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夜の観覧者 27話

 

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            27  王家の遺産


 10月8日 夕方までの時間…

 一時間近くも遅れて広間に現れたこの巨大ビルのオーナー、この国の財界で
もトップクラスの規模を持つ下柳財閥の会長、下柳清五郎はとても七十を過ぎ
たとは思えない雰囲気を漂わせていた。

 車椅子に乗ってはいるが背筋は伸び、恐らく立ち上がれば百八十センチはあ
ろうかというほど背も高く脚も長い。白髪ではあるが、まるで中世ヨーロッパ
の吸血鬼伯爵と見間違うかのような端正な顔立ち。しかもその目には今だ爛々
と活力が漲っている。

 彼はしばらくの間、テーブルについた夏美らを無言で観察するように眺めて
いた。一人一人活力の漲るその目で、じっくりと見定めるように…。

 現在は息子が取締役を務めている事から会長職になってはいるが、実質下柳
グループ約七十にも及ぶ企業・団体を束ねる大財閥のドンと呼べる人物だ。
その総資産は天文学的数字であり、表向きの個人資産家などとは比べるべくも
ないほどの大物中の大物なのである…。

 およそ世の中で言われている”権力者”というイメージを体現しているかの
ような男であった。老人とはいえ黒い上等のタキシードも良く似合っていて、
立派にたくわえた白い髭も上品そのものである。それはさながらアメリカ東部
を牛耳る支配階層たちのようでもあった。


 だが、何よりもこの人物を上品に見せているのは外見や服装ではなく、その
柔らかな表情であった。まるで誰でもがその物腰の柔らかな笑顔にやられてし
まうような、そんな魅力がこの老人にはあるのである。しかも彼は世界的にも
大規模な慈善団体を運営しており、まさに哀れみ深さと慈しみを体現している
現代の偉人の一人だ。

 また彼は移民政策にも多額の資金を送り、世界的な血液バンクの運営も行っ
ていて、飲み水の確保やワクチンで救われた人間は数知れず…手にした世界
平和賞は一つや二つではない。

 まさに”言う事なし!”の人物である。


 会長が片手を上げると、広間の横にある通路から数人の男が手にボトルの
ような物を抱えて涼子や夏美たちのテーブルへとやって来た。

「…皆さん、まずは出会いを祝って乾杯といこうじゃありませんか。お口に
あいますかどうか分かりませんが…。」

 老人はにこやかに言って、自分のグラスに注がれたワインの匂いを堪能する
仕草をする。何かえらく上等な匂いのするワインがテーブルに座る涼子たちの
グラスにも注がれる…。

ブルゴーニュ産のロマネ・コンティー。競売にかけられた物よりももっと古い
物です。1982年産…遠慮なくどうぞ?」

 そう言ってワインを飲む老人は満足そうに笑った。

 皆のグラスにもワインが注がれた時、涼子が何かを言いかけようとしたが、
隣に座る大男の刑事に止められ口を噤む。その代りに秘書がグラスのワインを
口にして、隣の光に囁くように聞いた。

「…ねえ、このコマネチーってブドウ酒?高価な物なの?」
「ええ、そりゃあもう。ブルゴーニュ産ワインの中でも競売史上最高額がつい
た超高級ワインよ。たぶん一本何百万もするわね。噂では一千万くらい値段が
する物もあるそうよ。」

 光の説明に、秘書は口にしたワインを吹き出して驚く…。


「あの…私たちは乾杯なんてしてる時間は無いんです。一体こんなところまで
私らを呼び出した理由は何なんですか?」

 とうとう涼子がしびれを切らして会長に質問をした。
広間に集まった者は動きを止め、緊張の面持ちでその様子を見守っている…。

 だが、予想に反して下柳会長はにこやかな表情で若い女刑事に答えた。

「ふむ…そちらは板橋署の刑事さんでしたね?お隣は同僚ですか…いずれも
優秀な刑事だと聞いてますよ。そして…」

 下柳会長は夏美の方を見ながら言葉をとめる。
何か強い意思のようなものを秘めて自分を見据えている夏美よりも、その隣に
座る修道女の菫の方に会長は興味があるようだった。

 まるで猛禽類の鷹のような瞳で、初老の老人は菫の方を注視している。
それはどこか怯えたようにも、怒りのようにも見える表情だった。


 それから老人は探偵の二人に目を向ける事もなく、相変わらず肩ひじをつい
て食事を続けている光へと目を移した。こちらはこれまでの表情豊かな老人と
はうって変わり、まるで興味のない声で無表情に言った。

「…そちらは間宮薫ですかな?噂にはよく聞いてますぞ、まだ生きていたとは
驚きですな。」
「あら、よくご存じで。おたくも…例の薬が目当てなのかしら?」

 なんとも愉快そうに老人は光の言葉に声を出して笑った。
光は意外そうな表情で、この老人を見つめる。

「まさか!俗物にかぎって不老不死だの永遠の命だのに憧れるものだが、私
はそんなものには興味がないよ。人生はギャンブルだ、何が起こるか分からな
いから面白い。自分の命にしてもそう…だからこそそこに投資をする価値があ
るのだよ。そうは思わんかね?」

「ほう、そういう訳でブルクハルト大学にも資金を提供したわけですか。」
「…何ですって?」

 

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 博士の言葉に一瞬だけ表情を曇らせた会長だったが、すぐににこやかな表情
に変わり光へと視線を向ける。

「…確かに、あの大学の創設時から金は出していた。なに、ほんの僅かなもの
だがね。実際あの地下で行われていたプロジェクトは興味深いものがあった。
まあ、金にはならんかったが…。私利私欲の研究というものは大金を生む事は
ない、興味深くても世の中で流通するものでなくては商売にならんのだ。君の
母親は気の毒だったが…十数年も操り人形だったと知った時は私も驚いたもの
だ。」

 長々と説明する会長の言葉に、光は無言で立ち上がると手にしていたワイン
グラスを投げつけた。

 だが、それは会長に届く前に見えない何かに当たって砕け散った。
空中に赤いワインの液体が飛び散り、それから下に向かって流れ落ちる…。

「おやおや…行儀の悪い娘さんだ。特別に強化された防弾ガラスだよ。戦車の
砲弾数発にも耐えられる強度がある。厚さは四十センチ程だがね、ちなみに窓
のガラスも同じものだが、君程度が暴れたくらいではびくともしないよ。」

 広いホールにある長いテーブルの、会長が座る位置付近に肉眼では分からな
いくらい透明なガラスが張り巡らされてあった。それは部屋の三分の一くらい
のスペース全面に接置されてあったのである。

 つまり、会長は最初から自分たちと同じテーブルにつく気などないのだとい
う事だ。防弾ガラスの”こちらとそちら”では世界が違うのである…。

「おっ、ほんとだ、テーブルの下にもガラスがあるや。用意がいいな…」

 用心深くテーブルの下を覗きながら、博士は自分の手でガラスが張ってある
のを確かめる。ついでに覗きにやってきた秘書のスカートをちらりとめくるの
も博士は忘れなかった。
  

 

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「…それで、ここに私たちを呼び出したご用件は?」

 またも涼子が切りだすと、下柳会長は近くにいる背広を着た男を呼び寄せて
小声で何かを告げた。

「…では、本題に入るとしよう。私は君たちにある提案を持ってきた…そう
停戦協定という奴だ。」 
「停戦協定ですって?」

 会長が奇妙な提案を出したところで、背広を着た男が大きな黒いアタッシュ
ケースを持って涼子らの所へとやって来る。それをテーブルへと置くと静かに
下がっていった。

「何ですか?これ…」
「現金で三億ある。君たちにはモラヴィア館を出て、今すぐにこの街を離れて
もらいたい。そしてこの件から一切手を引いていただきたいのだ。悪い話では
あるまい?」

 涼子がケースを開けると、そこにはぎっしりと詰まった札束が綺麗に並んで
いるのが見える。ケースに集まった夏美らは、その初めて見る光景にため息を
もらす。

 だが、涼子はケースをゆっくり閉めると、ゆったりとした椅子に余裕の表情
で座る会長に言った。

「…このお金で本間署長も買収したのね?」
「あの男は気が小さくてダメだ。君たちさえよければ、この一件が済んだ後で
重要なポストを約束しよう。若くして署長の役職ー」

「お断りよ。こんなお金は貰わない、ましてこの街も離れないわ。」

 涼子はきっぱりと老人の申し出を断った。
しかし今度は博士たち二人の探偵と、光の方へと話を持ちかける。

「君たちなら分かるだろう?これまでも随分と危険な目に会ってきてる…これ
だけの金があればのんびり暮らせるだろう。必要ならさらに…」

「これではっきりしたが、あんたよほどパニックを起こしてるようだね。賄賂
の相談まで持ちかけてくるって事は、よほど暗闇の魔女が恐ろしいのかい?
しかもあんたは、その暗闇の魔女がモラヴィア館に住む我々の側についてると
知ってるんだ。そうでなけりゃ、我々がここまで無事でいられるわけがないか
らね。」

 これまでにこやかな表情だった会長の顔色が博士の言葉で変わり、力んだ
こめかみには血管が浮かぶ。そしてまたも菫の方を睨むように見つめながら、
鬼の形相の下柳会長は吐き捨てるように言った。


「…そうだ、”あれ”がお前たちについてなければ…いや、お前たちというより
は、羽田夏美にというべきか…。」
「私に…?一体どういう事なんですか?」

「私が説明しましょう。」

 不安な表情で会長へと質問する夏美の背後から声がした。
皆が振り返ると、一人の中年の男が立っている。年の頃は五十位か?背の小
さな男で髭をたくわえていて、夏美はどこかで会った事のある顔だなと感じた。

「小野沢と申します。会長に変わり私が説明をさせていただきます。」

 テーブルの開いている席へと座ると男は自己紹介を始めた。

「まさか、物理学者の小野沢教授?」
「今は教授ではありませんよ。会長の研究所で新しいエネルギーについて研究
しています。原子力に変わる、これまでないクリーンなエネルギー。環境を守
りつつ膨大な量のエネルギーを生み出す事が出来るというものです。」


 博士の言葉に頷いて答えた物理学者・小野沢教授は、これまで存在していな
かった未知のエネルギーについて話し始めた。

 簡単ながら小野沢教授の説明では、星の運行と時が合いさえすれば、そこか
ら無限の巨大なエネルギーを得られるというものだった。だが、それには力点
になるポイントを捜し出す必要があったという。

 そして、その”扉”を開く”鍵”が必要であるとも…。 

 
「…そのパワーポイントともいえる場所が、この街のど真ん中であるモラヴィ
ア館なのです。しかし、この館に問題がありました…あるオカルトじみた狂信
的な連中がここを神聖な場所としていたのです。彼らは扉を開くための鍵とも
いうべき存在についての知識も持っていました。」

「鍵?それが…暗闇の魔女か。」

 博士の呟きめいた言葉に物理学者は無言で頷く。
しきりに腕の時計を見つめる博士は、広いホールの天井を見回していた。昨夜
街の娯楽施設に現れた、見えない力のようなものが暗闇の魔女だろうと博士は
思った。

 大人の人間を、いとも簡単に投げつけ叩き潰す恐ろしいパワーは、一体何の
力なのだろう?しかも、その暗闇の魔女はさらに巨大なエネルギーの扉を開く
ための”鍵”でしかないという…。

 自分の推測が確かなものなのかどうか、博士には確信がなかったが、今この
状況を乗り越えるためには、唯一それしか助かる道はないだろうと彼は思って
いた。ちらりと見つめた強化ガラス張りの窓の外は、にわかに曇り空に変わり
つつある。


 物理学者の言う、”扉”と”鍵”という奇妙なキーワードに、菫は何か胸騒ぎの
ような、奇妙な不安がよぎった。どこかで聞いた事のある言葉だったからだ。
だが、それが何なのかは今の菫には分からなかったのである…。

 

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「あの、そもそも暗闇の魔女って…一体何なの?」

 説明を始めた物理学者の言葉に涼子が聞いた。
この男ならこれまで謎だった、暗闇の魔女について何か知っている筈だから。

「…はっきりとした事は分かりません。我々はそれが何かのエネルギーだとい
う認識をしていました。それはある物に宿っていて、モラヴィア王家の遺産と
して代々受け継がれてきた…一本のヴァイオリンだそうです。」

「…ヴァイオリンですって?」

 その言葉を聞いて夏美は目を見開き、ある事が頭をよぎった…。


 今から十年近く前、音楽の勉強を終えプラハを去ろうという日の事だった。
長らく暮らしたアパートの、世話になった管理人のお婆さんにお別れの記念に
と頂いた美しいヴァイオリン…。

 今思えば、その時のお婆さんの様子がいつもとは違い、様子がおかしかった
事である。何か人目を気にするような、そわそわとして落ち着かないような…
そんな表情だった事を覚えている。

 それから数年後プロになった夏美は、チェコへ仕事で行った時ついでにその
アパートのお婆さんを訪ねてみたが、三年間彼女は行方知れずとなっていたの
である。三年と言えば、ちょうど夏美がアパートを出て日本へと帰る頃だ…。

 ”もしかして…お婆さんは何かのトラブルに巻き込まれていて、日本に帰る
という自分に何かの目的でヴァイオリンを託した…と、いうのだろうか?
と、するなら…”


「まさか…ヴァイオリンって、私の…!?」
「そうです、世界に一つしか存在しない、モラヴィア王家の遺産。あなたが大事
に持っているヴァイオリンです。」


 その時、窓の外に激しい稲妻が光る。
その光と影が、まるで悪魔の影のようにフロアに踊った…。


(続く…)