ザ・怪奇ブログ

怪奇小説・絵画・怪奇の世界!

水面の彼方に 14話

 

          f:id:hiroro-de-55:20200424193745j:plain

 

             14  作戦行動前夜2

 
 その夜、南条家の広い屋敷の客間で智佳子は退屈な時間を過ごしていた。
月に数回は行われる会合が、今晩はこの南条家で行われているのであるが、会合と
いうのは名目で、いわゆる西洋風にいうなら上流階級の社交界パーティである。

 主に名家の当主やら政治家、経済界の大物などが顔を出す秘密の会合なのだ。
智佳子にとっては何とも”鼻持ちならん連中”の集まりであり、会合の内容はとい
えばただの自慢話、である。やれ株価がどうとか、資産がどうのといったものばか
りで、江戸時代から続く名家の当主でもある智佳子ではあるが、政治や資産などに
興味の無い彼女にとって、毎回ひどく退屈な時間だった。


 そもそも若者といえるのは智佳子ただ一人で、年配の殿方ばかりの中では一人浮
いた存在になっていたが、孫のような容姿の智佳子はいつもアイドルのような存在
だった。とはいえ、主に彼らの自慢話に愛想笑いや相槌をうつくらいのもので、彼
らの接客をしているのは主に智佳子の母である。

 今晩話題の中心になっているのは、ある複合企業の御曹司が新たな事業を開拓す
るという事で、この先、世界的にも大きな流れの中心になるだろうと得意げに話し
ている。また、それによって大きなお金が動くだろうとも言っていた。

 その得意げな連中の姿を見ながら、智佳子にはこれこそが世の中の悪しき習慣な
のだと思った。上等な服を着て、上等な物を食し、痛い思いも苦しい思いもせずに
生きる者たちが、札片だけが物を言うのだという感じで社会を動かしている…。

 しかしながら、世間の人々からすれば自分もそのうちの一人なのである、という
事実に、これらの会合に出るたびいつもうんざりさせられる智佳子であった。 


 宴も終盤になると、一人また一人と帰って行き、残った者たちだけが最後まで飲
み明かしているのだが、朝の早い智佳子もお客人に挨拶をすると早々に引き上げて
ゆく。ここまで来ると、上流階級とはいえもはや唯の”酔っぱらい”である…。
そんなお客人に愛想笑いが出来るほど大人の智佳子ではなかったからだ。

「…お母さん、後はよろしくね?」
「ええ、もうお休みなさい。不機嫌で顔が変形しているわよ?あなた。」

 座敷を出る時に母親に小さく囁いた智佳子に、母が笑いながら言った。
L字型の廊下を、着物を着た智佳子は行儀よく歩いてゆくが、角を曲がり座敷が見
えなくなる位置まで来ると、長い廊下をダッシュで居間へと戻って行った。

 あまりにも広くて長い居間へと戻ってきた智佳子は、明かりの無い部屋の畳の上
に仰向けに寝転がると、大の字になって考えを巡らせる。遠くから酔っぱらい達の
笑い声が聞こえてくるが、智佳子にはどこか遠い世界から聞こえてくる音のようだ
った。


 今朝届けられた奇妙な茶封筒の中身は、この一日ずっと智佳子を悩ませていた。
あの恐ろしい日々はもう数年以上前の出来事で、あれ以降悪夢のような夢や発作は
起きてはいない。事件後は昔の仲間とも会う機会はほとんど無く、それぞれ日々の
生活を続けているはずである。”アレ”を蒸し返す者など一人もいない…それは
断言出来ると智佳子は思った。

 だが、今朝方届けられた封筒は、あの事件の新聞記事だった。
自分たちの仲間五人しか知らない真実が書かれていない、事件の結末が書かれた
新聞記事である。昔の今は使われていない炭鉱で焼身自殺をした男と、それを助け
ようとした仲間たちが遭遇した火災…新聞の片隅の小さな記事だ。それも、新聞に
は自分たちの名前はどこにも載っていないのだ。

 

       もちろん、その新聞記事の内容は真実ではない。


 ”一体誰がこんなもの送ってよこしたのかしら?マスコミ?それとも…警察かし
ら?そもそも一体何の目的で…?”

 いくら考えても、智佳子にはその理由も送り主の正体も分からなかった。
そして、もう一つ封筒に入っていた紙に書かれていた一言「緑川町」という言葉に
何か得体の知れない悪寒を感じたのも事実だった。


 幼少の頃、僅か一年ほど暮らした山間の小さな町…。
あの恐ろしい秘密と、懐かしい思い出の記憶が鮮明に残る緑川町。もう二度と戻る
事はないと思っていたあの寂れた炭鉱町。

 何か危険な匂いがする、自分に届けられた茶封筒からの招待状…。
武芸の達人である智佳子には、本能的にそれが危険なものである事を敏感に察知し
ていたのである。しかも、その”危険な匂い”に、ひどく惹かれる自分がいる…と
いう事も智佳子は自覚していた。


「よし、決めた。」

 暗い居間の畳の上で大の字で寝転がっていた智佳子は素早く起き上がると、自分
の部屋へと急ぎ足で向かう。もちろん、旅支度をするためである。
 

 廊下へ出た智佳子は、お客人たちを送り戻ってきた母親と出くわした。
と、智佳子の表情にいつもと違うものがあると気がついた彼女は、眉をひそめなが
ら娘の瞳をのぞき込む。

「…どうしたの?智佳子、何か心配事ね?」
「ええ、ちょっと…ね。でも、心配ないわ。」

 そう言って数歩ほど廊下を歩きだした智佳子だったが、立ち止まり母親の方を
振り返った。

「…あのさ、お母さん。二日ほど家あけてもいい?」

 突然の娘の言葉に、母親は一瞬だけ動きを止めた。
南条家の当主になってからというもの、愚痴はこぼしてもわがままだけは一度も言
った事のない智佳子である。本来、母親の自分が跡を継ぐところをこの小さな娘は
当主として日々立派にやっている。

 その可愛いい娘のわがままを、反対する理由はどこにもない。
母親はにっこり微笑むと、頭一つ分小さな娘の頭を撫でながら言った。

「もちろん、いいわよ。行ってらっしゃい。そういえば前にもこんな事があったわ
ね?」
「そうね。」

 そう、数年前も智佳子は母親に無理を言って病院を抜け出し、あの山間の炭鉱町
へと出掛けて行ったのである。奇しくも今回も同じ、あの緑川町である。

 あの時は智佳子の傍には大切な友達が一緒にいたが、今回は一人で行かなくては
ならないのだ。封筒を送ってきたものが何者であるのかわからない以上、智佳子
一人で行くのが妥当だと思ったからだ。それに今は、あの時のような理由の分から
ない悪夢にうなされる智佳子ではないし、一人であれば友達を危険な目に遭わせる
事もない。

「どこにっていう事もなくって…ぶらぶらと温泉にでも浸かる一人旅でもしようか
なって。」

「そう、いいじゃないの。たまにはのんびりしてきなさい。二・三日くらい私が
あなたの代わりを務めるわ。」
「ありがとう、お母さん。」

 やけにあっさりと母親が理由も聞かずに智佳子の申し出を賛成してくれたことに
驚きながらも、母に”嘘”をついてしまった後ろめたい思いを感じて智佳子は廊下
を歩きだした。


「あっ、何か困った事があったら連絡するのよ?南条家総出で迎えに行きますから
ね?お母さん親戚連中なんかに文句なんて言わせませんから。」

 廊下の角から顔だけ見せた母が智佳子にそれだけ言うと、何か含み笑いを浮かべ
ながら、客間のあとかたずけに戻っていった。


 きっと、母は娘の嘘を見抜いていたのだろう。
智佳子は頼もしい母親の言葉に感謝しながら、部屋へと向かった。 

 

 

 

 

         f:id:hiroro-de-55:20200424195158j:plain


 須永理事長が博士らをある場所へと案内したのは、午後二十三時を過ぎた頃で
あったが、やってきたのは聖パウロ芸術大学内の一階部分の一番はずれである。
部屋ドアの鍵を開けると、暗い小部屋のような場所に須永理事長は入ってゆく。

 小部屋は例によって電気もつかない暗闇ではあったが、小さな窓から外の僅かな
月明かりが漏れ、ぼんやりと部屋の中を照らしている。特に何もない、物置のよう
な部屋だ。

「薫ちゃんたちは…まだのようですわね。まあ、ここに来る筈だし皆さん少しの間
お待ち下さいね。」

 理事長がそう言うと、秘書は小屋の中をぐるぐると見回してから腕を組んで首を
傾げる。部屋の何かが気になるようだ。

「どうしたい?」
「いえね…なんかこの部屋、見たことがある気がするんですよ…前に。」

 そう言う秘書の言葉に博士も部屋の中を見回すが、これという物も部屋の中には
置かれてはいない。まるで、からっぽの倉庫のようである。


「ほんと、あの金髪の人、支度にえらい時間かかるわね?何してるのかしら…」

 涼子が眉毛をひそめ、貧乏ゆすりをしながら小さく毒ずく。
須永理事長は、少し離れた小屋の奥でしゃがみ込み、パイプ状の煙草をぷかぷかと
吹かしている。若い女刑事は、何ともいかがわしい服装の彼女を見つめて、この先
の旅に大きな不安を覚えた。しかも純金製と思われる彼女のパイプの輝きは、尋常
ではない…。

(…こうしてる間にも、さっきの男の仲間たちがここへ襲撃をかけるかも知れない
というのに、あの光さんにしろ、このおばさんにしろ…何を考えてるのかしら?)

 狭い小部屋でパイプ煙草を吹かす理事長を横目に見ながら、涼子は口元を抑えて
咳き込む。それに気がついた須永理事長は火を消すと笑いながら涼子の方へとやっ
てきた。

「あら、御免あそばせ。ところで…刑事さんは薫ちゃんとは面識がおありでしたわ
ね?」
「ええ、まあ…少しだけ。」

 傍へとやってきたこのご婦人は、以外と背が高いことに涼子は驚く。
自分と同じくらいか、それよりも少しばかり高いようだ。

「薫ちゃん、あんな感じですけど…けっこう良いところもあるんですよ?」
「…まあ、それは認めますけどね。でも、私あの人に生ケーキ丸呑みさせられまし
たけど。」


 と、しばらく無言で暗い小部屋を眺めていた秘書が、何かに気がつき声を出して
言った。

「ああーっ、思い出した!博士、ここ…真理さんが目を覚ました小屋じゃない?」
「ふむ、そういえば…確かに、見覚えがあるな。」

 突然の秘書の言葉に、須永理事長が頷いて見せる。
あの、少人数だけの真理を送るために集まった中庭の外れに建っていた小さなレン
ガで出来た小屋。ここで真理は間宮薫の秘薬により、死の淵から蘇ったのである。
あの時の驚きようったらなかったと、秘書は思った。

 どうやらこの新しい大学を建造した時、その小屋も建物の一部として取り込んだ
ようである。

「…そうなのよ、そしてここはね、薫ちゃんの秘密の抜け道に通じる入口でもある
のよ。」

 急に真面目な顔に戻り、須永理事長は小屋の隅にある床を指さす。
よく見ると、その場所だけ僅かに床の色が違うところがある。どうやらそこが地下
へと続く秘密の抜け道への入口であるらしかった。

 

 

 博士や秘書らは、一階の倉庫で一時間近く経ってもやって来ない光と真理を待ち
ながらぼんやりと過ごしていた。

 比較的短気な性格の涼子はむろんだが、いつもおっとりとした須永理事長も待つ
のに疲れてきたのか、表情が次第に険しくなってきている。パイプ煙草の吸いすぎ
で小部屋は白い煙でもうもう状態となっていた…。


 秘書は壁際に博士とならんでしゃがみ込み、ぶつぶつ歌いながら携帯をいじって
いる。

「…ゴ、ゴ、ゴリランドッ♪」
「君…それ何やってんの?」

 博士が隣の秘書を覗き込むと、彼女は携帯画面を見ながらぺちぺちとボタンを
押している。何かパズルのようなゲームをやっているようで、画面には完成した
パズルが映っているが、どれもゴリラがポーズをとっているものばかりだ。

「…携帯ゲーム。ゴ、ゴ、ゴリランドッ…♪」
「…………ゴリラ以外の違う画はないのかい?」
「ないよ。全部ゴリラだよ。」

 

           f:id:hiroro-de-55:20200424195303j:plain


 鼻歌交じりに小さな画面に向かい真剣にパズルを解いている秘書を横目に、
博士は時刻を確認して眉をひそめる。すでに深夜の0時を過ぎていて、二人を
待つ間に日をまたいでしまっていた。

 そんな博士の様子をちらりと見つめた秘書は携帯を閉じ、小さな声で囁く。

「…この先は過酷な旅になるんだろうし、今くらい真理さんと光さんに時間をあ
げても良いんじゃない?」
「ふむ…それもそうだな。」

 そう言うと、博士と秘書の二人は顔を見合わせて笑った。
この先の旅を思うと、彼女ら二人の力は必要不可欠なものであると博士は思った。
それを考えれば、秘書の言う”時間”も、今は必要な事かも知れない。

「で、博士もゴリランドやる?」
「いや、私はいいよ…うん、ゴリラばっかりなんだろ?」


 そして、その僅かな時間のロスが、博士らの脱出を成功させることになったので
ある。

 

 

         f:id:hiroro-de-55:20200424195613j:plain

 

        (続く…)