ザ・怪奇ブログ

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水面の彼方に 5話

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               5  Cure  


 夕方近くになり、走るタクシーの中から暮れゆく太陽を見つめる博士と秘書
は、深い森の合間に懐かしい建物が見えてきた事にほっとして表情が緩んだ。

 先ほどまでいたコンビニのある街から移動すること三時間。目的地までは、
いつ何者かが自分達を追ってくるかも知れないという思いに駆られながらの旅
だった。

 博士も秘書も、もう二度と来る事は無いだろうと思っていた場所…。
郊外の深い森の奥にひっそりと建つ教会のような白亜の洋館。様々な出来事が
二人の脳裏に焼きつく、聖パウロ芸術大学の美しいシルエットである。


 あの数年前の事件以降、また建物の一部は改装され、忌まわしい地下の施設
は秘密裏に埋め立てられた。一体どこからそのような莫大な費用が出てくるの
かは謎だったが、大学の規模は縮小しつつも理事長を中心として、芸術を志す
若者を輩出するための場として存続している。

 現在博士と秘書の二人が安心して逃げ込める場所は、ここを置いて他には
なかった。


 アーチ型の門を潜り、タクシーはいよいよ聖パウロ芸術大学の敷地内へと
入ってゆく。正面には塔状の白い建物がそびえ立っていて、深い森の中で辺り
は静寂に包まれている。

「…運転手さん、ここでいいです。お釣りはいらないよ。」
「こりゃどうも!」

 そう言うと博士は運転手に札を手渡し、玄関までもう少しの所で颯爽とタク
シーを降りたが、お釣りは僅か二円だった…。


 数年ぶりにやって来た、聖パウロ芸術大学の繊細な建物を下から見上げた
博士は、前回ここに来た時には無かった物があることに気がついた。玄関の
位置が建物の二階付近に変わっていて、そこまで長い螺旋階段が備え付けら
れていたのである。

 つまり、大学の中へと入るには、この階段を二階まで上がり玄関から入る
しか他に入口は無い。まさに要塞並みに外から侵入し難い建物なのだ。

 階段は全てロココ様式と呼ばれる繊細なインテリア装飾が施されてある。
十八世紀にヨーロッパで流行した、ロココと呼ばれる植物の葉のような複雑で
美しい曲線を持った装飾だ。

 フランス革命時代、ルイ16世の王妃マリー・アントワネットが好んだとさ
れるこのロココ様式は、もっぱら須永理事長の趣味である。


 二人が階段を上りはじめた時、午後十七時を知らせる美しい鐘の音が鳴り響
く。それと共に三階にある一際豪華な窓が開き、見覚えのある懐かしい人物が
顔を出した。

「…あら!?あなたたちー」

 開いた窓から下の階段を見つめて声をかけてきたのは、理事長の須永良美で
あった。意外な人物がやって来た事に驚きを隠せずにいた理事長だが、すぐに
嬉しそうな表情に変わり、階段の下にいる博士と秘書の二人に大きな声でもう
一度声をかけた。

「まあ、大変!ちょっと待ってて、すぐ下に行きますわ!」

 何だか嬉しそうに声をかけてきた理事長を見て、博士と秘書は顔を見合わせ
てにんまりとする。

「博士、ここに来たのはやっぱり正解だったね!」


 秘書の言葉に博士は頷き、ここなら数日ほど安全に身を隠す事が出来ると思
った。もちろん、それも長くはないとは思いながらも。

 

 

 

 

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 土曜の午後は講義が無いという事もあり、彫刻美術の講師、柏木真理は空い
た時間を利用して大学内の破損した彫刻を修復する作業を行っていた。

 ひび割れた彫像にヘラを使い粘土を盛りつける。
まるで生クリームをケーキに塗りたくり、美しい形に仕上げてゆくように手際
よく小さなカッター状の道具を使い、真理は破損した女性像の顔の輪郭を埋め
てゆく。

 これは真理が学生時代に教わっていた最も尊敬する師、間宮薫がいつも行っ
ていた事であるが、それらを引き継ぎ学内の傷んだ彫刻を修復する事は、今や
真理の日課である。この芸術大学内には彼女が造った彫刻がたくさん残ってい
るのだ。

     ”あの人が造った彫刻は、私にしか直せないのだから…。”

 講師となりこの芸術大学にやって来てから数年が経っている真理は、すでに
彼女以上の実績と技術が備わっていて、准教授にもなれる資格があると理事長
には言われていたが、真理はあくまでも尊敬する間宮薫と同じ講師にこだわっ
た。

 いよいよ三十に近ずいてきた真理は、数年前の事件当時よりもいくらか体型
的に丸みをおびて、女性らしさが増してきていたが、丸くなったのはそれだけ
ではなかった。二年前運命の再開を果たした間宮薫…光さんの陽気さに感化さ
れた部分が大きい。彼女を見ていたら、人生をもっと楽しもうと真理は思った
のである。

 あの人は今頃ニュージーランドで面白おかしく仕事をしていることだろう。
なら自分も光さんに習って、明るく過ごす事に決めたのだ。この大学から離れ
る事は無かったが、僅かながら化粧もしたし、美容室にも行った。

 今は離れて暮らしているが、その距離感が自分たちにはちょうど良い関係を
保っているのだと真理は思っていた。心に影を持つ者どうし…似た者どうしは
求めるものが同じで、それが強すぎる。きっといつも一緒にいれば衝突ばかり
になるだろう。それを分かっているから、光さんは自分から遠く離れた場所で
暮らしているのだ。


 それでも、この大学で芸術に精を出す毎日は充実していたが、心のどこかに
寂しさがあるのも否定しがたい事実なのだと真理は思っていた。

 

 

 

 


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 電子ロックの扉が開くと、須永理事長自ら博士と秘書を迎えに出てきた。
彼女に会うのは一年以上前のモラヴィア館以来で、もう会う事もないと思って
いた須永理事長はひどく嬉しそうに二人を迎えてくれた。

「よく来て下さいましたわ!あの時以来だから、一年ぶり…かしら?」

 

 そう言ってにっこりと微笑む須永良美は、相変わらず大学の理事長とは思え
ないそのスタイルと美貌…。胸の谷間を最大限強調するように大きくはだけた
上着、ミニのタイトスカートから覗く生足。会うたびにこの人は、年齢が若く
なっていってるんじゃないか?とさえ思える。

 おまけに、これまで嗅いだこともないような高級で上品な匂いのする香水を
つけている。きっと、大学内で彼女が動き回る場所全てがフェロモン臭で満ち
溢れているに違いないと秘書は思った。こんな女性がうろうろしていたのでは
、学内の連中は知識や技術を学ぶどころではないだろう…。同じ女の自分でも
その醸し出されるフェロモンにくらくらとくる。

 まあ、早い話「存在自体がセクハラ」といえるような人物で…本物の魔女で
ある間宮薫とは別の意味での「怪物」なのである。

 

「…香水はベリー系?」

 いくらか理事長と距離をとっている博士が、鼻をむずむずさせながら彼女に
聞いた。博士はいつも須永理事長は魔女だ、と言って警戒している。

「ええ、そうなんです。なんとかっていうベリーで、世界でも一カ所でしか
栽培されてない珍しい品種なんですって。貰い物なので詳しくは知らないん
ですの。ベリー系は、美容と若返りに効果があるんですよ?」

アンチエイジングだね。」

「そうそう!」

 そう言ってにこにこと笑う彼女は、とても四十過ぎの女性とは思えないほど
愛嬌があるが、博士はそれにも用心しなければならないと言っている…。

 

「それにしてもこの螺旋階段は凄いね。お金もかなり掛かったでしょうね。」
「うーん…その辺はある殿方にお任せしたので…分からないですわ。」

 彼女の言葉に、秘書は一年前の事件の事を思い出す。
下柳グループの御曹司をたらしこみ、事件のもみ消しを謀り皆を助けたのは誰
あろうこの須永理事長なのである。

「理事長、あの時の…下柳グループの御曹司とは今もお付き合いがあるんです
か?」
「あら、そんな人もう記憶にありませんわ。誰でしたっけ?」

 秘書の言葉に、小首を傾げながら笑う須永理事長を見て、博士は相変わらず
彼女は頼りになる魔女だなと思った。

 

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 聖パウロ芸術大学は数年前の事件以降、大規模な改装工事が行われたのだそ
うだ。安全性やセキュリティーの問題を考えて、入口を二階へと移し非常事態
時には一階の寮棟部分にある、中から外へ出る一方通行の脱出口を使うそうで
ある。

 中央は一階まで吹き抜けになっていて、階段を降り一階へと向かう須永理事
長は、廊下の女性像を修復中の真理を見つけた。

「…真理さん!ちょっと来て!お客さんよ!」
「は?何ですか、お客って……あ。」

 こちらを見つけた真理は、一瞬だけ博士らを見て驚き動きを止める。
それから作業で薄汚れた白衣を手でほろきながら、うつむき加減でこちらに
向かって歩いてくる。近ずくたびに真理からは自然と笑みがこぼれる。


 柏木真理、この聖パウロ芸術大学の前進ブルクハルト芸術大学が建っていた
当時、彼女はここの大学生だった。間宮薫の起こした恐ろしい大学乗っ取り
事件で、真理は首謀者であった間宮薫を守るために警察の捜査かく乱を行い、
自らが犯人を装い首を切り自殺を図ったのだ。

 その後、大学は間宮薫と共に火に包まれ事件は終わる。
しかし事件後、間宮薫の持つ奇妙な薬剤で息を吹き返した真理は大学を卒業後
彫刻講師となりこの新しい大学に勤める事になった。そこでまたしても起こる
連続殺人事件…生きていた間宮薫の助けもあり、今度こそ真の黒幕も倒れこの
土地に平安が訪れたのである。

 それから数年、真理は現在二十九歳。
生まれた時から天涯孤独の彼女は、波乱の若者時代を過ごし、今に至る…。


「お久しぶり。トラブル?」

 満面の笑みで真理は、いきなり直球ど真ん中の言葉をかけてきた。
博士と秘書は顔を見合わせもう一度、真理の顔をみつめる。彼女は顎をひいて
二人の様子を楽しそうに眺めている。

「真理さん、あなた笑うと二重あごなってるよ?」
「は?久しぶりに会ってひとことめが二重あごって!」

 四人はその場でしばらくげらげらと笑った。
ひとしきり笑ったあと、真理は着替えてくると言って自分の部屋へと引き上げ
て行った。夕食の時間が近いので、食堂で話をしようという事になったのであ
る。

「真理さん、何だか表情が柔らかくなりましたね。」
「そうだね、顔も少し丸くなったけどな。」

 博士と秘書の二人は、部屋へと戻る真理のうしろ姿を見つめながら笑う。
二年ぶりに会った彼女がひどく元気だった事は、とても喜ばしいことだった。
須永理事長は二人を食堂へと案内するために歩き出したが、心なしか彼女も
楽しそうだ。

 人生とは不思議なものだ。
敵対し戦ったことでむしろ彼らの命を助ける事になった。そして今度は助けら
れることもあるだろう。


 食堂は相変わらず広く、土曜日という事もあり学生もまばらだったが、数年
前にもいたジャズバンドが今日も演奏をしていて、今はアンディ・ウィリアム
スの名曲「モア」が静かに流れている。

 須永理事長はバイキング形式のカウンターから好きな物を取ると、食堂の
一番奥のいつもの真理が座る席へと向かった。博士と秘書もお好みでトレイに
好きな物を取ると、彼女の後に続いた。学食とは思えないような豪華で上品な
ラインナップである。

「ここで食べる方が上等な食事が出来ますのよ?」

 三人は真理がやって来るまでの間、先に食事を取る事にした。
相変わらず食事にもお金をかけているようで、ほとんど一流ホテルの食事と
変わらないくらい満足のゆく夕食となった。

 あらかた食べ終わり、理事長が三人分のコーヒーを運んできた時、食堂の
入口に真理がやって来た。彼女は前に会った時とはまるで違い、ちゃんと服を
着替えてきていた。いつもの汚れた白衣を着てはこなかったのである。

 代わりにきちんとお化粧もしていて、何より驚かされたのが、真理が命を落
とすほどの深手を追った首の傷痕が見える服装だった事である。これまでの
彼女は、首元の傷付近が見える服はけっして着る事は無かったのだ。

「真理先生、歌って!」

 食堂に残りバンドの音楽を聞いていた数人の寮生たちが、やって来た真理を
見つけて声をかける。この大学ではいつでも真理は人気者だった。服の裾を掴
まれ逃げられない真理は、渋々と寮生の言う事を聞いてマイクを握った。


「…今日は大事な友人たちが来ているので…記念に一曲歌います。」

 真理はバンドのメンバーに近ずき何やら囁いて打ち合わせを始める。
ジャズバンドが演奏を始めると、博士にはその曲がすぐに分かった。1970
年代後半のヒット曲である。

 

 


異邦人/久保田 早紀 (ピアノ solo)

 

 

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 アップテンポの軽快な演奏に合わせて真理は楽しそうに歌い始めた。
その姿は数年前、同じくこの場所で歌った光と、すっかりダブって見える。
あっという間に食堂内は真理の歌に合わせ大きな手拍子に包まれてしまった。
真理の声は少々ハスキーボイスで、ひどく女の子受けが良い上に歌も上手い。

 彼女の歌が聞こえたのか、いつの間にか食事を終え出て行った寮生らも食堂
に戻ってきた。気がつけば広い食堂はやんやの大喝采に包まれる。

 

「ほんとに真理さん雰囲気が変わりましたね。」
「そうなの、毎週土曜のこの時間はいつも彼女のワンマンショーですのよ。」

 食堂の一番後ろからでも分かるほど、真理は楽しそうに歌っている。
数年前までは考えられない陽気で元気な彼女の姿だった。

「…私と薫ちゃんはね、馬鹿な自分達のせいで辛い想いをしたあの娘をずっと
見守ろうって思ってるのよ。どんな事をしてもあの子を守ろうって。一生かけ
てもってね。でも、私たち、あの子を見ている事しか出来てない、何にもして
あげられていないのよ。」

 須永理事長は歌う真理を見つめて静かに言った。
おそらく、今はここにいない間宮薫、光さんも理事長と想いは一緒であろうと
思われる…。

「そうでもないさ、あの娘は君たち二人をしっかり見ているよ。その想いは
伝わっているはずだよ。だってあの姿は、君たち二人そのものじゃないか。」

「ほんと、真理さんは幸せよね。二人の母親代わり、二人の姉、二人の先輩、
二人の親友にいつも愛されているんだもの。あっ…二人の魔女も、ね。」

 バンドの生演奏で楽しげに歌い踊る真理を見ながら、須永理事長はハンカチ
で目頭を押さえ、うんうんと頷いた。相も変わらず、理事長も泣き虫である。


「ふぉう!!ブラボーぅ!!」

 秘書が手を叩きながら立ちあがり掛け声をかけた。
真理は照れくさそうに笑うと、片手を可愛らしく上げて、演奏を終えた。


 真理の心の中に長年根深く住みついていた深い傷は、もうすっかり癒えてい
るようだった。

 

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        (続く…)