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夜の観覧者 9話

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              9  演奏会


 10月6日 木曜 夜…


 その日行われた新たな入居者への歓迎会は、なんとも和やかなうちに進んで
いた。もっとも、歓迎会は夏美も含めて今日新たに入居した二人のためでもあり
、予定前よりも人数が増えて賑やかなものになった。


 応接間と呼ばれた部屋はロビーから階段を降りた地下にあった。
ずいぶん広いスペースがあり、部屋というよりは全体が古い倉庫というか物置
きのようになっており、高級なアンティークばかりを集めた豪華なものである。

 これまた古いが豪華なテーブルと椅子に管理人がこしらえた料理の数々。
聞けば管理人は歌舞伎町に居酒屋のようなお店を持っていて、料理は得意と
の事だった。

「私の料理の中でも看板メニューなのが、このトルティーヤを使った日本流の
タコスよ!」

 なんだか楽しそうに管理人の男は、テーブルで食事をしている博士と呼ばれ
たぼうず頭の傍へとやって来て、背は低いがプロレスラーのような体格の管理
人は料理の皿を博士の前に置いた。皿の上の料理は、何か大きなタコ焼きか
お好み焼きのような食べ物だった。

「お店では常連さんたちに『トオルちゃんちゃん焼き』と呼ばれてるわ。おい
しいわよ?」

 そう言って管理人の男は博士と呼ばれる男にウインクすると、でかいお尻を
揺らしながら、食べ終えた皿をかたずけていく。

「あら、これおいしそうね。」

 夏美は良い匂いのするその料理に近ずいて言った。
ウェイトレスの千枝子もナイフとフォークを手にやって来る。

「良かったね博士。常連さんに人気の料理だってさ。」
「いや…だって常連って…どうせお姉マンだろ?「ちゃ」じゃなかったらどう
なる事か…。」


 トオルちゃんちゃん焼きも皆でたいらげると、夏美はそろそろ頃合いだと思
いテーブルの下にある物を手にする。手首の時計の針は夜の九時を過ぎていて
、相変わらず姿を見せない菫さんがいないのが残念だったが、ヴァイオリンの
演奏をやる事にした。

「…それじゃ皆さん、この辺でヴァイオリンの演奏を披露したいのだけど…
よろしいかしら?」

 夏美の言葉にここにいる全員が拍手で応えると、夏美は少々照れながら演奏
の支度を始めた。例の事故でしばらく演奏はしていない夏美であるが、彼女は
プロのヴァイオリニストである。

「わあ、綺麗なヴァイオリン!」

 千枝子が驚きの声を上げて夏美のヴァイオリンを見つめる。
かなり古い物だが、光沢や輝きが並みのヴァイオリンとは違って見えた。

「ええ、私が勉強にヨーロッパへ留学した時にあるお婆さんから頂いた物なの
よ。とても大事に使っているの。」

 夏美は応接間の奥に古いピアノが置いてあるのを見つけてテーブルに座る者
たちに声をかける。

「あの…この中でどなたかピアノ弾ける人なんていませんよね?」
「…僕、弾けますよ。まあ、プロっていうレベルでは全然ないですけど…」

 背の高い色白の男が、控えめに言って手を上げた。

「問題ないわ!合奏しましょう。ちょっと来てくれない?」

 夏美に呼ばれて色白の男はピアノの方へと向かい、二人で打ち合わせを始め
る。色白の男がピアノを鳴らすと、夏美はその実力を確かめるように音を聞い
ていた。

「…えっ!チャルダッシュですか?出来るかなぁ…」
「大丈夫よ。私の方で君に合わせるから。」

 

 二人が打ち合わせをしている間、テーブルに残った博士や千枝子らはぼん
やりと飲み物を飲んで待っていた。博士の隣でデザートのチョコケーキをちび
ちびと食べながら、秘書の早紀はぼそりと呟くように言った。

「博士、チャールズダッシュって何ですか?」

「…ヴィットーリオ・モンティの作曲したチャルダッシュだよ。もとはハンガリー
音楽の一種で、ヴァイオリンやピアノ向けの曲なんだ。曲調が急に変わる事
で難易度の高い技術を披露できる曲だと言われてるよ。前半の悲壮感漂う
スローテンポのラッサンから一転して、軽快で激しいフリスカへと変わる華や
かな曲なんだ。」

「おっさんが一回転してハゲのブリーフか?博士、凄い曲ですね。」
「………いや、そうでなくて…ラッサンからフリスカだよ…。」

 博士は隣の秘書に説明するが、彼女はチョコケーキを食べるのにいそしん
でいてまるで聞いていなかった。

 などと馬鹿な事を話しているうちに、夏美らの準備が整ったようだ。

 

「えっと…これから演奏するのは私のとっても好きな、チャルダッシュとい
う曲です。どうぞお楽しみください。」


 彼女はヴァイオリンを顎で挟むと、ピアノの伴奏に合わせて美しい音色を薄
暗い応接間の中央で奏で始めた。

 

 

 

 


モンティ「チャルダッシュ(チャールダーシュ)」オーケストラ クラシック音楽名曲編【ライフミュージック】

 

 

 約束の時間からずいぶん遅れてモラヴィア館へと戻ってきた菫は、ロビーの
応接間の方から聞こえてくるヴァイオリンの美しい音色を聞いて足を止める。

 教会から戻ったばかりで、菫は一度自分の部屋に戻り着替えてくるつもりで
いたが、修道服姿で夏美の奏でるヴァイオリンをロビーの入口に足を止めて聞
き入っていた。

 

 曲は静かなメロディーから急に、激しくも情熱的な曲調へと変わる。

 音楽にはまるで詳しくない菫には、それが何の曲なのかも分からなかったが、
何故か馴染みのある心に響くメロディーに思えた。


   ”…この曲……私どこかで聞いたかしら?でも、全然知らない…。”

 

 

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 気がつくと菫は応接間への階段を降り、扉を開けて中へと入っていった。
曲は終わりにさしかかり、夏美の演奏も最高潮に達したところである。

 応接間の入口に立つ菫の姿を見つけ、夏美は嬉しそうな表情でクライマック
スへと向かって激しくヴァイオリンを操り演奏していく。まだ出会って一日ほ
どの付き合いではあったが、演奏をしている時の彼女はほんとに良い笑顔をし
ていると、菫は思った。


 曲が終わると住人たちは皆立ち上がり、応接間は大きな拍手で包まれた。

「博士、おっさんもブリーフも出てきませんでしたよ?」
「いや…だから最初から出てこないって…。」

「ブラボーウ!アンコール!」

 千枝子のアンコールに、夏美は照れくさそうに深々と一礼すると、もう一度
ピアノを弾く色白の男と次の演奏の軽い打ち合わせを始めた。

 

 その間に菫は、テーブルで演奏を聴いている見た事の無い二人の方へと足を
運ぶ。

「初めまして、私は菫と申します。もしかして…新しい住人さんですか?」
「ええ…まあ一週間はね…博士と呼んでくれ。こちらは秘書の早紀君。」

 一通り挨拶をすませた住人たちは、夏美が次の演奏をするまでの間、ぼんや
りとしていたが、夏美の手にしているヴァイオリンを見ながら千枝子が呟きな
がら言った。

「あのヴァイオリン、ほんとに綺麗…。ほら、見て?まるで自分から光ってる
みたい…。」
「よほど高価な物なんじゃないの?彼女プロなんだし。」

 管理人の男がワイングラス片手に千枝子の言葉に応えて言った。
もうかなり酔いが回っているらしく、顔はまっかである。

「…ずいぶん昔の事だが、いわくつきのヴァイオリンが存在した…。」

 突如、今までテーブルの隅で黙って食べていた初老の男が口を開いて皆を
驚かせた。

「あら…爺さんあなた話せるのね?驚いた…」

 管理人の言葉には構うことなく、初老の男は静かに話を始める。

「…十七世紀後半に作られた、あるヴァイオリンの話だ。とても見事な出来
栄えで、当時のヨーロッパでは誰もがそれを手にしたいと思うほどの素晴ら
しいヴァイオリンだった。不思議な事に持つ者には必ずというほど、不幸が
舞い込み、やがては死に至るというものだ…。それで滅びた家や、歴史的な
名家もあったらしいな…。」

 初老の男が話す言葉に博士は秘書の女性と顔を見合わせ、眉毛をひそめた。
奇妙な話に興味しんしんの千枝子は、ジュース片手に初老の男の方へと近ずい
ていく。

「…それで、そのヴァイオリンは今もあるの?」

 目を輝かせて聞いてきた千枝子の顔をまじまじと見つめながら、初老の男は
眠けまなこでぼんやりと答えた。

「さあねぇ…色んな人の手に渡り渡って、どこかの家の倉庫にでも眠っている
のか…そもそもそんなヴァイオリンは、初めから存在などしていないのかも知
れんし…な?」
「あっ!お爺さん、私たちをかついだのねー?」

 けらけらと笑いながら初老の男はコップのビールを飲み干したが、夏美の手
にあるヴァイオリンを見つめるその目は笑っていなかった。


 夏美が披露したアンコールの曲は、先ほどの曲をさらにアップテンポに速め
た軽快なものだった。今度は最初から目の前で聴いていた菫は、夏美の演奏を
とても楽しそうな表情で聴いていた。

 なんとも楽しくも幸せな歓迎会に、夏美はこのモラヴィア館へやって来た事
は間違いじゃなかったと思いながら演奏のクライマックスへと進む。


 その時、応接間の奥に立って夏美の演奏を見つめていた菫が、ゆっくりと床
の上に倒れ込む。

 千枝子の悲鳴で、夏美は演奏の手を止めしばらくその場に立ちつくした。

 

 

 

 

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 応接間で倒れた菫を、夏美らは数人で彼女の部屋へと運び込み、べッドの上
に横に寝かせる。

 夏美は初めて菫の部屋へと入ったのだが、その何もない部屋内を見つめてい
ると、何だか彼女の心の中を現しているようで、とても切なくなった。


「…おそらく貧血と疲労からくるものだと思う。しばらくゆっくり休ませるの
が一番だろうな。」
「ありがとう。」

 初老の男はそれだけ言うと、菫の部屋を出て行った。
彼は若い時に医学の勉強をしていた事があるそうで、応接間で倒れた時に素早
く菫の具合を確かめてくれた。


 応接間で行われていた歓迎会は途中でお開きとなり、今頃は管理人と千枝子
が後かたずけに汗を流しているはず。

 夏美はタオルを水で濡らして、べッドに横になって眠る菫の頭にそっと置き
ため息を吐いた。

「…では、我々も部屋に戻るとするよ?」
「ああ、ここまで運んでくれてありがとう。」

 博士と秘書は、そう言うと菫の部屋を出て行こうとドアに向かって歩いてい
く。時間はもうすぐ二十二時を過ぎようとしている。

 すると開けてあるドアの向こうから人影が現れて、夏美のいる菫の部屋を覗
き込みながら小さな声で言った。

「…この様子だと、今夜は彼女から話は聞けそうにないわね?」

 薄暗い廊下から現れたのは、女刑事の村山涼子だった。
朝ここへやって来た彼女に比べると、夏美にはなんだかひどく疲れているよう
に見える。

「ええ、二・三日ゆっくり休ませたいの。悪いけど菫さんから話を聞くのは
その後にしてちょうだい。」

 夏美の表情を見ながら、涼子は小さく何度か頷いていた。

「そうみたいね…まあ、どのみち私が彼女から話を聞く事は当分ないと思うけ
ど…あっ!ちょっ…あなたたち、どうしてここにー」
「…やあ、刑事さん。」

 ドアの横の壁際に張り付くように身を隠していた博士と秘書の二人は、涼子
に見つかり満面の笑みで挨拶した。

「ねえ…菫さんに話を聞く事は当分ないって…どういう事?」

 何がなんだかよく判らないという表情の涼子に、夏美は聞いた。
涼子はひとつため息を吐き出すと、しょうがないなという表情で夏美の質問に
応えて言った。

「…私ね、捜査から外されたのよ。しばらく休みを取れってさ。ほんと失礼し
ちゃうわ!それで…あなたに相談なんだけど…今晩泊めてくれない?」


 にやりと笑う女刑事の表情は、まだあどけなさが残るものだったが、夏美に
はその瞳の奥に強い意思があるのを感じていた。


(続く…)