ザ・怪奇ブログ

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マテリアル2 21話

        

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           21   悲しい瞳と託したもの… 

 

 五分と経たない内に目を覚ましてしまう真理は、深いため息を一つ吐き出す
とソファーから立ち上がった。手首の時計を見ると、まだ深夜の二時半を過ぎ
たばかりで、朝まではまだまだ時間がある。

 傍のソファーには光さんが眠っていて、ストーブのオレンジ色の明かりが彼
女の横顔を照らしていた。他の者もソファーに深く沈み込むようにして眠って
いる。薄暗いロッジの廃屋ではあったが、不思議と真理には居心地の悪さは感
じなかった。何故なら今この場所は、どこよりも安全と思えたからである。

 真理はパーカーのフードを取ると、ゲレンデであった場所が見えるロビーの
大きなガラス窓の傍へと歩いていく。月の淡い明かりがロビーの中へと差し込
んでいて、幻想的な雰囲気をその場に作り出していた。

「…ここはそれほど大きなスキー場じゃないけど、上から滑り降りてくる様子
がこのロビーの窓から一望出来るんだ。時々ここへ来ては降りてくるスキー客
スノーボーダーのフィ二ッシュを見ていたよ。」

 いつの間にか真理の横にぼうずの博士が立っていて、コートのポケットに両
手をつっこみながら話した。

「…スキーかスノボやってるんですか?」
「いや、ここの越後もち豚カレーが好きでね、冬のシーズンになると食べに来
てたんだよ。」

 相変わらず普通と違う返事を返してくる博士と呼ばれる男に、真理は驚いた
気配も見せずぼんやりと目前のゲレンデを見つめていた。博士も無言で美しい
月明かりを眺めている。

「私ね、あの事件の後…いいえ、ここに来る前までずっとあなたたちや警部補
さんを恨んでたわ…心の中で。」
「…まあ、君にとっちゃあ無理もない話だね。」

 首の古傷を撫でながら、静かに真理は博士に言った。
傷とはいうが、ほとんどその痕も近ずけば僅かに見えるという程度である。

「でも、あなたたちが事件について…間宮先生の事を話すとき、けして先生を
悪く言わなかった。私たちの事も守ってくれたしね。一緒に旅をして、段々あ
なたたちの事も解ってきたの。」

「…私が見た間宮先生の最後は、何故か解らないが彼女は私に何かを訴えかけ
ている気がしたんだ。ひどく彼女は悲しげな瞳をしていた…その時は解らなか
ったんだが、今ならよく解る気がするんだ。」

 博士は真理を見ながらそう話し、間宮薫が自分に託したものが…心残りだっ
たのがこの真理さんなのだと理解した。

「…あの、この事件って…いつまで続くのかな?私たち、ここにいつまでいれ
ばいいの?」

 真理は隣の博士に、ずっと気になっている事を聞いた。

 

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「たぶん…時間はかからないと思うよ。奴らはきっと動くに違いない。それま
でに連中の正体くらいは掴みー」

 そう言うと博士は、ロビーの隅にある物を見つめて急に黙り込んだ。
そこには何かのゴミとガスボンベのような物が集められていて、ごちゃごちゃ
と置かれている。

 博士は携帯を取り出すと、そのゴミ溜めを見つめながら数字を押し始めた。

「…どこにかけるの?」

 気になる真理は、博士が見つめる先にある物を捜そうと目をゴミ溜めの方へ
とやると、小さな数字でガスボンベに電話番号が書かれているのを見つけた。
「いったいどこの番号なの…?」

 二人が話している声で秘書や警部補が目を覚まして、何事かと頭を上げる。
携帯を耳に当てながら、ソファーの方へと歩いて戻っていく博士は起き上がっ
た秘書の隣に腰を降ろした。

『…はい。』
「ええと、ボンベの番号にかけてます。」
『…しばらくお待ちください。』

 その場にいる者たちは、不思議な表情を博士に向けながら、静かにその様子
を見つめていた。

『…代わりました、ご用件は?』
「あの、隊長さんはおられます?」
『…失礼ですが、どちら様でしょうか?』
「双子岳ロッジで一緒だった者、と伝えて下さい。」
『………少々お待ちください。』

 そう言うと電話の相手は一旦席を離れたようだ。

「何だ?一体どこにかけてるんだ?」

 警部補がソファーから立ち上がると、電話をかけている博士の傍へとやって
来る。博士は携帯を耳に当てたまま、プロレスの雑誌を片方の手でパラパラと
めくっている。

『…一体誰だね?』

 電話の先の相手が代わり、何か用心深そうに話しかけてきた声に、博士は
聞き覚えがあった。

「隊長さん、お久しぶりですね。あの時のぼうず頭の男です。」
『何だと…しかし、一体どうやってこの番号を知ったのかね?』
「実は今、双子岳ロッジにいるのですが…ぜひお願いしたい事がありまして
ね…聞いていただけますか?」
『…君の頼みとなれば聞かん事はないが…一体そんな所で何をやっているの
かね?』

「ある大学の地下を調査してもらいたいんですよ。調べればすぐに色々な事が
出てくる筈です。旧ブルクハルト芸術大学跡地の、聖パウロ芸術大学です。
出来れば今すぐにお願いしたいのですが…。」

『聖パウロ芸術大学…?そこに何があるというんだね?私に電話をかけてきた
という事は、何か危険な事なのか?』

「ええ、そうでなければ電話なんかしませんよ。」
『…今すぐかね?解った、また折り返し電話しよう。しかし…いや、先に調べ
てみよう。では一旦切るぞ?』
「ありがとうございます。」

 電話を切ると博士は全員が自分の方を見つめている事に気がついて、にやり
と笑って見せた。

「博士…隊長って、もしかして…」
「うん、あの時の隊長さんだよ。」

 隣で電話を聞いていた秘書の女性が博士に言った。

「隊長とは一体何者かね?」
「…陸軍です。非常事態専門の特殊部隊だと聞きましたが…ほんとのところは
よく判りません。」
「陸軍の特殊部隊だと?警察に三十年務めているが、そんなものが存在すると
は聞いたことがないな…。」

 警部補が言う通り、世間一般にそのような特殊の軍隊というか組織が存在す
るという話は存在しない。博士がこの場にいる者たちに伝えたこの秘密の部隊
は、特殊な環境下や、異常事態などの調査・あるいは先発隊としての機能があ
る、との説明であった。科学・生物に精通したメンバーで構成されたエリート
集団である。

「…彼らと出会ったのは偶然、この場所で未知の事件に遭遇したからなんだ。
どこから情報を知ったのか、ここにいた私たちの所に連絡を入れてきた。けど
、やって来た隊は壊滅…唯一生き残った隊長と呼ばれる男は、私たちと共にこ
の山を降りたんです。それ以来まったく関わりはありませんでした。」

 ぼうずの博士が隊長と呼ばれる男について説明した。
真理はその話に目を輝かせながら聞き入っていたが、ソファーの光は暗いロビ
ーの中を不安そうにきょろきょろと眺め始める…。

「ねえ、その…非常事態専門の部隊だっけ?私たちの味方なら結社の連中なん
て問題にならないんじゃないかしら?」
「…まあ、まがりなりにも軍隊だからな。そんな心強い知り合いがいたなら、
なぜもっと早く連絡しなかったのかね?」

 喜ぶ真理の言葉に答え、警部補が博士に向かって言った。

「事件の日以来、まったく関わりが無かったからね。ここに来て、そのタンク
の番号で思いついたんだよ。それに…まだ味方になるとも限らないね。」
「どうしてですか?知り合いなんでしょう?」

 博士は真理の疑問に眉をしかめながら腕を組み、しばらくうろうろとロビー
を徘徊しながら言った。

「…昨日ここへ来る途中の出来事を憶えているかい?警察の中にも奴らの仲間
がいたんだ…軍隊である彼らが必ずしもこちらの味方になるとは限らないって
事さ。彼らは給料を貰って働いてる人間だから…。」

 その博士の言葉に真理は昨日の逃走劇を思い返した。
地下に現れた襲撃者たち…あのトラックが高速ではなく国道へと向かった事、
市街地を抜ける場所での警察の検問、思えばそのいずれもうまく相手を避けた
から切り抜けてこれたのである。もしも自分たちが考えも無しに逃げていたな
ら、あっという間にどこかで捕まっていた事だろう…。それぞれが機転をきか
せたからこそ、ここに逃げて来れたのだ。敵は自分たちの想像以上にその手を
張り巡らせていたのかも知れないのだ。

 警部補は博士の説明になっとくしたように頷き、ソファーへ腰を降ろした。

「電話を待つしかあるまい。しかも、相手方が我々の敵の場合、こちらの隠れ
場所が知れた事にもなるな…いずれにしても正念場になるぞ。」


 希望が見えたと思った矢先、一転して真理たちは重苦しい雰囲気に包まれ
たのである…。



 

 

 電話を待つ間、すっかり目が覚めてしまった真理たちは眠るのをやめ、うろ
うろとロビーをうろついていた。深夜の三時、あの電話からもう一時間近く経
過している。

「…遅いな。情報を調べるだけでこれだけ時間がかかるとは思えん…連絡が無
いとなると…。」
「もう少し待ってみましょう。どの道、我々には他に手は無いんだからね。」

 怪訝そうな表情で話かけてきた警部補に、博士が言った。
折り返し電話をすると言った隊長と呼ばれる男を、博士は信用してはいたが、
心配な点もあった。

 

 

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 このブルクハルト大学を拠点とした一連の問題は、数年前の事件で終わり
を迎えなかった時点で我々が想像する以上の規模の出来事なのではないか?
あの大学の地下にあった巨大な施設は、焼け落ちた旧大学以前から存在して
いたのだ。

 例えるなら何か大きなものの中の、重要な部分を占める”実験場”のような
ものであり、真理さんや我々は偶然にもその事実を知り巻き込まれてしまった
のかも知れない。警察や街の一部の人々にまで我々の情報が流れている事は、
相手がそれ以上の存在である証拠だ。非常事態専門部隊とはいえ、軍隊という
組織に含まれる彼らが、はたして我々の味方になりえるのか…?

 また、聖パウロ大学の学内で姿をくらませている”ブルクハルト理事長と思
われる存在”は、一体今どこにいるのだろう?本当に人間が人の身体を行き来
するなんて事が可能なんだろうか?そのような奇怪な方法をしてまでもやろう
としている事とは一体何なのか?

 この一連の事件で、問題のキーマンとなっているのが間宮薫だ。
そもそもこの事件が露呈したのが彼女の存在で、母親への怒りから大学乗っ取
りを計画した彼女は、数日とはいえ大学に実在した結社の頭となっていた。

 彼女がどの程度連中に関する事を知りえていたのか…また、敵がどの程度
彼女について知りえているのか?それこそが今回の事件の鍵となるだろう…。

 間宮薫があの火災で亡くならず、今も生きていたなら、この事件は違った
ものになっていたのだろうか?

 

 …あるいは、我々は数年前の事件で彼女の”邪魔”をしてしまったのだろう
か…?

 


 と、隣の秘書からはどう見ても、ただ寝ているだけにしか見えない博士は、
様々な想いを巡らせていた。

 

 

 

「…ねえ、光さんがまたいないんだけど、誰か見た人いる?」
 二人の探偵や警部補のいるソファーへやって来た真理は、心配そうに彼らに
尋ねる。

「さあ…私たちは見てないな。トイレかなんかじゃないのかな?」
「光さん時々どこかに行っちゃうのね?」

 真理は探偵二人の言葉に何か不安なものを感じた。
ここに来てから、いや、あの暗い崖を覗いた時から光がおかしいのを真理は気
ずいていた。笑顔の中にも、何かに怯えるような…そんな表情をしていた。
それに、彼女は時々一人になる時間を”意図的に”作っていた。その間、彼女
は何をしているのか…?真理にはひどく気になっていたのである。

「よし、ちょっと捜しに行こう。どうせ暇なんだしね。」

 博士がそう言うと、ライト片手に秘書も喜んでその後をついて行く。
真理はその後を不安な表情で追いかけて、暗いロビーの二階へと向かう階段へ
と向かった。

 

 

 


 暗くほとんど光すら入らない双子岳ロッジの三階通路の奥、天井から垂れ下
がった大きなカーテンの隅にうずくまる人影があった。もちろん光である。

 カーテンの影の壁にもたれるようにして立っている光は、しばらくその瞳を
閉じてから震えるように深いため息を一つ吐き出す…。身長の高いスタイルの
良い光であったが、力なくこうべを垂れたその姿はひどく弱々しく見える。

 彼女はたった今まで手にしていた携帯電話の通話を切ると、開いた状態の
まま二つ折りに割り、地面の床の上に落とす。そしてハイヒールのかかと部分
で粉々になるまで何度も踏みつけ、その足で残骸を隅へと蹴とばし隠した。


 そして光は涼しい顔でえり首を正すと、顎を上げて暗い通路を自分がやって
来た方向へと悠々と歩き戻っていった。

 

 

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     (続く…)