ザ・怪奇ブログ

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夜の観覧者 23話

 

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            23   朝の一幕   


 10月8日 正午までの時間…


 日が昇った午前七時過ぎ、博士と秘書の二人は喫茶店ラ・テーヌへと向か
ったが、入口の看板は「準備中」となっていた。

 中の様子を窓ガラスから覗き込むと、カウンターの椅子に座る千枝子の姿が
見える。たしか年齢は十九くらいだったか…驚くほどの分厚い眼鏡をかけ、髪
は三つ編みにしている事から彼女はずいぶん幼く見えた。いわゆる女子高生
のような雰囲気である。

「おっ、彼女いるじゃないか、早紀君入ろう。」

 ドアを開けて店内へと入ると、カウンターに座ったままの千枝子は表情を変
えずに言った。

「…マスターがいないんで、何も出せませんよ?」

 そう言って千枝子は分厚い眼鏡をかけ直すと、窓の外をぼんやりと眺める。
そう、この喫茶ラ・テーヌのマスターは、夏美の元旦那が飛び降りを謀った日
の夕方から姿を消しているのだ。行方も音信も途絶えたままである…。

「ああ、そうだったな…うーん、残念だなぁ、朝飯にしようと思ったが…」
「…博士、もう行きましょう、何だかこの店、陰気臭い感じだし…」

 秘書が囁くような小さな声で言うと、店の中を見回す。
あちこちに古めかしげな剣や鉄製の盾などが所狭しと飾られてあり、普段あま
り客も来ないのか、隅には雲の巣も出来ている…。

「うーん、それじゃあ、コーヒーかなにか出せないかな?」
「……インスタントで良ければ…ちょっと待ってて下さい。」

 なおも粘る博士に、千枝子は一つため息をつくとコーヒーメーカーの準備を
始めた。博士は嬉しそうに近くのテーブルにつくと秘書にも椅子に座るように
手まねきする。

 テーブルについた博士は和やかな表情とは裏腹に、喫茶店内の異様な装飾
に奇妙なものを感じた。店に所狭しと飾られた剣やアンティークが、えらく年代
が経っている物のような気がしたからだ。

 そう…古代ケルトの民が残した出土品が発見されたという、ラ・テーヌ遺跡
と同じ名がつけられた喫茶店…。


「ちょっと聞くが、この店の趣味は…マスターのものかい?」
「…いえ、私やマスターは雇われなんですけど、私がここに勤め始めた時に
はこんな感じでしたよ?」

「という事は、この店にはオーナーがいるって事かな?君は知ってるかい?」
「いいえ、マスターはたぶん知ってると思うんですけど…数日前から戻って来
てません。これだから雇われ店長ってやつは…」

 博士はカウンターの奥から声を出す千枝子の言葉に無言で頷いた。


「…博士、こんな時にコーヒーなんて飲んでる場合じゃ…」
「ふむ、こんな時だからこそ、まず腹ごしらえをするっていうのが必要なんじ
ゃないのかね?慌てたところで、どうにかなるもんでもなし。」

 相変わらずの楽天的な考え方をしている博士を、秘書はいつものように少々
不安げに見つめた。B型の最たる気質「まあ、いいか」であるが、ともすると
いい加減と思われてしまうこの楽天さを、A型の秘書にはいまだ理解する事は
難しかったが、羨ましくもあった。

 必ずしも、一緒にいる者が同じ気質でなければいけないという訳でもないと
秘書は思っている。


「どうぞ。」

 しばらくして博士たちのテーブルへとやって来た千枝子の手には、注文
のコーヒーと共に焼いたトーストが付いていた。パンの香ばしい匂いと共に
、メイプルシロップの甘く良い香がする。

「おや?トーストがついてる。良いのかい?」
「ええ、サービスです。材料があったから…オーブンで焼いただけですけど
ね。」

 そう言ってカウンターに戻る千枝子は、少々照れくさそうに椅子に座った。
博士と秘書の二人は、思いもかけずにリッチな気分で朝食にありつけたの
である。

「博士、このコーヒー美味しい!」
「ああ、確かに…彼女はコーヒー入れの才能があるようだな。」

 などと博士ら二人は、コーヒーを入れた千枝子をべた褒めしていたが、当
の彼女は窓の外を見つめて頬杖をつきながら、ぼんやりとしていた。

 それを見て博士はコーヒーを手に、千枝子の座るカウンターへと向かい、
その隣に座った。彼女は無言で、隣にやって来た博士を珍しいものでも見る
ようにまじまじと見つめる。

 その博士はカウンターの外れにある小さな花瓶を見つけ、しばらく眺めて
いた。

「…セイヨウウスユキソウか、珍しい花があるね。君が?」
「ええ、好きなんですよ。」

 博士の意外な言葉に、少しだけ千恵子は驚いたように答える。
一瞬だけにこりと笑った千恵子だが、またすぐにぼんやりとした顔で窓の外を
眺める。

「…何か悩み事かい?」
「悩み……うーん……悩みねぇ…どうだろ…?」

 今度は秘書もカウンターへとやって来て、二人の会話へと入ってきた。

「分かった、恋でしょ!?恋。ねっ?」

「恋…恋ねぇ……それも違うかなぁ…ああすればこうなるし…、こうすれば
ああなる……んー、悩むなぁ……。」

 

 博士と秘書はお互い顔を見合わせると、小首を傾けて千枝子を見つめる。
まだ若い彼女は、ため息を一つ吐くとぼんやりとした表情で隣の博士に逆に
質問をしてきた。

「…ねえ、おじさんは何か悩みがありますか?」
「そりゃあ、もちろんあるさ。」

「…どんな?」
「そうだなぁ…例えば老後の生活とか、自分よりも年下の連中にも負けないよ
うな体力とか…話題で先を行くとか…けっこう厳しいんだよね。若者に体力で
勝るためには毎日、何万歩も歩かなくちゃならないんだ。」

 博士の切実な悩みを聞くと、千枝子はにやりと笑いながら言った。

 

「ふーん、人っていうのも大変なんですね?」

「まあ、どんな選択をしたとしても、なるようにしかならんさ。けっこう上手
くいくものだよ。」

「博士、今月の電気料金、まだ払えてませんよ?」


 停電が続く運命の朝、少々渋い表情の博士を尻目に、秘書と千枝子は声を
出して笑った。

 

 

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 博士たちの部屋に残る涼子と大男の刑事二人は、部屋に一つしかない窓か
ら向かいにある教会を見つめて昨夜の事件を考察していた。

 昨夜、教会の坂崎神父が首を刃物のような物で切られ亡くなるという事件が
起きたが、警察はシスターでもある菫を事件の容疑者として連行した。だが、
本間署長は意外にもあっさりと菫を連れ帰る事に同意したのである。

「…自殺でもないとすれば…神父は一体誰に殺害されたのでしょうか?彼は
今度の事件にはなんら関わりが無い人物でしょう?」
「さあ、分からないわよ?案外何か関わりがあるのかも。なにせこのモラヴィ
ア館のすぐ傍に何十年と暮らしてきたんだからね…。」


 と、二人の会話の最中に、ずいぶん楽しげに夏美と菫が戻って来た。
夏美に貰ったぴかぴかのスポーツシューズを履いて菫は嬉しそうな表情を見
せている。

「ほら見てよ涼子さん、菫さん私の靴のサイズとピッタリ同じなの!こんな所
まで合うなんてやっぱりー」

 何とも楽しげに話す夏美の言葉を打ち切るように、涼子が菫に質問をぶつけ
る。とにかく涼子は日が昇ってからさらに不機嫌さに拍車がかかってきた。

「…ああ、菫さんだったわね?もう一度聞くんだけど、ほんとに坂崎神父が
自殺する理由って見つからないんですか?」

 その質問に一瞬だけ表情が曇った菫だったが、涼子にはっきりとした口調で
菫は答える。

「ええ、ありません。神父様は普段からそうした人たちを元気ずけるための
活動をされてきた人です。自殺なんて…考えられません。」
「じゃあ…誰かに恨まれるとかってことは?」

 なおも食い下がる涼子に、菫は少々困った様子で夏美の方を見たが、急に
何かを思い出したように口元に手をやる…。

「あっ…そういえば…いつも几帳面な神父様には珍しく、双眼鏡が落ちていた
んです…。」

「双眼鏡…?」
「ええ、窓際に落ちていました。」

 大男の刑事は、亡くなった神父の部屋の窓が眼下に見える教会を眺めなが
ら菫に聞く。

「…あの教会から外を覗くと何が見えますか?」
「神父様の部屋ですと…たぶんこのモラヴィア館しか見えません。いつもお昼
を過ぎると、影になって暗いと神父様は言っておられましたから…。」

「て、事は…神父様は殺される前に、正面にあるモラヴィア館を双眼鏡で眺め
ていたって事ね?しかもその後、几帳面な神父様は双眼鏡を部屋に落としたま
まで…それはつまり…」
「…何かを目撃した可能性があるって事ですね?あるいは誰か…その誰かに
殺害された可能性がありますね。それもごく短時間の内に。」

 男の刑事の言葉に涼子は無言で頷く。
それはつまり、このモラヴィア館に神父を殺害した者が存在する…という事に
もなるのだ。

「何にしても、神父様は見てはいけないものを見てしまったようね。」

 涼子は時間だけが過ぎてゆくもどかしさを感じながら、ぼさぼさになった髪
の毛を掻いた。

 

 

 

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 モラヴィア館を一人うろついていた光は、五階への階段を上がっていた。
四階よりも上の階には立ち入りは許されていないと聞いていたが、行くなと言
われればよけい行きたくなるのが光の性格である。

 階段を上りきった所に鉄の扉が一つあるだけで、それより上の階には階段は
続いてはいなかった。

「…あら、変ね。この建物って六階まである筈なのに。」

 にやりと笑いながら、光は鉄の扉を力まかせに押し開ける。
扉は錆びているのかなかなか開かなかったが、彼女の力を持ってすればドアを
開ける…というよりは”外す”事など造作もない事だった。


 五階の様子はこの下の階とは明らかに作りが違っていた。
それというのも、四階までは中央に通路を挟み、部屋が並んでいるという作り
になっていたのだが、五階は大きな部屋がいくつか繋がりながら構成されてい
たのだ。

 と、いっても、どの部屋も物置き状態で、しかもあちこち壊れたり穴が開い
ていたりと、確かに危険な場所であるのは間違いなかった。おまけに置かれて
ある物は全て古い物ばかりで、何十年も前からずっとそのままになっているの
ではないか?と思われる品々ばかりである。

 足場の悪い部屋をいくつか通り過ぎた時、粗大ごみだらけの部屋に大きな布
がかけられた立方形の物が置かれてあった。光はほこりまみれの他の物とは違
う、まだ新しい布がかけられているという不自然さに気がついた。

 どう考えても、最近になって被せられたものである事が分かる。

「…何よこれ、あからさまに怪しいわね。」

 光はその大きな布がかけられた立方形の物の前まで来ると、しばらく腕組み
をして考えていたが、その新しい布を掴むと、いっきに引っぺがした。


「…これは…!?」

 布を剥がした瞬間、その物体に窓の外の朝日が反射して眩しい光を放ったの
である。その物凄い輝きに、しばらくは目を開けていられなかった光だったが
、徐々に慣れてくるとそれが何なのかが分かってきた。


 それは巨大な”プリズム”と言われる多面体だった。
この世界にある光を分散、屈折、全反射、複屈折させるために作られた光学部
品であり、ガラスや水晶といった透明な媒質で出来ていて、光の進む方向を変
える用途にも用いられている。

 その物体は高さ約三メートル、横幅は四メートル近くもある巨大なものだっ
た。しかも、それは美しい水晶か何かで出来ているようだったが、これだけの
大きなプリズム体は、光でも見た事がなかった…。

 朝日を浴びたそれは、恐ろしいほどの輝きを放ち、プリズムと言われる光の
分散を行っている。これだけの輝きを見つめられているのは、光の両目が強烈
な光に対して耐性のある”スリット状”の瞳を持っていたからだ。

 いわゆる蛇や猫の目、である。

 

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 …だが、それが災いした。
長時間それを見つめていた光は、めまいのような気分の悪さを感じてこめか
みを抑えるが、しばらくすると目がくらくらと回り始め、ほこりを被った絨毯の
上に仰向けに倒れ込んでしまった。

 しばらく光はその場に倒れたまま、ぐるぐると回る瞳でぼろぼろの天井を眺
めているしかなかった。身体全体が麻痺してしまったみたいに、鈍い動きしか
出来ない…。

 なぜ自分がこんな事になったのか、光にはその原因がすぐに分かった。
あの多面体の物体が、ただのプリズムではなかったからである。おそらく何ら
かの悪意ある物…魔術的な意図を持つ品だと、光は感じた。


”…こんなところで意識でも失ったりしたら危険だわね…こんな事になるなら
オルゴンの力でも仕込んでくれば良かった…もしもー ”


 悪い予感が光の脳裏をよぎった時、近くの暗がりから物音がした。
全身が痺れたようになっている光は、仰向けに倒れたまま顔を動かす事も出来
ずに、耳だけを働かせて音を聞き分けようとする…。


 恐ろしく近い位置でガラスの破片を靴で踏みしめるような音がした。
顔が動かせないので、光には正面の天井しか見えていないが、近い場所に何者
かがいるのが気配で分かる…。

 光は背筋が震えるような恐怖を感じた。
身構えている時なら、どのような恐ろしい事も危険な事も耐えしのぐ事も出来
ようが、無防備で起きあがる事も出来ない状況では、さしもの”魔女”も普通
の女性となんら変わらない…。

 仰向けに倒れていた光は、その恐怖心からか両足をぎゅっと閉じる。


 と、天井を見上げていた光の目の前にいきなり人影が現れると、閉じた両足
を開かせようと無理やり片足をねじ込んできた。

 あまりの衝撃に光は、両足を閉じたまま腰を浮かせて縮こまる。
目がぐるぐると回っていたのではっきりとは判らなかったが、その黒く長い髪
の毛、白塗りの化粧でもしているような顔…全身黒ずくめの姿には見覚えがあ
った。

 

             ”…最悪だわね…。”

 

 その黒い人影は閉じようとする光の両足の間に、何度も無理やり自分の片足
をねじ込もうとする。そして懐から何か鋭利に光る刃物のような物を取り出すと
、両手に一つずつ持って刃を鳴らす。

 恐ろしく大きな二つのギザギザ状ナイフを、光の目の前で火花が散るほど激
しくこすり合わせて見せる。鈍い金属音が光の頭上で響き亘った。


 もう見ているのも恐ろしくなった光は、少女のように両手で顔を覆った。
そしてそのまま意識が遠のいて、気を失った…。

 

 

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      (続く…)