ザ・怪奇ブログ

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マテリアル2 19話

 

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              19  凝視


 郊外にある深い森の中にひっそりと建つ、聖パウロ芸術大学のまだ新しい校
舎に、またも降りだした激しい雨が叩きつけられるように当っていた。遠くで
はごろごろと地響きのような雷が鳴っていて、段々とこちらに近ずいて来てい
る。

 消灯時間はとっくに過ぎていて建物にはほとんど明かりらしいものは見あた
らなかったが、それでもいくつかの窓の明かりがつけられていた。もちろん、
現在は普段の半数も人は残っていないため、いつにも増して寂しげな雰囲気が
大学内に漂っている。

「嵐が近ずいてるみたいですね?真理先生たち大丈夫かな…。」

 がたがたと風に揺れる窓の外を見つめながら、雪恵はソファーに座り編み物
をしている須永理事長に言った。彼女は老眼鏡をはずして目の前のテーブルに
置くと、ゆっくりとソファーから立ち上がり、窓の傍の雪恵の方へとやって来
た。
「そうですわねぇ…でも、警部補さんや探偵さんたちがいるから、なんとか
無事にやってるんじゃないかしら?それよりも、お天気が心配ですわ…。」
「なんだかこの大学って、私が来てからいつも嵐とかお天気が悪い気がするん
だけど…理事長、この辺っていつもそうなんですか?」

 窓の外を心配そうに見つめる理事長に、雪恵は質問する。
雪恵はこの大学に来てからまだ一年しか経っていないが、須永理事長はこの土
地にずいぶん長い事住んでいて、大抵の事は知っているはずである。

 案の定、話好きの須永理事長は、雪恵の質問に紅茶を入れながら答えてくれ
た。

「…ここはほんとに奇妙な土地なの。私もかれこれここに来て15年にもなる
んだけど、この森の辺りだけいつも周りの場所とはお天気が違うのよ。森の外
の市街地の方が晴れていても、この森の辺りだけは雨が降ったり…ね。」
「どうしてですか?」

 理事長室の上等なソファーに座り、須永理事の入れてくれた紅茶を飲みなが
ら、これまた話好きの雪恵は興味深々で聞いた。


「…ずいぶん前だけど、前の大学がここにあった時、間宮先生…あ、光さんの
双子の妹ね?彼女が話してくれた事があるの。」
「間宮先生って、真理先生の先生だった人ですよね?どんな話ですか!?」

 雪恵は紅茶のカップをテーブルに置くと、目を輝かせる。
真理の講義で間宮先生の話題は良く出てくるので、雪恵も彼女の話には興味が
あった。

「間宮先生が言うには、お天気に関係なく部分的に雲をどかしたり、雨を降ら
したりする事が出来るんですって。たしか…ゴル、ゴルゴン・エネルギーとか
言うんじゃなかったかしら?」
「…あ、それオルゴン・エネルギーじゃないですか?本で見た事があるわ。
たしか…人間の性と関係がある未知のエネルギーとかって…怪しげな本で見た
気がします…。」

 

 雪恵が見た本では、オルゴンとはドイツの心理学者ウィルヘルム・ライヒ
発見した自然界や生体内に充満するエネルギーであるらしい。性のオルガスム
スにちなんで名ずけられたエネルギーで、当初は病気治療に役立つと考えられ
た。

 1939年自ら発見した青色、あるいは青みがかった灰色の光体が、目や
皮膚を痛めると感じ、それらを集め培養基を内が金属、外は木の板に入れた
装置を完成させ、オルゴン・ボックスと呼ばれた。一説によれば上空の黒雲
を除去する事も出来たと言われている…。

 

「そうなの、そのオル…ゴンとかいうもので気象をコントロール出来る方法が
昔からあるんですって。あの人そんな話が大好きで、いつも変わった事ばかり
話していたわね。私とはあまり仲良しではありませんでしたけど…。」

 須永理事長は照れ笑いを浮かべて、カップの紅茶を飲みながら話した。
間宮先生とは、たしかにあまり仲が良いとは言えない関係だったが、今よりも
若い時の事である。

「…もしかして、この辺りでその…オルゴン・エネルギーとかいうものが作ら
れたりしているんですか?」
「さあ…どうかしら?でも、私がここへやって来た頃より前から、ここら辺で
は奇妙な事が起きていたそうよ?」

 そう言いながら紅茶の道具をかたずけ始めた須永理事長は、腕の時計の針が
22時を過ぎているのを見て、まだ話を聞きたがっている雪恵に言う。

「さあ、そろそろ部屋で休む時間ですよ。こんな遅くまで私に付き合ってくれ
てありがとう。部屋まで一緒に送りましょうか?」
「いえ、私の部屋はすぐそこですから。一人で大丈夫ですよ。理事長おやすみ
なさい。」

 元気にあいさつをして雪恵は理事長室を後にした。

 

 

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 理事長室の外の廊下は薄暗かったが、寮の部屋はここからすぐの所にある。
しばらく歩くと二階への階段の手前にラガーシャツの刑事が立っていて、近ず
く雪恵に声をかけてきた。

「こんな時間にうろつくのは危険ですよ。部屋まで行きましょうか?」
「いいえ、階段上がってすぐですから…あっ、そうだ、真理先生たちって無事
なんですか?」

 階段を上り始めた途中で、雪恵は思い出したように若い刑事に聞いた。
お昼にここを出て行ったっきり、真理先生たちの情報は伝わってきていない。

「…目的地にはもうじき到着するそうです。全員無事だと聞いています。」
「そうですか!良かった。お休みなさい。」

 真理先生たちが無事だと聞いて、雪恵は気分良く階段を上がっていった。
寮のある二階へやって来ると、あとは角を曲がればすぐのところに雪恵の部屋
はある。

 角を曲がった時、雪恵は誰かの肩とぶつかって驚きの表情で暗がりの相手を
見つめた。良く知った顔に雪恵は安心しながら立ち上がると、愛想良く挨拶の
言葉を言った。

「…ああ!びっくりした…ごめんなさい!それじゃ私、休みますね…」

 言いかけた時、雪恵は急に両目の視界がぼんやりと狭まって来るような感覚
を憶えた。ぼんやりとした視界の先には、今ぶつかった人物が立っていて雪恵
の方へと手を伸ばして来る…。


 …その瞬間、両足に力が入らなくなり、雪恵は廊下に膝から崩れ、そのまま
意識を失った。

 

 

 

 

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 国道290号線に別れを告げ、ワゴンはいよいよ寂しげな道へと入る。
夜の暗さでよく分からなかったが、どうやら山の麓の村を走っているらしい。

「おっと…真理さん、あそこ、あの山へ上がる道に入って下さい。」

 博士が助手席から指をさす方に色あせた看板が立っていて、うっすらと消え
かかった文字で「双子岳スキー場、この先5キロ」と書かれていた。

「もしかして…目的地に着いた?」
「うん、ここを上まで登ればロッジだ。」

 ワゴンの中は歓びと安堵の入り雑じった歓声に包まれ、皆その表情に笑顔が
見えている。色々とあったが、なんとか目的地まで逃げ切ったようだった。

「でも、ここ何年も前から使われていないから、もしかすると途中の山道に
障害物で車が走れない場所があるかもしれない。」
「その時は上まで歩くわ。どってことない距離よ。」

 真理は嬉しそうにハンドルを切りながら山道を上がってワゴンを走らせる。
かなりの急斜面をぐんぐんと登り、これといって障害物も無くワゴンは双子岳
の中腹までやってきた。

「………。」

 秘書の女性は、どんどん山頂に近くなっていく窓の景色を見つめながら表情
を曇らせる…。まさかここに戻る事があるなんて…と秘書は思いながらポケット
の中にある物を取り出して見つめた。透明で中に星のきらきらが入った小さな
スーパーボールである…。

「綺麗ね。」
「ええ、とっても大事な物なの。」

 隣でコンパクトの鏡を覗きながら、光が秘書のボールを見つめて言った。

「…形見の品とか?」

 秘書の女性はにっこりしながらも、どこか悲しげな表情で小さく頷いた。
光は何かを言う代わりに、自分もにっこりと優しげな笑顔を秘書に向け、また
自分の鏡を覗き込んで化粧直しに戻った。

「心配かい?」

 助手席から後部座席に顔を出しながら博士が言った。

「ううん、でも…あのロッジまだあるかしら?」
「どうかな…もうすぐ分かるさ。」

 すると、元はスキー場の入口であった場所にちょっとしたバリケードの様な
ものが見える。車一台が通れる道路に有刺鉄線が張られていて、杭のような物
が打ち込まれていた。

 小さな立て看板に”政府保有地につき立ち入り禁止”と書かれてあった。

 博士の説明によれば、数年前このスキー場で雪崩事故が起きた後、政府が
この土地を買い取ったそうである。それからこのスキー場は使われていないの
だそうだ。

 真理は博士と共にその立て看板の文字をじっくりと眺めた。

「…有毒廃棄物とかって書いてあるんだけど…ここ大丈夫?」
「うん、おそらく誰も悪戯で立ち入らないようにするための看板だね。有毒
廃棄物なんて無いよ。」

「何でそう言い切れるの?」
「…事故の時ここにいて、何が起きたのか知っているからさ。」

 博士がそう言うと真理は小さく頷き、それ以上は聞かなかった。


「…さすがにこの先は車では行けないみたいね。あとどれくらい?」
「たしか…ロッジまではあと1キロも無いはずだよ。」

 有刺鉄線の先の、上にカーブする道路を見ながら真理は腕を組んで考える。

「…よし、歩きましょう。ワゴンから荷物持ってきますね。」

 真理はそう言うとワゴンへと歩いて引き返していく。
車には光さんたちが待機していたが、戻ってきた真理が自分の荷物を車内から
持ち出すのを見てその意味が理解出来たようだった。

 秘書と警部補はさっそく荷物を手にすると降りる支度を始める。
一番最後までワゴンの後部座席に座っていた光は、きょとんとしながら真理に
言った。

「あの、私、暗い道とか山登りとか好きじゃないんですけど…だって山道とか
って虫がゾロゾロゾロゾロ近ずいて来たりしますでしょう?それに私けっこう
靴ずれとか起こしやすい体質なー」
「…お黙り!」

 光を一喝した真理は彼女の手を掴んで、ワゴンを出る。

「あっ…真理さん、たれワンちゃん忘れたわ。」

 眉間にしわを寄せて、真理はワゴンに戻り先ほどボーリング場で閉店間際
店員に”もらった”たれ犬のぬいぐるみを取ると小走りで戻ってきた。

 そしてまたも手を掴むと、ハイヒールのおぼつかない足元の光を有刺鉄線
バリケードまで、急斜面を騒ぎながら引っぱっていった。

 

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 暗い山道をロッジに向かって歩く事10数分、道の左側に突然大きな崖崩れ
の跡のような物が見えてきた。数年前に起きた大規模な雪崩の跡地である。

 もちろん、事故のあと救助隊や自衛隊などの手が入り、崖は安全に切り崩さ
れたと聞いているが、博士の見たところ現場はほとんど変わりがないように見
えた。

「わあ、凄い崖崩れの跡ね…!」

 真理はそう言うとなだらかな坂を登り、博士や秘書と共に崖崩れの跡を見に
行った。崩れた山の上まで来ると、その向こう側は黒々とした深い崖になって
いた。

「凄い崖ね…それに深そう。」
「…落ちたら自力で上がる事は絶対に出来ないだろうね。」

 真理は博士の言葉に身震いして、暗く深い闇の底を見つめる。
光さんもハイヒールで山の斜面をやって来ると、真理の後ろから目の前の巨大
な崖を無言で覗きこむ…。

 秋にしては肌寒い風が暗い崖から吹きつけてきて、ぼんやりと崖の底を黙っ
て覗きこんでいる光の美しい金髪をばたばたと巻きあげる。

「…光さん?」
「……………。」

 崖の底を見つめる光は、何かに憑かれたように立ちつくして崖の闇を見つめ
ていた。まるで闇の底にある”何か”を覗き込んでいるかのように…。

「…何か見えるのかい?」

 博士と秘書の二人は崖の底を見つめて沈黙している光に、何か奇妙なものを
感じた。なぜなら、この崖の下には”とてつもない代物”が眠っているのだか
ら…。しかし、それを知っているのは博士と秘書の二人だけの筈なのだ。

「…光さん!どうかしたの?」
「えっ?いや……何よこれ…早いとこロッジに行きましょう…!」

 光は狼狽したまま、崖を離れると急ぎ足で道路へと戻っていった。
そのうろたえたような光の姿を見るのは、真理には初めての事だったが、一体
光は崖の下の闇に何を見たのだろう?

「ちょっと…光さん!待ってー!?」

 慌てて真理も光の後を追い、崖を下っていった。

「……博士。」
「行こう早紀君…彼女らをあそこへ送り届けるのが我々の仕事だ。」


 不安げな表情を浮かべる秘書は博士と顔を見合わせると、二人を追いかけ崖
を離れた。目的地である双子岳ロッジは、もう眼と鼻の先である。


(続く…)