ザ・怪奇ブログ

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夜の観覧者 28話

 

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              28  開戦


 10月8日 夕方までの時間…

 それはいつの時代かも知れぬ、遠い昔から存在していた一本の木だった。
人類が歴史に登場し、集団を形成し始めた頃からそれは人々の信仰の対象
へと変わっていく。

 古代ケルト人の中でも、特異な宗教観を持った人々は生贄を捧げる神聖な
場所として崇めていた事もあった。豊穣を祈り天変地異から身を守るために、
様々な生贄をこの一本の木に捧げた。実りをもたらし、そして攻め入る敵を
寄せ付けない不思議な力で土地を守ったこの奇妙な存在は、いつしか恐れる
人々から”暗闇の魔女”と呼ばれたのである。

「…ところが、九世紀に入りモラヴィア王国がその土地を領土としたのです。
それ以降、木はモラヴィア王家の所有物となっていましたが、王国の滅亡と
ともに歴史から消えてしまいます。」

 しかしモラヴィア王家は完全には滅びておらず、密かに王家の血筋は生き残
っていたのである。当然、不思議な力を持つ木も受け継がれていて、十七世紀
に作られたという、ある美しいヴァイオリンは、例の木を材料に製造されたと
いう事だった。得体の知れぬ、暗闇の魔女の魔力を秘めた美しいヴァイオリン
である…。

「…ふむ、御神木で作られたヴァイオリンが、伝説で語られる暗闇の魔女なの
か?けど、あの得体の知れない力は一体…なぜあんたらを襲っているんだ?」

 その博士の質問に、物理学者はとても話ずらそうにちらりと会長を見てから
静かに語り始めた。

「…我々がオカルト集団と共に鍵であるヴァイオリンを捜しだし、それが羽田
夏美さんの手にあると知ったのは数年前でした。オカルト信奉者の彼女の旦那
さんと弁護士の川村、それと吉岡の三人は綿密に計画を立て夏美さんに近ずき
ました。」
「…つまり元旦那が私と一緒になったのは…ヴァイオリンが目的だったって訳
ね。」

 夏美は淡々と言って、うつむき加減に片手で顔を覆う…。
それはむしろ、怒りというよりは過去の自分の選択に対する後悔でもあった。
その横には心配そうな表情で菫が寄り添うように立っている。

「でも、ヴァイオリンが欲しいだけなら、どうして私と結婚する必要があった
の?それだけ盗んでいけば簡単じゃない?」

 物理学者は、何か見えないものに怯えるような表情で話を続けた。

「…そういう訳にはいかなかった…あれは意思を持っていたのです。しかも、
あのヴァイオリンをあなたから引き離す事が何故か出来なかったようです。
しかたなく我々は、あなたごとヴァイオリンをモラヴィア館へと運び、調査
研究を始めました。」
「私ごとって……まさかー」

 夏美には数年前の奇妙な日々が思い出された。
結婚当初、決まって金曜の夜になると旦那が奇妙な連中を連れて来た事…
次の日はきまって深い眠りに落ち、昼頃まで寝坊していた事。


”…じゃあ、夜中に旦那達が何処かへ出掛けて行ったのは…私とヴァイオリン
も一緒だったって事なの?一体何が目的で…でも、そんな記憶は私には無いの
に…。”

 

 

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「…何度目かの調査で我々は、あのヴァイオリンが自然の木で出来た物では
ない事に気がついたのです。いや、厳密にいえば人工物とは言えないのです
が…数百年経過した今でもあの木は細胞が生きている…むしろ生命体といえ
るものです。」

「生命体だって?だって、木だったんでしょ?大昔の…」
「それも今となっては確かな事は言えません。何度目かの調査の時、心理学者
の菅林がある実験を行いました。その時に、傍にいた科学者の一人に異常が起
こり、大騒ぎになりました。凄まじい力で暴れ回り、数人を殺害して姿を消し
てしまったのです…。」

「何が起きたのですか?」

 大男の刑事が、緊張溢れる表情で話す物理学者に質問する。
初老の学者はまたも会長の方をちらりと見つめてから、静かに質問に答えて
言った。

「…おそらく、ヴァイオリンに寄生していた”何か”は一人の科学者に取り
憑き、逃げ出したのだと思います。何故ならそれ以降、ヴァイオリンの細胞
は生命反応を示さなくなった…つまり抜け殻というか…ただの”木”となった
からです。我々は”鍵”を無くしてしまった。それが今から半年前の事で…」

 

「つまり、暗闇の魔女は半年前にはすでにこの街に解き放たれていた、という
訳ですね?」

「…ええ、残念ながら。扉を開く鍵を無くしてしまった我々は、自分たちで鍵
を作り出さねばならなくなりました。面白い事に、彼らの古代魔術的な知識と
我々の科学的知識とが合わさる事で、未知の巨大エネルギーを生み出す方法を
…扉を開く方法を見つける事が出来たのです。」

 大きなガラス窓の外では、薄暗い雲の合間から稲妻がいくつも光っている。
幸い分厚い防弾ガラスのため、フロアの中には激しい雷鳴の音は聞こえてこな
かったが、それだけによけい不気味な気配が漂いはじめていた。

 博士は腕組みをしながら席を立つと、辺りをウロウロしながら防弾ガラスの
向こう側にいる車椅子に座った老人に向けて言った。

 

「それが、六芒星の魔法陣…クリーンなエネルギーを研究するのに、あんたら
は悪魔と密約を結んだって訳か。しかもあんたらは、その狂信者たちをも犠牲
にして”それ”を得ようとしている。おまけに自分たちが目覚めさせてしまっ
た暗闇の魔女に逆に命をつけ狙われ始めたんだからな。あんたたちももうじき
同じ運命を辿る事になるんだぞ?」

「確かに六芒星の魔法陣は完成しましたが…暗闇の魔女が我々に協力したとは
考えていません。はたして扉を開く事は出来るのか?今夜一体何が起きるのか
…我々には予測が出来ない事態に陥ったのです。不測の事態が起きる可能性も
あり得ます、ですから、あなた方には一刻も早くモラヴィア館から離れていた
だきたい。」

 

 無言でうろうろと歩き回っている博士は、テーブルの上にある先ほど開けた
ロマネ・コンティーの瓶を手にすると、じろじろと眺めながら言った。

「自分たちで始めておいて、予測が出来ないだって?我々を追い出して、あん
たらの言う”不測の事態”とやらが起きたら何をしようとしているのか…聞い
た話じゃ、衛星からレーザー砲で街ごと焼き払うそうじゃないか?もっとも、
今は故障で動かないらしいがね。」
「レーザー砲ですって!?」

 驚きの声を上げる光の横から、大男の刑事が博士の言葉に補足するように
説明する。

「ええ、地球周回軌道上にある人工衛星の一つです。ここ数日間ずっと板橋区
周辺に照準を合わせていたようです。厳密にいえばモラヴィア館周辺ですね。」

 その博士たちの言葉に物理学者は驚きの表情に変わった。
そしてまたも下柳会長の方を不安げに見つめる。会長は最も知られてはいけな
い情報が博士たちに漏れている事を知り、車椅子に座りながら憤怒の形相で彼
らを見つめて言った。

 

「…いいかね、現在起こっている社会問題、世界の人口増加は深刻な状態だ。
貧富の差は増し、不満分子たちの活動は増えつつある。それらを除去するため
にも絶対的な力が必要になる。それもクリーンなもので…安定した社会、世界
を維持するためにな。人類の大いなる繁栄のためには…少々の犠牲はやむをえ
まい。忌々しい暗闇の魔女が衛星の機能をストップさせているのだ…もしも夜
まで衛星が起動しなければ、被害は日本中に広がる事になるかも知れんのだ
ぞ?」

「少々の犠牲だって?東京のど真ん中に次元の穴を開けたり、レーザー砲を
ぶっ放すことが少々の犠牲?あんたら本当にいかれているな。安定した社会を
維持するためだって?嘘だね、あんたらは儲ける事しか頭にないんだよ。その
三億だって、それを我々が黙って持って帰ればあんたらにはお釣りがくるくら
い懐に金が入るように出来てるんだ。慈善事業も同じだ。途方もない金の中か
ら、ほんの僅かばかりの金を出す事でそれ以上の見返りが来るんだよ!」

「…私は慈善事業にはこれまでの人生で命をかけてきたのだ。世界の平和と
安定した生活維持のために…誰もが私を平和の象徴として評価しているのを
君は知らんのかね?」

「知ってるさ。知ってる上で、あんたみたいな奴が一番信用できないんだ。
平和の象徴、黒い部分が一つも無い平等主義者。確かにその通りなんだろうさ。
しかし、ここに来てあんたの言葉を聞いて一つも品を感じる言葉を聞いてない。
あんたは我々がこの事件から手を引き、あの館を出て行けば「暗闇の魔女」の
怒りが自分たちに向けられることは無くなると思ってるんだろうけど、そうは
ならんよ?あんたたちが滅ぼされるのについてはむしろ歓迎するね。俺は平和
主義者じゃないし、悪党にまで慈悲を施す平等主義者でもないからね。」

 

 いっきにまくし立てるように博士は言うと、フロアの空気はしんと静まり
かえった。

 ばらばらに座っていた夏美らも、いつの間にか博士たちのところへと集まっ
ていて、もはやこの場にいる者たちは、これ以上の話合いは無意味な事だと感
じていた。それは相手の老人にとっても同じ事である…。


「…それじゃ、私たちはこれで帰らせていただきますね。」

 涼子が会長に向かって言うと席を立った。
豪華な椅子に座る老人は無言で彼らを睨みつけるように眺めている。

 やって来たエレベータの方へと戻りかけた夏美は、振り返って下柳会長へと
言葉をかけた。

「…私、あなたに色々と聞いておきたい事があったけど…あの人たちはもう
この世にはいないし…過去の事はもうどうでもいいわ。私にはこれからの事が
大事なの。さようなら。」

 そう言いながら夏美は菫の手を取り、エレベータの方へと向かって歩きだ
した。


「…残念だ、出来れば静かに折り合いをつけたかったのだが…あくまでも金を
持って帰らないとなると我々も君たちを帰す訳にはいかない。残念だな、だが
これも世界の安定のためには仕方のない事だ。」

 会長が何やら楽しげな表情を浮かべて言うと、エレベータの前にいた夏美ら
は足を止める。というのも、いつの間にか下へ降りていたエレベータが上に向
かって戻ってきたからだ。

「…何だか猛烈に悪い予感がするな。」
「一体何がやって来るっていうの?」

 博士がエレベータから離れるように後ずさりながら言うと、秘書らも後退
しながら聞いた。

「…決まってるわ。”あいつ”でしょ…!」

 一人エレベータに近い位置に立ったままの光は、首のスカーフを外しハイヒ
ールを足で蹴りつけるように脱ぎ捨てる。


 ベルの乾いた音が鳴り、エレベータのドアがゆっくり開くと見たくもない姿
の人物が姿を現す。何度も襲ってきた、黒ずくめの髪の長い殺し屋だ。

 

 

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 これまでと違い、今回は明るい場所なので男の姿ははっきりと見えている。

「あ、あれが殺し屋…?」
「そうよ…あなたたちは下がって…!」

 男は顎に大きな傷を負っていると思われ、大きなコルセットのような物で顎
を補強している。これまであった白塗りの化粧のようなものは無く、素顔を晒
していた。

 まるでインディアンのような細っそりとした風貌、眼は細いが精一杯見開い
たその双眼は真っ赤に充血している。身長は百八十センチ以上はあるだろうか
、かなり高い。

 そして、フロアの隅に下がりながら夏美は、この男の顔には見覚えがあると
感じた。そう、あの時の…

「…あの人、喫茶ラ・テーヌの店長だわ。」
「げえぇーっ!?例の”雇われ店長”か…!」

 博士や夏美らが急いでテーブルの反対側へと逃げながら言った瞬間、フロア
内に轟音が響いた。大男の刑事が拳銃を男に向けて発砲したのである。

 黒ずくめの男はエレベータ内の壁に吹き飛ぶように激突して倒れ込む。

 二発、三発…弾丸は見事に胸に当たったはずである…が、男はにやにやしな
がら何事もなかったかのように立ち上がってきた。黒い服に銃弾の穴は開いて
いたが、男の身体からは血の一滴も流れてはいなかった。 

「…ちょっと…なんて化物なのよ!」
「こいつは驚きだ、見たところ防弾チョッキも着ていないようだし…」

 涼子と共に、大男の刑事も博士たちの方へと後退しはじめる。
弾丸が胸にまともに当ったにも関わらず平気で立ち上がってくる相手だ、まと
もに戦う方法など他にはないのだ。

 

「…あとは任した…!」

 博士はテーブルの影に隠れるようにしながら、殺し屋の前に立つ光に言って
のけた。

「…もちろん、朝のお返ししたくてうずうずしてたところよ…!」

 薄暗いフロアの中で、光の両眼がへーゼルグリーンに輝きだし、そして飛び
かかって来た殺し屋のみぞおち辺りに強烈な回し蹴りを入れた。

 さらに間髪いれずコルセットで補強された顎に、凄まじい音の張り手を見舞
った。オルゴンの力で数倍にも上がった光の超人的な打撃を、たて続けに二つ
もくらったのである。普通ならそれだけで瀕死の重傷である…が、

「痛っ…たっ!?」

 ダメージを受けたのは攻撃した光の方で、逆に殺し屋の男は光の手を掴んで
ねじり上げると腹に強烈なパンチを叩き込み、今度は先ほどのお返しとばかり
に顔に強烈な張り手を見舞った。しかも片手を掴まれているので、距離を取れ
ない光は何度も同じ平手打ちを顔にもらった。

 先日の戦いで一番酷かったのが顔の傷で、今だに完治していない傷を叩かれ
ては光もたまったものじゃない。無理やり殺し屋の胸に両足を叩きつけて後ろ
に飛びのくように脱出する。

 数メートルほど飛びのくと、博士たちが身を隠すテーブルへと光は倒れ込ん
だ。木は砕け、グラスは粉々に砕け散るが、光は何とか立ち上がって叫ぶ。

「痛ったいわね!ほんとに…!」

 そして傍にいた秘書の方をちらりと見つめて、またも殺し屋の男へと向かっ
ていく…。

 

 

 秘書は博士の隣で、激しい光の格闘ぶりを見つめながら数時間前の出来事を
思い出していた。寝室で光と二人、着替えをしている時の事である。


「…見て?この青いパウダーがオルゴンの香料なの。」

 光はパレットの青いパウダーを、秘書のまぶたに指で塗り込むようにしなが
らメイクを施してゆく。秘書は大きな鏡を見つめながら、光の…いや、間宮薫
の大いなる秘密の一つでもあるオルゴンの力について説明を受けていた。

「本来、このオルゴンの香料は人の身には大変危険なものなの。だけど、今日
は私一人の力ではどうにもならないかも知れない。あなたの力を貸してもらう
必要も出てくるかも知れないわ…」

 と、光はべッドの上に正座しながら鏡を見つめている秘書の背後から一緒に
鏡を覗くと、頬が触れるほど近くで光が言葉を続ける…。

「…オルゴンは自然界に偏在・充満する生命エネルギー、いわゆる性エネルギ
ーで、オルガスムスからオルゴンと名ずけられたの。つまり…性的な興奮が鍵
となるエネルギーなのよ…」

 そう言うなり、光は蛇の様な素早い動きで秘書をべッドに押し倒すと、今度
は秘書の上体だけを抱き起して囁くように言った。

「…そう、興奮よ。」

 唇が触れるほど近くで光は秘書に囁く…。
彼女のへーゼルグリーンの美しい瞳が淡く輝きだすと、秘書はまるで金縛りに
でもあったかのように動けなくなった。

 彼女は自分の長くて高い鼻を、執拗に秘書の鼻にこすりつけながら、熱くて
深い吐息を吹きかける…。それは耐えがたいほどに甘く、魅惑の匂いだった。


     ”…ああ、なんて良い匂いなのかしら……” 


 自分よりも十歳近く年上のお姉さんに、唇が触れるほど近くで見つめられ、
甘い吐息を鼻から口から吹き込まれたうえに、彼女の鼻で顔から首、うなじの
奥までこすりつけられ、秘書はもうどうにでもしてという状態だった。

 

 

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 …すると、パチンという指の音で急に秘書は目を覚ました。

「…はい、これでオルゴンの実技は終了…!」
「えーっ!?こんな良いとこで終了って…」

 べッドから逃げるように降りる光を、秘書は追いかけながら文句を言う。

「だってあなた…これ以上盛り上がったらオルゴンの力が解放されちゃうで
しょうが。ここで力を使ってもしょうがないでしょ。」
「…じゃあ、帰ったら続きしてもらいますからね?」

 

 先ほどの一幕を思い出し、秘書は殺し屋と戦う光の姿を見つめる。
寝室のべッドとは違い、本物の殺し屋を前にして興奮するなんて事は出来る筈
がないわ!と秘書は思った。

 

  やはりというか、光の怪我はまだ完治しておらず、殺し屋に防戦一方という
感じでやられはじめている…。殺し屋は今回痛めつけるのが目的なのか、武器
は持っていなかった。おそらく、この場所は相手に逃げられる事がない、自分
たちのアジトなので心おきなく光らを始末出来ると考えているのだろう…。


「…あれは我々のバイオ研究が生み出した殺人兵士。全身の筋肉を緊張させる
ことで鋼鉄のような強度が生み出されるのだ。これは昆虫の外骨格の硬さを
人間細胞に取り入れた事によって完成した。おまけに薬物で痛みを消している
、当然痛みを感じる生身の人間では勝負にならんだろう。」

「ほんと、ろくでもない物ばかり作るわね…!」

「こんなものは売れんがな…ふふふ。」

 何か面白い見世物でも見るような、そんな雰囲気で老人は傷だらけの光に
言った。それとは対照的に、物理学者はまるでこの場から一刻も早く逃げ出し
たい思いにかられた表情でフロアの隅っこに立っている。

 そこへ殺し屋が無理やり光を引きずるように連れてくると、物理学者がいる
のも構わずに光を壁に勢いよく叩きつけた。学者の男は光の背に押しつぶされ
るように壁にサンドされて、ばったりとその場に倒れ込む。

 壁際でふらつく光の顎めがけて、殺し屋は思い切り手の平で掌底を叩き込ん
だ。さすがの光もこれには腰がぬけたように尻持ちをついてダウンする。ノッ
クアウト状態である…。

 

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「むむっ…雇われ店長強いな…。」

 このままでは光が殺されてしまう…秘書はそう思うと一刻の時間の猶予も
ないと感じた。

「博士、ちょっと来て…。」
「ん?お、おい、どこに…!?」

 秘書は近くのテーブルにかけられたシーツをめくると、博士の手を取り中へ
と連れ込んだ。


 
 殺し屋の男は、壁際で尻持ちをついてダウンする光に逆らう力が無いのを
確認すると、片手で彼女の首を掴み上へと吊り上げる。背の高い光ではあるが
、男の方はさらに背が高いし腕も長かったので楽々と吊りあげる事が出来た。
男はさらに片手を懐にやると、見るも恐ろしいナイフを取り出して見せた。

「…武器を捨てなさい!捨てないと頭を撃ち抜くわよ!」

 堪らずに涼子が叫ぶと、拳銃を壁際の殺し屋へと向ける。
光を片手一本で吊りあげている黒ずくめの男は、その言葉を聞いてもまるで
気にした様子もなく、大きなナイフをくるくると手で回しながら反応を楽しん
でいる。

「ダメです涼子さん、さっきの見たでしょう?それにこの距離では、外れたら
彼女に当たるかも知れませんよ。」
「じゃあ、どうすればー」


 その時…

 突如テーブルが砕け飛び、高級なグラスや皿の割れる音が鳴り響いた。
長テーブルにかかっていた純白のシーツが宙に舞うと、殺し屋は恐ろしいナイ
フを手に、後ろの物音に慌てて振り向く。

「…来た来た!」

 その僅かな隙をついて、光は首を吊りあげられた状態から、殺し屋の片手に
両足を絡ませ回転しながら腕を取ると、逆関節にねじりながら強引に地面に倒
れ込んだ。何か硬い古木が折れるような音がホールに響く。

「ぐぎゃっ…!?」
「鋼鉄の強度でも、逆関節は効果ありね…!」

 殺し屋は声にならない短い悲鳴をあげ、床にもんどり打って倒れる。
その腕は関節の部分からおかしな方向に曲がっていたが、痛みを感じないと
いうこの怪物はそれでも立ち上がった。

 光は転がるようにしながら殺し屋の傍を離れ、先ほど砕けたテーブルの方へ
と身体を移動させる。

 宙に舞っていたシーツが床に落ちると、そこには驚きの表情で腰を抜かす
博士と、暗雲漂う東京の街を背景に仁王立ちする秘書の姿があった。


 その秘書の両目は強烈なライトのように、爛々と光り輝いていた…。

 

(続く…)