ザ・怪奇ブログ

怪奇小説・絵画・怪奇の世界!

夜の観覧者 31話

 

      f:id:hiroro-de-55:20200417075357j:plain

 

          31  形を取り始めた怪異
 

 10月8日 運命の夜…

 秘書の呼び声で向かった夏美の部屋も、博士の部屋と同様に外への窓は開か
ず、押しても引いてもびくともしなかった。

 薄いガラス張りの小さな窓にも関わらず、力任せに拳で叩いても割れる事も
なく、とうとう博士は鉄製のドライバーを持ち出し小さなガラス窓を割ろうと
手にした鉄の器具を窓に叩きつける。

 だが、まるで昼間あのビルのフロアに張られていた防弾ガラスのように割れ
るどころかびくともしなかった。相変わらず窓の外は停電のため、暗闇に包ま
れていて、ガラスには自分たちの不安げな姿が映し出されている。


「これは一体どういう事だろう?」
「…玄関も見てくるわ。」

 涼子たちが慌ただしく部屋を出て行くと、ソファーで眠っていた菫が何事か
と身体を起こす。

「お母さん、どうしたの?」
「ああ、急に窓が開かなくなったのよ。私も見てくるから、菫さんはここで
休んでて。」

 駆け足で部屋を出ていく夏美のうしろ姿を見送りながら、菫は目をつむり
こめかみの辺りを抑えた。

 

 玄関ホールへと涼子らが降りてくるとそこには管理人の男がいて、見知らぬ
若い刑事二人を見て太い眉毛をひそめながら言った。

「あんたら誰だい?見たことない子がいるじゃないの。」 

 背は低いがプロレスラーのように体格のよい中年親父は、刑事の男を見て目
の色を変える。大男の刑事はオカマの管理人に少々面食らいながらも、警察
手帳を見せながら言った。

「管理人さんですか?少々窺いたい事があるのですが…この館の窓や扉は外か
ら鍵をかけたりする事は出来ますか?」
「まさか。鍵どころか普段から玄関だって開けっ放しなんですよ?一体何の事
をー」

 涼子が玄関へと近ずき、両手でドアを押し開こうとしたが、上の階の窓と同
じく、押しても引いてもびくともしなかった。

「何なの?私たち閉じ込められたって事?」

 涼子は玄関ドアのガラス窓から外を覗き込んで、何者かがいないか確かめて
いる。暗い街路地に動く人影はまるでない。

「…管理人さん、玄関以外で外へ出られるところは?」
「そうねぇ…ああ、ダクトが一つあるわ。確か一階から裏の駐車場に続いてる
筈よ。」

 管理人は玄関ロビーの奥まで涼子たちを案内すると、壁にある格子状の鉄板
を外して中を覗く。人一人が腰を屈めながら進めるくらいのダクトが真っすぐ
奥へと続いているのが見える。

「奥は、L字型になってて角を曲がれば外が見える筈よ。確か柵も何もないか
らそのまま外に出られるわ。」

 それを聞いた涼子は上着を脱ぐと、正方形型のダクトをしゃがみ込んで覗い
てみた。外から夜の風が吹き込んでくる。

「…と、けっこう狭いわね。」

 後ろを振り返って、涼子は大きな身体の男にはダクトは移動出来ないなと思
った。大きな身体の若い刑事は、その涼子の表情を見てにやけた顔を見せる。

「よし、私とこの秘書の二人で見てこよう。見てくるだけなら問題無いし。」
「…じゃあ、頼むわ。」

 秘書と博士の二人は狭いダクトを四つんばいで這うようにしながら進んで
行く。ロビーから見つめる涼子たちからは、二・三メートルほど彼ら二人が
進むと、あっという間に暗さのために見えなくなった。

 

 

 

         f:id:hiroro-de-55:20200417072339j:plain

 

 暗いダクトを四つん這いで進む先頭の秘書は、数メートル進んだところで
短い悲鳴を上げて足を止めた。

「痛っ…!」

 どうやらL字型の角までやって来ていて、秘書は頭をダクトの壁にぶつけた
ようだ。

「…あの、ところで何で私が先頭なんですか?」
「決まってるじゃないか、君の小さなお尻が可愛いからさ。」

 柵も何もないダクトの出口が見え、秘書はいっきに外に向かって匍匐前進
していく。大停電に見舞われているとはいえ、外の月明かりはダクトの中よ
りは明るいのである。

 が、何も無い筈の出口付近で秘書はまたも短い悲鳴を上げた。
今度はすぐ後ろを這っていた博士も前で足を止めた秘書にぶつかるように倒れ
込む。

「どうした?」
「…博士、壁があります!」

 四つん這いの秘書は、そう言ってダクトの出口に自分の手を出す。
確かに何か目に見えない壁のようなものが、秘書の手の平に圧を加えている。

「…博士、これ何でしょう?」

 博士はその問いに答えることなく、出口の外をきょろきょろと見回す。
その時、奇妙な赤い小さな光が秘書のおでこの辺りに当たっているのが見え
た。

「おや…この光は何だ?」
「えっ?何ですか?」

 その瞬間、音もなく目に見えない空気の壁のようなものに、何か拳銃の弾の
ような物が飛んできて、秘書に当る前に空中で止まったのである。それは二発
三発と飛んできて、同じように出口の空気の壁で静止するように浮かんでいた
のだ。

「おい、これ…ライフルの弾だぞ!」

 博士がそう言った時、出口の先の駐車場に数人の黒ずくめの男たちが姿を
現した。そして驚く二人に向かって次々と手にしたライフルを炸裂させる。

 だが、いずれもライフルの弾丸は出口付近の空気の壁に阻まれ、一つも貫通
してはこなかった。驚きの表情でライフルを構えた男たちがダクトの入口へと
やって来て、何やら様子を窺っている。謎の壁を隔てて、外の連中と博士たち
の距離は僅か数十センチほどしかない。

「…何かよく分からないけど、私たち安全って事ね?」
「ま、まあ…安全って言うか…たぶんこの人たち敵なんだろうけど…」

 そう言うなり秘書は狭いダクトの中で、博士の頭に自分の両手を回して倒れ
込む。博士は真近にやって来た防具マスクを着けた男たちに、片手を上げて挨
拶した。

「…とりあえず安全のようだし、皆のところに戻ろう。」


 博士にしがみついたまま出てきたので、真上には二人を待っていた皆の視線
が秘書に突き刺さった。

「あっ……大変よ!外は銃を持った連中がうようよ…!ねっ?博士!」
「ん?あ、ああ…まあね。」

 と、秘書は素早く立ち上がると、スカートの埃をはらう。
そしてツンとすまし顔で、髪をパッと真後ろにはらってみせた。

 

 涼子や夏美らは唖然としながらも、彼らの持ち帰った状況の説明を聞き窓の
外を見やる。先ほどは気がつかなかったが、よく見ると向かいのビルの屋上に
もちらほらと黒い人影が見え、博士らの言うことが事実であると知らされた。

「…あれは、スナイパーよ。やっぱりあのビルから簡単には逃がしてはくれな
いようね。」

 光はそう言うと、窓に張りつくようにして外の闇を覗き込む。
すると片目に赤いライトのようなものが当り、目をぱちくりさせた瞬間、向か
いのビルから小さな閃光が見えた。

「…!!」

 驚く光の目の前に、飛んできた銃弾が音もなく窓ガラスの手前で静止した
のである。どう考えてもこの程度のガラスを貫通出来ない銃弾である筈はな
い。弾はこのモラヴィア館に当る前に、”何か”によって止められていた。

「…何よこれ、もしかして…これ”結界”じゃないかしら?」
「結界…?」

 腕組みをしながら博士は光の言葉に何かを思いつき、開かずの窓の外を見
つめながら言った。

「結界か…もしかすると、閉じ込められたというよりも、追っ手から守って
いるのかも知れないな。何者かが、我々をね。」
「博士、それって…暗闇の魔女?」

 その問いに博士は答えなかったが、恐らく何らかの関わりがあるのは確かで
あろう。秘書は大きな窓際に立ち、向かいのビルに潜むスナイパーを挑発する
ようにアヒル・ダンスを繰り返している…。
 

 

      f:id:hiroro-de-55:20200417071854g:plain


「でも、今晩このモラヴィア館で何かが起きるんでしょ?なら、ここから出ら
れないって事は…私たちも危険だって事には変わりないわ。」
「ええ、おまけにこの館は衛星のレーザー砲に狙われたままです。いつそれが
炸裂するかは神のみぞ知る、ですね。」

 涼子に答えて大男の刑事が涼しい顔で言った。
下柳会長亡きあと、証拠隠滅のためにはレーザー砲でこの館ごと焼き払うのが
最も有効な手段であるはず。現在原因不明の機能停止中ではあるが、いつそれ
が炸裂するとも限らないのである…。
 
 六芒星の結界が完成した瞬間から、謎の大停電に見舞われているこの街で、
今晩何が起きるのか?まるで予測のつかない状況下、このモラヴィア館では
いよいよ怪異が形を見せ始めていた。

 

 一人夏美の部屋に残った菫は、下柳会長のビルから戻りずっと続くこめかみ
の痛みに耐えながら、ふらふらと鏡の前までやってきた。顔色はひどく悪く、
表情も冴えないが、それ以上に気になったのはこの大きな鏡の存在だ。

 このモラヴィア館に存在する鏡は、ほとんど全てがマジックミラーであると
聞いた。きっとこれも同じくマジックミラーになっているのだろうが、問題は
そんなことではなかった。

 菫には何故かこの”鏡”という物が、心のどこかにひっかかるのである。
どうしてそう思うのか知らないが、菫はこの鏡をひどく毛嫌いしていた。

 このモラヴィア館に住みついたのも、教会から目と鼻の先だという事と、
驚くほど家賃が安かったという事だが、これだけ毛嫌いする鏡がたくさん存在
するモラヴィア館を選んだのは何故だろう?


 そもそも何故自分は鏡を毛嫌いしているのか?
これまで深く考えた事はなかったのだが、どうやら過去の記憶にその秘密が
あるのではないかと、菫は思った。

 だが、それを思い出そうとしても、どうしても思い出す事が出来ず、頭痛の
ためにこめかみを押さえ菫は壁際に手をつく。


 その時、鏡の中をちらりと何かが横切った。
菫は動きを止め、鏡の中を凝視する…鏡は合わせ鏡になっていて、彼女の姿は
ほぼ無限と思われるほど奥へと続いている。

 その遥か奥に、何かが蠢いていた。それは徐々に近ずきこちらへと向かって
接近して来る。菫は反射的に後ろを振り返ったが、部屋の中には何もおかしな
ものはいなかった。

 もう一度鏡の中を覗くと、間違いなくそれは大きくなり、こちらに向かって
やって来る。それを見た菫は、頭の中の何かがぱちんと弾けた気がした。


 その瞬間から、彼女の中で全てが変わった。

 

 

 突如としてモラヴィア館全体に奇妙な現象が起きていた。
館のあちこちに配置されている合わせ鏡に異変が起きていたのである。

 全ての鏡が淡い光を発し始め、そして奇妙な脈動を始めたのだ。
だが、異変はそれだけではなかった。合わせ鏡の全てに不気味な物が映し出さ
れていたからである。

「これ何かしら?何かの生き物?」
「…こんな生き物、今まで見た事ないわよ?」

 夏美の言葉に涼子が答え、鏡の中一杯に不気味に動く奇妙なものを見つめて
いた。それを何と表現したらよいだろう?

 あちこちの壁にかかる鏡が、まるで水族館の水槽に変わったと表現すれば
いいだろうか?その鏡の水槽一杯に、不気味な物が所狭しと蠢き回っているの
である。生き物と言えるかも疑わしい、この地球上で見た事も聞いた事もない
奇妙な代物だった。

 そもそも鏡の中など、この世には存在しないのである…。

「博士!もしかして…合わせ鏡の悪魔って、これのこと?」
「……うーん、しかし、悪魔っていうのとは違うような気もするが…。」

 不気味な鏡を見つめながら、博士は腕を組み頭をひねり腕の時計をちらりと
見つめる。時刻は十九時を少し回ったところだった。

「これ…見た事あるわ。あのスケベ爺さんの絵よ!色は違うけど…形的には
ほとんど一緒だわ…。」

 鏡の中を覗き込みながら、光は今朝の一幕を思い出す。
五階の物置きにあったお爺さんが書いたという不気味な絵…あの奇妙で不気味
な、イカの塩辛のような絵…。

「絵って…あのお爺さん絵なんて書いてたの?何処にあるの?その絵…」
「五階の物置き。今朝、私が殺し屋の男に襲われかけた場所よ。」

 光の指さす五階への階段へ、皆でぞろぞろと向かう。
管理人の男も何が起きているのか見当もつかない様子だったが、彼らの後を追
いかけてゆく。

 

 五階に合わせ鏡はいくつも存在してはいなかったが、それでもいくつかある
鏡には下にあったものと同じく、奇妙な発光と共に不気味な物が映っていた。

「…この階はほとんど物置きね。穴もあるから気をつけた方がいいわ。」

 光以外に五階へとやって来た者はなく、その荒れ果てた状態に驚きを隠せず
にいたが、暗い部屋をいくつか通り過ぎると朝方、光が襲われた場所へと到着
する。

 だがそこは、光が朝やって来た時とは少し違っていた。

「あら?あの大きなプリズムがないわ…。」
「プリズム?一体何の事だい?」

 博士が光に尋ねるが、彼女は答える前に暗い物置きの奥へと歩いて行く。
朝方見た大きな多面体のプリズムは、誰かが運び出したのか無くなっていた。

「…今朝はここにあったのよ。三・四メートルほどある大きな多面体のプリズ
ムよ。あれはかなり高価な物ね。」

 高価な物とはいえ、光はあの多面体のプリズムがめまいと吐き気を自分に
与えたことを思い出し、何かあの物体が不思議な力を秘めているのではない
か?と、考えていた。

 そうであるなら、あの多面体のプリズムが今ここにないというのは、どうに
も光には気持ちが悪かった。


「プリズム…そんな物がどうしてこんなところに…おや?床に引きずったよう
な痕があるぞ。」

 大きな荷物を引きずったような痕は、大広間から奥の部屋へと続いている。
よく見ると小さなタイヤ痕も見えていて、どうやら巨大なプリズムをタイヤ
のついた物で移動させたようだ。

「…あんな大きな荷物をどこに運んだっていうのかしら…?」 


 タイヤ痕を追跡するように博士らは小部屋の奥までやって来た。
ここは204号室の老人が自分のアトリエにしていた物置部屋である。

 そこにはたくさんの奇怪な絵が置かれていたが、中でも大きなキャンバスに
書かれた絵が、光の言うものであった。だが、その絵は何故か床に落ちており
、何かの上に乱暴にのせられていた。

「これよ。この大きなキャンバスに…」

 何かの上に乗せられている大きなキャンバスを手に掴み、それを光ははぐる
ように持ち上げた。

「きゃっ…!?」


 大きなキャンバスの下には、204号室の老人が倒れていた。
薄暗い床の上には大きな黒い染みが広がっていて、朝は元気だった老人は両目
を大きく見開いたまま見動きもせずうつ伏せで倒れていたのである…。

「…私たちが下柳会長のビルに出掛ける瞬間までは元気だったわ。その後で、
誰かに襲われたのかしら?」

 涼子と大男の刑事がすぐに老人の遺体を調べるために傍に駆け寄ってきた。
胸の辺りに大きなナイフによる傷がつけられてあった…。こんな大きな傷跡を
つけられるナイフを持っているのは、例の黒ずくめの殺し屋くらいのものだ。

「きっとこのお爺さんも、あの殺し屋にやられたのね…。」
「…ちょっと待って。」

 涼子の傍に光が近ずいて来ると、遺体の傍に片膝をつき、老人の首の辺りに
自分の手を当てる。

「…変ね、まだ暖かいわ。」
「ちょっと!暖かいって…それどういう意味よ。」

 涼子の質問に、光はにわかに表情を曇らせ立ち上がった。
そして暗い辺りを見回し始める。

「どういうって…そのまんまよ。まだほのかに暖かいの…つまり亡くなってか
らまだいくらも時間は経っていないってことよ。」

「けど…あの殺し屋たちは全員がビルで死んだ筈でしょ?ここでこの老人を殺
す事なんて出来ない筈よ。」

 確かに、あの恐ろしい殺し屋たちは皆、数時間前に下柳会長と共に全員死ん
だ筈。ここへ戻り、老人をナイフで殺害する事など出来る筈は無い。

「…あの殺し屋たちなら、出来ないわね。でも、別の奴だったら…」


 光の言う「別の犯人」という言葉がどういう意味を持つのか?
涼子らにはすぐに理解出来た。この老人を殺害したのが別の奴で、まだいくら
も時間が経っていないとしたなら、犯人はまだこの辺りに潜伏している事に
なるからだ…。

 そしてそれはもう一つの恐ろしい予測も含まれる、という事にもなる。

「つまり、別の奴…それは我々も含めたモラヴィア館の住人全員にも可能性が
ある、と言う事です。」

 大男の刑事が皆を見回しながら言った。
暗い物置きにいる全ての者たちは、しばらくの間誰も口を聞けなかった。

「…光さん、この老人が亡くなったのがどれくらい前か、分かりますか?」
「たぶん…亡くなってから三十分くらいだと思う…。」

 自分で言うなり、光は無言で目を大きく開け何事かを考え始める。

「三十分…つまり我々が一時間の休憩を取っていた間…という事になります
ね。皆がバラバラだった、あの時間内です。」
「そうね…全員のアリバイは聞いておいた方がよさそうね?私も含めて…」

 涼子はそう言うと、大男の刑事の方をちらりと見つめる。
皆どこかしら急によそよそしい態度を取り始め、何故か緊張の面持ちをしてい
た。
 

「まず…夏美さんは?三十分くらい前の事だけど…」
「私…私は、菫さんと一緒に自分の部屋で軽い夕食の準備をしてたわ。」

「…僕は涼子さんと一緒にロビーで写真の話をしてました。携帯の機能や、
写メの映し方などを…いくつか写真も撮ったり。」
「ええ、そうね。そうよ。」

 涼子と大男の刑事は自分たちのアリバイを言うと、いくぶん緊張が解けた
表情になった。

「で、あなたたちは?約三十分ほど前、一体何をしてたのかしら?」

 残る博士と秘書、そして何やら緊張の面持ちで、きょろきょろと辺りを見回
している光へと涼子が言った。

 間髪いれずに答えたのは秘書の早紀であった。

「…あー、私ら三人部屋の寝室に鍵をかけて、べッドの上にいました。博士が
言うには両手をクロスしてべッドに縛り付けた方が興奮するかも、って言うん
でそうしたらすっごい萌えちゃった!特に光さんが興奮しちゃって一時間の間
ずっと、十代の少女みたいな可愛いらしい声で鳴くもんだから私まですっかり
釣られて発情中の猫みたいな声出しながらはぁはぁ言ってました。あっ、これ
博士の指圧マッサージの話ね?光さーん、あと何かあったっけ?」

「……ない!」

 顔はもちろんのこと、耳まで真っ赤に染めながら光は一言だけ発っした。
どうやらこの場にいる者は皆ある程度アリバイがあるようである。

「………何だ、この中に疑わしげな人物はいないわけだ。でも、モラヴィア
の全員にも話を聞かなくっちゃね。一度部屋に戻りましょう?」

 涼子が少しだけ不満げに言うと下への階段へと戻り始める。
夏美も部屋に、菫さんを置いてきた事を思い出し急いで下への階段を降りて
ゆく。

 

       

      f:id:hiroro-de-55:20201007061305j:plain

 

 何か夏美の中でどんどん不安な気分が増しつつあった。
そしてそれは見事に的中する事になる。

「…菫さん!具合はどう?」

 自分の部屋に入ると夏美は真っ先に菫が横になっていたソファーへと視線を
やる。彼女は起きていて、ソファーにこうべを垂れうなだれるような姿勢で座
っていた。

「どうしたの?どこか痛む?」

 部屋の合わせ鏡も、館のどの鏡とも同じく淡く光っていて、不気味な物が
蠢き鏡の中を行ったり来たりを繰り返している…。菫もあの不気味にも鏡に
映る物体を見た筈だ。

 どうやら夏美の言葉に答えない菫は、身体を小刻みに震わせ泣いていたよう
だった。泣きながら顔を上げて夏美の顔を見つめながら、菫は夏美が一番恐れ
ていた事を口にした。


「…お母さん、私…記憶が…記憶が全部戻ったの…!」

 その言葉に驚きを隠せない夏美だったが、それよりももっと驚いたのは別の
ことだった。


 それは、自分を見る菫の目つきが、少女時代やさぐれていた時の夏美が自分
の母親を見つめる時の目つきと瓜二つだったからである…。


(続く…)