ザ・怪奇ブログ

怪奇小説・絵画・怪奇の世界!

水面の彼方に 22・23話

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            22  トンネルでの来客…


 いろは坂を下り、日光市街地へと入った博士らのワゴンは郊外にあるスーパーの
駐車場に停車した。軍服男の襲撃以降ここまで何の問題も無く峠を越えてきていた
が、もちろん油断は出来ない状況である事には変わりなく、広い駐車場の奥、出来
るだけ薄暗い場所にワゴンを停める。

 市街地とはいえ、周りは山に囲まれ周辺はかなり暗い。
博士はワゴンの中で地図を広げ、現在地を確認しながら話を続けた。

「地図によると、この先は例のコンビニから緑川町まで何もない。ここで必要な物
を買っといた方が良いんじゃないかと思ってね。最悪の場合、この車で野宿という
事も有り得るし…」
「そうね、良美ちゃんの手当てもちゃんとしないといけないし、大事な物買ってき
てもらわないといけないわ。」

 光の治療で応急処置的な事は済んでいたが、包帯や張り薬なども必要である。
それとともに、須永理事長の傷はほとんど癒えたとはいえ、かなりの出血をしてい
る…何か栄養のつくものを摂る必要がある。

 さっそく博士と秘書、それに涼子の三人で薄暗い駐車場を小走りでスーパーへと
向かい、博士と秘書は食品を、涼子は一人無言で薬局の店舗へと向かう。


「…早紀君、例の後遺症は大丈夫なのかい?」
「ああ、だいぶ自分でコントロール出来るようになったの。大丈夫。」

 そう言って博士の後ろからついて走る秘書は、まだ顔色は少し高揚したままであ
る。オルゴンの力による興奮作用はすぐに消える事はなく、数時間は火照りのよう
な状態が続くのだ。

 彼は秘書の顔を覗き込むようにして見つめると、オルゴン液を混ぜた光のファン
デーションで綺麗に化粧を施していて、彼女の顔からは化粧品独特の良い匂いがす
る。

「ん…君は化粧顔も綺麗だな。こんな可愛い顔で、追っ手の男も油断したかい?」

 秘書の顎に手を添え、博士は彼女の顔を少しだけ上に向けた。
形の良い小さな唇に、今日は淡いピンク系のグロスを塗っている。

 

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「……そうなの、お色気攻撃の後で急所に膝蹴り叩きこんじゃった…♪」
「それは……敵さんには悪夢だろうな…」

 頬を赤く染めた秘書は、でれでれの笑みを浮かべ博士の肩に顔を埋めた。


「…じゃあ、急いで大事な物を購入して戻ろう。」

 博士と秘書は食品コーナーへ小走りで急ぐ。時刻は二十時を過ぎていて、お客は
数えるほどしかいなかったが、博士は食品コーナーをつむじ風のように回り必要な
物を籠に入れる。

「…博士、血を作る食べ物っていうと、やっぱり肉系?」
「うーん、そうとも限らないんだ。」

 博士は惣菜コーナーであるパックを一つ手にした。
何かの肉野菜炒めを自分の籠に入れ、隣の秘書に説明する。

「単純に鉄分を食べれば血が作れる訳じゃない。吸収しやすくなる物と一緒に摂る
のが大事なんだよ。例えば、この豚肉とほうれん草なんか良いね。おまけに梅干も
一緒だと最高だ。」
「じゃあ、ビタミンCね!」

 そう言って秘書は近くの棚からぺットボトルを一つ手に戻ってきた。
赤い色をしたアセロラという実から作られる飲料水である。

「そうそう、ビタミンCだよ。何でもそうだけど、その効果を上げるために必要な
物を合わせる事が重要なんだ。それを合わせる事で吸収率が格段にアップするとい
うやつ。」
「ねえ、博士。もしかして今晩も野宿の可能性があるでしょ?私たちの夜食も買い
込んでおいた方がよくない?」
「その可能性もあるね。」

 秘書の提案に、博士も頷きワゴンの中でも食べられるような物をしこたま買い込
み、薬局に向かった涼子が戻るのをスーパーの入口で待つ事にした。

 


 博士ら三人が戻るのを待つ間、光と須永理事長、運転席の真理はしばらく無言で
スーパーの明かりを見つめているだけだった。

 三人だけになる機会は少ないのであるが、いざその機会が来ると言葉が出てこな
い。しゃべりたい事は沢山あるのに、それぞれに想いが強すぎて言葉が詰まってし
まうのである。

「…良美ちゃん、傷は痛まない?」
「ええ、痛みはたいしたことないわ。それより貧血気味で少し頭がふらつくの。」
「…そう。あの人たち、ちゃんと栄養のつくもの買ってくるかしら?」
「頼んでおいたチョコレートさえあれば私は良いけど。」

「あのさー」

 どうでもよい話を光と良美がしていた時、それまで運転席で外を見つめていた
真理が会話に割り込んできた。二人は急に真面目な顔で真理の方を振り向き、彼女
の次の言葉を待つ…。

「あのさ…今だから二人に言うけど…」
「…なぁに?」
「…なんですの?」

「この旅が無事に済んだらさ…」

 真理は運転席から身を乗り出し、後部座席の方へと移動してきて二人の間に無理
やり入り座る。光と良美の二人は、笑顔を真理に向けながらも彼女が何を言い出す
のかと身をこわばらせた。

 と、真理は両脇の年上二人の頭に腕を回し、自分の方に抱き寄せるようにしなが
ら静かに言った。

「…二人の事は私が面倒見るから、ずっと三人で一緒にやっていこうよ。離れて暮
らしたって、もう意味がないわ。」

 光と良美の二人は顔を見合わせ、そして真理の方を覗き見る。
ずいぶん年下の彼女は、化粧をしているせいもあるが今日はいつもよりも大人びた
表情をしていた。

「…私が傍にいれば、いつまた何が起きるか分からないのよ?あなたの人生を、私
のせいで壊したくないの。真理、あなたは外の世界でもっともっと大きな存在にな
れる人よ?世界に評価されるようなー」

 珍しく真剣な表情で語る光の言葉に、真理は首を横に振りながら笑った。

「離れていようが、傍にいようが何かのトラブルが起きるなら同じでしょ?なら、
私は二人と一緒がいいわ。あの大学から外に出られなくてもいいの、私の幸せは
あなたたちと一緒に生きていくこと。それが私の望みの全てよ。」
「………。」

 さらりと自分の気持ちを言ってのけた真理とは違い、二人の年上女性は言葉に
詰まり何も言う事は出来なかったが、落ち着いた笑みを見せる真理は答えを聞く事
もせずに運転席の方へと戻ってゆく。

「ま、二人とも旅が終わる頃までに考えといて?」
 
 そしてシートベルトを締め、再びエンジンをかける。前方のスーパーの入口から
博士らが戻って来るのが見えたからである。


 

 

 

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 日光市街地を抜け、例のコンビニを通過した博士らのワゴンは、何のトラブルも
無く県道六号線へと入った。この道路は緑川町へと向かう唯一つの道であり、そし
て、謎の襲撃者連中の本拠地かも知れない場所である。

 明かり一つない山道を登ってゆくこの県道は、敵が自分たちを襲撃するのには
最適だったが、軍服男の出現以降は何事も無く、後は峠を越え山の中にある緑川町
へと入るだけだった。

 

「…考えられるのは、敵はもうそれほど大勢ではないかも知れないってこと。大学
の森で、あの子…”助っ人”に全部倒された可能性もあるし…」

 聖パウロ芸術大学からの脱出のさい、森の中から聞こえてきた銃声の数はかなり
のものだった。そう、相手は統制の取れた軍隊なのである。何かの秘密に触れてし
まった自分たちを始末するのが敵の目的ならば、潜んでいるのがばれている大学に
主力を送り込むのが一番だ。ましてあの場所は、人里離れた僻地にある…自分たち
を始末するには最適の場所である。

 あの大学を抜け出せた時点で、この脱出行はほぼ成功していたのかも知れない。
あの謎の軍服男が一人で追いかけてきたのも、もう自分らを追いかけられる兵が
存在しないから、という事もある。

 

「…あるいは、最悪私たちを始末出来なかったとしても、大した問題でもないのか
も知れないわ。」
「それ、どういう事よ?」

 もう一つの可能性を説明する光に、涼子は眉を曇らせて言った。
ワゴンは暗い山道をどんどん登ってゆく。すれ違う車も、後ろからやって来る車も
これまでのところ一台も無い。

「良くは分からないけど、お風呂に現れた襲撃者の言葉を信じるなら…何かが起き
てるそうよ。それで多くの兵士は私たちに構っていられないんじゃないかしら?」

「…何かが起きてるって、一体何が起きてるっていうのよ?例の「人間の皮」事件
よりも奇妙な事件が起きてるわけ?」
「その皮の件なんだがね…さっきから気になってる事があるんだ。」

 涼子の言葉に反応した博士が二人の会話に入ってくる。
彼は日光の街を出た時からずっと、一人何かを思案していた。

 

「我々を追いかけてきた軍服男…あの男の顔は「皮だけの死体」と何か関係がある
んじゃないか?ほら、早紀君。事件の最初の日、茶封筒の依頼で行った禿げ頭の男
の家に十二人も暗殺者たちがやって来ていた事を憶えているかい?」
「ええ、あんな普通のおじさん相手に襲い掛かる人数じゃないですよね?」

 あの郊外にある大きな家に侵入してきた襲撃者たちは、およそ考えられないよう
武装をしてきていた。いきなり暴徒鎮圧用の手榴弾まで家の中に放り込み、偶然
居合わせた博士と秘書、主に秘書に全員倒されたのだが…一体何の理由であの家に
完全武装で襲いかかってきたのだろうか?あの禿げ頭の男と間違われ、博士らは襲
われたのだ。

「…ひょっとして、茶封筒に同封された禿げ頭の男は…さっき我々を追ってきた
軍服男と同じような連中だった…とは考えられないだろうか?」
「ええっ?だって博士、あのおじさん政治家だかなんだかの人でしょ?」
「ああ、環境庁緑化推進委員だ。」

「おまけに、ウィスキー愛好家連盟の役員さんでもありますわ。とても教養のある
方だったと記憶していますけど…」

 先ほど秘書らが買ってきた物を一人で食べながら、須永理事長が博士の言葉に答
えて言った。大量に出血した彼女のため、血を作るのに適した料理を買い込んでき
たのである。豚肉とほうれん草の炒め物、そして何故か秘書が滋養をつけるために
大量に買い込んだ餃子やら、にんにく臭の強い焼き鳥など、ワゴンの中は美味しそ
うな匂いで充満していた。

「…そんな地位も名誉もある人物が、さっきのような凶暴な人間と同じとは到底
考えられないわ。」

 確かに、その経歴を見ればもう一人の皮だけで見つかった女性も同じく社会的な
地位も、教養もある人物なのである。とても先ほどの軍服男のような、凶暴な男と
同じ人間とは思えない。あれだけのオルゴンパワーでの打撃に耐え、しかも涼子の
銃弾もものともしない身体、そして顔の皮が大きくずれても平気に車を運転すると
いうタフネスぶり…だがー

「だが、もしもこれらの人物が同じような連中だとすれば、あの家に大人数の武装
集団が突入してきた事には、つじつまが合うんじゃなかろうか?」
「あ、その焼き鳥、私にもちょうだい?」

 ワゴンの前方に大きなトンネルが見えてきた。
緑川町へと抜ける前に一つだけ存在するトンネル、これを抜けたところが深い山々
に囲まれたすり鉢状の盆地、目的の町である。トンネルに近ずき、道端に古い立て
看板が立っているのが見えた。

     ”町まであと八キロ、ようこそ!緑川町へ!”

 電気もろくについていない暗いトンネルへとワゴンは入っていく。
この山のトンネルを抜ければ、そこはもう目的地でもある緑川町である。窓の外
は暗闇ばかりの景色が流れてゆく…。

 

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「けど…それなら少し変じゃないかしら?さっきの軍服男は、私たちの敵である謎
武装集団の一味な訳でしょ?なぜ同じような連中を武装集団が襲わなくちゃなら
ないのよ?矛盾してるとー」
「…誰かいた…!?」

 いきなりトンネルの中で急ブレーキを踏んだ真理が叫んだ。
ワゴンの中の面々はそれぞれ転がったり、顎をソファーにぶつけたりと大騒ぎだっ
たが、五十メートルほど後ろにあるトンネルの入口の方向を皆で振り返る。

 

 


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「ちょっと真理!何がいたっていうのよ?」
「…人がいたの、髪の長い女の人…」

 トンネルの中間付近で停車したワゴンの中で、皆は真理の言う「髪の長い女」と
いう言葉に口を閉ざし固まる。それもその筈、こんな夜更けにトンネルを歩く髪の
長い女などそうそういるものではないからだ。ましてや、この先の緑川町へと向か
う者どころか、すれ違う車すら一台も無いのである…。

「人なんかいた?真っ暗でしたけど?」
「でも……それって…幽霊とかじゃないの…!?」

 トンネルの入口は、外の月明かりのためか半円状に光っていた。
目を凝らしてみると、確かに入口辺りに髪の長い女性とおぼしき人影が立っている
ように見える…。

「……いるな。良くは見えないが、誰か立ってる…。」
「ほらね?戻ってみようよ。」

 そう言うといきなり真理はワゴンを急加速でバックさせる。

「ちょっ…真理!お化けだったらどうすんのよ!?車停めなさいってば!トンネル
で、しかもこんな時間に髪の長い女って、どう考えてもお化けでしょうがー!?
私はホラー的なものは苦手なのよ…!」
「あんたの存在自体がホラー的でしょうが。」

 人々から魔女として恐れられる光が、幽霊的なものにひどく恐怖を示しているの
が可笑しいのか、涼子はからかうように隣で狼狽する光に言った。一人、大騒ぎで
反対するのは彼女だけであった。

「…絶体お化けだってば!」
「いや…違うわ、だって可愛い傘持ってたもん。」

 トンネルの入口付近までバックすると、真理は光に言ってワゴンを止める。
立ち止まっていた髪の長い女は、それを見て静かにこちらに向かって歩き始めた。
暗くて良くは見えないが、すでにワゴンの後ろ数メートルのところまでやってきて
いる…。

「…開けんなよ?パンチラ刑事!開けんなよ…!?」
「開けまーす。」

 開けたドアの外に姿を見せたのは、確かに髪の長い女性であった。
だが、光の言うような幽霊でもお化けでも無く、普通の可愛らしげな女性である。


「…こんな場所で、どうしました?」

 運転席から顔を出した真理は、ワゴンの外に立つ女性に声をかける。
幽霊でないと分かり安心した光は、急にリラックスして後部座席のシートに余裕の
ポーズを取りながら、外の髪の長い女性を観察した。

 年の頃は二十代前半だろうか?童顔で、麦わら帽子に長いスカート姿という可愛
いらしい格好をしていた。秋とはいえ昼間は気温も高かったが、陽も暮れトンネル
の中は水気を帯びひんやりとしていて、暗い山道を歩いてきた彼女は肌寒そうに身
を震わせている。

 

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「…あの、えっと…この先の緑川町に行こうと思ってるんですけど…。」
「緑川町!?ここからまだ十キロはありますよ!?歩いて行くんですか?」

 髪の長い女性は、目的地が十キロも先だと聞いて、驚きの表情を浮かべた。
どうやらこの女性は緑川町を目指し、日光市街地から徒歩でここまで歩いてきた
らしい。

「…まだそんなに距離があるんですか?二、三キロくらいだと思ってたのに…」

 町までの距離を聞いて、女性はあからさまに不安な表情を浮かべる。
戻るにしても日光市街地まで十キロはあり、ここはちょうど半分くらいの中間地点
で、緑川町へ向かうにはこの夜道をさらに十キロほど歩かねばならない。


「あの、私たちも緑川町に行くの。よかったら乗っていく?」

 運転手の真理が外の女性に言った。
彼女は驚いたような表情で真理を見て、それからワゴンの中の面々を見回す。

「……えっ、良いんですか?」
「もちろん!でしょ?光さん?」

 真理は後部座席の光に笑いながら言うが、光はあからさまに眉をひそめる。
そして運転席に身を乗り出し、真理の耳元にひそひそと囁く。

「ちょっと、真理…!私たち今ー」
「いいじゃないか、光さん。」

 光の囁きを遮ったのはしばらく黙って見ていた博士だった。
そしてその言葉に、一番嬉しそうな表情をしたのは何故か秘書だったのだが。

「どのみち緑川町まで行くんだ。それなら、我々と一緒なのが一番安全なんじゃな
いのかね?」
「そりゃあ…確かにそうだけど…。」

 少々困った顔をして頭を掻く光の言う事も、博士や真理にも理解出来ていた。
しかし、女一人で謎の武装集団が現れるかも知れない山道を行くよりは、一緒に
峠を越えた方が幾分かは安全だろう、と考えたのである。

 その反面、こんな敵の本拠地に近い場所で人を車に乗せるという事は、別の危険
も考慮に入れなくてはならない。もしもこの女性が敵の…追っ手の一人だったとし
たら?大変な事になる、ということだ。

 ほんの僅かな時間、ワゴンの車内に沈黙が流れる…。
車内の面々がこの先の緑川町を目指すのは、遊びや旅行で行く訳ではないからだ。
いたずらに旅のお供を増やす訳にはいかないのである。


「…しょうがないわね、よし、お嬢さん、乗って!」
「あの、ありがとう御座います。」

 麦わら帽子を被った髪の長い女性は、帽子を取るとワゴンへと乗り込む。
車内の面々は、旅の終盤にきて初めて知り合い以外を乗せた事に少々戸惑いつつも
、突然の可愛らしい来客を好奇の目で見つめる。

「可愛い…ほら、クマのアップリケ付いてる…」

 秘書が隣に行儀よく座った少女のような女性をちらちら見ながら、博士に向かっ
て囁くような小声で言った。彼女はかなり身長が低いようで、おそらく百五十セン
チあるかないかくらいである。見た目の服装も可愛らしいが、おかっぱ状の髪型も
さらに彼女の容姿の幼さを際立たせている。

「私は早紀。名前を聞いてもいいかな?」
「…えっと、智佳子です。」

 髪の長い女性を乗せ、ワゴンはトンネルの中へと向かい動きだす。
長いトンネルを走る間、彼女がなんとも緊張した面持ちでいるのを見て取った光は
、緊張をほぐそうと気さくに話かける。

「…えっと、緑川町へは何の用事で?旅行?」
「あっ…はい、旅行です。一人旅をしたいと思って…」

 助手席に座る光が後ろの彼女に振り向きながら質問した。
その時、他の面々には気がつかなかったのであるが、一瞬だがおかっぱ女性の奇妙
な動作を光は見逃さなかった。

「えっ…?」

 が、車内の面々は、ここにきて現れた可愛らしい珍客に気を取られていて、光
以外にその事に気が付く者はいなかった。


「ほう、実は我々も、旅の途中でね。この先の町は初めてで全然情報が無いんだ。
君はあの町に行った事があるかい?」

 博士の言葉を聞いて、おかっぱの女性はちょっとだけ考え込み、そしてこの先の
町について教えてくれた。

「私、少しだけの間、あの町に住んでいた事があるんです。子供の頃なんですけ
ど…」

 偶然にも彼女は緑川町に住んでいた事があるということである。
町についてこれという情報が無い博士らにとっては、なんとも幸運な出会いであっ
た。

「それは有難い!とりあえず、町に夜遅くでも泊まれる場所はあるかい?」

「…昔の事だから詳しくは知りませんけど…たぶん大きなホテルや宿は無いと思い
ます。ペンションも数が少ないし…。」
「それは困ったわね…暗い中探し回るのも危険だし。」


 と、月明かりに照らされたトンネルの出口が見えてきた。
情報によれば、緑川町は山に囲まれたすり鉢型をしているそうである。

「わあっー」

 

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 トンネルを抜けた瞬間、ワゴンの面々は窓の外を見て感嘆の声をもらす。
月明かりに照らされた緑川町が、眼下に広がっているのが見えたからである。
峠の山道は片側が崖になっており、その下にぽつぽつと緑川町の街明かりが見えて
いた。

 その街の中を二つの川が蛇行するように流れていて、想像していた以上に美しい
景観である。

「ようやく辿り着いたわね。」


 様々な人間が様々な出来事の末にようやく辿り着いた目的地…緑川町。
しかし、その美しい街の夜景を眺めていた面々の誰もが、これから起きる未曽有の
事態を想像できる者はいなかった…。

 

 

     

 

          23   朝までの出来事…


 トンネルを抜け、眼下に緑川町を見ながら走る博士らのワゴンは、ひときわ見晴
らしの良い場所に静かに車を止めた。ここにはかつて食堂があったと思われ、薄汚
れた看板に「お食事処」と書かれているのが僅かに見える。

 ほとんど廃屋と化している峠の食堂にワゴンを止め、朝を待つ事にしたのだ。
暗い夜によそ者が町の中をうろつくのは、何かと目立つことになるし、明るくなっ
てからの方が街を探索しやすいと考えたからである。


 食堂の裏にある草むらにワゴンを移動させ、道路から見えない位置に停めると、
博士らは肌寒い車の外に出た。時刻はそろそろ深夜の0時を過ぎようかというとこ
ろである。色々あったが、目的の緑川町まではもう目と鼻の先だ。

 改めて車の外に出て、眼下に広がるすり鉢状の緑川町をしばらく無言で眺めてい
た面々だったが、最初に声を発っしたのは秘書である。


「智佳子さん、ごめんね?今晩のうちに街まで送れなくて。」
「…いえ、そんなに急ぐ旅でもありませんから。」

 新たな客人ともいえる智佳子に気を使って話かける秘書は、すっかりこの娘が気
にいったようで、ここで一夜を明かそうと提案したのもこの秘書である。

「それに…久しぶりに戻る緑川町へ一人で行くのはすごく不安だったんです。だか
らこんなに大勢で戻れるのはむしろ感謝しているんです。」


 そう言って隣の秘書に笑顔を向ける智佳子は、心の中では別の想いを秘めながら
眼下の街明かりを見つめる。

 

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 数年ぶりの緑川町…あの忌まわしくも恐ろしい事件は今も智佳子の心の中にしっ
かり残っていた。もちろん、あれはもうこの世に存在することも無く、事件は過去
の出来事となっている。何者があの事件を蒸し返そうとしているのかは知らないが
、今の智佳子にとってはこの旅が数年前のような恐ろしい出来事に結びつく事には
ならないと考えていた。


             …これまでは。


 が、この人たちと出会った事によってその考えは浅はかだったのではないか?
と思い始めていたのである。

 それというのも、トンネルで出会った彼らからは緊張感のようなものがひしひし
と伝わってきていたからだ。ワゴンに乗り、智佳子は助手席の窓に銃弾を受けた跡
がある事に気がついたからである。それと車内に残る微かな血の匂いだ…これらは
尋常ではありえない…。

 もちろん、これが普通の生活を送っている女子であったなら、これらの奇妙な事
にはおそらく気がつかなかっただろう。智佳子だからこそ気が付いた彼らの押し殺
した緊張感である。


  ”…ここまで来る間に、この人たちに一体何があったのかしら…?”


 明るく振る舞う陽気な彼らが何の目的で緑川町へと向かうのか?
もしかしたら、自分が緑川町へと向かう目的と、何かの関係があるのかも知れない
と、智佳子は思ったのである。

 

 

 

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 完全に住む人も無く、廃屋と化した食堂の外を見て回る博士や光は、大きな窓ガ
ラスが割れているところを見つけた。玄関の入口は屋根の部分が落ちていて、入る
事は出来なかったので、別の入口を見つけようと探索していたのである。

 眼下の緑川町が一望できる食堂の、大きな窓ガラスが一枚割れていてそこから中
へと入れるようだ。

「ここから中に入れそうよ?」


 食堂の中は、外から見たよりもずっと綺麗で荒れてはいなかった。
中に入ったのは博士と共に光と真理の三人である。窓ガラスの外には、今も秘書や
須永理事長らが崖下の緑川町を見ながら談笑していた。少し離れたところには、
依然として繋がらない自分の上司に通話を試みる涼子がいる。

 少々ほこりがついたソファーに腰を下ろしながら、月明かりに照らされた食堂内
を見回して真理が言った。

「何だか、あの時の事を思い出すわ…。」
「あのスキー場のロッジね?真理。」

 

 無言で真理は頷き、照れくさそうに笑う。
数年前、結社の黒幕である蔵前氏の追っ手から真理を守るため、あるスキー場の
ロッジへと姿を隠した。そこでの出来事は彼女らにとって辛く悲しい出来事となっ
たのだが、今もこうして全員が無事にいるということは奇跡のようなものだ。

「もう過去の出来事なのに、いま思い出してもゾッとするの。」
「…でも、私たちは生きてるわ。そう、生きてる。」

 そう言っておどけて見せる光の顔を、真理はまじまじと無言で見つめる。
彼女が何を考えているのか光には良く分かっているだけに、バツが悪いのを誤魔化
すため急に話題を変えた。

 

「…それより、ちょっといいかしら?」
「ん?何かね?」

 光は博士の隣に立つと、窓の外で秘書や理事長と立ち話をして笑う智佳子という
女性を見つめながら囁くような声で言った。

「…あの子、何だか変なのよ。」
「ほう。」

 腕組をしながら博士は横目でちらりと光を見つめ、そして外の智佳子へと視線を
向ける。

「…気のせいかも知れないんだけど、あの子ワゴンに乗ってきてすぐに私の助手席
の窓を見たわ。さっき軍服男の銃弾で開いた小さな穴よ…どうしてそんなとこに目
がいったのかしら…」
「偶然じゃないの?」

 今度は真理がおどけたような表情で言うと、光は真剣な表情を崩さず言葉を続け
た。

「…それだけじゃないわ。あの子、私を見たのよ…見たっていうか…何だか覗かれ
たような…奇妙な感じがしたの。初対面の人間に、そんなふうに自分が見られたの
は初めてだわ…。」
「考えすぎじゃない?光さん。普通の子に見えるけど…。」

 それきり、光と真理は黙って外の智佳子という小さな女性を見つめていた。
それに比べて博士の方は、ほこりをかぶった食堂の中をうろつき回り、飾ってある
物をあちこち眺めている。一際珍しいのは貝状の化石で、アンモナイトと呼ばれる
ものだった。

「探偵さんはどう思う?あの子、何か秘密があると思う…?」
「そりゃあるさ。」

 貝の化石をじろじろ眺めまわしながら、博士はあっさりと言ってのけた。
光も真理も唖然としながら、ぼうず頭のおじさんを見つめる。

「そもそも、今晩ここに集まった者は全員、今度の事件に何らかの関わりがある筈
なんだ。君たちしかり、私ら探偵の二人に刑事の涼子君…全て偶然のようで、実は
偶然ではない。何らかの意図を持ってここまでやってきたんじゃないか?と、する
なら、ここに現れた彼女もその可能性が高い、と思えるんだよ。」

「…例えそうだったとしても、あの子ほんと普通の女の子にしか見えないけど。」
「そうね…でも、すごく良い子だと思うわ。」

 そう言うと光と真理はソファーから立ち上がり、笑みを浮かべながら外にいる
連中のところに戻っていった。


 


 相変わらず深夜の一時を過ぎても、誰一人眠りにつかない女子連中とは少し距離
を置き、廃屋の周りをうろついている博士は街が見える見晴らしの良い断崖の脇に
奇妙な物を見つけた。

「おや?これは…」

 それは小さな石碑のような物で、一見すると地蔵のようにも見える。
草むらに隠れるように立つ小さな石で出来た物の傍にしゃがみ込むと、博士はそれ
を自分の携帯で一枚写した。

 それはおそらく、この緑川町を一望できる峠に建てられた古い石碑であろう。
断崖はほぼ垂直に下まで続き、そこには大きな川が流れている。これだけの高台に
こんな物があるという事は”道祖神”のようなものだろうと博士は思った。

 その石で出来た物のシルエットに見覚えがあった博士は、それがこんな場所に
存在した事に驚きを抱くと共に、自分の考えていた事がもしかしたら間違いないの
ではと思った。それが事実であるとすれば、この一件は驚くほど奇妙で奇怪なもの
になるだろうと博士は思い、断崖から離れた。


「んっ!?」

 さらに博士は奇妙な物が道路の端に落ちているのを見つけ、首を傾げる。
それはこんな山奥の峠に落ちている物では到底ありえない代物だったからだ。

 

 

 

 

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 廃屋の影に隠れる位置に円形に陣取った光らは、先ほど秘書がスーパーで買い込
んでいた大量の夜食を囲み、即席の女子会を行っていた。朝までここで野宿すると
決めた一行だが、今晩この場所で朝まで眠れる者などいる筈も無い。

 もっぱら皆の興味は、新たにやってきた智佳子一人に集まった。
驚きだったのは、彼女の歳である。


「…信じられない!私よりも年上だったなんて…!十代だと思ってた…」

 涼子や真理、秘書の三人よりも智佳子という女性は年齢が上だったのだ。
驚きと共に羨ましがる面々に対して、当の智佳子はそう思われる事にはコンプレッ
クスがあるらしく、この話題はあまり興味が無さそうに食事を続けている。

 その様子を須永理事長は、頭の上からつま先まで舐めるようにじっと見つめて
いた。その智佳子の食事の仕方に、良美は気になるものを見つける。


「…つかぬ事を伺いますけど、智佳子さんあなたどこかで作法教わったりしてまし
た?」
「えっ?」

 行儀よく食事をしている智佳子の様子をじっくり観察していた理事長は、彼女の
作法が驚くほどきちんとしている事に気が付いたのである。

「良美ちゃん、あんた作法なんて知ってんの?」
「当たり前じゃない、光ちゃん。私これでも名家の令嬢なんですのよ?」

 
 今度は自分が名家の令嬢なのではないか?という話題に変わり盛り上がる彼らと
は裏腹に、智佳子は緊張で冷汗が背中を伝うのを感じた。


”…この人たち、すごく危険だわ。このまま一緒にいたら、きっと私の素性がバレ
てしまうかも知れない…陽気な雰囲気だけど、洞察力が鋭い。何だか変だわ…”


 南条家は日本有数の名家だが、代々表向きには知られてはいない。
そしてその性質上、世の中に数多存在する敵勢力や国外の連中に知られる訳には
いかないのである。もしもその存在が知られれば、密かに伝えてきた様々な秘密の
技術、技が奪われてしまうかもしれない…。

「…あなた、もしかしてどこかの名家のご令嬢ですの?」


 須永理事長が緊張の面持ちでいる智佳子に質問した時、そこいらを散歩していた
博士が戻ってきた。その黒い防寒着に両手を入れたまま、何か半笑いしながら円形
に飯を囲む面々のところへと。


「博士、何かありました?」
「ああ、早紀君驚きだよ!こんなとこに、こんな物が落ちてた。」

 そう言ってポケットから取り出したのは、何か黒い布状の物だった。
それを両手で伸ばして見せる。

「あっ!それー」 
「ちょ……私のパンツじゃない…!?」

 

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 それは中禅寺湖の湖畔で、軍服男に罠をかけるためにしかけた光の下着だった。
秘書や真理、涼子はそれを見て腹を抱えて大笑いしている。

「すげー伸びる!ほら、あやとり出来るぞ?」
「……広げんなっつーの!」

 博士から自分のお気に入りの黒パンを取り戻した光は、それを見て奇妙なことに
気が付く。


「……えっ?ちょっと待って…」
「光さん、どした?」


(…これは確かに、私があの湖畔で仕掛けたもの…でも、どうしてこんな場所に
落ちてたの?だって、これは確かあの男の足に絡まってー)


 その瞬間、光の背後の暗闇から物凄い勢いで飛び出して来る人影があった。
その人影の手には恐ろしく大きなナイフが握られている。

「光さん、危ないっ!?」

 すっかり油断していた面々は、誰一人動ける者はなく、当の光も同様で、何かの
気配を感じ後ろを振り向くのが精一杯だった。

 目の前に、あの赤い目をした軍服男が迫っていたー


「…っ!?」

 

 

        

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 さしもの光も、一瞬だけ両目を激しくつむってしまった。
その瞬間、バシッ!という音と共に彼女の頭上を、軍服男の巨体が凄い勢いで飛ん
でいき、そのまま崖下の川へと真っ逆さまに落ちていったのである。


 光が振り向くと、すぐそばには智佳子がいた。
あの瞬間、動けたのはこの黒髪の少女のような女性一人だけだった。他の仲間は、
突然の出来事にその場を動けず、唖然としながらこちらを見ている。

 だが、一体彼女が何をしたのか?光はそれを見ていない…。

 

「あの…大丈夫ですか?」
「………えっ?ええ!大丈夫、何ともないわ。」

 ぼんやりとしながら目の前にいる彼女に礼を言う光に、智佳子は何ともバツの悪
そうな表情で小さく微笑んだ。

 


「…何よ、今のー」

 先ほど光に向かって襲いかかる軍服男へと素早く動いた智佳子の姿を偶然にも目
にしたのは涼子一人だった。ほんの一瞬の出来事だったが、光に迫る男の足に自分
の足先を出したように見え、つまずいた男の勢いを利用して智佳子という女性は、
流れるような身体さばきで巨体の男をひねるように回転させ、ぶん投げたように見
えたのである。

 そう、まるで合気道にあるような、相手の力と勢いを利用して投げる技である。
だが、涼子が警察の訓練で学んだどんな技とも違う奇妙なものだった。それにあの
動きの速さは人間業とはとても思えないものだったのである。

 …いや、そもそも一瞬の事だったので、あれが技だったのかどうかさえ疑わしい
…偶然、彼女が光を助けようと飛び込んだ拍子に、男の勢いがありすぎて落ちてい
っただけかも知れないのだ…。

「……そ、そうよ!そんな事あるはずない…もんね?」 

 

 博士は崖下へと落ちていった軍服男を見るため断崖の端へ向かう。
男は大きな岩の上に落下して、それから力無く急流に飲み込まれて流れていった。
さしものタフネスも、百メートルほど下の岩に激しく打ちつけられてはひとたまり
もないだろう。

「博士、あいつ今度こそ戻ってはこないよね?」
「ああ…たぶんね。それにしても…」

 質問に答えた博士は、横に立つ秘書と顔を見合わせると、二人して背後の智佳子
へ視線を向ける。

「あの智佳子さんって…何者かしら?」
「さて、ね…分からんな。」
「私はとっさに反応することは出来なかった…でも、あの子は素早く動けたわ。
それは…どういう事かしら?」

「簡単さ。どういうも何も、そういう事なんだろう。」

 腕組をしながら博士は、またも光らと話している智佳子をちらりと見つめ、それ
から隣の秘書に笑顔を向けて言った。

「…そうか、そうね!そういうことよね!」


 博士の言う何ともシンプルな回答に、秘書は納得したように呟く。
間一髪の危機ではあったが、智佳子の行動により光は無事だったのだ…今は、その
事実が全てであると秘書は思った。


(続く…)