ザ・怪奇ブログ

怪奇小説・絵画・怪奇の世界!

夜の観覧者 24話

        f:id:hiroro-de-55:20200413214925j:plain

 

           24  見えざる気配の謎…


 10月8日 正午までの時間…


 博士の部屋では、軽い朝食を終えた涼子らが館の中を見学に行った光が戻る
のを待っていた。小さなキッチンで夏美は、菫と二人並んで洗いものをかたずけ
ている。

 今だ停電は復旧してはおらず、何が起きるか予断を許さない状況だったが、
かちゃかちゃと食器を洗う音は、日常の生活を思い出させてくれた。

 時おり、横目で相手を見つめると、つい目が合ってしまい二人とも吹き出し
、皿を手にくすくすと笑った。

 数日前に出会ったばかりの年上の菫が、未来から来た自分の子供だなんてい
う…そんな荒唐無稽な話ではあるのだが、同時に二人ともそれが事実であると
確信もしていた。


「あの、おか…いえ、夏美さん、靴ありがとう。」
「おかあさんでいいよ!」

 夏美は言って、またも二人してくすくすと笑いこけた。
一体何が起きるのか分からない運命の一日…不気味な連続殺人事件の影に怯え
た数日間の…いや数十年に亘る菫の苦脳を考えると、いま自分の横で楽しそう
に笑う彼女とのひとときは、大事なのだと夏美は思った。

「…ありがとう、おかあさん。」
「どういたしまして!若くて綺麗なおかあさんに何でも言ってちょうだい。」

「あっ…じゃあ、私、学校に通いたいんだけど…夜学でもいいかな?勉強習い
たいんです。」
「いいよ!おかあさんに任せなさい!入学式にもちゃんと出るから。」

 菫の背中をぽんと叩きながら夏美が言うと、手で口元を押さえていた菫も
笑いをこらえきれずに吹き出して言った。

「…私より若いおかあさん!他の生徒が羨ましがるんじゃないかしら?」
「羨ましがらせときゃいいのよ。送り迎えはスポーツカーで!帰りにはレスト
ランで甘い物食べ放題ね。」

「おかあさん、過保護過ぎるわ!」

 横に並んで洗いものをしながら、二人の母子はいつまでも笑っていた。

 

 小さなキッチンに並んで楽しげに笑う二人を見ながら、涼子は壁を背にして
腕を組み舌打ちした。

「のんきなものね。こんな時に笑っていられるなんて…。」
「いいじゃないですか、十数年間一人で生きてきたあの女性に家族が出来たん
ですから。」

 ご機嫌斜めの涼子に対し、大男の刑事は上機嫌な様子で言った。

「あら、あなた例の話ほんとに信じてるの?私たち刑事なのよ?」
「そうですね、僕は刑事です。だからこうして彼女らを観察してたんです。」

「…それで、何か分かった?」
「ええ、ここから見ると二人ともお尻の形が一緒ですね。」

 涼子は深いため息をひとつ吐き出し、うなだれるように壁を背にしゃがみ込
んだ。

 

 


 博士と秘書の二人が部屋に戻っても、散歩に出た光は戻ってはいなかった。
部屋の中に光がいない事に気がついた秘書が誰にともなく聞く。

「あれ…光さんは?」
「さっき、モラヴィア館の中を見てくるって部屋を出たわ。」

 何かえらく機嫌の悪そうな表情で涼子が秘書に答える。
このような状況下では、刑事である涼子には動きたくても動けないもどかしさ
を感じるのは無理もない感情だった。

 それとは対照的に、男の刑事の方はえらくリラックスしたような雰囲気で、
部屋にいる誰にという事もなく意見する。

「あの、これからどうするんです?その…例の天体ショーの時間まで待ちます
か?」
「だって…どうするっていうのよ?実際何が起きるかも分からないんだし…
起きたとして、私たちが手を出せるものでもないかも知れないでしょ?」
「それはそうですが…。」

「…それについては一つ提案があるんだ。」

 刑事の男に博士が答えて言った。

「どのみち何が起きるか想像がつかない以上、闇雲に考えてもしかたない。
だが、一つ分かってる事があるのは、我々の敵が下柳グループの会長たちだっ
て事だ。なら一つこちらから乗り込んでみるというのも良いかも知れない。」

「乗り込むって…あなたね、相手が私らに会うとでも思うの?経済界のドンと
まで呼ばれている人物なのよ?」

 博士の仰天のプランに涼子は呆れ顔で言い放った。
それはそうだ、相手は世界的に有名な財閥の会長である。一般人である自分達
に会うはずもない…。
 
「いや、奴は会うよ。向こうさんはこちらの事は知っている筈なんだ。この
モラヴィア館に我々がいる事も。だけど、向こうがこちらにやって来ないのは
どういう訳だろう?」
「それは…たぶん向こうは私たちなんか相手にもしていないんじゃないの?」

「そうは思えないな。オカルト組織の実体までバレているんだ、我々が面倒な
存在には違いない筈。きっと来れないんだよ。それはたぶん…暗闇の魔女がこ
モラヴィア館に存在するからなんだ。我々の傍に…。」
「…どういう事よ?」

「当初オカルト連中のトップは暗闇の魔女だと思っていたんだ。だが、殺しを
やっていたのは別の奴だった。もしかすると…連中は暗闇の魔女という存在を
、コントロール出来なかったんじゃないだろうか?想像以上の力を持った存在
だったのかも知れない。」

「でも、例の血の六芒星を完成させるのには協力していたじゃないの?どっち
にしても、私たちの味方って訳じゃないわ。」
「…確かに。そこの部分が分からないところだな…。」


 涼子の言い分に、博士は腕を組んで考え込む。
この大都市の真ん中に、血の六芒星を作ろうと画策したのがオカルト信奉者達
だとしても、暗闇の魔女と思われる存在が六芒星を完成させるのに協力したと
いうのは間違いない事実なのだ。

 そしてもう一つ奇妙な事実は、ここにいる誰一人として暗闇の魔女なる存在
にこれまで危害を加えられてはいない、という事である。これは非常に奇妙な
事だった。

 そして、この謎こそが迫る危機を回避するための重要な部分であると、博士
は思った。

 

         f:id:hiroro-de-55:20200413215715j:plain


 

 

 

 

 光が目を開けた時、最初に飛び込んできたのは窓から差し込む朝日と、見た
事の無い老人の顔だった。

 自分がどのくらいの時間気を失っていたのかは知らないが、例の黒ずくめの
殺し屋はすでに姿を消しているようである。今だにふらつく頭で上半身だけ身
体を起こした光は、怪我や痛みが無い事に驚きながらも油断なく辺りを見回す
と、目の前の老人に聞いた。

「…あの男は?」
「ああ、今の奴なら大きな音をたてたら逃げていったよ。えらく奇妙な奴だっ
たが…」

 老人はそう言うと立ち上がり、近くの木箱に腰を降ろし光の方をじっと見つ
めて笑った。

「私、どれくらい倒れてたの?」
「ふむ…ざっと十分ほどじゃな。」

「十分?そんなに長い事、お爺さんここで何してたのよ?」
「そりゃあお前さん、こんなボロアパートに金髪美女が倒れてるなんて事は
めったにある事じゃない。目の保養をしていたに決まってるわい。」

 と、大きくはだけたスカートを元に戻しながら、光はようやく立ち上がって
言った。先ほどまでの目がくらくらと回る様な感覚はもう無い。

「これでも私、れっきとした日本人なのよ。」
「ほう…そうかい、あんたもしかすると下の新入りの仲間かね?」

 老人の言う新入りとは博士たちの事だろうと思い、光は無言で頷く。
身体を起こした光は、例の多面体のプリズムが置かれている方を振り返ったが
、先ほどひっぺがした布が被せられてあった。

「あれか?あれなら私が隠した。あれだけ光が反射してたら火事にでもなりか
ねんからな。この歳で住むところが無くなっては困るんでのう。しかもこの奥
の部屋は私のアトリエになってるんでね…部屋とは言っても物置きみたいなも
んだが…」

「ここに住んでるの?」
「ああ、二階の204号室にな。」

 老人はそう言うと部屋を一つ移動して、光をそのアトリエへと誘う。
窓の無いその部屋は物置きのようで、薄暗くカビ臭かった。

「あら……。」

 そこに置かれてあるのは、何とも不気味な絵ばかりだった。
大きなキャンパスに描かれてあるのは、どれも何と形容してよいか…常人では
理解出来ないような奇妙なものばかりである…。配色も暗く、どぎついほど濃
いものだった。

 それを何と表現するべきか…例えるなら”瓶に沢山詰ったイカの塩辛”の様
な不気味な形をした絵である…。

 そして何よりも光が感じたのは、これらの不気味な物への理由もない怒りで
あった。恐らく本能的なものだと彼女は心に思った。

「…これ、何かの生き物ね。」

 光は一際大きなキャンパスの前で腕を組むと、しゃがみ込んでその絵を覗き
こんだ。描かれてある物はいびつで気味の悪いものだが、得体の知れない迫力
と美しさがあった。

「ほう、お嬢さん絵が分かるのかね?」
「…いちよ私、彫刻家なの。」

 たくさん置かれてある不気味な絵の奥、ほこりがかぶった床に下への扉がつ
いていて、その近くには靴跡がたくさん見える…。

 しばらくの間、光はその体勢で部屋の中の不気味な絵を見つめていた。
ちょうど老人に背中を向ける状態で…。

 

 しばらくして光はすくっと立ち上がると、老人を振り返った。
その彼女の目を見て彼は一瞬、驚きの声を上げる。

 何故ならそのヘーゼルグリーンの両目はぎらぎらと輝き出していたからだ。

「…お爺さん、あなたどうやっていつもここへやって来てるの?五階の入り口
は立ち入り禁止で、重い扉は鍵が錆びついていてピクリとも動かなかった筈。
しかもその扉以外に、五階への入口はこの館にはどこにも存在していなかった
わ。」
「むむっ…!?」

 ゆっくりと老人に近ずいてゆく光に対して、老人はその場に硬直したように
立ちつくしてしまっている。まるで金縛りのように…。

「あなた、一体何者なの?」
「な、何を…わしはただの老人だぞ…」

 満面の笑みでにんまりと口を閉じてから、光はけらけらと楽しそうに笑う。
オルゴンの力が満ちると、彼女は軽い興奮状態に陥るのである。

「…ただの老人!ただでさえ胡散臭い館の、立ち入り禁止の場所にこそこそ出
入りしてはこんな不気味な物を書いてる老人が…ただの老人ですって!?」
「お…お前さん、一体何もんじゃ…?わしに何を…?」

 大きく瞬きをすると、光の瞳がきゅっと細くなり、スリット状に変化する。
蛇の目だ。老人は小さな悲鳴のようなうめき声を上げる。

「さあ…どうしよっかな?私も老人を痛めつけるとかするの本意じゃないし…
それともここにある絵、全部焼却処分した方が良いかしら?」
「わ…わしの絵を燃やすだと…!?」

 硬直して動けない老人を、腰を屈め覗き込むような体勢で、光は口に手をあ
て、申し訳なさそうに過激な事を言った。その後で少女の様にクスクスと笑い
が漏れるが、爛々と輝く蛇の様な両眼は一切笑ってはいない。

 

 

        f:id:hiroro-de-55:20200413220358j:plain

 

 老人はすっかり恐怖に陥ってしまった。

「…知ってる事は全部、話してもらうわよ?あなたは何者で、ここに何がある
のかをね…?」


 誰もやって来る事もないであろう、立ち入り禁止の五階の隠し部屋で、光は
これ以上ないほど優しげな笑みを浮かべながら老人の耳元に囁いた。 

 

 

 

 


「…光さん遅いね。私ちょっと見てこようかな?」
「うむ、頼むよ早紀君。だが、遠くまで行かないようにな。」

 小さく頷くと、秘書は着替えるために隣の寝室へと向かった。


 寝室はべッドが一つあるだけの小さなもので、まだ掃除も行き届いていない
状態だったので少々カビ臭い…。

 何も無い部屋の中だったが、べッドの脇には全身が映るような大きな鏡が壁
にかけられている。さすがに昔はホテルとして作られていた事もあり、ずいぶ
ん豪華な作りの鏡だった。

 秘書は一通り服を脱ぐとべッドの上にほうり投げて、一枚別のワンピースを
手にすると、自分の身体に当てて鏡を見つめる。

 
 その時、秘書は何かの気配のようなものを感じて動きを止めた。
何か、どこからか見られているような…不思議な視線のようなものを感じたの
である…。

 と言っても、どことかそういうものではなくて、ただ漠然と何かの視線とい
うか、見られている気配を感じたのだ。

 

 

         f:id:hiroro-de-55:20200413220800j:plain


 無言で素早く着替えると、秘書はその寝室を飛び出して行った。

「…ちょっと、博士!来てください…!」

 突然部屋に戻って来た秘書に驚きつつも、博士は彼女の服をきちんと整えて
やりながら聞く。

「どうしたね?何かあったかい?」
「隣に、何か…誰かいるんです!見られてるのよ。」

 激しく動揺しながら秘書が叫ぶと、大男の刑事が拳銃を手に隣の寝室の入り
口に張り付く。涼子も同じく拳銃を取り出すとその後に続く…。

 部屋の中にいた夏美と菫も、緊張の面持ちでその場を動かずに様子を窺って
いた。博士は隣の部屋ではなく、その場でどこともなく目を動かして天井を眺
めている…。

 しばらく無言でドアに耳をつけて中の音を窺う…音はまるで聞こえない。
そして素早くドアを開け拳銃を中に向かって構える。

「…誰もいません。」
「そんな…さっきは確かに感じたの!誰かに見られてる視線が…」

 秘書が大男の刑事の後に続き、寝室に戻ると大きな声で言った。
だが、小さな部屋には人が隠れるスペースどころかクローゼットも無い。もち
ろんべッドの下も覗いたが、誰もいなかった。

 後から入って来た涼子は拳銃をしまうと、頭を掻きながら秘書へとこぼす。

「…ちょっと、かんべんしてよね。こんな狭い部屋に人が隠れていられる訳も
ないし、そもそも隣の部屋には私たちがいたんだから誰もこの部屋には入れな
いのよ?人がいるわけないじゃない。」
「いえ、いたわ。」

 博士の部屋の玄関ドアが開くと、光が戻ってきて言った。
おまけに204号室の老人も連れて。老人は何ともバツの悪そうな表情で部屋
の者たちを見回す…。

「いたって…誰が?」
「私よ、私!」

 光は楽しそうに言って寝室の大きな鏡の前に立った。

「…少し離れててね。」

 そう言うと光は空手チョップを大鏡に打ち込んだ。
当然激しい音を立てて鏡はバラバラと砕け散った!

「これは…!」

 砕けた鏡の向こう側には、小さな通路のようなものがあり、左右真っすぐに
奥まで続いていたのである…。


(続く…)