた。
執事の白川は背後の自分の車をちらりと振り返り、彼らが戻ってくるのを静に待つ
事にした。


「ねえ、こんな時に街に向かうって…おかしくない?」
「…まあな。友人に会うって言ってるが、例の連中の仲間かも知れんな。」
「絶体にそうよ、あの車にも誰か仲間が乗ってるんじゃない?」


 浅黒い肌の南方系女性が男の一人に言った。
彼らは聖パウロ芸術大学の森で、不可思議な現象で敗走し、命からがらこの緑川町
まで逃げてきた武装集団の五人だ。

 しかし、彼らの武器は全て破壊され、これ以上戦う気も失せてしまっていたので
ある。これまでにも傭兵として数々の危険な仕事をこなしてきた彼らだが、先日の
”魔女の森”での悪夢のような体験は、彼らの闘争意欲を無くさせるには十分なも
のがあったからだ。

 
「…たとえ、そうだったとしてもよ?俺たちには関係ないんじゃないか?あんな目
に遭わされたんだ、金のために命は落とせないだろ?こんな仕事、俺はもうごめん
だね。」
「あんな目にって…あの森での事?きっと何かの仕掛けがあったのよ。今度会った
なら、同じようにはいかないわ!基地に戻れば武器もあるし…」

「あんた、まだ戦う気なのか?あの女の姿を見なかったのか?あれはきっと魔女に
違いないぜ?身体が動かなくなるなんて…きっと魔術かなんかに違いない。」

 四人の男たちは作戦が失敗した時点で、すでに戦う気は失せていたのだったが、
彼女一人だけは今だやる気満々だった。彼女は森で女の姿を見なかったし、まして
魔女なんて今でも信じてはいなかった。


「ふん、可愛いパンツ履いてたっていう女の子でしょ?次に会ったときはそれ脱が
して泣かしてやるわ!」

 彼女はそう言ってから一人執事の方へと戻り、懐から小さな銃を取り出すと彼に
向けながら言い放った。


「…この先の街にはいけないわ!あんたも連中の仲間でしょ!?」

 いきなりの女の行動に、執事の白川はその場で両手を上げる。
相変わらず落ち着いた表情の白川は、突然の状況にも慌てることなく銃を向ける
彼女を観察した。なるほど、よく見ると迷彩用の軍服のような物を着込んでいて、
ここが、敵の本拠地であるという事を思い出させる。


「でも、人質にはなりそうね。このまま基地まで連行させてもらー」


 浅黒い肌の女が言いかけた時、またも彼女の身体が硬直して指一本動かす事が
出来なくなった。あの森の時と同じく、金縛りのような状態である。


「ちょ…何でー」

 そしてそれは、彼女の後方にいる四人の男たちにも起こった。
誰一人、その場で指一本動かす事が出来なくなってしまったのである。


「お、おい、嘘だろ?まさか…!またー」

 

 

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 執事の背後の軽自動車から、一人の女の子が降り、こちらにゆっくりとやって
来るのが見えた。長い黒髪、黒い若者風の服装…そう、彼らが魔女の森で見たあの
少女だ。

 黒髪の少女は、まるで動くことが出来ない浅黒い肌の女の手から銃を取ると、
じっと見つめてからそれを相手に向けて構える。

「…!!」


 だが、黒髪の少女は小さくいたずらな笑みを浮かべると、動けない彼女の手に
銃を戻した。そして、千恵子は浅黒い肌の女に小さな声で言った。


「…銃は役に立たないわ。それより、基地まで案内してほしいの。」
「……え、ええ、もちろんですとも!喜んで…!」


 まるで動けない女ではあるが、もうこれ以上抵抗する気は失せていた。
今度こそ、目の前で魔女の存在を思い知らされたからである。


「あの…私、パンツ脱いだ方がいいかしら…?」


 金縛りのような状態が薄れてくると、浅黒い肌の女は自分から銃を森の中へ投げ
捨て、照れくさそうに黒髪の少女に向かって言った。

 

 

 

 


 明かりがほとんど無い暗闇の中で、元地下基地の司令官、藤原弘毅は唯一の明か
りであるペンションの窓を見つめていた。

 と言っても、百メートルほど離れた場所から暗視用の特殊望遠鏡で中にいる連中
の様子を監視していたのである。しかも盗聴器を仕掛けて中にいる彼らの音も、僅
かながら拾える状態だった。

 この緑川町に戻ってきた弘毅は、町の中をうろつき回る、例の探偵二人を見つけ
ここまで密かに尾行を続けてきたのである。彼らは何故この緑川町へとやってきた
のか?ある程度彼らの会話を盗聴することで理解は出来たが、よく分からないのは
彼らがこの先、何をしようとしているのか?である。


”…一体連中は何をしに、わざわざ敵の本拠地に逃げ込んできたというのか?”


 アメリカのレンジャー部隊の経験を持つ自分を叩きのめした連中の不思議な力に
、元捜査一課の敏腕刑事もいるのだ。そしてここまでやって来た彼らの行動力は、
馬鹿には出来ないだろう。自分の忠告を無視して、この街へとやって来た連中は
この先なにを行おうとしているのか?

 そのあたりを知ろうと、弘毅は小型の機器を使い彼らの会話を拾おうと耳をすま
せていた。彼らは先ほどから捜査会議を一旦打ち切り、コーヒーを飲む準備を始め
ているようだった。

 ペンションの大きな窓には、外の暗闇を覗いている坊主頭の探偵が見える。
今は彼らから会話のようなものも聞こえてこない。小さな声まではいくら盗聴器と
いえども完全には拾えないのだ。


 暗闇の中、藤原弘毅は身動きもせず彼らの監視を続けていた。

 

 

 

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 中華飯店の親父が持ってきたミニ・コンロでお湯を沸かし、コーヒーを入れるた
め捜査会議を一旦中断していた。ここで急に博士がコーヒータイムを要求したから
である。先ほどの地震と思われるかなり強い揺れも、会議を中断する理由にはなっ
た。


「かなり揺れましたわね?」
「この辺はめったに地震なんか起きないんだがなぁ。」

 中華屋の親父と須永理事長がコーヒーを入れている間に、博士は窓から離れると
目配せをして秘書や光をリビングの端へと呼んだ。そして囁くような小さな声で、
二人に話を始める。


「…早紀君、昼間街の中心街をうろつき回った時の事を覚えているかい?」

 博士があまりにも小さな声で話すのを見て、秘書は黙ってうなずいて見せた。
光は何事かと眉毛をひそめ、博士の次の言葉を待つ。


「…街のあちこちにあった水の入ったプラスチックボトル…あれの一つを近くで見
ていた時の事なんだがね、偶然にもある人物が我々の後を付けてきているのが写っ
ていたんだよ。」
「…つけてきた?一体誰よ?」

 光の質問に、博士はバツが悪そうな表情で頭をかきながら答える。


「…大学の風呂で我々を襲撃した軍人だよ。彼が私と秘書の二人をつけていた。
恐らく、今も近くで様子を伺っているに違いないね。彼が軍人なら盗聴だってされ
ているだろう。」
「ちょ…それって凄くやばいんじゃないの!?だって、私たちの捜査会議も聞かれ
ちゃってるって事でしょ?」

 いっきに顔が青ざめてゆく光の様子を見て、真理も博士らの方へと寄ってきた。
それを見て、涼子も首を傾げ何事かとやってくる。慌て始めた光とは対照的に、
博士はにこやかな表情でテーブルに置かれた利根川警部のお土産の箱を開け、リビ
ングルームでバラバラだった女子達に、博士はテーブルへと手招きして呼ぶ。
コーヒーを飲むためだ。

「そうだね、あえて聞かせたんだ。」
「どうしてよ!?」

 えらく小さな声で会話する博士らを見て、やってきた涼子や理事長は不思議な
表情で様子を伺っている。各々コーヒーを口にしたり、お土産の生どらやきを選び
ながら。

 中華屋の親父やスタジャン男は相変わらず、少し距離を置いてそれらを見つめて
いる。

 

 

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「…いいかね?我々を捕まえるためなら、わざわざ尾行なんてする必要は無いから
さ。捕まえてから、情報を聞き出せばいいからね。それをする機会はいくらでもあ
ったんだよ。」
「ああ、それで博士、あんなに意味も無く町の中をうろつき回ったのね?」
「そうだ、早紀君。あえて隙を作って彼がどう動くのか様子を見たんだよ。まあ、
危険だといえばその通りなんだが…」


 博士の説明を聞いて、光は大学で自分たちを襲ったあのレンジャー部隊の軍人を
思い出す。彼は自分たちに叩きのめされたあと、うわ言に妹の事を口にしていた。
長年病気の看病をしてきた妹を亡くした男は、もう私たちを本気で倒そうとは思っ
ていなかったのではないか?

 しかも彼は秘密裏に働く軍人だ。大きな失敗は許されないはず…
そんな彼がわざわざ一人、この緑川町へと戻ってきた理由は何か?

「…私たちを捕まえないのだとしたら、彼は何のためにこの街に戻ってきたの?」
「さてね、そこまでは分からないな。だから、我々のこれからの行動を彼にも聞か
せてあげようじゃないか?」


 博士は美味しそうにコーヒーを飲み干すと、利根川警部の持ってきたお土産の
どらやきをほうばり、隣の秘書にも一つ手渡して笑った。

 

(続く…)