ザ・怪奇ブログ

怪奇小説・絵画・怪奇の世界!

夜の観覧者 30話

 

      f:id:hiroro-de-55:20200415210754j:plain

 

           30  夜の前の一時間…


 10月8日 運命の夜…

 昼間同じリムジンに乗って来た時とは違い、夏美たちの中で無駄話をする者
は一人もいなかった。全員無事に戻ってきたとはいえ、あれだけの惨劇を目の
当たりにしてきたのである、無駄口をきけないのもしかたない。

 下柳会長とこれまで暗躍してきた殺し屋達は、全員が高層ビルのフロアで
絶命した。それ以外にあの場で夏美らが帰ろうというのを邪魔する者はなく、
初老の執事の案内で、忌まわしいビルをリムジンで後にしたのである。


 しかし、当然の事ながら敵は黙って夏美らを帰すことは考えていなかった。
いきなりリムジンの後部に激しい勢いで何かがぶつかってきた。

「ちょっと、何…!?」

 突然の衝撃に驚きながらも、涼子は後部の窓を覗く。
リムジンのすぐ後ろに、二台の黒い乗用車がぴたりとくっついてきていて、
時おり激しく追突してくる。

「会長がいなくなったのに、どういう事?」
「そりゃ、いくら会長が死んだと言っても敵は一人ではないだろうし。この
まますんなり我々を逃がしてはくれないだろうね。」

 博士も後部の窓から追いかけてくる乗用車を覗き込みながら涼子に言った。
外はすでに日も落ち暗かったが、二台の車が車体も窓も真っ黒だという事は
判った。

「さようです。ですが、私くしの勤めはあなた方を無事にモラヴィア館へと
送り返す事…これだけはお約束いたします。」

 そう言うと初老の執事は、何かのリモコンを手にするとボタンを押した。
するとリムジンにいくつかある窓にシャッターが降り、完全に外が見えなくな
った。一種のバリケードである。

 そんな執事の姿を見つめながら、博士は奇妙な思いが湧きあがるのを抑え、
白髪まじりの男に言った。

「それはありがたい話だけど、でもあんたは会長の執事を長い事やってきた、
いわゆる我々には敵側の人間だ。そこまでしてくれる理由が判らないんだよ
なぁ。」

 博士の質問に、執事は一瞬だけ小さな笑いを浮べてソファーに座る。
そしてブランデーをグラスに注ぎ、一口だけ飲んでからゆっくりと答えてくれ
た。

「…下柳会長は小さい頃から知り合いでしてね、若いころは二人でかなり馬鹿
な事もやりましたな。歳を取り私は彼の執事をやるようになり、その頃にはす
っかり彼は人が変わりましたよ。権力欲には限度がないものなのですな…。」

 リムジンはかなりのスピードで飛ばし、今どこを走っているのかも分からな
かったが、あれ以来車体がぶつかる事は無くなった。リムジンの運転手はかな
り凄腕のドライバーのようである。

「この数年、会長が何をやろうとしていたのか?何を求めていたのかは知りま
せんが、その事であなた方が命を落とす事などありません。もちろん、この街
に住む多くの人々も含めて。ですから私くしは、あなた方の依頼主に会員制
アンティークショップの情報を流したのです。」

 博士や光は、その執事の言葉に驚きの表情を隠せなかったが、なるほどそれ
ならいくつか辻褄が合うなと博士は思った。

「あなたが…良美ちゃんに情報を送ってきた人物だったのね?」
「ああ、胸元の綺麗なあの女性ですな。例のテナントの最後の日に会いました
よ。あなた方は皆、たいへん愉快な人たちだ。」

 須永理事長の話を思い出し、白髪まじりの執事は楽しそうに微笑む。 

「…という事は、レーザー砲がモラヴィア館を狙ってるという情報もー」
「ええ、私くしが流させていただきました。そちらの若い刑事さんにね。」

 それを聞いて大男の刑事は、意外な表情で執事を見つめる。
博士はその刑事の様子をちらりと見てから、グラスのブランデーを飲み干す
初老の男に言った。

「あんた、たいしたたまだよ。」
「…いいえ、私くしは…ただ、妻の眠るこの街をめちゃめちゃにしてほしくな
かっただけなのです。ずいぶん昔に亡くなった彼女が眠るこの街…私は田舎が
生まれでほんとは好きではないのですがね…」

 白髪まじりの上品な雰囲気を持った、下柳会長の執事はそれだけ言うと後は
リムジンが停まるまで一言も口を聞かなかった。

 

 

        f:id:hiroro-de-55:20200415211645j:plain



 
 しばらくしてリムジンが急停車すると、執事は立ち上がって言った。

モラヴィア館に到着いたしました。急いで館にお戻りを…さあ、急いで。
彼らは館の中までは入ろうとしませんから。」

 涼子を先頭に、夏美らは素早くリムジンを降りてゆく。
車はモラヴィア館の入り口すぐ傍に停まっていて、今だ停電中の街の中にあっ
てもほのかに明るさを放っていたが、他を見ると東京の街とは思えないほどの
暗闇に包まれている。

 別れ際、初老の執事は最後にリムジンを降りようとする博士に言った。

「私にはこれから何が起きるのかは分かりません。ですが、あなたたちなら
何とかしてくれると信じております。」

 館の入口へとせかす秘書に引かれてゆく博士は、彼の言葉を聞いた。
モラヴィア館の入口の重いガラス戸をくぐった博士は、もう一度だけ外を振り
返る。

 全員が館の中へと入ったのを確認すると、またリムジンに乗り込む執事を見
ながら秘書が博士に呟いた。

「ね、博士。あの人…どうなるのかな?」
「さあね、分からないな。無事ですめばいいけど。」


 それ以後、博士らはこの白髪まじりの執事を目にする事は二度となかったの
である。

 

 

 入口を入りロビーの奥を覗くと、珍しく管理人室にぼんやりと明かりが点い
ていた。あの派手でごつい管理人が来ているのだろうか?大停電と聞いて様子
を見に来たのかも知れない。

 螺旋階段を上がりながら博士は、ロビーからも入れる喫茶ラ・テーヌの窓を
見つめると、すでに明かりは消えていた。あのウェイトレスも部屋へと帰った
のだろうか?そういえば、歓迎会で会った背の高い色白の男はあの時以来、姿
を見ていないなと博士は思った。

「博士、どうしたの?」
「いや…行こう。」

 言いながら博士はまた階段をのぼり始め、暗い螺旋階段の上を見つめる。
昼間ここを出る時とは何か違う、奇妙な重苦しい気配が充満しつつあるような
気がした。

 

 夏美や菫が部屋へと戻ると、時間は夕方の十八時を少し過ぎた辺りだった。
モラヴィア館へと戻ったのは良いが、今晩は何が起きるか想像もつかない状況
で、それぞれ何をしたらいいのか分からずに、皆うろうろとしている。

「あ、あの、とりあえず私たちは光さんの怪我の治療するんで部屋に戻ります
ね…!」
「お、おい…!?」

 何だかそわそわと落ち付きのない秘書が切りだすと、なかば無理やり博士と
光の手を取り夏美の部屋の出口へと向かう。確かに一人殺し屋と格闘の際に、
少々手傷を受けた光ではあったが、この間ほどの大きな怪我ではない。

「あ、じゃあ僕も、涼子さんお話が…」
「いいけど…何?」
「ああ…ここではちょっと…」

 大男の刑事が自分の口元に人差し指を当てながら言うと、涼子は彼が仕事の
話をしようとしているのだと悟り、無言で頷いて部屋を出ようとする。

「それじゃ、私と菫さんで軽い食事の用意しときますね。」

 部屋を出ようとしている連中に夏美が言うと、秘書に力まかせにドアから外
へと出されようとしている光が答えて叫んだ。

「な、なら、一時間だけ自由行動にしましょ!その後でどうするか決めましょ
……だっ!?」

 それぞれ慌ただしく夏美の部屋を出て行き、一時間の自由時間を持つ事にな
った。

 それはある意味、この場にいる全員が漠然と抱えている”もしかしたら今日
が最後の夜になるかも知れない”という不安から出たものであると、皆知って
いたのである。

 

 


 夏美や涼子たちが別々に時間を過ごしている頃、モラヴィア館の五階…
立ち入り禁止の、暗く危険な部屋の中を動く影があった。

 それは今朝がた光が見つけた大きなプリズムを両手で押しながら、ゆっくり
と動かし移動してゆく。直系が三・四メートルほどもある巨大なプリズムであ
ったが、小さなタイヤのついた板の上に乗せる事でいとも簡単に移動させる事
が出来る。

 五階の奥まで来ると、一際薄暗い部屋のような場所までプリズムを運び込み
、その人影は奥の壁際にかけられている大きなキャンバスに描かれた絵を見つ
める。これは204号室の老人が描いた得体の知れない作品だが、それを引き
剥がすと床に乱暴に叩きつけた。

 キャンバスが落ちたその床の上にはこれを描いた張本人、204号室の老人
が大きく両目を開き倒れていて、そこには大きな血溜まりが出来ている…。

 絵を剥がした裏の壁に手を押しつけると、壁の一部が奥へと開いた。
その先は、緩やかなスロープ状の通路になっていて、上へと続いている。六階
への隠し通路であった。

 暗いスロープを、巨大なプリズムを押す人影がゆっくりと上っていく…。
通路の幅は徐々に広くなっていて、奥の広間は赤く淡い光がぼんやりと見えて
いる。

 スロープを登りきった先は広いホールのようになっており、高い天井には
丸い穴が開いていて、そこから月の光が柱のように真下に降り注いでいた。
そしてレンガで組まれたホールの壁と壁の間に巨大な鏡が二枚、合わせ鏡に
なっている。

 巨大なプリズムを月の光が落ちるホールの真ん中まで運び込むと、壁に埋め
込まれた二枚の大きな鏡にプリズムの光が反射して強烈な輝きを放つ…。

 それは文字通り、地獄の入口のようでもあった。 

 

 

 

       f:id:hiroro-de-55:20200415212555j:plain

 

 部屋の小さなキッチンで、野菜を切っている菫の様子がおかしい事に夏美が
気がついたのはしばらく経ってからであった。

 きゅうりを細切りにしてゆく菫は、時おりぼんやりとどこか遠くを見つめる
ような素振りを見せていて、昼までの明るさが嘘のように考え事をしているよ
うだった。

 もっとも、あれだけの惨劇を目の辺りにしてきたのである。
明るく振る舞う方がどうかしてる、というものだと夏美は思ったが、その菫の
目つきがどうにも気になるのである。

 時々瞳をぱちぱちと瞬きすると、その後で急に目つきが鋭く顔の表情に落ち
着きがなくなるのだ。これまでの数日間で、菫がこんな表情や目つきをする事
など一度もなかったからである。彼女はいつでも慎み深い表情と柔らかな笑顔
を絶やすことはなかった。

 だが、夏美は良く知っていた。こんな目つきや落ち着きのない仕草を。


 何故ならそれは、子供の頃から大人になった現在に至るまで続いている、
”夏美本人と同じ仕草”だったからである…。

 これはたぶん十代の頃、夏美が両親と上手くゆかずにやさぐれていた頃から
続いているもので、今だにそれらの問題行動は改善されていない。それが自分
の娘である菫に遺伝していたのであろうか?

 いや…この数日彼女には自分のような、やさぐれているところなど微塵も
じなかった。十数年前に坂崎神父に引き取られ教会で修道女として歳を重ねた
菫は、まるで聖母のように穏やかで哀れみ深い性格の女性だった。


      そう、坂崎神父に”引き取られてから”は…。


 それ以前、つまり過去へと菫がやって来る前の…未来の私との生活を共にし
ていた子供の頃はどうなのだろう…? 
  
 自分の両親とも上手くいかなかった夏美は、はたして自分の娘と上手くやっ
ていくことは出来たのだろうか?急に不安な気分が募りはじめた夏美は、隣で
野菜を切る菫の顔を覗き込む。

「…大丈夫?どこか痛む?」
「えっ…?ああ、お母さん…何だか頭が痛い…」

 答えた菫はこめかみの辺りを抑えながら、手にしていた包丁を床に落とす。
一瞬ふらりとよろめいたが、倒れる事も無く夏美の方を見つめるその目は先ほ
どのような険悪な目つきではなかったが、ひどく不安な疲れた目をしている。

「少し休んでた方がいいわ。きっと、あんな恐ろしい事があったもんだから
頭が疲れたのよ。」
「…お母さんの言う通り少し休もうかな…。」

 夏美はふらつく菫をソファーへと座らせ横にならせた。
そのまま無言でしばらくの間、菫は夏美の顔をじっと見つめていたが、すぐに
瞳を閉じて眠りにつく。

 この数日の事を思えば、彼女が精神的にも肉体的にも限界近くまで疲弊して
いるのではないかと夏美は思った。だが、それよりも気がかりに思うのは菫の
目つきの方だ。あの、いらついた視線は何に対し、どこからくるのか?

 その謎を解く鍵はきっと、失われた菫の”過去の記憶”にあるのではない
のか?これまでは、菫の戻らない過去の記憶などはどうでもいいと思ってい
た。だが、もし何かの拍子に彼女の記憶が戻り夏美にとっては辛い現実を知
らされる…という事もあるかも知れない。何故なら、この時代に菫がやって
来る前、夏美と菫はずっと一緒に暮らしていた筈だから…。

 それを思うと今の夏美は、彼女の記憶が戻るのが恐ろしかったのである。


 夏美はひどく疲れた表情で眠る菫を見つめながら、刻一刻と不安がつのるの
を感じていた。

 

 


 ちょうど一時間が経過した頃、夏美の部屋に戻って来たのは涼子と大男の
刑事の二人だけだった。

「あの…ちょっとー」

 ドアを開けると、夏美が声を弱めて二人に近ずいてくる。
何やら夏美は冴えない表情で、戻ってきた若い刑事たちを部屋の外へと追い立
て、囁くような小さな声で言った。

「…菫さんの具合があまり良くないのよ。たぶん疲れが出たんじゃないかと思
うんだけど…あのさ、しばらく隣の三人の部屋で待っててくれない?」

 涼子は彼女の不安げな表情に驚きながらも、柔らかい表情で夏美の申し出を
すんなりと承諾した。

「ええ、いいわ、向こうで待ってる。でも、菫さん大丈夫かしら…心配ね。」

 そう言って涼子は足取りも軽く、博士らの部屋の前に歩いていく。
夏美には何故だか涼子の雰囲気が一時間前と大きく変わった様に見えたのだ。
何か、いらいらが取れて表情が柔らかくなった気がする。

「…あなた、彼女になんかした?」
「いえ?仕事の話をしただけですが…何か?」

 首を傾げながら夏美は自分の部屋へと戻って行った。
大男の刑事は涼しい表情で涼子の後を追い、薄暗い廊下を歩いてゆく。

「あら?あの人たちいないわ…どこ行ったのかしら?」

 涼子たちが博士の部屋に入ると、三人の姿は無かった。
その変わり、奥の寝室の方で何やらどたばたと音がするが、ドアには鍵がかけ
られている。

「いるんですかー?そろそろ時間ですよ。」
「……い、今、着替え中なの!ちょっと待って…!」

 奥の部屋から光の叫ぶ声が聞こえた。
涼子はドアに耳を当て中の様子を窺う。相変わらずどたばたと騒がしい物音が
聞こえてくる…。

「…着替え中だってさ。そこ座って待ちましょう。」

 部屋の中を見回しながら涼子はソファーに座ると、お尻の下に何かが落ちて
いて、それを手にする。それは脱ぎ棄てられたストッキングだった。

「なにこれ?」

 涼子が言った時、寝室のドアが勢いよく開き、光が戻ってきた。
着替えてきたという割には、全身汗びっしょりで顔は真っ赤だったが、その後
から部屋に戻ってきた秘書は、涼しい顔で冷蔵庫の牛乳パックを取り出しごく
ごくと飲み干している…。

 

       f:id:hiroro-de-55:20200415213803j:plain

 
「凄い汗、大丈夫?」
「…ああ、熱あんのよ。気にしないで。」
 
 そう言うと光は凄い速さで窓の方へと向かい、外の扉を開けようとした。
室内の”よどんだ”空気を外に出そうという光の思惑だったが、どういう訳か
扉はどうやっても開かなかった。

「あら?どうなってんのよ…窓開かないわ。昼間は開いたのに…」
「…おかしいな、隣の寝室の窓も開かないぞ。」

 博士が寝室から戻り言った。
三人で寝室にこもり何をやっていたのか?という事を涼子たちに悟られる前に
、またも奇妙な現象が起きつつあった。

「光さん、他の部屋も見てみましょう。」

 涼子も素早く立ち上がり、光と共に隣の夏美の部屋へと向かう。
最後に部屋に残った博士は大男の刑事を見て言った。


「…涼子君、何だか雰囲気が変わったな。」
「ですね。実はちょっと彼女に頼みごとをしたんですよ。写真撮らせてくれま
せんかってね。もしかしたら今晩無事に過ごす事が出来ないかも知れませんか
らねっていう話で…。」
「ほう…それで撮らせてくれたのかい?」

 大男の刑事は頷くと、嬉しそうに自分の携帯を取り出す。

「いやぁ、あまりにも嬉しすぎて買ったばかりの携帯なんですが、今日だけで
データフォルダが満杯になりましたよ。まあ、ほとんどがパンチラ画像なんで
すが…」
「満杯って…数百枚は入るだろ?一時間もずっとパンチラ撮影会??」
「そうなんですよ、涼子さん楽しそうに付き合ってくれまして。いやぁ今日は
良い日だなぁ。」

 若い刑事は自分の携帯をポケットにしまうと、今度は博士に質問してくる。

「ところで、あなたは?あのお二人方とご一緒だったんでしょう?」
「ちょっとね…マッサージを…うん。」
「…一時間もずっとマッサージですか??」

 


 男二人で部屋の入り口に立ちひそひそと笑っていると、秘書の呼ぶ声が聞こ
えた。このモラヴィア館に、いよいよ何かが起こりつつあるのだろうか。

「さて…行こうじゃないか。君がここへ来た目的も、今晩が山なんだろう?
ところで、君の顔はどこかで見た事があるなと思ってたんだが…」
「気のせいじゃないですか?」


 とぼけたように笑う若い刑事は、博士の背中を押して秘書が呼んでいる夏美
の部屋へと向かった。


(続く…)