ザ・怪奇ブログ

怪奇小説・絵画・怪奇の世界!

マテリアル2 26話

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            26  秘密 


 部屋を出た真理は長い廊下を移動しながら、自分がずいぶん子供じみていた
いた事に後悔した。二度までも一人置いてけぼりをくらったと感じた真理は、
光が崖から飛び降りた事にひどく腹を立て、大学へと帰って来てしまった。

 どうして傍にいてあげられなかったんだろう?
あの人は最初から自分を守るのに命を捨てる覚悟があったのだ…光さんの方が
僅かな時間でも自分の傍にいたいと願っていたのだ。それなのに、自分の悲し
さと辛さから、あの場所から一人で逃げ出してしまった…。

 あの人は置いてけぼりなどしていなかった…!
それどころかいつでも、自分の事を考えていてくれたのである。


 早足で薄暗い廊下を歩きながら、真理は溢れる涙を堪える事が出来なかった
が、人気の無い二階の寮棟を抜けて一階への階段へと急ぐ。

 涙を拭きながら廊下の角へと差し掛かった真理は、現れた人影にぶつかりそ
うになった。

「…おおっ、真理先生。今度の彫刻発表会の打ち合わせを…」
「後にしてって!いい加減にしてよっ!」

 三たび声をかけてきた彫刻美術の準教授、蔵前氏を半ば悲鳴のように一喝し
て真理はその場を立ち去ろうとする。


「…………えっ?」

 

 そこで真理はふと、奇妙な思いにかられて足を止めると、ゆっくりと蔵前氏
を振り向いた。六十過ぎの背の低い小太りの男が、驚くほど度の強い眼鏡を手
で上に直し、小首を傾けながら真理の様子を窺っている。

「真理先生、どうかしましたか?」
「いえ……。」

 

 

 

 

 

 その時の真理は、何か時間が止まったような…不思議な感覚に陥っていた。
ひどく感覚が澄んでいて、双子岳のロッジで博士が話していた言葉が思い出さ
れる…。  


”…蛇はとにかく執念深い生き物なんだ。狙った獲物はとことん追いかける…
二度三度と何度でも、丸呑みにするまでね…。”


 あの時に感じた胸騒ぎのような不吉な悪寒…。
真理を執拗に狙う者たちは、あの双子岳でみな沈黙した。最後に残った奇怪な
存在も、光さんと共に崖下へと消えたのだ…。もう真理を狙う者などあるはず
が無いのである…。


 彫刻美術の準教授、蔵前氏。
彼は真理がブルクハルト大学に在籍中もいて、何度か講義を聞いた事がある。
もっとも、当時の真理は間宮先生の講義以外はほとんど上の空だったが…。
たしか彼の作品のほとんどが、子を抱いた母親や神像といった宗教的なものが
多かったはずだ。

 …そういえば、今のような会話はこれで何度目だろう?
一度目は警察の事情聴取から戻った後、光さんがやって来た時。二度目は地下
の秘密の施設から命がけで逃げ出して来た時。三度目は今。事件が終結に向か
い、双子岳から戻ってきたばかりの…


 …ちょっと待って、これって…どの時も敵が私をどうにかしようとするのに
失敗した後ばかりじゃないかしら…?


            まさか…この人…

 


「…何の話でしたっけ?」
「彫刻発表会の打ち合わせですが…。」

 彼の度の強い眼鏡越しに見える目は、ほとんど閉じているくらい細い…。

「…ええ、じゃあ伺います。今からでもいいですか…?」

 一瞬だけ、蔵前氏は驚いたような表情を見せたが、急に笑顔に変わって先を
歩きながら言った。

「では、私の部屋で…!」

 蔵前氏の後について歩く真理には、何か非常ベルのようなものが鳴り始める
のを感じたが、この時の真理は光さんの事で自身に腹が立ち熱くなっていた。
なにより、この複雑怪奇な事件の決着は、自分の手でつけなくてはならないと
、真理はそう思っていたのだ。

 だが、その真理の勝気な性格が災いした。
蔵前氏は自分の部屋の前まで来ると、振り向きざま分厚いレンズの眼鏡を取り
細い目を開き真理を凝視した。

「…あっ!?」

 真理を凝視する蔵前氏の両目は、これまで何度も見てきたあの奇妙な男の
肖像画にもあった、不吉な蛇の目をしていたのである…。

 その目が暗闇で光輝くと、驚く真理の身体は何故か硬直したように動かなく
なってしまった。

「さて…人に見られてもまずい…真理君、部屋に入りたまえ。」


 真理は何故か言われるままに蔵前氏の部屋のドアを開けると、おぼつかない
足取りで中へと歩いていった…。

 

 

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 双子岳を飛び立った陸軍の輸送機は、市街地にある総合病院近くの空港へと
降りた。

 あらかじめ待機していた救急車に、危険な状態の者たちだけを乗せて病院へ
と走り出すのを見届けた博士は、急ぎ聖パウロ大学へと戻るために隊長たちと
別れ、タクシーに乗り込んだ。秘書は危険な状態ではないが、雪恵と共に病院
へと向かった。

 タクシーに乗り込むと、博士の携帯に警部補から連絡が入る。

 

『…君のいう条件で現在大学内にいる人物だが、こちらの調べで確答するのは
二名だ。』
「二名ですか…一体誰です?」

『一人は理事長の須永良美。彼女の経歴はこれまでの事件の時に調査済みだが
、過去の経歴に少々空白がある…。二十八の時にブルクハルト芸術大学の講師
になり、現在理事長である彼女の二十三から五年間の経歴がよく分からないの
だ…。まあ、講師を目指す期間だといえばそれまでなんだが…彼女の家はかな
りの資産家で令嬢として育てられている。五年の空白は少し気になるな。』

「もう一人は?」

『…彫刻美術の準教授、蔵前和弘。彼はブルクハルト芸術大学創設の時からの
古参で、現在は六二歳。彼は世間的にも評判の良い彫刻美術の権威だ、疑わし
い噂などはまったくといって出てこない。過去にもたくさんの賞を取っていて
、裏の世界に顔を出すような人物ではない。ただ…』
「…何ですか?」 

『…彼は二十代の頃、小さな町医者で精神科医をやっていた経歴を持っている
が、数年間の間に一度だけ些細な問題を起こしている。ある女性に行った催眠
治療がもとで小さな訴訟が起きた。示談が成立、大事には到らなかったが…』

「…それだ!それですよ警部捕さん!」

 博士はタクシーの中で叫び、通話の先の警部補に興奮しながら言った。

 

 


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「催眠治療…彼は催眠術が使えるんだ!これで一連の怪奇な連続事件の謎が
ようやく解けましたよ!」

『…どういう事かね?』

「我々は人から人へと移動する存在が、魔女であったとされる旧ブルクハルト
理事長だと思ってきました。それはもしかすると間違っていたのかもしれない
って事です。強力な催眠術なら、誰でも操り犯行を行わせる事が出来る…人が
変わっても、同じ事を吹き込めば誰でも同じような行動が出来るんですよ!
それが我々には、人から人へと乗り移る怪奇な存在に見えた…。ひょっとした
ら、旧ブルクハルト大学の理事長も、操られていたのかも知れません。」

『…だが、それが可能だとしても、一体何のためにそんな面倒な事をしなけれ
ばならんのだ?敵は大きな組織の頭なんだろう?』

「自分の事が表に出ないためですよ。秘密の組織、危険な組織ほど頭というの
は知られていない…誰も知らないものなんです。知られればそれで全ては崩壊
してしまう…この事件の黒幕はそんな人物ではないかと思うんですよ。」


 …そうだ、光さん…間宮薫が我々に嘘の芝居を見せ続けたのは、この黒幕の
人物がひどく用心深い者だと認識していたのかもしれない…。数年前、間宮薫
が起こした大学乗っ取りは失敗、事件の黒幕は影に潜伏した…。

 数年経ち、真理さんを手に入れるべく行動を起こした黒幕の注意を逸らすた
めに間宮薫は、敵を油断させるため光さんという人物を演じる事にした…。
彼女はそれにより二つの効果を得たのだ。

 一つは、我々の中にいるであろう”スパイ”の存在に完全に光さんが間宮薫
とは別人だと思わせること…。それは事件の黒幕が油断する事で、またも影に
潜伏してしまうのを防ぐ効果があった。

 二つめは、そもそも姉妹の姉という嘘をつくことで、敵が本当に自分の母親
なのか?という事を確かめる事が出来る…そしてどうやら敵はその嘘を見抜け
なかった。それは母親であるブルクハルト理事長が、この土地に古くから存在
する秘密の結社の首領ではなかったという事を証明する…。


「…警部補さん、大学へ戻りましょう!その蔵前という男が姿を消して潜伏し
てしまう前に…!」


 博士は聖パウロ芸術大学へと向かうタクシーの中で、依然として携帯が繋が
らない状態に、一人大学へと戻った真理さんは大丈夫だろうか?と不安に思っ
た。

 

 

 

 

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 蔵前氏の部屋は、真理や他の講師たちが寝泊まりする小部屋と違い、大きな
部屋であった。だが、そのほとんどが古めかしい本の数々で埋め尽くされてい
て、まるで図書館のようだった。もちろん自身が製作した彫像も置かれてあり
、その美しくも不気味なシルエットに真理は悪寒を感じた。

 その彫像は、母親が子を抱いたもので、彼の作風ではあったものの、まるで
生命を感じさせるものでは無かった。生気の無い表情、母子とも身体中に走る
恐ろしい亀裂と剥げかけたぼろぼろの皮膚…むしろこれは”死”をモチーフと
した、死者の像だ…。

「…この部屋に人を入れたのは何年ぶりかな?もちろん、君のような高等な
芸術家は大歓迎だがね。おっと、叫んでも無駄だよ?この部屋は厚い防音壁
で囲まれているのでね…?試してみるかね?」

 言いながら蔵前氏はその場に硬直して動けない真理を、傍にある椅子に座ら
せると、後ろ手に縛りつける。そして指一本動かせない真理の服のポケットと
いうポケットを全てひっかきまわして、持ち物をテーブルの上に出した。

 車のキー、ハンカチ、ティッシュ、小銭、先ほど食べたホットドッグの包み
、買い物レシートの紙、鼻をかんで丸めたティッシュまで…

「…私はひどく用心深い男でね。自分の部屋に入れた人間の持ち物まで気にな
ってしまうんだ。おっと…」

 最後に残った白衣の胸ポケットに手をつっこむと、真理の携帯を無理やり
乱暴にひっぱり出した。

「ほう…中々可愛らしい携帯を使っているね?」

 蔵前氏は携帯を開くと、たくさん撮っておいた光さんの画像を見つめ、急に
表情を曇らせた。

「…だめっ!」

 真理が叫ぶ間も無く、彼は携帯を二つに折ると床の上に叩きつける。
そして足で踏みつけ、粉々にした。

 あの中には、光さんとの思い出が唯一残っていたのに…。

「…私はね、君があのブルクハルト芸術大学へ入学した時からずっと、いつか
手に入れようと考えていたんだ。私はあそこで何十年にも亘り、ブルクハルト
理事長を操り、影から大学を支配してこの国に根を張ってきた。いつかあの大
学のトップに君を据えて、私と共に支配者として君臨する…。その素晴らしい
願いを邪魔したのが、間宮薫だ…!」
「………。」

「…あの女はまったくの予想外だった…私が支配する大学を、一人で乗っ取り 
次々と仲間を葬っていった。忌々しいのはあの女が、完璧な再生薬の知識を
持っていた事だ…私は様子を見る事にしたが、あいつはあの大学ごと燃やして
それを全て葬り去ったのだ。まあ、情報と共に間宮薫も死んだのだから、それ
も良いだろう。完璧な再生薬は誰の邪魔もなくなった今、君の細胞で私が完成
させるのだからね!」

 蔵前氏の両目は、あの双子岳で見た雪恵さんや光さんのように不気味な輝き
を放っている。スリット状の瞳孔が、まさに蛇のようだった。

「…あの光とかいう姉も死んだそうだね?これで君を手に入れるのに邪魔を
する者は一人もいなくなった。私の存在は誰にも知られる事無く、この世界に
君臨し続ける!地下の施設などもう必要はない。君という存在が一緒であれば
、私はどこの国に行こうが富と権力を持つ事が出来るのだから…!」

 

 長々と説明する蔵前氏に、真理は椅子に縛り付けられた状態ながら静かに目
を閉じると小さく鼻を鳴らして笑った。

「まったく、男ってこれだから…好きになるも追いかけるも自由だわ。でも、
あなた…私が求めているものが何か知ってる?私に必要なものが何なのか…
理解したうえで奪おうとしてるの?駄目だわ、私が求めているものとあなたが
求めているものは全然違うの…。」

「何だと…?」

「例えば、無理やり人を操って言う事を聞かせたって、そんなもの楽しいの?
ブルクハルト理事長をずっと操ってきたんでしょ?でも、私に鞍替えしたのは
それが楽しくなかったからじゃないの?歳をとったら若い女に乗り変えるって
いうのと同じね…そんなだから、私と光さんの嘘に気ずけなかったのよ。」

「…嘘だと?一体何の事だ?」

「光さんは間宮先生だってことよ!あなたは一つだけミスをしたの。私と間宮
先生の事をよく知り過ぎていたのよ、だから光さんを間宮先生だと気ずけなか
ったんだわ。」
「…何故、君は姉なんていう嘘を…!一体何の得があるっていうのかね!?」

「得も何も、間宮先生の事を信じているからよ。あの人がそう言うなら、理由
があるはずだと思ったから。だからその嘘に私は合わせたの、二人とも涙を堪
えてねっ!ほら、あなたみたいな悪党がまんまと釣れたじゃないのよ?」

「…くそっ!」
「今頃、姿の見えない私の事を探偵さんや警部補さんたちが捜しているかもし
れないわね?」
 
 今になって真理には、間宮先生が手紙に書き残した言葉の意味が分かるよう
な気がした。光さんと共に演じた嘘は、このためだったのだと。


 蔵前氏は急にうろたえるように部屋の中を動き回り、考えを巡らせ始めた。

 ”忌々しい間宮薫の姉だと言う光という女は、本物の間宮薫だというのか?
ちょっと待て…それが本当なら、結社の頭が母親のブルクハルトではなかった
という事がすでに知られているって事になるのか…?

 実の母親が、いもしない娘を姉妹なんて言うはずが無い…!

 …冗談じゃない!それは、黒幕が他にいると言ってるようなもんだ!
いずれは私のところへも調べが入るかもしれん…それはいかん、例えどんな
些細な事でも私の事が明るみに出る事は敗北を意味している…”


 その時、部屋の入口のドアをノックする音が響いた。
蔵前氏は驚きと共に真理の傍へと近ずき、彼女の両目に強烈な視線を浴びせ
ると、声も出せずに沈黙する真理を椅子ごと部屋の隅へと押しやる。

「だ…誰だね!?」

 覗き穴から廊下を覗くと、そこには例のぼうず頭の探偵が立っていた。
蔵前氏は何故こいつがここへやって来たのか?考えを巡らせながらも部屋の
ドアを開けた。もちろん目を細め、分厚いレンズの眼鏡を慌ててかけるのを
忘れずに…。

 

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「やあ、どうも。」
「……君はたしか探偵の…何か用かね?」

 探偵の男は、廊下から部屋の中を覗きこみながらにこにこしている…。

 

”…こいつはたしか、双子岳にいたはずだが…一体何しに来たのか?
それにしても、こんな間抜けな男一人殺せない部下たちは…まったく役に立
たん連中だ…!しかし…こいつらどうやって逃げのびてきたというんだ?”


「真理さんを捜してるんですが…ここへは来ませんでしたか?」
「…いや、ここには来ていないが。何かあったのかね?」
「そうですか…。変だなぁ、車はあるのに…いや、お邪魔しました。」

 ドアを閉めて蔵前氏はほっと一息ついた。

 

”探偵の男は、単に全ての部屋を回っているのかも知れない…。
あっさりと帰っていったところをみると、まだ私は疑われていないようだ。”


 山と積まれた本棚の隅へ急ぎ足で戻ると、蔵前氏は動く事も喋る事も出来な
い真理の顎を手でわし掴みすると、恐ろしくも卑猥な笑みを浮かべて囁いた。

「…何と言おうが、お前はこれから先もずっと、私のマテリアル…生きた材料
となるんだ…!君の細胞という細胞は私のもの。今日はあそこ明日はここと、
毎日少しずつ抽出するんだ、考えただけでも楽しー」

 

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 と、ドアをまたしても激しくどんどんと叩く音がした。
蔵前氏は、小さく悲鳴を上げるほどどっきりしながらも、なんとか平静を保ち
つつ入口へと走り、ドアを半分だけ開ける。

「…何だね?まだ何か…!?」

 剥げかけた頭の髪の毛が風に揺れるほど慌ててドアを開けると、またも探偵
の男が満面の笑みで立っていた。

「あっ、お取り込み中でした?失礼。」
「…何の用かね…?」

「いやね?一つ忘れてたもんで…教授さん、あなた、ニンニク・マスタード
ご存知ですか?」
「なに…?何を言ってるんだ君は…!?」

「あっ、ご存じない?おかしいなぁ…まあ、とりあえず部屋にあがらせてもら
いますよ?立ち話で出来る内容でもないからね。」

「お、おい…何だ君は!?かってに入るんじゃなー」

 

 


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 探偵の男は蔵前氏の部屋にあがりこむと、テーブルの豪華な椅子に深々と
座り込み、足を机の上に伸ばす。豪華な机の上に靴から土が落ちる。

「な…何だ君は!失礼じゃないか、かってにあがり込むとは…!」

 蔵前氏は部屋の奥に押しこんだ真理の方を気にしながら、部屋にあがり込ん
だ探偵に文句を言った。

「まあまあ!いいじゃないか蔵前君!!博士と呼んでくれたまえっ!!」
「…あんまり大きな声を出すんじゃないよ…?」

 大きな声でそう言うと、探偵の男は豪華な部屋の中を眺め回した。

「おっかねぇ…よくこんな気持ちの悪い像が作れるなぁ…こういうの流行ってん
の?あっ…ごめん、取れちゃった。」

 恐ろしい母子の彫像を、じろじろと見つめながら髪の毛の部分を触っていたが
ぼろりと取れてしまった。が、探偵は気にする様子もなく床にそれを捨てる…。

 

「ところで、君のうわさは聞いてるよ。良い噂じゃないがね。」
「だ、誰がそんな事を…?」

「心配するなって、大将!秘密は漏らしたりしないよ!人様に言える事でもない
けどな!!ええっ!?」
「…声がでかいって…!君ー」

 

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 そう言って探偵の男はにやにやと笑っている…。
おかしな雲行きだ。この男は一体何をしに来たというのか?

 すると男は懐から一枚の紙を取り出すと、それを広げてテーブルの上に置い
た。それは、地下の遺伝子実験施設に飾られていた、蛇の目の肖像画である。

「私の言いたい事が分かるかい?蔵前君…。」

 蔵前氏はその絵を見た衝撃で、ふらりと倒れかける…。
頭の中で警報が鳴り響き出した。探偵の男は口は笑っているのに、目は笑って
いない…。

「…19世紀の偉大な魔術師と呼ばれたメイザースは、黄金の牙という秘密
結社を設立したが、彼は四十半ばで心臓発作で亡くなったそうだ。それ以来
この不気味な結社の存在は、歴史から姿を消した。この男の目…まるで蛇の
ような目を持つのは何故なのか?あ?」

「…何の話をしているのか…さっぱり分からん…!」

「数年前、一人の女性徒が間宮薫の怪しく光る両目を見たそうです。たぶん、
自らの両目を発光させる事により、蛇や猫のような夜行性動物のような、スリ
ット状の目を生みだしたんだ。双子岳のロッジで倒れていた殺し屋たちの一人
が言ってましたよ、暗い闇の中で光さんの両目が輝いていたそうだ。」

「…そんな事より、私は忙しいんだ、はよ帰れや!!」
「いやいや、なんか急いでんの?お茶ぐらい出せよ蔵前。」

 

 探偵は笑いながら、さらにもう一枚の写真を力いっぱいテーブルに叩きつ
ける勢いで置いた。蔵前氏はその音で飛び上がるように驚く。

 医者の姿をした人物写真で、二十代くらいの年齢に見えたが、良く見ると
蔵前氏に似ている…。

「………私に似ているな…だ、誰の写真かね?」
「蔵前、お前だよ!それ以外に考えられない。こめかみから額にかけての
ハゲ具合なんてそっくりじゃないか!?」

 

 (…精神科医だった頃の事まで知られている…!?
と言う事は…もう私の正体は明らかにされているという事か…。)

 

「あんた催眠術が得意なんだって?これまでも色んな女性に催眠術をかけて
きたそうじゃないか。いや、心配いらないよ蔵前。秘密はちゃんと守るって!
あんたみたいな変質者が、よく捕まらずにきたなと感心してたところだよ。」
「…何だと!」

「ああ、それから、さっきのニンニク・マスタードね?ニンニクとマスタード
を混ぜた、私の秘書である早紀君の特製ソースなんだ。大学へ戻る前に早紀
君が、このソースがたっぷりとかかったホットドッグを真理さんに渡した…。
それがこの部屋にはその匂いがぷんぷんとしている。あんたは知らないと言っ
たのに…これだけ言えば、君のお粗末なおつむでも解るだろう?」

「………。」


 蔵前氏は無言で部屋の中に立っていたが、静かに分厚いレンズの眼鏡を取
ると、歯をむき出しにしながら細い両目を大きく開いた。

「おっと、おじさんその手はもう通用しませんぜ?仕組みはもう分かってるん
だ、あんたの目は見ないよ。」

 

 突然入口のドアが開いて、警部補が拳銃を構えながら部屋へと入ってきた。

「…ここまでだな、蔵前教授。催眠術の専門家に聞いてきたのだが、強力な
催眠暗示をかけておけば、自分で呼吸を止め発作を起こす事もあるそうだ。
そうやってお前は、操った者たちを殺したんだ。口封じもかねてな。」

 蔵前氏はその場にへたり込み、下を向いてうなだれるしかなかった…。


(最終話へ続く…)