ザ・怪奇ブログ

怪奇小説・絵画・怪奇の世界!

マテリアル2 17・18話

 

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          17  さらなる逃走…新潟へ

 三国街道をかっ飛ばす事一時間、真理の運転するワゴンは燕三条という街
へ入った。通り過ぎた長岡という街も割と大きな街だったが、新幹線駅と共に
後から栄え始めた燕三条の方が賑やかだと、一人新潟が地元の博士が長々
と説明する。

 ドライブインを出てからはこれまでの車内と違い、敵に自分たちの事がバレ
てしまった可能性があり、重苦しい雰囲気が漂うドライブだった。
しかしこれまでのところ、何ものかに襲われるとか、検問で止められるなどと
いう事も無く、静かにドライブを続けていられるのが逆に不気味であったのだ
が…。


 そして郊外の広いコンビニの駐車場にワゴンを入れた真理は、そこで車を
静かに止めた。辺りは車通りも少なく、人気も無い寂しげな場所である。

「…ごめんなさい。」
 真理は運転席でハンドルを握り、うなだれながら言った。
もちろん数時間前のドライブインで、一人かってにトラック乗組員たちに喧嘩
を売り全員を危険に追い込んでしまった事である…。

 車内の面々は、ひどく落ち込んでいる真理にどんな言葉をかけていいのか分
からずしばらく沈黙が続いたが、腕を組んでいた博士が突然何かを閃いたかの
ように話しだす。

「…いや、むしろ我々は真理さんに助けられたのかも知れない。」
「どういう事かね?」

 助手席の警部補がいつものコートを着ながら博士に言った。
ドライブインの一件から変装はもう無駄と知り、みないつもの服装へと戻って
いた。

「あの時、連中に我々がドライブインにいた事はバレてたんだと思うんです。
もし、あそこで真理さんが先手を打って強硬手段に出ていなければ、我々は後
ろからあのトラックに襲われていたはずだ。」

 博士の説明を聞いて、真理はうなだれていた顔を上げる。

「…ふむ、たしかに。しかも連中の武器を我々が取り上げた事で、迂闊に手を
出せなくなったのかもしれん。例え我々が負けるとしても、街の中で不用意に
ドンパチは出来ないからな…。」

 とはいえここへ来るまでの山道で、連中から取り上げた銃の数々は、ある
場所に袋ごと埋めてきていた。

「でも博士…どうして銃を埋めてきちゃったんですか?いざという時に、役に
立つかも知れないのに…。」
「そうかも知れん…でもね早紀君、我々は連中とは違うんだ。自分を守るのに
相手を痛めつけるというのは良くない事だよ。」

 博士の言葉になっとくした秘書の女性はにっこりと笑ってうなずく。
その秘書は、隣に座る博士の頭に青痣のような傷が出来ている事に気がつき
顔をしかめる。おそらく大学を出る時のトラックとの衝突の際にぶつけたもの
だろう。

「博士、大丈夫?」
「ん?ああ…でもちょっと痛みがあるんだ。早紀君、サビオないか?」

 秘書の女性は自分の持って来た小さなポシェットの中身を捜す。

「私、サビオなら持ってるわ。」

 同じく後部座席の光さんが言いながら、博士の頭のこぶ傷を覗き込む。
こぶ自体はそれほどでもないが、その周りがかなり青あざになってきていた。

「あら…けっこう痛そうですわね…。」

 さっそく光さんは小さな消毒液を取り出し、ティッシュにつけるとそれを
博士の頭の傷にぽんぽんと当てる。そしてサビオの紙をはがしてこぶの辺り
に張っつけた。

「こりゃ、どうも…。」
「待って、ちょっと青あざが痛々しいから…これで…」

 光さんは何故かポケットから小さな丸いコンパクトを出すと、ファンデー
ションを博士の傷の辺りにちょんちょんと塗りつけた。青あざが見事に隠れ
ると、最後に冷シップをペタンと張りつける。

「はい、これで完了。」
「こりゃ冷たくて気持ちいいや!ありがとう。」

 博士は光さんにお礼を言って頭のこぶを手で撫でた。

「それにしても、シップって何でこんなに気持ち良い感じがするんだろう?」
「温シップには温かさを感じさせるカプサイシンっていう唐辛子成分が入って
るの。逆に、冷シップの方は冷たさを感じさせるメントールってのが入ってて
炎症を抑える働きがあるのよ。傷になった所には冷シップが良いわね。」

 小さなコンパクトをポケットにしまいながら光さんは話すと、秘書の女性は
興味満々で光さんに尋ねる。

「メントールって…なんですか?」
「ミントから取れる天然の成分よ。かなり昔から薬として使われていたみたい
なの…」
 そう言って突然、光さんはバツが悪そうに言葉を止める。

「わぁ、光さん物知りなんですね。なんだか博士みたい。」
「…年の功よ、年の功。年取るとね…あちこち痛くなるの。いつもシップの
お世話になってれば嫌でも詳しくなるわよ?」

 光さんは隣の秘書に、にんまりと笑いながら言った。

 
 博士の治療の間、ハンドルにずっと手をかけ黙っていた真理が後ろを振り向
くと、急に険しい表情で話し出した。

「…ねえ、探偵さん。目的地ってここからあとどれくらい?」
「そうねぇ…ざっと60キロというところかな。そう遠くはないよ。一時間も飛ば
せば着くかも知れないな。それにここからは、私の庭みたいなものだ、いくら
でも抜け道や裏道を知っているからね。」
 
 それを聞いた真理は腕時計の時間を見る…。
現在の時刻は午後八時半を過ぎたところで、素早く辺りを見回すとコンビニの
後ろにホームセンターの明かりが見えた。

「…あのホームセンターって…何時までやってる?」
「ん?コメリだな。ここいらは九時まで開いてるよ。」

 それを聞くなり真理はいきなりワゴンを走り出させると、コンビニの裏に回
り、ホームセンターの駐車場へと移動させる。またも一番奥にワゴンを停め、
車を降りると博士に言った。

「…ここ車の塗料売ってるかな!?」

 博士は一瞬、真理の言葉を聞いてぼんやり口を開けて考えたが、彼女の意図
する事に気が付き急いでワゴンを降りると、二人一緒にホームセンターへと駆
けだしていった。




 暗い駐車場で博士と真理を待つ間、警部補は助手席で自分の拳銃の点検を
している。昼間、地下で連中に襲われた時に弾はほとんど撃ちつくしていて、残
りは三発しか残っていなかった。

「光さん、さっきはありがとう。」

 ワゴンの後部座席で、先ほどのコンパクトの鏡を使いお化粧をする光を横目
に見ながら、秘書の女性は博士の治療のお礼を言った。

「いいえ、それにしても真理さんにはあなたたちの様な良いお仲間がいて幸せ
ね。」
「そうですか?でも、博士はあんまり仲間って言葉は使わないんですよね…
博士そういうの好きじゃないのかな?」

「あら、そんな事は無いと思うわ。仲間っていうのは、例えば言葉なんか交わ
さなくても分かりあえるっていうか…分かろうと努力するじゃない?ことさら
言わずとも意識出来るものなのよ。」

「光さんと真理さんみたいに?二人見てると時々、アイコンタクトで何か会話
でもしているみたいに見えるもの…。」


 秘書の言葉に助手席の警部補がちらりと後部座席を見て、また拳銃の点検
に視線を戻す。

「そうかしら?なら、きっと真理さんの頭の回転が速いのね。」

「…あ、光さん、たぶんこの先は買い物出来ないかもしれないから、コンビニ
で食べる物買い込んでおきましょうよ。」
「そうですね。行きましょうか。」
「あまり店員と顔を合わせんようにな?」

 二人はワゴンに残った警部補に返事をしながらコンビニへと走る。
念のために光さんは真理の帽子を目深にかぶって行った。


 コンビニへと入るとさっそく秘書はかごを掴み奥へ歩いて行った。
光は店内をざっと見回し、店員が二人いるのを確認する。中年の店長らしき男
と、バイトらしき若い女性が一人。

「いらっしゃいませ…。」

 陰気な挨拶をした店長らしき男は、すれ違った光たちを見て一瞬、大きく目
を見開いて振り返った。

「…何か?」
「いえ…何も…!」

 声がうわずりながら、その店長らしき男は足早にトイレの方へと向かう。
「………。」

 光はバイトの女の子が自分を見ても特別おかしな反応をしない事を確かめる
と、買い物を続ける秘書の傍へと歩いていくと、小さな声で言葉をかける。

「…先にお会計しておいて。トイレ寄ってくわ…。」
「はいはい。」

 それだけ言うと光は踵を返し、先ほど店長らしき男が入って行ったトイレに
向かい足早に歩いて行く。もちろん、ヘーゼルグリーンの美しい目は笑っては
いなかった…。

 トイレは男性用と女性用の二つに別れていて、何故か電気が切れていて薄暗
かった。光はドアを開けて音も無く中へと入ると、男性用の半開きのドアの方
へと向かう。中には携帯の蓋を開け、店長の男がどこかに電話をかけようとし
ていた。

「…どこにかけるのかな?」
「ひっ…!?」

 

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 光はその男からすっと携帯を取り去ると、トイレの中にぼちゃんと沈めた。
「なっ…!?」

 中へ入ると素早くドアの鍵を閉め、驚く店長の男を壁際へと押し込むと光は
自分の両手を壁につけて逃げ道をふさぐ…。

「ね、どこに電話しようとしたの?」
「…あっ…いや、その…」

 光は小首を傾けながら店長らしき男に顔を近ずけていく…。
男は光の大きく美しいへーゼルグリーンの瞳に、吸い込まれるような感覚に
襲われる。

「…ねえ、どこに電話したかったの?」
「いや…もう、もういいんだ…しないよ…。」
「……信用できないわ…電話なんかされると、凄く…困るんだけど…。」

 唇と唇が触れそうなくらい顔を近ずけながら、光は深いため息を男の顔に
吹きつけて囁く…。

「あ…あんたみたいに、綺麗な人とは思わなかったもんだから…」
「…その割には…私を見た後で電話したのね…?」

 今や光の瞳は燃えるような輝きを放ち始めていて、店長の男はまるで蛇に睨
まれた蛙のように、何故か彼女の瞳から視線を放す事が出来なかった。

「あぁ…いや…すまない、どうかしてたんだ…そ、そうだ良い事を教えるよ…
うち系列のコンビニに、あんたたちの情報が流れてるんだ…立ち寄ったら電話
してこいって…ああ!ガソリンスタンドも通報されるって話で…。」
「……そう、良い事聞いたわ…ありがと…。」

 言いながら光は片手で首のリボン紐をほどくと、ボタンを上から二つほど
外し、胸元を少しだけ開けると自分の手をその中へとつっこみ四つ折りにした
万札の束を取り出して、店長らしき男の胸ポケットにねじ込んだ…。

「…10万ほどあるわ…お礼に取っといて…悪くないでしょ…?」
「も…もちろん…!金なんか貰わなくても教えないよ…。」

 胸元のボタンをはめ、光はえり首を正すと急に真面目な表情に変わり、口元
に人差し指を一本立てたまま、振り向かずにドアを開けトイレを出ていった。

 光が去ると同時に、トイレの中で店長の男はゆっくりと腰を抜かし、その場
にへたり込んだ。まるで金縛りが解けたみたいに…。




 光たちが駐車場のワゴンへと戻ると、車はすでに半分くらい紺色に変わって
いた。真理と博士が、買ってきた塗料を大きな刷毛で色を塗り替えている途中
だった。
「夜だからね、塗りは適当でもなんとか誤魔化せるはずだ。」
「それにほら…こんな大きなステッカーも張っつけてあるんだし!」

 真理の手が添えてある運転手側のドアに、大きなピンクの文字で書かれた
シールのステッカーが貼ってあり「夜露死苦」とあった…。

「この死神のステッカーも良いんじゃないかい?」
「…でも博士、これレンタカーじゃないですか!こんな事したら返せなー」

 秘書は言い出して口を噤んだ。
そもそもこの旅は、ワゴンを返す事すら出来ないかも知れないのである…。

「無事に戻れたら…皆でごめんねしてね!」

 真理は笑いながら、塗料で最後の後ろ部分に色をつけた。

 

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         18  最後の休息時間…


 車体の色を塗り替え、細心の注意を払いつつ真理の運転するワゴンは迷路の
ような燕三条の街を抜け、暗い山の麓の道を走る。この付近の街や道は、博士
には小さいときから慣れ親しんだ場所であり、助手席から運転手の真理に事細
かに指示を与え、裏道を抜け先を急いだ。


「…新潟市内を避けて目的地のスキー場まで行くルートはたくさんあるけど、
中でも今通って来た山道が、最も遠回りかつ交通量の少ない一番安全な道だ
と思うよ。」

 寂しげな山の峠を越えると、眼下に町の明かりを見ながら博士が言った。
燕三条から新潟市街地を通り過ぎるルートは大変危険を伴うと判断し、そこ
から山道を進むことにしたのである。もちろん国道には違いないのだが、山深
い峠道は家の明り一つ無い暗い道でありカーブも多かった。

 だが、運転する真理にはむしろこの峠道の方が走りやすいと感じていたよう
で、急なカーブもなんのそので国道290号線を快調に飛ばしてきた。

「前にこの町にも住んでいた事があるんだ。ここからまた安田、新発田と山道
を抜ける事になるけど、ここまで無事に来れればもう着いたも同然だよ。それ
こそ敵は我々がどこに向かうかは知らないんだ。着いて動きを止めれば、もう
捜す事は出来ない筈だ。」

 そう言いながら、山に囲まれた盆地にある、懐かしい五泉の町の明かりを見
ながら博士はにんまりとした。新潟は主に三つの地域に別れている。越後湯沢
などの山深い上越、長岡や三条などの中越、そして新潟市周辺の下越である。
主に新潟人的文化の中心はこの下越周辺にあると、博士は先ほど話していた。

「…中でも重要なのが言葉の文化で、主に新潟弁というのはこの下越周辺に住
む人々が使っているんだ。語尾に「さ」とか「け」がつく言葉なんだ。」
「博士、例えばどんな言葉があるんですか?」

 秘書が街明かりをきょろきょろと見回しながら隣に座る博士に聞いた。

「そうだねぇ…例えば「だから」っていうのを「だっけ」って言ったりさ、
「そうなんです」ってのを「そうなんさ」ていう感じだね。」

 そんな話をしていると、ワゴンは街の中心地へ向かう真っすぐな道へと入り
、両脇は田んぼに囲まれている所を走っていた。その先の明るい電気が付いた
建物を見つけた博士が、運転席の真理に言った。

「真理さん、あの明かりの場所で車を止めて下さい。この先、もう止まる事は
無いだろうから、最後の休憩にしよう。トイレ行こうにも、この時間じゃ他に
開いてるお店も無いだろうからね。」

 真理は無言で頷くと、近ずく明かりの場所へとハンドルを切り、ワゴンを
駐車場へと入れる。そこはどうやらボウリング場らしく、すでに22時を過ぎ
た時刻にも関わらず車が二・三台止まっていた。おそらくこの町で唯一の娯楽
施設なのであろう…。

 

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 ワゴンを降り、博士を先頭に真理たちは急ぎ足でボウリング場の入口へと
歩いて行くと、ガラス張りの入口からは中の明かりが外にもれていた。

「…それじゃ、10分ほどしたら、戻りましょう。」

 腕の時計を見ながら真理は皆に言うと、広いボウリング場のロビーを歩いて
化粧室へと向かう。その後を光さんも追いかけるように続く。

 博士と秘書の二人は周りを見回すと、他にお客がいない事に気がついた。
外にあった車は、おそらく従業員のものだろう。ほっとしながらロビー広場を
眺めると、入口周辺が娯楽物のUFOキャッチャーなどが並べられていて、
今日の恐ろしい一日が嘘のように和やかな雰囲気を醸し出していた。

「…何か暖かい物でも飲むかい?」

 ぼうずの博士は隣の秘書に言って、奥にある自動販売機へと向かった。

 

 

 女性用化粧室の中は都会の物とは違い、とても広く簡素ながら綺麗だった。
大きな鏡の前に立つ真理は、その自分の姿を見つめて奇妙な感覚を憶える…。
昨日までは髪もこんなに短く若々しい髪型ではなかったし、人前で白衣以外の
ラフな服装なんてしていなかったのだから…。

 しかも今日は、というかこの数日は次から次へと非日常の出来事が起きて、
休む間もなかったのである。おまけに今日は、命の危険を感じるほど恐ろしい
目に遭い今もこうして逃避行を続けながら、知らない街のトイレの鏡の前で
何故かぼんやりと他人事のように自分の姿を見つめていたのだった。

「その格好、とても似合ってるわ。」
「…そうかしら?もう27よ。」

 鏡に映る光が、真理の両肩に手を添えて言った。

 その光さんの派手な姿を見ながら自嘲気味に真理はうつむくと、自分よりも
さらに高い身長の光さんは膝を少しだけ折ると、顔を同じ位置まで持ってきて
鏡の中の真理に言った。

「そんな事ないわ、それよりずっと若々しく見えるじゃない。」

 自分の顔のすぐ横に、顔を近ずけ横目でじろじろと見つめる光さんは、あの
間宮先生と同じ種類の匂いがする。思えば、間宮先生は大学の二年近く傍で接
していた間、こんな風にくだけた雰囲気を出す事は無かった。陽気ではあった
が、どこかトゲのある近寄り難い雰囲気も持ち合わせていた気がする…。

 この光さんとはまだ二日ほどの付き合いだったが、あの間宮先生から得られ
なかった感情や雰囲気を、この人は自分に与えてくれる…真理にはそんな風に
思えたのである。あの頃、きっと間宮先生は母親への怒りから心がいっぱいで
、余裕が無かったのだと今は思う。

「見た目だけなら、光さんの方が若く見えるかも。」
「…お化粧が濃いだけよ。もうお肌の曲がり角なの。」

 そう言って笑う光さんだったが、真理には何故だかその笑顔が疲れている
ように見えた。いや、疲れているというか…笑い顔なのに今にも泣き出しそう
な、そんな不思議な表情に見えたのである…。

「……心配なの?」
「うん?いいえ、心配はしていないわ。あの探偵さんは、ここまで私たちを
無事に来させたもの…きっと良い隠れ場所も用意している筈よ?」
「…どうしてそう思えるの?」
「どうしてって…さあ、どうしてかな?」

 にんまりと笑う光さんの、まるでピエロのような表情につい真理も釣られて
吹き出してしまう。

「ねっ!さっき入口のクレーンゲームに可愛いぬいぐるみ見つけたの!取って
から行きましょうよ!ね?」

 

 光は真理の背中を押しながら、半ば無理やり化粧室を出て行った。

 

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 レーンの近くのイスに座り、携帯を手に警部補は部下と連絡を取っていた。
真理が目的地へ着くまでとはいえ、事件現場である聖パウロ芸術大学を離れる
というのは、警部補として本来は非常にまずい事である。

「…何か変わった事はないか?こちらは今のところ順調だ。じき目的地に到着
するはず。」
『…はい、特別大学には動きはありません。しかし…ちょっと奇妙な事が…』

 大学に待機しているラガーシャツの刑事が、電話の先から気になる事を警部
補に伝えてきた。昼間、大学と地下の秘密の通路を繋ぐ梯子の下に倒れていた
二人の警官は連行されたのだが、残りの一人が同じく大学内で発見されたので
ある…。

「三人の内の一人か?一体どこでだ?」
『…ええ、それが奇妙な事に、掃除用具のロッカーに縛られた状態で入れられ
ていました…。気を失っていましたが、誰にそうされたのか本人は覚えていな
いそうです…。』

 警部補は部下の言葉を聞くと一度携帯を耳から離し、渋い表情を浮かべた。

”…奇妙だな、その警官は残りの二人と同じく、おそらく我々を始末するため
に送り込まれた殺し屋だ。あの大学内に、そんなプロの殺し屋をどうにか出来
る者がいるとは思えん…。だが、そんな者がいたとなると……”

「…そうか、とりあえずその事は黙っていよう…報告はもうしばらく様子を
見てからにしてくれ。いいな?また連絡する…。」
『分かりました。警部補、くれぐれもお気をつけて。』

 警部補はなんとも重い気分で携帯を切ると、広いロビーを振り向いてため息
をついた。

 

 

 博士と秘書は自動販売機の傍にある長椅子に座って、クレーンゲームに熱中
する真理と光を見ながら暖かい物を飲んでいた。当初に真理が予定していた
10分はとっくに過ぎている。

「楽しそうですね、あの二人。」
「ああ…。」

 閉店間近のお客の誰もいない、こんな片田舎のボウリング場の片隅で二人の
女性が楽しげにクレーンゲームを遊んでいた。二人はけして若いとは言えない
年齢だったが、まるで他の者や事は気にした様子もなく、子供のように真剣に
一個のぬいぐるみを狙い何度も両替機とクレーンを行ったり来たりしている。

「…真理さんのあんな笑顔、彼女に会ってから初めて見るわ。」
「そうだね。あの二人には二人だけの世界があるような気がするよ。彼女ら
には、そんな時間があっても良いんじゃないかな?」

 何度やっても下まで落ちないタレ犬のぬいぐるみを、真理は百円玉をいくつ
も入れて挑戦する。その横で、ロビーのカウンターにいる店員の方をちらちら
見ている光さんは、隙を見計らい自分の下腹をクレーンゲームの台にぶつける
のだが、その振動でもぬいぐるみはまるで落ちる気配は無い…。

「博士…もしかして、わざとここに立ち寄ったの?」
「いんや?久しぶりだから、まだやってるか見てみたかっただけさ。それより
、またあのスキー場のロッジに戻るけど…君は大丈夫かい?」

 博士の言葉に一瞬だけ戸惑うような表情を見せた秘書だったが、真理の笑う
声を遠くで聞きながらにこりと笑いながら静かに語り出す。

「…あの二人、きっとあのロッジまで逃がしましょうね。あそこなら、きっと
二人を守れる筈よ。あの子が眠る場所ですもの…。」
「うん。さて、我々も何か取りに行こうかい?」

 博士は椅子から立ち上がると、防寒着のポケットに手を入れて入口へと歩き
出す。秘書はその後に続いて小走りで追いかけた。


 目的地である双子岳スキー場、今は使われていないロッジへの旅の…最後の
休息時間だった。

 

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    (続く…)