ザ・怪奇ブログ

怪奇小説・絵画・怪奇の世界!

マテリアル2 24話

 

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             24  微笑みの向こう側


 目の中心部にある瞳孔というものは普通、周囲が明るい時に小さくなり、暗
くなると大きくなるものである。瞳孔の性質、形状は動物種により異なってい
て、人などは円形の瞳孔を持っている。

 かたや猫や蛇などは、垂直のスリット型の瞳孔を持つ。
スリット型の瞳孔は、昼間の強い光を遮るために夜行性動物たちが進化の過程
で手にした能力である。


 ラガーシャツの男の眼前に立つ光の輝く両目は、さながら蛇のようだった。
辺りは真っ暗で、どこにも明るい場所はない…なのに彼女の瞳は夜行性動物た
ちが昼間見せるようなスリット状の瞳をして睨んでいたのである。そして、男
はこの瞳を前にも見た事があった…。

「そんな…何で、お前が…その目を…!?」
「…どうでもいいわ、そんな事は。」

 光は男の身体が完全に動かないのを確認すると、顔を離して言った。
あちこち傷だらけの光は、立っているのもやっとというような状態である。

「…まさか、あんた…そんな!いや…あいつはたしかに…!?」

 乾いた音と共に、口を真一文字に結んだ光の平手が男の頬を打った。
ただの平手打ちで、男の顔は横を向いたまま動かなくなるほどの衝撃である。
男はその場に全身が硬直したままで、傍に立つ光に命乞いを始めた。

「た…助けてくれ…も、もうあんたらには、か…関わらない…!」

 それを聞いた光は、またも男の傍へと近ずいて横向きになったままの顔を手
で無理やり自分の方へと向かせた。関節がきしむ妙な音が鳴って男は小さな悲
鳴をあげたが、光はかまわずに顔を近ずけながら話す。

「…あなた、いくつ「おいた」したか知ってる?」

 光はまたもその輝く瞳を、男の両目にくっつくほど近ずけながら言った。

「…………三つ…くらいかな…。」
「…ううん?六つよ。最初から私たちを騙してた事、地下に殺し屋を送り込ん
だ事、大学の中に三人の殺し屋を準備してた事、私たちに追っ手をつけた事、
ええと…それから…銃撃で私の知り合いを怪我させた事…最後は、私の大事な
真理さんをさらった事。」
「…な、なら、どれも未遂で、誰も死んでなかったんだし俺もたすー」

 男が言いかけた瞬間、光は下から強烈な膝蹴りを男の股間に叩きこんだ。

「あ……がっ!?」
「あらあら、ごめんあそばせ?たしかに…全部未遂に終わったわね。けど…
どれも一歩間違えば皆殺しだったのよ?あなた、殺す気満々だったでしょう?
うん?」

 激痛で声も出ない男に向かい、光は困ったような表情で男の顔の傍でやさし
く囁く…。ラガーシャツの男は痛みと恐怖のあまり涙を流し始めた。

「…泣きなさい。一緒に泣いてあげるから。」

 光はあわれみの涙を流しながら、片手を男の頬にそっと触れ、撫でる…。
男は痛みと恐怖の中で、まるで聖母のような顔で自分にあわれみの涙を流す光
が心底恐ろしくなった。

「た…頼む…助けてくれ…。」
「…でも、あなたみたいな人は許した後で、また悪い事するの…分かるでしょ
う?うん?」

 涙を流す光は、まるで小さな子をさとすように甘くやさしく話かける。

「もう…ここを離れて二度とあんたたちに顔を見せる事もしない…悪い事も
しない…。」
「…助かりたいの?」
「うん…。」
「…ほんとにもう悪い事はしないのね?」
「うん、だから許してくれ…。」
「駄目よ…!」

 これ以上ないほど低いトーンの声を出して光は冷たく言い放った。
そして男の顎を片手で掴み、二・三歩助走をつけると有り得ないほどの怪力で
、男の身体を十メートルほど先にあるロッジの壁に向かって投げつけた!


 二階付近のコンクリの壁に大きな音をたて叩きつけられ、そのまま下の地面
にどさりと倒れ込んだラガーシャツの男は、それきり動かなかった。

 

「…人生は厳しいのよ。一度や二度痛い目に遭わなきゃやり直せないの。」

 もっとも、生きていればの話であると、光は思った。

 

 

 

 

 

 誰も自分たちに襲いかかる者がいなくなると、光はその場にふらりと倒れ込
んだ。ロッジの周りは真っ暗で灯りと言えば目の前に止まっている巨大なトラ
ックのライトだけである。

 草の上に倒れ込んだ光は、満足げに微笑むと輝きが失われつつある瞳を閉じ
た。ここへやって来た危険は全てかたずけたのだ。あとの事は二人の探偵がな
んとかしてくれる筈。心残りなのは…

 …そう、真理である。
あの子はほんとに無事なのだろうか?ひと目その無事な姿を確かめなくては、
死んでも死にきれない…と光は思った。


「…真理は…?」

 光は薄れそうな意識をなんとか保ちながら立ちあがると、ゆっくりとトラッ
クの方へと歩いていく。後ろの幌が開いていて、ばたばたと風にあおられてい
る…。

 真理は幌の後ろに手錠に繋がれ、壁にもたれかかるように座っていた。
おそらく気を失っているのだろう。傍に行くと、小さな呼吸をしているのが
分かる…。

「…真理?大丈夫…?」

 光は手錠を力任せに引きちぎると、真理の身体をトラックの床にそっと横に
して言った。

 ゆっくりと目を開けた真理は目の前に、ぼろぼろの光が自分を覗き込んでい
るのに驚いて飛び起きる。

「…光さん!一体…どうしたのよ!?」
「…良かった。無事で…。」

 光はお腹の辺りを押さえながら、その場に膝をついてうずくまる。
と、その後ろの暗がりに不気味に輝く瞳の雪恵が立っているのが見えた…!

「…光さん、危ない!」

 唸り声と共に、雪恵が光を蹴りつけて、トラックの外へと叩き落とした。

「光さん…!」

 ゆっくりと真理の横を歩いてゆく雪恵の両目はへーゼルグリーンに輝いて
いて、しかもその目はあの、絵に描かれた奇怪な男と同じ、蛇の目だったの
である…。

 

       

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「まさか…雪恵さんに取り憑いたの…!?」

 真理は身体が硬直してしまったかのように、その場に見動きが出来なくなっ
てしまった。

「…お前たち姉妹は…。」
「……?」

「…お前たち姉妹は、またしても私の邪魔をするか…?薫も…光も…出来の
悪い子供たち…!」

 …お前たち姉妹…光は確かにその言葉を聞いた。
雪恵に取り憑いているのは、ブルクハルト理事長…つまりは自分の母親だ…。
その母親が、”お前たち姉妹”と、確かに言ったのだ。

「…邪魔するものは全て消えてもらうぞ…!」

 トラックから飛び降りた雪恵は、光の頬を強烈に平手打ちした。
光は二メートルほど跳ね跳んで、地面に倒れ込む。

「やめて!」
「…!?」

 トラックの荷台から、真理は雪恵に体当たりを敢行すると、油断していた
雪恵はもんどりうって倒れ込んだ。その隙に、真理は光の傍へと走ると手を
取ってその場から立ち去るため走り出す。

 もちろん雪恵はすぐに立ち上がると二人を追いかけ走り出した。
真理は傷だらけの光の手を握り、ロッジのスロープを下に向かって走る…。

「…ねえ!あれは一体何なの!?ブルクハルト理事長なの!?」
「…さあ、分からないわ…でも、あれは怪物よ…!」


 真っ暗な道をどんどん降ってゆく二人の後ろを、不気味に輝く瞳の雪恵が追
いかけてくる。その姿は、いつも愛くるしい表情の雪恵とはまったく違った。

「…雪恵さんは、雪恵さんはどうなるの!?」
「………。」

 二人は林の中を通り抜け、目の前に開けた場所が見えてきた。

「……!」

 そこはロッジへと向かう途中で立ち寄った、あの暗く大きな崖であった。
切り立った岩山が眼前にそびえ、その下は暗黒のブラックホールのように黒々
とした巨大な亀裂が、百メートルほどに亘って伸びている…。

「…袋小路ね。」

 二人は声も無く立ち止まり、今自分たちが走ってきた方向を振り向く…。
林の中から木々を踏みしめ、雪恵がゆっくりと姿を現した。その両眼の燃える
輝きは、先ほど光が放っていたものと同じものである。そして、その手には大
きなサバイバル・ナイフが握られていた…。

「…真理さん、あなただけでも逃げて!あの子は私が何とかするから…。」
「なんとかって…一体どうやって!一人でなんか逃げないわ!私はー」

 言うなり真理はポケットから拳銃を取り出し、迫る雪恵に向かって構えた。
光は自分の太腿に隠しておいたサイレンサー付きの銃が無い事に気ずく。先
ほど迫る雪恵に平手打ちされたときに落とし、真理に拾われていたのか?

「…止まって!でなきゃ…撃つわ!」
「やめなさい…!あれは雪恵さんなのよ?」

 ナイフを手に迫る雪恵は、銃など関係が無いといわんばかりにこちらへと
向かって歩いてくる。その表情は仮面のように無表情だったが、目だけが異様
な輝きを放っていた…。

「…これ以上、大事なもの無くしたくないの!邪魔するんならー」

 構えた銃の前に光は立つと、その両の目の力で真理の身体の自由を奪った。
真理は先ほどトラックで雪恵に睨まれた時と同じく、身体が硬直してしまい指
一本動かせない…。

「…ひ、光さん…!?」

 その間に雪恵はナイフを振り上げ、二人へと猛然と襲いかかる。
光は雪恵に向かって体当たりのようにぶつかり、地面に転がった。

「…ぎいぃぃっ!」
「雪恵さん…!目を覚まして!こんな奴は追い出すの!」
 
 ナイフを持つ手を掴みながら、光は雪恵に声をかける。
二人は地面の上をごろごろと転がりながら押し問答を繰り返すと…怪しく輝く
雪恵の両目が、徐々に輝きを失いつつあった。

「…ほら、今度は私に取り憑くのよ!彼女から離れなさい!」
「うぎいぃぃっ…!」

 断崖の近くで転がりながらナイフを振りかざしていた雪恵の手が急に下がる
と、その場にばたりと倒れ込んでしまった。

「…………。」

 今度は光がゆらりと立ちあがると、ゆっくりと真理の方を振り向いた。
その手には大きなナイフが握られている…。

「…そんな…。」

 振り向いた光の両目は、先ほどの雪恵と同じく怪しげに輝いていたのだ。
だが、光はナイフを落とし、小さな呻き声を上げながら頭を手で押さえてい
る。何か無理やり自分を抑え込んでいるような、そんな気配が光からは感じ
られた。

「…光さん!」

 

 と、光は急に見動きを止めると、よれよれになったジャケットをきちんと
自分で直し、クルリと真理の方を振り向いた。その光の表情はなんとも晴れ
やかで、穏やかだった。そして、光は少しだけ寂しそうに、にっこりと微笑
んだ。
 
「…だめ、光さん、そんな顔しないで…。」

 真理は知っている…笑ったり、おどけて見せるのはこの人の…別れの挨拶
なのである…。


 その微笑みと共に、光は暗い断崖に自ら身を投げた。

 

 

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 ロッジを出てトラックの脇を通り抜けた博士と秘書の二人は、スロープを
下って例の大きな崖に向かって歩いていた。

 一階のロビーには、たくさんの黒ずくめの連中が倒れていて、外の入口付近
には何故かラガーシャツの刑事が倒れていた。生きているのかは分からなかっ
たが、あの若い刑事がここにいるのを見て博士は殺し屋たちがここを嗅ぎつけ
た理由が分かった。情報を流していたのはこの刑事だったのだと。

 博士の肩を借りて歩く秘書は、血がたくさん流れたために貧血なのはしかた
がなかったが、なんとか歩く程度には回復してきていた。それでも信じられな
い事である…。

「…きっと光さんたちは、あの崖にいるはずよ…!」

 すると崖のある広い空き地の中を、背中に人をおんぶしながら歩いてやって
来る人影が見えた。真理である。

「…良かった!あの人たち無事だったのね。」
「おや…でも、真理さんがおんぶしているのは…。」

 真理が背中におんぶしていたのは光ではなかった。
雪恵という寮生で、真理は二人の傍へとやって来ると、ゆっくりと背中の雪恵
を地面に降ろして寝かせた。雪恵は静かに寝息を立てていて、見たところ怪我
らしい怪我は無かった。

「真理さん、光さんは…一体何があったんだい?」
「……先生は…雪恵さんに取り憑いていたものと一緒に、崖の下へ…落ちて
いったわ。」

 まるで無表情の真理は、がっくりと力が抜けたように言った。

「先生?先生って…まさか光さんの事なの?」
「…そう、間宮先生よ。」

「間宮薫と光さんが同一人物…?でもあなたは、光さんが間宮先生の生き別れ
の姉だって言ったじゃないのよ?」
「…あれは私の嘘よ。先生に生き別れの姉なんて最初からいないわ…。」

 秘書はその真理の言葉を聞いて、驚くと同時に別の疑問も湧きあがるのを
感じた。だが、それを打ち消すように、暗い空に強烈なライトが近ずいて来る
のが見えた。博士の連絡でやって来た、非常事態専門部隊の大型輸送機であろ
う。

「しかし、どうして…二人はそんな嘘をついたんだ…?」
「…間宮先生が…光さんがみんなの前で姉だと名乗ったからよ。あの人がそう
言うなら、そう言う理由があるんだって思ったの。ただそれだけよ…。」


 輸送機は広い空き地の真ん中へと着陸すると、扉が開いて中から数人の兵隊
が降りてきてロッジの方へと向かい走っていった。その後から隊長と思われる
男が降りて来ると、博士たちの方へと駆け足でやって来る。

「…大丈夫かね?連中はどうした?」
「…殺し屋たちならロッジでみんな、おねんねしていましたよ。」
「詳しい話を聞かせてもらえないか?」

 無言で博士は頷くと、隣の秘書の様子を見つめた。
彼女は自分の事より真理の方を心配そうな眼差しで見つめている…。

 光さんを失ったというのに今の真理さんは泣くでもなく、悲しむでもなく、
ただ感情の無い抜け殻のようだった。それがなおさら、二人の探偵には心配
に思えたのである。

「…私、大学へ戻ってもいいかしら?危険な連中はみんなかたずいたでしょ?
雪恵さんの事、頼んだわ…。」
「でも…真理さん一人で帰るなんて…心配だわ。」

 秘書が完全に力の抜けた真理の様子を見て、堪らずに言った。
だが、真理は秘書や博士の方を振り向くと、その両目に涙を一杯に溜めて言っ
た。

「…お願い!一人で帰りたいの…!」

 それ以上、二人には何も言えずに、黙って頷くしかなかった。
彼女の気持ちは痛いほど良く分かっていたし、今は何も語りたくないのだろ
う…。

 まるで抜け殻のような真理は、二人に頭を下げるとおぼつかない足取りで、
坂道を下に向かって歩きだす。数百メートル下に止めてあるワゴンに乗って
一人大学へ帰るというのだ…。

「あっ…真理さんちょっと待って…!」

 何かを思い出し、秘書は歩き出した真理を追いかける。
そして自分のポーチから何かの包みを取り出して真理に手渡して言った。

「帰る途中で食べて。きっとお腹すくはずだから…。」
「……ありがとう。あなたも早く医者に行って?」
 
 真理は秘書から貰った包みをパーカーのポケットにしまい込むと、ひどく
寂しそうに双子岳の坂道を下って歩いていく。


 その姿が視界から見えなくなるまで、二人の探偵は黙って見送っていたが、 
その間、真理は一度も後ろを振り向く事はしなかった。

 

 

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      (続く…)