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夜の観覧者 26話

 

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           26  空の上の伏魔殿

 

 10月8日 夕方までの時間…

 全長五メートルはあろうかという黒いリムジンの中は、さながら高級クラブ
のようだった。L字型の長いシートに、バーのカウンターの様な物が接置され
ており、驚くほど豪華なグラスやシャンパンが並べられている。

 窓は全面にスモークが張られてあり、昼にも関わらず車内には外の陽の光は
一切入ってきていない事から、乗っている者にはこの空間だけ夜のように思え
た。


 そのリムジンと呼ばれる大型の高級車のシートに、涼子は緊張の面持ちで座
っていた。隣には大男の刑事が座っているが、車内を見回してその面子の場違
い感に涼子はため息を吐き出す。

 ジーパン姿のラフな夏美に、修道服を着てぴかぴかのスポーツシューズを履
いている菫。それはまだ良い。

 ひどいのは明らかによれよれの黒い防寒着を着たぼうず頭の男に、これから
渋谷辺りに遊びに行こうかという服装の四十近ばの魔女と秘書の二人だ。彼ら
は何ともリラックスして広いリムジンを満喫している…。


「…今日は停電のために信号機が使えません。大変道路が混み合うため、到着
まで時間がかかると思います。何かお飲み物でも御作りいたしましょうか?」

 運転席側から、白川と名乗った下柳会長の執事がやって来て静かに言った。
頭は真っ白で、年の頃は六十を過ぎていると思われるが、かなり背の高い男で
ある。

「じゃあ、何か軽い飲み物でも貰おうかな?」
「私はカクテルで!」
「なら私はウイスキーを。」

 博士たちが口々に注文をすると、初老の執事は無言で飲み物を作り始める。
それを見て涼子が小さな声で三人に釘を刺すように言った。

「あなたたちね…向こうは敵なのよ?お酒なんて作ってもらってる場合じゃな
いでしょ?」
「まあまあ、良いじゃないか涼子君。確かに我々の味方ではないけど…紳士的
な態度には我々も紳士的に応じるのがマナーではないかな?」

「そうそう、上杉謙信も敵に塩を塗るっていうし。」

「早紀君…それは「塩を贈る」じゃないか…?」

 

 彼らの奇妙な掛け合いに、涼子は口を尖らせて黙る。
代わりに、今度は隣の刑事の男に矛先を向けて囁く。

「…さっき部屋で、あのぼうず頭に何言われたの?」
「今は秘密です。詳しい事がはっきりするまでは誰にも言えないんですよ。」

「…私くらいなら言っても良いでしょうに…同業者よ?」
「いえ、彼から”賄賂”を貰っているので。」
「…お金貰ったの?何考えてるのよ…」
「お金じゃありませんよ。もっと良い物です。」

「…何よ、それ…」
「さあ、何でしょうね?」

 大男の刑事は不機嫌極まりない表情の涼子を見つめて、にんまりと笑った。


 板橋区一帯の停電地域を抜けると、信号機も普通に機能していて車はスピー
ドを上げ目的地へと向かって走ってゆく。黒いスモーク越しにも高いビルがあ
ちこちに見えてきていて、東京の中心部へとやって来たのが分かる。

「…そろそろ目的のビルだな。鬼が出るか蛇が出るか…」


 博士は窓の外に目をやり、近ずくひときわ巨大なビルを見つめて言った。
地上五十九階という超高層ビルである。

 下柳グループの企業は言うに及ばずで、その他にも様々な企業やテナントが
多数入ったマンモスビルだ。もちろん観光としても多目的に利用されるこの巨
大ビルには、映画館に劇場などあらゆるジャンルが楽しめる観光名所にもなっ
ている。

 電力を自力で発電出来る事から、災害時に避難街としても活用される巨大な
複合商業施設であり、このビルは世界でも名だたる下柳グループのまさに根城
とも言える本拠地である。


「鬼も蛇もでるわよ、きっと。」

 グラスのウイスキーを飲み干すと、光が言ってにやにやと笑う。

 博士は無言でしばらくの間、光と共に並んで座る秘書の二人をじっと見つめ
ていた。ぼんやりと二人の女性の目を交互にじっと見つめては、頭の先から
つま先まで大袈裟なくらい見つめる。

 

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 渋滞の中、そんな事を十数分にも亘り博士は繰り返し行っていた。


「おっと、着いたみたいだぞ?」

 博士はリムジンが巨大なビルの地下に向かって、スロープを降りて行くのを
窓に張り付くようにして見ながら言った。車が向かうのは、地下の駐車場であ
る。

 厳重な門をいくつか通過して、ようやく駐車場に着くと車は止まった。

「…お疲れ様で御座います。到着いたしました。この先は私がご案内いたしま
す。」

 執事は言うと、リムジンを降りる涼子らに言って頭を下げる。
初老の男は、明るい電気のついた誰もいない広い駐車場を背筋を伸ばして歩い
ていくと、涼子や博士たちはぞろぞろと彼の後をついて行く。


 最後にリムジンを降りた光は、手前を歩く秘書の耳元に囁くような小さな声
で言った。

「危ない危ない…ねえ、あなたのパートナー、私らの考えてること知ってるん
じゃない?」
「いえ、ただの偶然でしょ?好きなんですよ博士は、ああいうのが。何ていう
のか…控えめなエロスみたいな?」

 秘書はくすくすと笑いながら、前を歩く光のお尻をぱちんと叩いた。

「きゃ…!?ちょ、あんたって子は!」
 
 二人はじゃれあいながら、先を行く涼子らを小走りで追いかけて行く。
ここはすでに敵の城内で、何が待ち受けているか分からないのであったが…。


 広い駐車場の一番端まで来ると、執事の男は壁際にある豪華なエレベータの
前で涼子らを振り向き、丁寧に手まねきして言った。

「こちらから上に参ります。どうぞ…」

 広いエレベータの中に全員が入り、執事はいくつかあるボタンの一番上を
押すと上に向かって移動を始める。上がり始めてすぐ、エレベータの壁の一面
が外の景色に変わり、東京の街がみるみるうちに下へとなっていく。

「お母さん、見てこの景色。」
「…だめ、私、高いとこ苦手なのよ…。」

 そのお母さんという言葉に、初老の執事は菫の方をちらりと振り返った。
それはそうだろう、どう考えても歳の頃が同じくらいか、それよりも上であろ
うと思われる菫が夏美に向かって言う言葉では有り得ないからだ。

 彼はしばらく無言で菫の顔を見つめていた。

「私ね、十数年間この街を高い所から見た事一度もなかったんです。ずっと
教会にいたし…お出掛けした事もなかったから。」
「そうなんだ。今度もっと高いなんとかツリーとかいうのに連れてったげる
よ。」

 夏美の誘いに菫は嬉しそうな顔をして、またガラスの向こうの街を見下ろし
た。

 

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「…でも、これだけ大きなビルで、しかも人でたくさん溢れてる商業ビルなん
だから、向こうさんが手荒なまねをする事はなさそうね。」

 外の大都市東京の景色を眺めながら涼子が言った。
このビル施設の一般人への開放的な姿勢から、多少緊張がほぐれてきていた。

「どうかな…このビルは二十五階までは一般の商業施設やテナントが入ってる
が、そこから上の数十階は全部、下柳会長たちのフロアだ。おまけに、いま向
かってる場所は、恐らく一般のフロアからは上がれない区画のはず…。地下の
駐車場経由でしか入れない場所は、会長ら一部の連中しか入れない秘密の場所
だと考えた方が良いかもね。」
「…………。」

 博士の意見に涼子はしばし沈黙し、エレベーター内の執事の様子を窺う。
彼は涼子たちの話しを聞くでもなく、真上の電気を見つめている…。


 と、エレベータが止まり、ドアが静かに開くと執事は到着したフロアへと皆
を案内する。そこはビルのかなり上層であったが、何階なのかはわからない。

 エレベーターを出ると、たっぷりと外の日差しが入り込む大広間になってい
て大きなテーブルが中央に置かれてあった。見たところ、パーティーか会議で
も行われるくらい立派で豪華なフロアである。

 外側はL字型に大きなガラス張りになっており、大都会東京が一望出来る
景色が広がっていた。


「…皆さま、会長がおいでになるまでの間、ゆっくりとお食事でもお楽しみ
下さい。」
「あの、私たちもあまりゆっくりしている時間が無いんですけど。」

 腕の時計を見つめながら、涼子が眉毛をひそめつつ初老の執事に言った。
時間は午後一時を過ぎている。

「会長はかなりの高齢でいらっしゃいまして、支度などに時間がおかかりにな
りますので…申し訳御座いません。」
「まあまあ、良いじゃないか少しくらいなら。ちょうどお腹もすいたところだ
し…。」

 博士が涼子をなだめるように言って豪華な椅子に座った。
テーブルの上には上等のグラスに、様々な料理が盛られた皿が並んでいる。
いずれも高級な食材を使った物ばかりで、普段博士たちが口にするものはほと
んど並んでいない。

「…菫さん、せっかくだから私たちも頂きましょう。」
「え、ええ…。」

 食事を取るためにテーブルについたのは博士と秘書と光、そして夏美と少々
戸惑い気味の菫の五人だった。刑事の涼子と大男の刑事はテーブルにはつかず
に、彼らが食事をしている間も、緊張は解かずに何かが起きた時のために、辺
りに注意を払いながら待機している。まだ歳は若いが、二人は刑事なのだ。

「博士、このデンデンムシみたいの何ですか?弾力がゴムみたい。」
「……これはエスカルゴだよ。まあ、食用カタツムリには違いないが…」

 夏美と菫が行儀よく食事をしているのとは正反対に、光はなんとも下品な
食べ方で次々と料理をフォークでつついては口一杯に放り込んでゆく。光の
取り皿にはいつものように、油っこい物ばかりが山になっている…。

「…カタツムリにはたくさん種類があるの、食用に向くのはリンゴマイマイ
ともう一種あるんだけど、リンゴマイマイ絶滅危惧種になっちゃったんで、
代用品としてアフリカマイマイを使う事が多いのよ。こいつ…ね。」

 口一杯にエスカルゴをいくつもほおばりながら、光は秘書に説明した。

「へえー、光さんって、デンデンムシにも詳しいんだ。」
「魔女にとってカタツムリはけっこう重要な材料なのよ。色んな物に使うの、
殻を乾燥させて粉末状にしたり、身をすり潰して何かに混ぜたり…あ、あの
執事さん?」
「…何で御座いますか?」

「このエスカルゴ天然?それとも養殖もの?」
「養殖で御座います。天然物は処理がなかなか大変で御座いまして…」

 喋りながらも別の料理に手を出しては口に詰め込んでゆく光の姿を、黙って
大人しくしていれば綺麗な女性なのに…と秘書は心の中で思ったが、これが
彼女の魅力でもあるんだろう…たぶん。

 と、隣の博士が食事の途中に席を立つと、壁際に背を預けて立っている大男
の刑事のいる場所へと歩いて行く。そして何やら二人話しはじめたが、秘書は
そのまま食事を続けた。何故なら、執事が大きな皿一杯のデザートを持って
やってきたからである。

 

「…どうだ、情報はきたかい?」
「きましたよ、あなたの言った通りです。今度の事件には政府は関係していま
せんね。残念な事に私の同業者は一部関与していましたが…」
「そうか、それはひとまず安心だな。となると…やはりー」
「ええ、おそらく例の会員制ショップのメンバーのみがオカルト組織の構成で
しょう。まあ、オカルトというのも実は彼らの隠れ蓑になっているのかも知れ
ませんがね。」
「…だろうな。それで、君の仲間はお金の流れは掴めたかい?」

「もちろんです。実はオカルト仲間の三つの機関に多額の資金が流れているん
です。一つは民間の企業なんですが、量子力学とかいわゆるレーザー照射など
の研究機関です。何故かある慈善団体から寄付金として金が流れています。」
「慈善団体だって?で、他の二つは?」

「二つ目は何とも奇妙な場所なんですが、モラヴィア館の喫茶店ラ・テーヌに
も先ほどの慈善団体が寄付しているらしいんです。こいつは奇妙な話でしょ?」
「ふむ…つまりラ・テーヌの影の経営者という訳か。その目的は何だろう?」

「最後にこれも民間の研究所で、バイオの研究だそうです。表向きは植物や
昆虫の研究だそうですが…これがかなり面白い場所に繋がっているんですよ。
どこだと思います?あの聖パウロ芸術大学に存在していた地下の研究施設、
それが別の場所に今も存在しているそうで、それがこのバイオ研究所です。」

 その名前を聞いて博士は目を丸くした。
忘れもしない二度にも亘る恐ろしい事件である…。
その中でも特にあの地下研究施設での出来事は、博士にとっても危険きわまり
ないものだった。

「…と、言う事は…あの数年前の事件も、ブルクハルト芸術大学に遡る事件も
資金援助をしていた者がいたって事か…」
「ええ、つまり真の意味での黒幕ですよ。それも黒幕でありながら、裏に隠れ
た人物じゃない…表の世界の大物中の大物です。」

「裏の裏は”表”になるからね。」

 博士は腕を組むと、広間で楽しそうに食事を続けている四人と不機嫌な表情
で腕時計を見つめる女刑事を見つめた。

「下柳清五郎か。」
「若者風に言わせていただくなら、ラスボスですね。」

 様々な人たちの運命を狂わせ、今も苦痛を与え続けているという真の黒幕。
一体いかなる人物なのか?しかもここはその本拠地である…。

「それと、もう一つ重要な事実があるんです。地球周回軌道上にある民間の
人工衛星板橋区周辺に照準を合わせているそうです。」
人工衛星だって?一体何の照準なんだい?」
「いわゆる、レーザー砲です。原子爆弾のような広範囲の威力はありませんが
アパート一つ消しさるくらいの威力は充分にありますね。」

「…レーザー砲。そんなものがすでに開発されているのかい?」
「ええ、先進国のほとんどがそういった人工衛星を所持しています。空の上に
あるものを世間の人間が知ったら驚きますよ?ある大国には、家や建物の内部
まで写せる衛星もあるんです。覗こうと思えば風呂に入っているところまで覗
けるって訳ですよ。」
「……とてつもない話だね。」

「ところが不思議な事にその人工衛星なんですが、昨夜の夜から急に停止して
いるらしいです。原因は不明ですが。」
「停止?昨日の夜って事は…例の大停電と何か関係があるのかな?」
「それは分かりませんが、敵さんはその事でかなり大騒ぎのようです。おそら
く、この殺人光線衛星が彼らの最終手段になる筈だったからです。」


 テーブルでは女性たちが上等の生クリームケーキをわいわい言いながら食べ
ていて、菫が一人何も食べずにいる涼子に皿のケーキを手渡そうとしている。
が、涼子はそれを断り皿をテーブルに置いて言った。

「私はいいわよ…ほんと、大丈夫だから。」
「あら、せっかくの菫さんの好意を無にしたらいけないわ?ほら、お食べ。」

 光は皿のショートケーキをホークで突き刺すと、あくまでも食事を取らない
涼子のお口に押し込んだ。おまけに逃げないように片手を掴んで離さない…。

 「この子、意地でも食べないつもりね?甘いもの取らないと脳の疲れも取れない
のよ?私たちのリーダーが、冷静な判断もとれなくなったら困るの?分かる?」

 

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「げえっ…!?」
「ほ~ら、涼子ちゃん美味しいでしょ?おっきい口開けてかみかみするのよ?
ん?かみかみ出来ない?じゃ、ごっくんしなさい。どんどん押し込んじゃうわ
よ?全部ごっくんして…あら上手!可愛いくてゾクゾクしちゃう!」

 万力の様な力で光に抑えつけられた涼子は、口一杯の大きな生クリームケー
キを大騒ぎしながらも飲み込まされた…。


 博士と大男の刑事は、その二人の拷問じみたジャレ合いを無言で見つめてか
ら、先ほどの話を続ける。

「……なるほどね、今晩の惑星直列を狙って起きる次元連結を成功させた後に
何か予想外の出来事が起きた時のための…いわば抑止力としてのレーザー砲
だったんだな。跡形もなく証拠隠滅出来るからね。」

「そのようです。それが機能しなくなった事で、敵はパニックに陥っているの
だと思います。それで我々を呼びつけて何か情報を引きだそうとしているのか
も知れません。」

「あるいは我々全員を呼びつけたのは、もしかすると…」

 博士が大男の刑事に何かを言いかけた時、広間の奥にある扉が開いた。
数人の黒い背広を着た男たちと共に、車椅子に乗った老人が広間へとやって来
る。

「お待たせいたしました、会長がおいでになりました。」

 初老の執事が静かに言うと、縦長のテーブルの一番奥に会長と呼ばれる男が
席についた。食事をしていた女性陣らはその手を止め、緊張の面持ちでその
老人を見つめる…。

「いや、そのままで、どうぞ食事を続けて下さい。こちらが無理を言って皆様
を呼び出したのですから。」

 何とも穏やかな口調で、会長と呼ばれる男は言った。


 車椅子に乗ってはいるが、顔には精気がみなぎっておりとても七十を過ぎた
とは思えない容姿をしているこの老人が、下柳財閥の創設者にして会長職につ
いている下柳清五郎であった。

 

(続く…)