ザ・怪奇ブログ

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夜の観覧者 10話

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          10  合わせ鏡に残された文字


 10月6日 木曜 深夜…

 菫が目を覚ました時、夏美はべッドの脇の椅子に座りながらうとうととして
いた。昨夜はかなり遅くまで飲んでいたので、ついつい眠くなるのもしかたが
ない。

 目だけを動かし、自分に一体何が起きたのか?を把握しようと考えを巡らす
が、夏美のヴァイオリンを聞いていた時に突然力が抜け、その後はよく覚えて
いなかった。

「…あっ、菫さん、起きたのね?」
「あの…私、一体どうしたんですか?」

 そう言うと菫はべッドから起きあがろうとしたが、夏美がそれを抑えて起き
るのを阻止する。

「駄目よ菫さん、疲労からくる軽い貧血なんですって。今日は大人しく横にな
っていなくちゃ。」

 それを聞いた菫はしかたなく起きるのをやめ、天井をぼんやりと見つめる。
こんな何も無い部屋を夏美に見られるのは、なんだか恥ずかしい思いにか
られた菫だが、そんな気分になるのも初めての事で、きっと夏美のような
素適な知り合いが出来なければ思えなかった感情である。

「何か欲しい物ある?」
「じゃあ…お水を、お願いします。」

 夏美は喜んで冷蔵庫へと向かい、中からぺットボトルの水を取り出す。
ほとんど物が入っていない菫の冷蔵庫の中には、他には小さなパックの牛乳が
一つと、半分に割ってある林檎が一つしかなかった。

 そのなんとも寂しげな冷蔵庫を閉めると、夏美は笑顔で菫のところへと戻っ
ていく。ボトルの水をコップに注ぐと、身体を半分起こした菫はお礼を言って
ゆっくりと口に含んだ。

「ねえ、菫さん。毎日ちゃんと食べてるの?」
「ええ…朝と昼は教会で出る物を…。」

 べッドの上で半身だけ起こした菫を見つめる夏美は、まだずいぶん顔色が
すぐれないなと思った。

「教会の食事だけじゃ栄養が足りないんじゃないの?それで夜は?」
「ええと…夜は…食べたり食べなかったり…。」

 と、夏美はまたも冷蔵庫へと戻り、半分に割ってあるリンゴを取りに行く。
そして棚の中から小さな果物ナイフを見つけてべッドへと戻ってきた。

「これからは毎日、夕食の時間に覗きに来ないといけないわ。今日はこの林檎
だけは食べてもらいますからね?」

 言いながら夏美はおぼつかない手で、林檎を剥いてゆく。
普段ほとんど台所に立つ事もない夏美には、林檎を剥くのも一苦労である…。
危なっかしいものを見るような表情で、菫は夏美の手元を見つめた。夏美も、
恥ずかしそうに菫の方をちらちらと見つめながら林檎の皮を剥く。

 菫の前に出された林檎は、形もいびつでずいぶん実も小さくなっている。

「…ごめん、私あんましナイフとか使った事ないから…。」
「ありがとう。うん、美味しい。」

 林檎をほおばりながら、菫はにっこりと夏美に微笑む。
自分よりも年上の菫であるが、まるで少女のような可愛らしい笑顔だった。
半分の林檎を菫は全部たいらげると、なんだか少しだけ先ほどより彼女の顔色
が良くなってきたような気がする。

「…どういたしまして。ああ、この薬飲んで眠ると良いって…ぐっすり眠れる
から。」

 そう言って夏美は水の入ったコップと一粒の薬を菫に手渡すと、彼女は急に
べそをかきだし涙をこぼした。

「どうしたの?どこか痛むの?」

 菫の顔を覗きこむように夏美が言うと、彼女は首を横に振りながらぼそぼそ
と話す。

「いいえ…そうじゃないの。こんな風に看病されたことって無かったから…。
神父様や修道女の人たちも良い人たちだけど…私、家族とか友達っていなかっ
たし、記憶も残っていないの…だから、今とても嬉しいのよ…。」

「…私も、感謝してるわ。だから早く治して…また、あんみつ食べようね!
ああ、そうだ、菫さんが眠ってる間に神父様が来られたわ。二・三日休んで、
良くなったら神父様のところへ来なさいってさ。大事な話があるそうよ?」

 夏美の言葉に、菫は涙を流しながら何度も頷き、薬を飲むと横になって目を
閉じた。もう一度タオルを水で濡らしてくると、夏美は目をつむり眠りにつく
菫のおでこにそっとのせる。


 そして菫が寝付くまで夏美は心の中で、不安に満ちた彼女の心が一日も早く
安らぐように祈った…。

 

 

 

 菫が眠るまでのあいだ博士たちは、部屋を出るとモラヴィア館の中を歩いて
回った。当然、二人の後を涼子はついていく。

 涼子はついさっき、電話で上司から捜査を外された事を告げられた。
おそらく、利根川警部と単独での捜査を行った事や、その結果、警部が重傷を
負ってしまった事など…考えてみれば当然の処置だろうとは思う。

 もちろん、彼女は捜査を途中で中断させる気などはなかったから、このモラ
ヴィア館へとやって来たのだ。

 そこで涼子は、あの奇妙な二人組みにばったりと出くわしたのだから…一体
彼らが何者なのか?今度こそ問いつめなければならない。

「…ちょっと、待ちなさい。あなたたち一体何者なのよ?ここに何しにー」

 薄暗い廊下を博士と呼ばれる男は、ズボンのポケットに両手をつっ込み歩い
てゆく。秘書と呼ばれた女性もその後に続いて歩いている。

 

 突然足を止めた博士に、真後ろを歩いていた秘書がぶつかったが、彼は何か
を思い出したような表情で追いかけてくる涼子に向かって言った。

 「…9世紀から10世紀にかけて栄えたスラブ人の王国があった。今のスロヴ
ァキアの辺りだね。東フランク王国東ローマ帝国などの強国の傍で存在した
モラヴィア王国だよ。」
モラヴィア…?それって、この建物と関係があるの?」

 博士と呼ばれる男は小さく頷くと、暗い廊下を見渡しながら話し出す。
明かりと呼べるものは、壁に掛けられたほんの小さなガスランプのみで、辺り
を橙色に染めていた。

「栄華を極めたモラヴィア王家も、度重なる他民族の襲撃や内紛で王国は滅亡
したが、一部の名家はハプスブルク家などにも吸収され、密かにその血筋を残
してきた。ヨーロッパ一帯に、そして世界のあちこちに渡って…この日本にも
ね。」
「…この建物を立てた人物も、そのモラヴィア人なの?」

 涼子が二人の傍へとやって来て言った。
廊下はいたるところに鏡が飾られており、全て合わせ鏡になっている。

「管理人の顔を見たかい?彼の顔には東ヨーロッパ人の特徴が強く出ている。
この建物を建設したという、彼のお婆さんがモラヴィア人だというのは間違い
ないだろうね。だが、問題なのはそんな事じゃない…」

 それだけ言うと博士と呼ばれる男は黙ってしまった。
まるで誰かに聞かれているかもしれないと、口を閉ざしたかのように…。

「…後は羽田さんが部屋に戻ってから話すよ。そろそろ戻ろう。」


 すると、これまで静かにしていた秘書が、廊下にあるひときわ大きな鏡を見
つめながら博士の裾を引っぱりながらつぶやいた。無論、この鏡も合わせ鏡に
なっている…。

「…博士、ここに何か書いてある…ほら、これ…」

 秘書の指さす鏡の下の壁に、何かの文字が彫り込まれていた。
いつごろ刻み込まれたのかも分からないが、何かで削りながら文字を彫り込ん
だようだった。


            『 spectator 』


「…スペクテータ…何だろう、観測…いや観覧者かな?」
「観覧…お客って事?一体何のお客なのかしら…」

 博士と涼子が壁に彫り込まれた文字を見つめていると、秘書が合わせ鏡に
写る自分の姿を見つめながら呟くように言った。

「…博士、合わせ鏡って、どうして不吉なものって言われてるんですか?」
「ん?ああ、たしか西洋の言い伝えでは、合わせ鏡に写る無限の回廊を通って
悪魔が現れるというのがある。そもそも昔なら、自分の姿がたくさん映るなん
ていう現象は不吉なものと考えられたんだ。」

 説明する博士の横で、秘書の早紀はひときわ大きな合わせ鏡の中を覗き込み
、無限と思われるような奥行きの像を見つめる。たしかに、無限に続くように
見えるその情景は、昔の人々には別世界への入口に思えても無理はなかった。

「まあ、そもそも鏡に写る像というのは光の反射で、それらは目に映る物全て
に共通した現象であるからしてー」

 三人が壁の合わせ鏡を見つめている時、菫の部屋のドアが開き夏美が廊下へ
顔を覗かせる。

「お待たせ…菫さん眠ったわ。何してるの?そんなとこで…」

 夏美が来た事でようやく本題に入れると思い、博士は腕時計の針を確かめ
る…時間は二十三時を少し回ったところである。

「…それじゃ、そろそろ本題に入るとしますか。」


 博士はもう一度時間を確認すると、これからの時間は少しも無駄には出来な
いぞ、と思った。

 

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 夏美の部屋にやってきた奇妙な二人組みと涼子は、蝋燭の明かりだけの広い
部屋の中央にある豪華なソファーに腰かけ、夏美が席につくのを待っていた。

「何か飲みますか?と、言っても昨日開けたワインとレモネードと水しか無い
んだけど…。」
「…じゃあ私はワインがいいわ。」

 その問いにまっ先に答えたのが涼子だったので、夏美は目を丸くして聞き返
した。なにせ相手は刑事なのである…。

「…大丈夫?刑事さんが職務中にアルコールとかって…。」
「いいのよ、どうせ今は捜査から外されて休職中の身なんだから。」
「我々はレモネードで…。」

 テーブルに戻ってきた夏美は、四つ置かれたコップにワインとレモネードを
なみなみと注いでいく。

 さっそく涼子はコップを手に取ると、ワインをいっきに口にしたが、ひと口
飲んだところで派手にむせてしまった…。

「…ちょっとちょっと、大丈夫?それで…今日は一体何のお話かしら?」

 最後に夏美がワインのコップを手にソファーに座ると、博士と呼ばれる男は
ポケットに手を入れ、何かを取り出しながら話を始めた。

「…そもそも我々がここへやって来たのが、この事件の記事です。」

 そう言うと博士は皆が見つめるテーブルの真ん中に、切り取った新聞記事を
勢いよく広げる…!


 そこには、裸の男女がべッドで抱き合っている写真がでかでかと掲載されて
あった…。

「あっ…博士!これ違…すけべ記事ですよ、これ…!」
「ああっ!?これじゃなかったか?こっちだ、この記事…!」

 慌てふためく二人とは対照的に、真近で予想もしていないものを見せられた
涼子は、口を両手で押さえながら目をまん丸にして驚いている…。
逆に夏美の方は、ワイン片手にげらげらと大笑いしながらすけべ記事をコート
のポケットにしまう博士に言った。

「それ見てすっ飛んで来たって訳ね?そりゃ無理もないわね!」
「…信じらんない…最低。

 

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 ひとしきり笑った後、今度は本物の記事を博士がテーブルの上に広げて、
説明を始めた…。


 その新聞記事は今から一週間以上前の記事だった。
この板橋区で起きた、奇妙な首なし死体が発見されたという事件である。

「これは…私と警部が追ってる連続殺人事件の一番最初の件ね。」

 涼子がその新聞記事を手に取り、真面目な顔つきで言った。
ひとたび仕事に取り組むとなると、先ほどまでのすけべ記事に顔を赤らめてい
た彼女ではない。

 

 


【無料フリーBGM】事件調査のクールな曲「Investigation3」

 


 この事件の被害者はある一流企業のエリート社員で、発見された時には首が
無かった事から当初殺人事件ではないかと思われた。だが、現場である廃工場
のすぐそばから男の首が見つかり、調べたところ屋根の上から飛び降りた時に
首をどこかにひっかけたものとする結論に至ったのである。

 と、いうのも、何者かが男の首を切断したのなら、必ず何かの道具を使用し
た痕が残るはずだと。だが、見つかった男の首は、無理やり引っぱりもがれた
ようになっていたからである。これは人の手で行うのは不可能であろうと思わ
れるし、何か熊か猛獣の類だとしても、それなら爪痕や体毛が必ず残るはず。

 この男の奇妙な死体は、驚くほど早く転落死あるいは事故の線で捜査は終了
したのである。しかも彼の家族、親族からの再調査依頼も無く、静かに事件は
かたずいた…。


「…実は我々探偵の二人は、ある人物の依頼を受け、とある男の身辺調査
を行ってました。その男の名前は川村一磨…羽田さんあなたの離婚調停を
受け持っていた弁護士です。」

 夏美はその男の名前を聞いて、ワインを飲む手を止めた。

「…彼の行動を追いかけているうち、ここ数週間彼は頻繁にこの街を訪れて
いる事を知りました。というよりは、このモラヴィア館に…というべきか。もち
ろん会っていたのは羽田さん、あなたの元旦那であるピアニスト、白川英雄さん
だ。そしてもう一人…首なし死体で発見されたエリート社員、吉岡泰三。」

「えっ?ちょっと…待って。それじゃ…私たちが追ってる連続殺人事件の被害
者と、飛び降り自殺をした夏美さんの元旦那さんは…顔見知りだったって事な
の?」
「…そういう事になるね。この街で三人が会っているところは我々が目撃して
いますから。」
 
 それを聞いた涼子はちょっとした興奮から、その場に立ち上がり誰にともな
く手を叩いて言った。

「…繋がったわ!この街で起きてるバラバラの事件が、一つだけど確実に繋が
った…やっぱり警部の言ってた事は間違いじゃなかったのよ!」
「一つどころか…最悪な事に、全ての事件が一つに繋がってるんだよ…。」

 博士の言葉に涼子は一瞬何の事だか分からない、という表情になってその場
に固まっていたが、彼女本来の冷静さを取り戻すとソファーに座り直し、博士
の次の言葉を待った。

「…これは私の依頼主が送ってくれた、ある会員制のアンティークショップの
名簿なんだ。彼女の人脈を通してやっと手に入れたという貴重な物だよ。」

 今度は二・三枚のコピー用紙に印刷された物を博士がテーブルの中央に置く
と、夏美が覗き込むように見ながら質問する。

「何を売ってるの?会員制のショップって事は、かなり高価な物よね?」
「普通じゃ手に入らないような高級な椅子や家具、蝋燭の燭台、不気味な絵画
に、黒ミサ用の祭壇…もしかすると山羊のお面に、悪魔の角もあるかも知れな
いな。」

 涼子がそのコピー用紙を手にして、名簿のリストを見ながら言った。

「…つまりその…オカルト関係のお店って事?」
「まさにオカルト信奉者たちのお店だよ。」

 博士の言葉に驚きつつも、涼子は次々と名簿のリストを読んでいく…。
そこには当然、弁護士の川村、ピアニストの白川、エリート社員の吉岡の名前
の他に、公衆トイレで首を吊って亡くなった、銀行員の名前もあった。

 そしてもう一人、数日前に繁華街で何者かに首を切られて殺害されたミュー
ジシャンの女性の名前も載っている…。

「…凄いわ。これがあれば連続殺人事件として立証出来るかも知れない!彼ら
は皆、この店に出入りしているという共通のものがあるんだから!」
「まあ…普通に考えれば出来るだろうね。しかし…もう少しよく名簿リストを見
てくれ…。」

 言われるままに涼子は残りの名簿リストを眺めていく…。
そして信じられないという表情でコピー用紙をテーブルに置いた。その名簿に
驚くべき人物が名を連ねていたからだ。

「嘘でしょ…下柳清五郎って…あの下柳グループの会長でしょ!?」
「そう…銀行、不動産業、石油、造船業、飲食関係の全国チェーン店までをも
手掛けるこの国の経済会のドンの一人だよ。おまけに彼は世界規模の慈善団体
も持っている慈善家でもあるね。」

「…私もお会いした事があるわ、いつだったかの慈善団体のコンサートで…。
元の旦那と一緒に夕食を食べた…とても教養と品のある人物で…。」


 その人物の名前を聞いて夏美もずいぶん前の出来事を思い出す。
背も高く見事な白髭をたくわえた、六十過ぎのまさに紳士といえるような男性
だった。

”…それがオカルト信奉者たちに交って一体何をしているというの?元旦那が
彼を私に紹介したのも、顔見知りだったから?旦那が毎晩会っていた知らない
連中って…このオカルトショップ関係者だったのかしら…。”


「世界的な資産家や経済主義者とオカルト崇拝が密接に結びついているとい
うのは、よくある話なんだ。富は欲に通じるし、財は権力や支配に結びつく…
実はこれほど相性の良いものはないってくらい結びつくんだよ。」

 そしてさらに、刑事である涼子は自分の目を疑うような名前を見つける。
それは涼子も良く知っている警察署上司の名前であった…。

「…そんなまさか…!私の上司の名前まである…これ、どういう事!?」
「つまりそういう事だよ。この奇怪な事件を、同一人物の連続殺人ではないと
結論ずけ、さらに利根川警部を襲い、君たちを完全に捜査から外す…。」

 なかば信じられないといった表情で、涼子はその場に立ちつくしていた。
それはそうだろう、もしこれらが本当なら危険な連続殺人鬼を自分たち自身
で作為的に隠匿しようとしているのだから…。

「でも…ちょっと待って…これだとおかしくない?自分たちの仲間を次々に
殺害しているのはどうしてなの?何故それを隠匿してまで隠そうとするの?
この連続殺人犯は一体誰で、何が目的なの?」


 涼子の問いに博士は隣の秘書と顔を見合わせると、何かひどく語り難そう
に中空を眺めながら言った。

「…たぶん、暗闇の魔女…彼らオカルト信奉者たちの神とも呼べる存在だ。」 


 蝋燭の薄暗い明かりの中で博士は言うと、部屋の中をきょろきょろと見回し
ながらレモネードをいっきに飲みほした。


(続く…)