ザ・怪奇ブログ

怪奇小説・絵画・怪奇の世界!

マテリアル2 14話

 

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            14  脱出


 真っ暗な闇の中を激しい閃光と轟音が鳴り響き、悲鳴と怒声が交錯する地下
通路をライトの明かりだけで逃げまどう真理たちであったが、とうとう袋小路
へと追いつめられた。

 最後のT字路の先は行き止まりになっており、万事休すに見えた。

「…ここまでか!」

 警部補は拳銃の弾もほとんど撃ち尽くし、じわじわと通路に迫る何者かを見
ながら言った。相手からは我々を逃がそうなどという様子は微塵も感じられな
く、奥の通路には続々と人員が増えつつある。何かきっちりと訓練を積んでき
たような、統制がとれた連中であった。

「…ごめんなさい。私のせいでこんな…私が一人であいつらに捕まればみんな
の事は見逃してくれるんじゃ…」
「そんな甘い連中じゃないはずだ。たとえ君の事でも、連中は生かしてここを
出すつもりはないだろう。目的は君の細胞ー」

 と、博士が真理に言いかけた時、T字路の左側の行き止まりに何かが音を
たてて落ちてきた。それは、聖パウロ芸術大学内に待機していた三人の警官
のうちの二人だったが、博士がそちらをライトで照らすと壁に梯子のような
物がちらりと見える。

「…上への階段だ!みんなあの梯子へ急げ!」

 博士はそう叫ぶと、少し先の通路に待機する連中の中心に何かを投げ込む。
白い粉の煙のような物が狭い通路に広がり、待機していた連中が一斉にむせ込
んだ。

「博士、今のは!?」
「いいから君も急げ、早く!」

 皆が梯子まで来ると、女性の真理や秘書から上に向かって登ってゆく。
警部補は落ちて気を失っている二人の警官を見て奇妙な事実を見つけた。二人
の警官の手にはサイレンサーつきの銃が握られていたのだ。通常、警官が職務
中にこんな物を手にしている事はありえ無い。という事は…。

「…急げ。早くここを離れねばならんぞ!」

 警部補は二人の銃を取るとコートのポケットにしまい、博士の後に続いて
梯子を登り始めた。たとえ上に味方じゃない者がいたとしても、下から迫る
連中は我々を確実に亡き者にするだろう…戻るよりはイチかバチか上へ登る
方にかけた。

「…登れ!急ぐんだ、連中は追いかけて来るぞ!」

 

「…来た!」

 中央広間の奥の柱に立ち下の音に耳を傾けていた光に、警部補の怒声が聞こ
えてきた。その中に雑じって真理の叫び声も聞こえる。光は慌てて手にしてい
たフライパンを床に放り投げ、満面の笑みで中央広間を走り抜けると階段を駆
け上がっていった。


 梯子の上まで来ると真理は壁の下部分から光が漏れている事に気がついた。

「これ…手で開けられるわ!」

 言うなり真理は壁の隙間に手を入れて、上に勢いよく持ち上げる。
多少重い壁であったが、半分ぐらい上にせり上がった。そしてそこから外を
覗くと、見た事のある場所が目に飛び込んできた。

「…よし!中央広間ね。」

 転がるように柱の穴から外に出た真理は、次に上がってきた秘書の手を掴み
外へと引き上げる。外は激しい雨が降っているらしかったが、中央広間はいつ
もとは違い人も無く、辺りは静寂に包まれていた。

「ここって…あの金色の蛇の柱?」
「そうみたいね。やっぱり繋がってたみたい…あっ!私、光さん捜してくる!
ここ頼んだわ!」

 真理は秘書にそう告げると自分の部屋に向かい、階段を駆け上がって行く。
たしか部屋でひと眠りすると光さんは言っていた。

 最後の警部補が広間に出ると、博士はもういちど梯子の下を覗き込み、先ほ
ど投げた物を梯子の下へと投げ込んだ。狭い通路は煙のような物で真っ白くな
った。

「…一体何を投げたのかね?」
ハバネロっていう香辛料に小麦粉を混ぜた風船爆弾ですよ。ガスマスクでも
なけりゃ、しばらくは通れませんよ。」

 博士はそう言いながらポケットの中の袋をもう一つ梯子の下へ投げ込んだ。

「…警部補、一体何があったんです!?」

 慌てて食堂の方からやって来たラガーTシャツの刑事は、警部補の持つ銃を
見て言った。何せめったな事では銃を手にしない警部補が両手に一つずつ銃を
持ち柱の下を覗き込んでいるのだから。

「とにかく、人を集めてここを固めるんだ!この下に、かなりの数の襲撃者が
いる!それと記者や新聞社の連中にも声をかけろ。出来るだけ騒がせてここに
立ち寄らせなくさせるんだ!ここに配置された警官は連中の…どうやら我々を
殺すつもりのようだった。この銃で…!」
「わ、分かりました。すぐに…」

 ラガーシャツの刑事が携帯で連絡を始めると、警部補は真理が近くにいない
事に気がつき、隣の博士に呟くように言った。

「…彼女を逃がさないといかんな。どこか、誰も知らない場所に。」

 


 真理は二階に上がると誰もすれ違う事もない廊下を、急ぎ足で講師専用の部
屋がある棟へと向かう。

「おおっ!真理先生。来週の彫刻会…」
「後っ!」

 角をすれ違う時、彫刻美術準教授の蔵前氏が声をかけてきたが、真理は立ち
止まることも無く突風のように通り過ぎる。蔵前氏の少ない頭の髪の毛が風圧
によって真後ろになびいた。

「…光さん!?」

 自分の部屋へとやって来た真理は、中を見回すとべッドに横たわる光を見つ
けたが、布団もかけずにばったりとうつ伏せで眠っている。

「光さん、起きて!逃げるのよ、早く!」
「んんっ…まだ眠いわ。」

 たった今、命からがら地下から逃げ出して来たばかりなのに、この光さんと
きたら…いい歳をして下着が見えるようなミニスカートで眠りこけている…。

「んもう!起きなさいってば!」

 うつ伏せで眠る光のお尻を、真理はパチンと平手打ちした。
真理はそれでも横になっている光を無理やり引き起こすと、自分の背に光をお
んぶして立ち上がった。

 廊下に出ると、外の慌ただしさに部屋にいた数人の寮生や講師たちが、何事
かと出てきた。真理はそんな事には構いもせずに、光をおんぶしたまま廊下を
走る。揺れる背中で光はにやにやとしながら真理の顔を覗き込むと、耳元に囁
くように言った。

「…下で何か見つけたの?」
「ええ、そりゃもう世の中がひっくり返るようなもんがね!光さんにも見せた
かった。」
「遠慮するわ。私、地下とか暗い所って嫌いなの。」

 光はそう言うと、嬉しそうに真理の髪の中に鼻先を埋めまぶたを閉じる。
その瞳からは涙が一粒こぼれたが、急ぐ真理にはそんな事には気ずく余裕は
なかった。

 

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「真理先生!どうしたんですか?」

 階段の近くで光をおんぶして走る真理を見つけて、雪恵も慌ててこちらに向
かって走る。

「雪恵さん、あなたも一緒に下へ!」

 何が起きているのかよく分からない雪恵であったが、一緒に横を走りながら
真理の必死さと、おんぶされた光の楽しげな図が可笑しくて、ぷっと吹き出し
てしまった。


 中央広間まで来ると例の柱の場所に人が集まっていた。
警部補や探偵の二人、須永理事にラガーシャツの刑事、どうやら地下から上へ
上がって来てはいないようだったが、しかし、襲撃者たちがすぐ近いところに
いるのは間違いない。

「真理さん、どうやらここでは我々でも君を守りきる事は出来そうにない…。
連中をどうにかするまでどこかに姿を隠すのが良いだろう。もちろん我々も
安全な場所まで付き合わせてもらうが。」

 警部補が中央広間に戻って来た真理に言った。

「そうですね。私がここにいたら、いつあいつらがやって来るか…。今すぐ
自分の車で出ます。」
「あの…私もご一緒してもいいかしら?どうせ一週間ここにいるつもりでした
し…どこかに隠れるといっても真理さん一人では、寂しいでしょう?」

 光さんが手を上げながら言った。
警部補は何か渋い表情を浮かべて、小さな声で光に言った。

「…彼女と行動を共にするという事は、命の危険が伴う事になる。それでも
行くというなら…」
「私も今は天涯孤独の身ですわ。問題ありません。」

 にこにこと緊張感の無い笑顔で、光は言った。
真理は横目でちらりと光の方を見ると、彼女はウインクして見せる。

「身を隠すのに良い場所を知ってる。私とこの早紀君も行こう。なんと言って
も真理さんは我々の依頼人だからね。」

 博士がそう言うと、秘書の女性もにんまりとした笑顔を真理に向ける。

「…おかしな人たちが多いのね。でも、ありがとう。」

 そう言うと真理は須永理事長の所へと歩き、頭を下げて言った。

「理事長、少しの間大学を休みます。もしも私が戻らなかった時は…はす向か
いのコンビニにツケで買った弁当代、支払っておいて下さい。」
「…あ、支払うのね?私が…うん、気をつけてね?真理さん。」


 理不尽な要求にも、須永理事長は涙ぐみながら頷いて真理の手を握る。
大学生の時、真理はこの須永先生があまり好きではなかった。尊敬する間宮
先生と仲が良くなかったのもあるが、その性格の丸さというか柔らかさに、
どうしても馴染めなかったのだ。

 今あの時よりも歳を重ねて、少しだけ大人になった真理には、須永理事長
の人柄が尊敬できた。身寄りの無い真理には、母親みたいな存在でもあった。

「雪恵さん、理事長の話し相手になってちょうだい。お願い出来る?」
「もちろんです!真理先生の頼みですからね。」

 雪恵も涙ぐんで真理と握手をした。
そして隣に立つ光さんにも握手をしようと手を伸ばすが、光は片手に大きな
フライパンを持っていた。

「なんですか?それ。」
「あ…いや、なんかに役に立つかなぁと思って…!」

「では、そろそろ行こう。おい、ここは君にまかせたぞ。私は真理さんが安全
な場所に着いたらここに戻ってくる。それまで頼むぞ?」
「分かりました警部補。お気をつけて!」

 玄関に向かいながら、ラガーシャツの刑事は警部補に言って扉を開けた。
外はまだ激しい雨が地面に叩きつけられていて、数十メートル先も見えない
状況だった。

 真理は自分の車のキーを出すと、職員用の駐車場へと走りエンジンをかけ、
みなの待つ玄関に車で戻ってきた。この芸術大学に務め始める時に須永理事長
に借りた、というよりほとんど”貰った”五人乗りミニ・ワゴンである。

「…私が運転するわ。」

 真理はそう言って運転席へと座り、残り四人が乗り込むのを待ってから、
ゆっくりと車を出す。

 バックミラーに映る聖パウロ芸術大学の玄関には、須永理事長たちがこちら
を見つめていたが、真理にはその姿がどんどん遠い世界の人たちのような気が
してきて、急に恐ろしくなった。


 玄関の門を越え、ここから数キロほど一本道の砂利道を進もうとしたその時
、森の入口にある別れ道から巨大な運搬用のトラックが姿を見せ、凄い勢いで
真理たちのミニ・ワゴンの前に飛び出して急ブレーキをかけた。

 

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「危ない!」

 助手席の警部補が声を出した時には、真理はすでにハンドルを大きく切って
いた。ミニ・ワゴンは激しい雨の中、ぬかるんだ地面で一回転すると砂利道の
真ん中に止まった巨大なトラックにぶつかって凄い音を立てた。

「痛っ…!?」

 博士が天井に頭をぶつけ声を出したが、真理はお構いなしにワゴンのアクセ
ルを勢いよく踏むと、トラックを回り込むようにしながら急加速で車を走らせ
た。ぶつけたのは後ろ側で、走るのにはそれほど問題はなさそうだった。
運搬用のトラックの高い運転席には、地下で見た黒ずくめの人影が乗っている
のがすれ違う瞬間、警部補には見えた。おそらく後ろの幌の中にも連中が大勢
乗っているのであろう。一体何者だろうか?

「…それじゃ行きますよっ…と!」
「…………!!」

 一本道の砂利道を真理は百キロ以上のスピードでミニ・ワゴンを走らせる。
後ろから追いかけてくる運搬用トラックも、ぐんぐんと遠のいて行く…。
助手席に乗る警部補は、声も無く正面の一本道を見ながら全身を硬直させた。

「…出発からこの調子なら、楽しい旅になりそうだわ!」


 一人楽しげににやつきながら、光はミラーに映る真理の顔を見つめて言う。
それに応え、真理は自分の眉を上げおどけた表情で笑った。

 

     

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    (続く…)