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夜の観覧者 32話

 

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               32  母と娘 

 

 10月8日 運命の夜…

 物心が付いた頃、菫は夏美が描いたものと同じ、郊外にある丘の上の小さな
一軒家に母親と二人で住んでいた。

 家の回りには花壇が沢山あったが、菫の記憶ではいつも花が咲いていたため
しは無い。手入れがされていなかったというべきか。

 部屋は二つしかなかったが、小さい頃の菫の目にはけして狭いものという感
じはしなかった。母と二人だけの生活が、そう思わせていたのかも知れない。


 2012年、世紀の惑星直列で起きたとされる首都大災害ー。

 東京の都心はほとんど廃墟と化していて、皆隣県へと住む場所を移していた
のである。空はいつもどんよりと曇っていて、まともに晴れた事など菫の記憶
にはない。

 その理由は板橋区を中心とした場所に「次元の穴」と呼ばれるものが出来た
ためであり、その不安定な地場ではいたるところに穴が開き、汚染や災害など
の破壊が起こっていてとても人の住める場所ではなかったからだ。

 それでも都心から少し離れれば、それほど危険な事も無く、かつて埼玉と呼
ばれた街を中心に、人は移動していたのである。

 

 


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 当時菫は母親に秋(あき)という名前で呼ばれていた。
その頃から母の夏美は、毎日飲んだくれては娘の秋に愚痴をこぼし絡んだ。
何故そのような酒びたりの日々を母が送っていたのかは分からないが、恐らく
秋には生まれた時から知らされていなかった、父親の問題が関係しているのだ
ろうと思った。

 子供時代の母親の記憶は、あまり良いとは言えなかったが、酔っぱらってい
ない時に夏美が不意に始めるヴァイオリンの演奏は、秋にはとても楽しい時間
だった。演奏をしている時の母は、いつもその時だけ陽気で楽しげだったから
で、唯一毒ずいたり愚痴をこぼさない時間だったからである。


 そんな秋が年頃になると、母親と立場が逆転する。
若い頃からの飲酒と喫煙で身体を壊し、病気がちの夏美はみるみる弱々しく変
わっていったが、娘の秋は成長して母よりも強くなった。

 二人は喧嘩の絶えない毎日で、夜になると秋は母親の言葉を無視して悪い
仲間と出掛けていった。夏美のいる家に一緒に居たくなかったのである。

 大災害から十六年ほどが経過していたが、街の状況は良くなるどころか悪く
なる一方で、各地で犯罪やモラルの無い行動が横行していた。それに伴い、各
地で終末思想や奇怪な宗教がもてはやされ始め、秋も悪友と共に暴走族まがい
の行為を繰り返しては、それらの奇怪な宗教の集会などにも参加していた。


 その頃、とうとう母の夏美は秋と仲を戻す事もなく、病気でこの世を去って
しまった。当時二十歳にも満たない秋は、遂に天涯孤独となってしまう。

 暗く辛い日々の中で、秋は自分を一人置いていった母親をひどく憎んだ。
母親が生きていた時よりも生活は荒れ、毎日夜になると厚い化粧を施し、悪い
仲間と街に繰り出して行った。


 一人になった事で、いよいよ自暴自棄になってきた秋は、参加している奇怪
な宗教が、十数年前の大災害の元になったという事件に関与していたことを知
る。

 そして偶然にもその奇怪な事件に、母親の夏美が関わっていたという事を知
り、過去の事件を詳しく調べ始めた。

 惑星直列までに起きた数件に亘る恐ろしい連続殺人事件…大災害の後、中心
板橋区にあるという古いアパートから発見されたという秋の母親…。

 そしてその大災害を予測し、対策を立てていた下柳グループがそれ以降の
この国を実質牛耳っている事など…秋は異常なほど熱心に過去の出来事を調べ
上げたのである。

 それらを調べていく結果、当時母親の夏美が奇怪な宗教のメンバーであった
のではないか?という結論に至った。自分の父親も、その中の誰かなのだろう
とも…。

 母が酒びたりの日々を送り、悪態をついていたのは、例の大惨事に関与して
いたからなのかも知れない。

 自分は生まれて来てはいけない人間だったのではないか?


 もう生きている事に疲れた秋は、最後に母親が見つかったという首都東京へ
と行ってみようと思った。東京は今だ危険地域であったが、立ち入るのはそれ
ほど困難ではなかった。もっとも、死の危険がある場所へと向かう者などほと
んどいないからで、警備も柵も必要が無かったのである。

 街の中心だった方向に、何か恐ろしく巨大な黒い雲のようなものが渦を巻い
ていて、不気味な地鳴りのような音が聞こえていた。動いているものは秋だけ
で、空に鳥一羽もその姿を見せることはなかった。

 東京の中心へと一人向かった秋は、そこで廃墟と化した街のショーウィンド
ーの鏡の前で奇妙な光を見た。点滅するように淡い光が鏡から発っせられてい
て、そこに何かが映り蠢いている…。


 鏡に近ずきそれに触れた秋は、そこで意識を失った…。

 

 

 

 
 涙ながらに過去の記憶を話した菫は、それきり自分の部屋へと籠ってしまっ
た。膨大な量の記憶がいっきに戻ってきた事もあるが、その辛く悲しい過去の
記憶が菫の心を大きく揺さぶっていたのである。

 それは母親の夏美も同じで、予想されていたとはいえ菫の過去の記憶は彼女
にとっても大きな衝撃を与えるものだった。

 夏美にとって未来の自分の生活は暗澹たるもので、それが娘の人生を不幸に
していたというのだからなおさらだ…。
 

 博士の部屋に残った者たちは何とも重苦しい空気の中、刻一刻と時間が過ぎ
ていくのをぼんやりと眺めていた。

「…夏美さんも自分の部屋に籠ったままかい?」
「ええ、博士。ドアに鍵がかかっていたわ。」

 腕組をしながら、部屋の壁にかけられている不気味な鏡を見つめて博士は
秘書に聞いた。おそらく菫の過去の記憶が蘇った原因は、この鏡の奇妙な現象
であろう…。


「…つまり、菫さんは未来で次元の穴が開いてしまった事による、時間移動と
いう現象を起こしてしまったという事ですか?」
「そうね。そう考えるのが一番簡単な方法よ。彼女がこのモラヴィア館のすぐ
傍、教会の入口辺りで見つかったという事にも辻褄が合うわ。」

 大男の刑事の言葉に答えて光が言った。

「そうか…菫さんが連続殺人事件の状況を詳しく知っていたのも、過去…とい
うか未来の世界で事件の詳細を詳しく調べていたからなんだな。例え記憶が失
われていても、彼女の脳には記憶されていたんだ。その恐ろしい事件が。」

 そこに博士もやって来て話に加わる。

「でも、その詳細は微妙に違っているわ。利根川警部が見つかった場所や、
微妙な犯行の様子が彼女の調べた事件とは少し結末が違うの。」
「それはたぶん…菫さんが過去へとやって来たために、微妙に変わったんだと
思う。」
「変わった?それどういう事?」

 涼子は博士の言葉に首を傾けながら聞き返した。
ぼうず頭の男はコートのポケットからコーヒーガムを取り出し、むしゃむしゃ
と口に入れると隣の秘書にも一枚手渡しながら言った。

「…そりゃあほら、未来の正史では夏美さんとその後に生まれる筈の菫さんが
出会うなんていう出来事は起こらないからさ。でも、この時では…二人は出会
ってしまった。このことで、これから起きる出来事は大きく変わる可能性があ
ると思うんだよ。まあ、願望的予測だがね。」

 その奇妙な博士の予測に部屋に残る者たちは皆、黙り考え込んだ。
ことに光は何かを思いついたような表情で、博士の部屋を出て行った。その行
き先は隣の夏美の部屋である…。

「光さん?どこ行くの?」
「まあまあ、早紀くん彼女に任せようじゃないか。たぶん今、夏美さんを説得
出来るのは光さんしかいないと思う。」

 またも腕の時計をちらりと見ながら、博士は隣の秘書に言った。
時刻は夜の二十時を過ぎている。

「…それより、他の住人たちにも話をしに行こう。これから先、何が起こるか
分からないから。」

 涼子らを残して、博士と秘書は急ぎ部屋を出て行った。

 

 

 

 

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「…夏美さん?入るわよ?」

 彼女の部屋の前で、光は中に立て篭もる夏美に聞こえるくらい大きな声で言
ったが返事は無かった。ドアには鍵がかけられている。

 と、一瞬だけ沈黙した光は、次の瞬間激しい勢いでドアを蹴破った。
そして割れたドアをハイヒールの先でどかすと、涼しい顔で部屋の中へと入っ
ていく…。

「…ちょっと!あんた…何てことするのよ!?」
「あら?だって鍵がかかってるんだもの。」

 夏美はソファーに座り、煙草を吸っていた。すでに、ガラスの灰皿は吸殻で
一杯で、その疲れた目は泣きはらした様に真っ赤になっている。

 部屋の中は紫煙がもうもうとたちこめるほどで、光は手でぱたぱたと仰ぎな
がら夏美と同じソファーに座る。

「ちょっと、二酸化炭素で窒息するわよ?」
「…すけべな匂いが充満してるよりはましでしょ。」

 そう言って夏美は、もう一本口に咥えるとライターで火をつけた。
光は無言でそれを取ると、灰皿にねじ込むように火を消す。

「…何するの!」
「もういいでしょ、身体に悪いわ。」

 なおも夏美が煙草の箱を手にすると、光はそれをむしり取り真後ろに放り投
げながら言った。

「これは麻薬と同じよ、こんなものでイライラや不安を取り除いたって、それ
は本当のあなたじゃないわ!”偽物”のあなたなのよ。そんなので本当の愛情
なんて人に注げやしないわよ!優しさっていうのは誰にでも出来るけど、情っ
ていうのはそれとは違うものなのー」

 言い終える瞬間、悔しさからか夏美は光の頬を平手で叩いた。
光も間髪いれずに夏美の頬を強烈に平手打ちで返す。強烈なビンタに夏美は涙
を浮べて、もう一度光の頬を張り返すが、微笑を浮べた光に倍返しのビンタを
もらってしまう。

「ほら、こんだけ感情がぶつけられるんなら、あの娘にそれを出せばいいじゃ
ない?ぶつかればいいのよ。」

 自分の頬を抑えながら、夏美は涙を溢れさせて言った。

「だって…あの子、きっと私の事憎んでる…きっと許してはくれないわ…!」
「ええ、そうでしょうね。でも、それはあくまでも”未来のあなた”を、ね。
今のあなたは、未来のあなたじゃないでしょ?あの娘は、そんな事くらい理解
出来る子よ。私と違って…」

「どうしてそうだと言えるのよ?未来の私も今の私が元になってる筈でしょ!
どうしてあなたに菫さんの気持ちが理解出来るっていうのよ!?」
「…分かるわ。」

 急に表情が曇り、遠い目で部屋の天井を眺めて光は言った。

「私はね、自分の母親を殺そうとしていたからよ。」


 意外な言葉をこの年上の光から聞かされて、夏美は言葉に詰まる…。
彼女はソファーに腰を下ろすと、さばさばとした表情で話を始めた。

「小さい頃に生き別れてから、ずっと私は母を恨んで生きてきたの。この歳に
なるまでよ?スイスから日本に渡って来て、ある大学の理事長をしている母親
を見つけたのは大学生の時で、その大学は実は母が作った秘密結社の本拠地だ
った。その頭だった母親を殺して自分がそれを乗っとろうとしていたのよ。」

 あっけらかんと恐ろしい事を語る光を、夏美は立ちつくしまじまじと見つめ
た。

「母親が死んだ後も、私は彼女が憎くてしかたなかった…でも、実はその母親
が長年、別の人物に操られていたと知って、長い間の恨みや憎しみはその時を
境にすっかりと消えたわ。私の誤解だったと知ったから…。今思えば、私は母
親が傍に居なかった寂しさから、母を恨むようになっていたのかも知れないわ
ね。」

 夏美はつい今しがたまで湧き起こっていた激しい感情がどんどん萎み、彼女
の話を聞いているうちどこか穏やかになってゆく気がした。

「それに、菫さんはこの時代であなたが悪い連中に利用されていたって事を
知ったのよ。おまけに言えば、彼女はこの十数年の間、神父様の元でシスター
として生きてきた…あの子は情の深い子だわ。今はいきなり記憶が戻った事で
、少し気が動転しているだけよ。若かりし頃の悪かった自分に…。」
 
 光の言葉を聞いているうち、夏美はなんだかいてもたってもいられなくなっ
てきて、部屋の出口へと足が動いた。

 夏美は自分の少女時代を思い出し、寂しさから両親に対して反抗的だった
当時の自分と、娘の菫が同じだったのではないか?という事に気がついたので
ある。

「あの…光さん、ありがとう。なんか、大事なことを思い出したわ。」
「そう?なら良いけど…あっ、もう一つだけ…」

 ドアの前で光の方を振り向き、夏美は彼女の言葉を待つ。

「…もし、部屋に鍵がかかってたらー」
「ええ、分かってる。ドア蹴破るんでしょ?」


 夏美はにやりと笑みを浮かべて、自分の部屋のドアを開ける。
だが、意外にも廊下には涙を流しながら立つ菫の姿があった。

「菫……さん。」
「お母さん…!」

 彼女は部屋の中の夏美にいきなり抱きつくと、泣き崩れながら言った。

「…私ずっと、後悔してたの!お母さんに優しく出来なかったって…病気だっ
たお母さんに何もしてあげられなかったって!ずっと後悔してた…ごめんなさ
い…。」

 菫に抱きつかれた夏美は、床に尻持ちをつくように倒れ込む。
その暖かな菫の心地良い抱擁に、夏美は涙が溢れるのを止める事が出来なかっ
た。

「ごめんって…何言ってるのよ、悪いのは全部…私じゃないの。あなたは何も
悪くないのに…!悪くないのよ…。」

 夏美は菫の頭に顔を埋めるようにして、彼女をしっかりと抱きしめながら
呟くように囁いた。

「ごめんね、菫…ごめんね。」

 
 時間を越えた母と娘の涙の抱擁を見ていると、光は何故か真理の事を思い
出し熱い涙が一粒こぼれ、二人を残しそっと部屋を出た。

 

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 モラヴィア館の三階へとやって来た博士と秘書は、303号室の千枝子の
部屋を訪ねた。ウェイトレスの彼女は、お店を閉めると早々に就寝するとの事
だったので、夜の八時を過ぎた今ではすでに眠っているかも知れなかった。

「…まあ、今晩に限っては寝てるという訳にはいかんよなぁ…よし、ノックし
てみようか。」

 博士が303号室のドアをノックすると、しばらくして鍵を開ける音が鳴り
ドアが開いた。

「…何ですか?」

 ドアを半分ほど開け、顔と手だけ出しながら千枝子が言った。
すでに就寝していたのか、寝巻き姿を隠すようにこっそりと顔だけ廊下へ出し
ていて、相変わらず驚くほど度の強い眼鏡をかけ、女学生のように髪をツイン
テールにしている。

「いや、このモラヴィア館で、何かおかしな事が起きてるんですよ。」
「ここはいつでもおかしな事が起きてますよ。今更驚きはしません。」

 そう言ってあくびをしながら部屋の中へ戻ろうとする彼女に、博士は慌てて
言った。

「…いやいや、ちょっと廊下の鏡を見て下さいよ。」

 博士の言葉に、渋々首だけ出して廊下を覗きこんだ千枝子は、不気味な物で
一杯の鏡を見て仰天しながら廊下へ飛び出してきた。上半身は寝巻のシャツを
着ていたが、下は短パン姿で細っそりとした色白の生足を晒している。

「…な、何ですかこれ?」
「よくは分からないが、我々はこのモラヴィア館に閉じ込められてしまったら
しい。外に出る事が出来なくなってるんだ。今晩は何が起きるか分からない、
全員が集まっていた方が良いんじゃないかと思って。」

 それを聞いた千枝子は着替えをするために部屋の中へ戻ろうとする。
博士はそれを止め、彼女にもう一つ質問をした。

「おっと、その前に聞きたいんだけど、もう一人住人の背の高い男の人がいた
と思うんだが、もう二日ほど帰ってないようなんだけど…彼の仕事か何か、君
は知っているかな?」
「…ええ、ブティック勤めだって聞いてますけど…。」

 顎に手を置いて考えを巡らす博士は、二日も館へ戻っていないなら、いずれ
にせよ今このモラヴィア館に入る事は出来ないだろうなと思った。それはそれ
で、一人でも危険な目に遭う者が減るという事で、問題は無い。

「あれ…でもあの人、今日モラヴィア館にいましたよ?」
「何だって?それいつの事です?」
「確か…お昼過ぎだったと思うけど…皆さんが出掛けた後だったと思うわ。
部屋から出て来て階段を上がっていったの。」


 博士はしまった!というような表情で顔色を変えた。
この閉じ込められたモラヴィア館に、自分達以外で自由に動き回る人物がいる
という事実が今一体どんな意味を持つのか…。

 五階で殺された老人、消えた巨大なプリズム、不気味な鏡の謎…。
そして、まもなくやって来る惑星直列。

 これらの謎を知る可能性が最も高い人物、という事になる筈だ。


「千枝子君、彼の部屋は?」
「201号室です。」


 博士たちは急ぎ下への階段へと向かった。

 

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     (続く…)