ザ・怪奇ブログ

怪奇小説・絵画・怪奇の世界!

夜の観覧者 22話

 

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              22  運命の輪


 10月8日 朝の時間…


 にわかには信じられない事を告げた博士は、皆の疑問に答える前に秘書が
入れたインスタントコーヒーを嬉しそうに飲み始めた。

 夏美と菫が母子であるという仰天の仮説は、当然みなに疑問符を突き付けら
れてしまったが、博士は特別慌てる様子もなく秘書の入れたコーヒーをちびち
びと飲み干す。

 とりわけあり得ないと主張したのが、刑事の涼子である。

「…で、彼女らが親子だっていう根本的な理由は一体何なの?」
「わからん。」

 涼子の問いに即答で答えた博士は、空になったカップを秘書へと返す。
カップには太いマジックで「博士」と書かれてある…。

「…早紀君、次は”塩分”控えめで頼むよ。」
「………。」

 秘書は自分のカップのコーヒーに口をつけると、無表情でキッチンの奥へと
自分のカップを持って行く。カップには当然「秘書」と書かれてあった。

「ちょっと、わからんって…きちんとした説明がほしいわ。そんな奇想天外の
仮説を立てるんだから、何らかの根拠があるでしょう?」

 半ばいらいらしながら涼子は博士に質問をぶつけたが、博士は先ほどと同じ
く、即答で答えて言った。

「わからんが…菫さんが夏美さんの写真を持っていた事実。その写真の夏美さ
んのお腹に子供がいる事。そして二人が似ているという事実。根拠といえる程
のものはないが…それが一番自然な回答じゃないかと思うんだよ。」

「そんなの…現実的にそんな事は不可能よ!この写真だって、きっと何か人の
手が加わった痕が見つかる筈よ。」

 涼子はあくまでも理論的かつ現実的な答えにこだわっていたが、当の本人で
ある夏美と菫は、何かぼんやりと見つめ合いながら事の成り行きを見守ってい
た…。

 それまで静かに聞いていた光は、その場に立ちあがると眉を潜めて頭を掻い
ていた、何か釈然としない様子で。

「…ちょっと待って、こんなヤバい状況のさなかによ?さらに奇妙な運命を持
った二人が今この場で出会ったというのはどういう訳があるのかしら?」
「おそらく…重要な意味があると思う。」

 その光の疑問にも、博士は即答で答えて言った。
夏美と菫も博士の方に興味深そうに視線を向ける。

 

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「…今回の、この街で起こりつつある奇怪な事件は、たぶん下柳会長らオカル
ト崇拝者たちが企てたものだろう。そして不幸にも、夏美さんはその中心とい
うか…何かの”鍵”を持っているような気がするんだよ。そこに現れた菫さん
という存在は…今回の事件の、重要な意味がある筈だと思ってる。」

 博士の奇妙な説明に、菫は何の事だろう?という表情で考えていた。

「…私が重要な意味って…一体何の事なんでしょう?」

「さあねぇ…そこまでは分からんが、神はしばしば善い者たちには試練を与え
てくるんだそうだ。ほんの気まぐれなのかも知れないし、あるいは何かを正し
い方へ戻すためかも知れない。そのために神が君を送り込んできたのかも…」

「正しい方へ戻すって…送り込んできた…?」

 それらの奇妙な言葉にますます菫は困惑の表情へと変わるが、何かに気がつ
いた大男の刑事が博士に近ずいてくると、驚きの表情で言った。

「あの…つまりこういう事ですか?夏美さんの娘であるこちらの女性が、十五
年ほど前に時間旅行…タイムスリップして若い頃の母親のいる時代へとやって
来たって事ですか?」
「そうそう、タイムスリップだよ、タイムスリップ!」

 一同が驚きの声を上げる中、秘書は無言で博士のコートを掴むと、無表情で
聞いてきた。

「博士、それって…お客さんが太腿のガーターベルトにチップ挟んだりする…
アレですか?」
「…それは”ストリップ”だろ。」

 

 

 

 

「…ともかく、写真の分析が先よ。荒唐無稽な仮説はそれが済んでからにー」

 涼子がそう言いかけた時、隣に立つ若い刑事の携帯にメールが来た。
例の写真の解析が済んだのかも知れない。部屋に集まった者は皆、声を出すの
をやめて男の方へと視線を向ける…。

「あの…涼子さん、残念ながら写真を加工した可能性はほとんどゼロだそうで
す。正真正銘、あの写真は十年以上前の物だそうです。」
「あ、そう………。」

 勝手に話を締めようとしていた涼子だったが、大男の刑事の言葉で沈黙して
しまった。


 博士の部屋に集まった者たちは、またも口々に意見を戦わせ始めた。

 

 

 窓の外がしだいに明るさを増し始めた午前六時。
大停電に見舞われ、今だ復旧の目途も立ってはいないこの大都会の一角に、朝
がやってきた。

 博士の部屋に残った者たちには疲れが見え、それぞれ無言でぼんやりと過ご
していた。いくら意見や仮説を立てた所で、ほんとのところは謎のままであり
、当の菫にも未来からやって来た…などという記憶は持っていなかったのであ
る。


 ほとんどの者がうつらうつらと眠りの中にある中、夏美だけが起きていて、
テーブルに腰かけ紙に絵を書いていた。

 夏美はテーブルの向かいに座りながら、うとうとと眠りについている菫を見
つめながら絵を仕上げていく。もちろん、夏美はめったに絵なんて書いた事は
なかったので、あまり上手ではないのだが。

「あっ……夏美さん、私…眠ってた?」
「ええ、気持ち良さそうにね。」

 熱心に何かを書いている夏美に気がついた菫は、それを覗き込むように見つ
めて言った。

「…何を書いているんですか?」
「うん、随分前から私が住んでみたいと思ってる家なの。今のところは空想だ
けなんだけど…はい、完成。」

 

 

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 それは小さな一階建ての家だった。
小高い丘の上に建てられたレンガ作りの小さな家…外には花がたくさん植えら
れている。


「別れた旦那の方に、私の財産ほとんどあげちゃったのよ。だから建てるのは
まだまだ先になるわね。」
「………………。」

 と、その絵を見つめる菫の様子がおかしい事に夏美は気がついた。
何かぼんやりと瞳を動かさずに、まじまじと夏美が書いた家の絵を凝視してい
るのである…。

「菫さん、どうかしたの?」
「……私この家知ってる…。」

 部屋の隅に腰かけて眠っていた博士は、菫の言葉に目を開けて彼女の話に耳
を傾けた。べッドに横になっていた光も顔を上げて、テーブルの二人を見つめ
る。

「…よく分からないんだけど…私はこの家を知ってるの…!部屋は二つで…
壁はレンガで出来てる…床は木の板を張ってて……」

「そうよ…そうなの!まさに私が考えてる家よ…!」
「…キッチンには大きな柱時計…。」
「そう!小さな子供が隠れられるくらい大きいやつ!」

 絵を描いた本人の夏美も、驚き興奮したようにまくし立てる。
博士は目を覚ました秘書と共に、テーブルの絵を見にやって来た。

「でも…一体どうして…!?私にはそんな記憶なんて無いのに…」
「君が実際に住んでいたからじゃないのかな?遠い先の…未来のこの家に。
そうでなければ、君がこの絵の家を知っている訳がない。」

「…そうか!この菫さんという女性が連続殺人事件の詳細を詳しく知っていた
のは、未来から来た彼女が過去に起きた忌まわしい事件を記憶していたからか
も知れないって事ですね?」
「そういう事になるかな。少なくとも、菫さんがこちらの時間へとやって来た
時、すでに成人になっていたのだから…少なく見積もっても今から二十年後の
未来からやって来たと推定できるな。まあ、驚きではあるけど…」

 秘書が菫の上着をテーブルの上に置きながら、博士に質問する。

「…メイドイン、ネオ・サイタマからですか?博士。」
「ああ…そういう未来になっているのかも知れない。と、なると…東京は壊滅
したのかも知れんな。恐らく、この後に…。」

 なにか急にそわそわと落ち付かない様子になってきた菫は、胸のロザリオを
握りしめ夏美が描いた家の絵を見つめる。

「でも…そんな奇妙な事…私はどうやって未来からやって来れたんですか?」

 その菫の一番不可解な疑問には、博士も答えられずにいたが、しばらく腕を
組んで何かを思案していた光が、ひとり言のようにぼそりと話しだす。

「…もしかすると、次元を連結した事によって…未来ではあちこちに”穴”が
開いてしまったのかも知れない。不安定な、次元の裂け目のような…そこに入
り込んでしまった…それが偶然にもこの時代に奇跡的に飛ばされて来た、とい
うのはあり得ない話ではないわ。」

 光の言う話に、若い刑事も興奮気味に目を輝かせながら語りはじめる。

「そういう話、他にもありますよ!恐竜時代の化石の中に、人間の靴跡の化石
や、銃弾が出てきたという話はたくさんあるんです。そういうのはもしかする
と…同じようにアクシデント的に飛ばされた時間旅行者たちが存在したという
証拠なのかも知れませんね。」


 あまりにも奇妙な出来事に菫は面食らっていたが、確かに落ち着いて考えて
みれば今までの奇怪な現象の謎が、その結論によって一つ一つ解けていくよう
な気がした。

 十数年前の記憶喪失、事件について幾つか予知したみせた事…。
そして夏美に出会い、彼女に感じた奇妙な疑問。夏美のヴァイオリン曲に、
何故か懐かしさを感じた事。彼女の得意な料理の味を知っていた不思議…。

 そして何より、この十数年面倒を見てくれた、あの優しい坂崎神父が嘘をつ
く人間ではないという事実…。そのどれもが、一つの結論に至るのが一番近い
道なのではないかと思えた。

 だが…そんな事は、当の夏美本人が…彼女が納得するだろうか?
こんな奇妙で、あり得ないおとぎ話のような出来事を、自分よりも若い彼女に
受け入れられるのだろうか?


 そんな不安めいた表情で彼女を見つめていた菫に対して、夏美の方は笑みを
浮べながら菫の方へと近ずいてくる…。

「私ね、実は数日前この街にやって来た日、向かいのビルのレストランから、
歩いてくる菫さんを見たの。その時に感じたのよ、よく分からないけどあなた
が他人の気がしないっていうか…絶対に会わなくちゃいけないって。そう思っ
たの。」
「夏美さん…。」

「何ていうか…間違いだらけの私の人生を、もしかしたらあなたが変えてくれ
るんじゃないかって…こんなこと考えたのは、最初はあなたが教会のシスター
だからだと思ってたけど、違ったのよ。もっと別のことだったのね。」


 思えばこれまでの夏美の人生の中で、転機となった時いつも自分の選択肢に
は、深い後悔が残るものばかりであったように思う。

 はたちの時も、親の反対を押し切りヴァイオリンの勉強に海外へと旅立った
が、それ以来二人とはぎくしゃくした関係のまま両親共に病気で亡くなってい
る…。彼らとうまく付き合っていく事が出来なかったことを、夏美は今でも激
しく後悔しているのだ。

 プロになってからも派手な生活が続き、初めての結婚生活も上手くいかなか
った。当然だ、家族とも上手くいかない自分が他人と上手にやっていく事など
出来る筈もないからだ。もっとも、別れた旦那には謎の部分があったのだが…

 せめて、今度の選択だけは間違いのないものにしたい…それが夏美がモラヴ
ィア館へとやって来た理由だったのである。


「信じるよ、私は。あなたは私の娘だわ。全然、私とは違って出来の良い娘だ
けど…ね。おまけに私の方が年下だし、喫煙も今だに止められないしょうもな
い母だけど…」

「でも…私には過去の記憶もない……」
「過去なんて…特別必要じゃないわ!これからたくさん、楽しい記憶を作れば
いいじゃない!ねっ?来て、菫さんに靴をプレゼントするわ!」

 そう言うと夏美は楽しそうに菫の手を取って、博士の部屋を出て行った。
少々戸惑い気味の菫も、なんだか嬉しそうに手を引かれてゆく。その姿は、
どこか少女のような幼さがあった。

 

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「…いい気なものね。今日には東京ごと消えるかもしれないって時に。」

 楽しそうに部屋を出て行った二人を見つめながら、涼子が吐き捨てるように
言った。

「まあ、いいじゃないか。これで事件の半分くらいは解決したと思うよ。」

 憮然とした表情の涼子の肩をぽんと叩くと、博士は謎の言葉を語り笑った。
当然、涼子は眉をひそめてその言葉の意味をさぐる。

「半分が解決って…一体どういう事よ?」
「彼女らの選択は間違ってはいないって事さ。」

 さらに謎の言葉に、隣に立つ秘書までもが小首を傾けている。

「…我々が置かれている状況というのは、極めて重要なものなんだ。この、
不可解な出来事は、恐らくこの先の運命を大きく変えるものになる筈だ。その
中心にいる夏美さんのところへ未来から娘の菫さんがやって来た事で…何とい
うか、我々には運命を変えるチャンスが与えられたんだと思うんだよ。」

「運命を変えるチャンス…?どういうことなの?」

 光も博士の言葉の意味を理解しかねる様子だったが、博士は構わずに言葉を
続けた。

「…たぶん、菫さんが存在していた未来は暗澹たるものだろう。この東京を
中心として何か恐ろしい出来事が起きたのは間違いない。我々の未来だね。
だけど、未来からやって来たという彼女の存在が、間違った物事を正す働きを
するかも知れない。」
「間違った物事を正す…?」

「そう、そもそもここに集まった者たちは、いずれもそういうものを抱えて
いる者ばかりなんだ。その代表が光さん、君じゃないのかね?君は数年前に、
選択を間違えていたならば…今この場にいただろうか?我々の友人として。」

 光はその言葉に少しだけ驚いたような表情をしていたが、納得したように
笑みを見せる。数年前、博士や秘書の二人とは”敵”として対峙していた光
は、彼らに追いつめられ目的を果たせなかった。

 しかし、その事があればこそ、光は彼らに感謝しているのだ。
間違いを正すために、一緒に戦った。お互い助け助けられ今に至るのだから。

「早紀君、我々にもいえるんだよ。あの雪山で起きた出来事がなければ、今
こうしてここにいる事もなかった。我々には物事を変えていく力があるんだ
よ。それは何も強い力じゃなくてもいいんだ。政治やミサイル、お金や権力
なんて問題じゃない…ただ、我々が小さな選択を間違わない事で、作り出せ
るんだ。ささやかな幸せをね。」

 日が昇り、外の道路には車がちらほらと走り始めていた。
停電とはいえ、すでに出勤時間である。

「さて、早紀君。朝飯とまではいかないだろうが…下に喫茶店があったはず。
コーヒーでも飲もうじゃないか。」
「そうですね。」

 何かきつねにでもつままれたような涼子たちを残し、博士たちは部屋を出て
下にある喫茶ラ・テーヌへと向かった。 

 

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 博士の部屋に残された涼子は、ぼんやりと無言でその場に立ちつくしていた
が、大男の刑事と目が合うと、少しだけ恥ずかしそうに言った。

「…あの、例の約束だけど、今こうして朝まで一緒にいたんだから…これで
チャラよ?」
「まあ、しかたないですね。またチャンスはあるでしょうから。」

「…何のチャンスよ?」
「あなたとべッドインするチャンスです。」


 終始ここに来てから楽しげな、若い刑事はそう言って笑った。

 

(続く…)