ザ・怪奇ブログ

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夜の観覧者 8話

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             8  囁き


 10月6日 木曜 夕方…


 スーパーを出た夏美と菫はモラヴィア館へと戻ってきた。
女刑事から話を聞くのは後でも構わないと聞いて、菫は一度教会へと戻るそう
で、夕方まで暇を持て余している夏美は彼女と一緒にクリステル教会へと向か
った。

「ねえ、今晩モラヴィア館の管理人さんが食事を出すそうなの。菫さんも来て
ね?私の歓迎会だそうよ。」
「ええ、伺いますわ。少し遅くなるかもしれないけど…。」

 古いが見事な作りの教会の門をくぐると、二・三人の若い修道女たちが戻っ
てきた菫を見つけ、何やらひそひそと言葉を交わしていた。もっとも、この教
会にも警察が菫を捜しに来ていたかも知れないので、修道女たちのひそひそと
した様子は無理も無いのであろうが…。

 教会の入口に、一人の神父らしき男が立っていて、何だかそわそわと辺りを
歩き回っている。

「あれは?」
「坂崎神父よ。私の親代わりのような人ね。真面目でとても優しい神父様なの
よ?」


 教会の門をくぐってやって来た菫を見つけると、うろうろ歩くのをやめ心配
そうな表情で彼女らがやって来るのを待っていた。

「シスター、心配しましたよ!ここへも警察の方がやって来て、君の行方を捜
していた…一体何があったのかね?」
「すみません…神父様。でも、もう大丈夫です。警察の人とは後で話をする事
になっていますから…。」

 とりあえず一安心という表情の神父は、菫の後ろからやって来る女性を見て
、小首を傾げる。

「…どなたかね?」
「あの、私は羽田夏美と申します。菫さんと同じモラヴィア館に昨日越して来
たんです。どうぞよろしく!」

 そう言いながら夏美は手を差し出す。
神父はしばらくその夏美の顔をぼんやりと無言で眺めていた。

「昨日逢ったばかりなんです神父様。この夏美さんには何だか色々とお世話に
なってしまって……神父様?」

 菫の言葉をまるで聞いていないかのように、神父は夏美の顔を見つめていた
が、突然目を大きく開き、ひどく狼狽しながら声をもらした。

「君は…そ…そんな馬鹿な!?何故…」

 よろよろと神父はその場に尻もちをつくように倒れ込んだ。
まるで今、目の前で信じられないものでも見ているかのように、夏美から目を
離さずぶつぶつと呟いている。

「神父様…!誰か、手を貸して下さい。神父様、大丈夫ですか?」

 にわかに教会内は騒ぎになり、数人の修道女たちがふらつく神父に肩を貸し
ながら建物の中へと連れて行った。

 夏美はその光景を唖然としながら見つめていたが、なぜ神父が自分の姿を見
てあれほど狼狽したのかが分からなかったが、ここにも一人、自分の事で何か
を知っている人物がいることに夏美は困惑した。

「…菫さん、私、部屋に戻りますね。」
「ああ、ごめんなさい、歓迎会きっと後でうかがいますわ!」

 菫はそう言うと心配そうに神父たちの後を追いかけ、教会の中へと走り去っ
ていった。

 

 

 

 

 

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 モラヴィア館へと戻ってきた夏美は、入口の前に配達のトラックが停まって
いるのを見て、やっと自分の荷物が来たのだと思った。

 荷物といってもダンボール箱二つか三つくらいの物だが、夏美の仕事道具の
バイオリンも含まれていて、これでやっと音楽に打ちこめる。


 自分の部屋の入口に大きなダンボール箱が三つ置いてあり、夏美は自分で箱
を部屋の中へと持ち込むと、さっそく必要な物を取り出す作業に入った。

 バイオリンとそれらに必要な道具、愛用のノートパソコンなど、生活に必要
最低限の物などで、それ以外の物は追々買いそろえようと考えていた。

 時計の針を見ると十六時を過ぎていて、夕食の歓迎会まではまだ時間がある
なと夏美は思い、たったいま取り出したばかりのノートパソコンのコードを繋
ぎ、電源を入れた。

 眼鏡をかけ、ソファーに座りながら文字を打っている夏美は、この一日ずっ
と気になっていた言葉を検索する。

 それは、スーパーで奇妙な二人の男女が話していた、二つの単語である。

 

 モラヴィア王国

『…9世紀から10世紀初頭にかけて栄えたスラブ人の王国。現在のモラヴィ
ア、スロバキア辺りに存在したが、王位継承の争いやマジャル人の侵攻により
荒廃して、10世紀前半に滅亡したとされる…。』


 ラ・テーヌ遺跡

『…スイスのヌーシャテル湖北岸にあるラ・テーヌの考古遺跡。ヨーロッパの
鉄器時代の文化であり、ケルト文化の美術的な品々が多数出土している。文献
ではケルト人やガリア人と呼ばれる人々が残したものとされているが定かでは
ない。
 遺跡からは様々な物が発見されているが、中でも目を引いたのが金属製の剣
や槍、盾など数百にも及ぶ出土品である。そして人骨や動物の骨が多数出土し
ている事から、ここが神々に生贄を捧げる場所だったとする説もある…。』
 

「……生贄?」

 しばらくノートパソコンの画面の前で夏美は考えを巡らす。
画面から目を離すと、辺りはいつの間にか薄暗くなっていて、落ちゆく夕陽が
最後の明かりを放っている。


 その時、夏美は部屋のどこかから、何かの囁くような小さなひそひそと言う
ような声を聞いたような気がした。

 夏美は一流の音楽家であり、音や声を聞き分けるのは常人の比ではなかった
から、ソファーから立ち上がり部屋の中を静かに歩き回り、その音のした方へ
と歩いてゆく…。

 その音は僅かにまだ聞こえていて、それは部屋の天井から聞こえてきている
ような気がした。たしか、管理人の話ではこの四階より上の階は、誰も住んで
いる者はなく、かなり荒れ果てているとの事だった。

 しばらく夏美は身動きせずに、小さな音だけを拾おうと耳に集中していた。
先ほど聞こえてきた囁くような声は気のせいだろうか…?
なおも集中していると、今度はどこかから人の話し声が聞こえてくる…。


 すると、にわかに部屋の外が慌ただしくなり、夏美はドアを開けて廊下を覗
きこむと404号室のドアが開け放たれてあり、何やら人の話し声が聞こえて
きた。夏美は廊下へ出ると404号室の方へと歩いて向かった。

「あの…何かあったんですか?」

 夏美の姿を見つけた管理人の男が廊下に出てきて、404号室のドアを閉め
ると彼女の質問に答えて言った。

「ああ、今また新しい住人が増えたところなのよ!まあ、今度の人たちは一週
間だけの借り住まいなんだけどね。あっ、歓迎会の準備はもうじき終わるから
、ロビーの方で待っていてちょうだい?」

 なんとも嬉しそうな顔で管理人の男が言うと、夏美は404号室の閉めた扉
の方を見つめながら廊下を歩き去ろうとする管理人に質問する。

「…お隣さんに挨拶したいのだけど?」
「ああ、歓迎会に彼らも招待したから、挨拶するのはその時でいいわよ?」

 そう言うと、背は高くないが横幅の大きな管理人は、腰を横に大きく振りな
がら薄暗い廊下をどたどたと歩いていった…。


 夏美はまたも404号室の方を振り向いて、しばらくどうしようか?と考え
ていたが、どうせ後で会えるのだと部屋に戻り歓迎会に出るための支度を始め
た。

 

 


 着替えを済ませ、ロビーへと降りてきた夏美は、そこでモラヴィア館の住人
たちと顔を合わせた。と、言っても全員それなりにはすでに顔を合わせてはい
たのであるが、改めて一同に顔を合わせると、なんとも個性的な連中ばかりな
のだと分かる。

 ただ、一人だけ今まで会っていない人物がいて、ロビーの端にある合わせ鏡
を覗き込むように立っている。白い髭をたくわえた初老の男で、その服にはあ
ちらこちらに絵具の跡であろう汚れがついていた。おそらく彼は絵を描いてい
るのかもしれない。

「あっ、夏美さん!自分の歓迎会だっていうのに全然おめかししてきてないじ
ゃないですかー?」

 ウェイトレスの千枝子が残念そうに口をとがらせて言った。
彼女は相変わらず三つ編みに恐ろしく度の強い眼鏡をかけて、今日は仕事着
ではなく、普段着なのであろう繋ぎのジーパン姿でやって来ていた。

「だって…私、いつもこんな感じなのよ。」

 そう言って千枝子に笑顔を向ける夏美の服装も、ジーパンにTシャツ姿とい
うラフなものだった。それに今夜はここの住人へのプレゼントに曲を演奏する
ためバイオリンも持参してきた。

「…あの…もしかして、生演奏が聞けたりするんですか?」

 背が高いが、痩せて色白の綺麗な顔をした若い男がロビーの長椅子に座り
ながら夏美に聞いてきた。彼はとても身なりが良さそうな服装をしている。

「そのつもりなんだけどね…もしよければ聞いてもらえると嬉しいわ。」
「…よろしいなんてもんじゃないですよ!こんなところでプロの演奏が聴ける
なんて…もう信じられないわ!」

 千枝子が大喜びで言ったとき、螺旋階段を降りてくる二人の人影が見えた。

「あっ…夏美さん、あの人たちも今日の歓迎会に招待されているんですって。
さっきここに来たばかりの人たちなの。」

 夏美は千枝子の説明を聞くまでもなく、彼らの方を見つめると、見覚えのあ
る顔が現れた。あのスーパーで見かけた奇妙な二人組みである。

 いずれまた会えるとは思っていた夏美であるが、まさかここの住人となって
現れるとは想像していなかった。


「やあ、どうも。歓迎会にまで招待してもらって…光栄だね。こちらは秘書の
早紀君だ。」

 そう言って隣の女性を紹介するぼうず頭の男は、黒い防寒着に黒いズボン、
そしてカンフーシューズを履いていて…いまいち年齢の判断がつきにくい男で
ある。

「…こちらは博士です。」

 今度は秘書と紹介された女性がぼうずの男を紹介する。
彼女は黒と白の色合いのスタジアムジャンパーを着込み、黒いロングスカート
を履いていた。なんとも怪しげな二人組みであった…。

 彼らの前に一歩出た夏美は、しばらくの間彼らと見つめ合っていたが、夏美
の方から彼らに言葉をかける…。

「あの…どこかで前にも会いましたっけ…?」
「いや?初めてお目にかかりますな。」

 ぼうずの男はさらりと言ってのけると、別の人物へと挨拶にいった。 
夏美は彼が平気で嘘を言った事で、益々あの二人が自分に目的があってこの
モラヴィア館へとやって来たのだという事を理解した。

 

 

       

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 博士と呼ばれる男は、背の高い色白の男の方へとやってきて、手を差し出し
ながら言った。

「やあ、背が高いね。何かスポーツでも?」

 色白の男は、長椅子に座り小さなラジオで音楽の放送を聞いていたが、博士
の突然の質問にも驚いた様子も見せずに小さな声で言った。

「…いえ?ああ、でもこう見えても大学生の頃はラグビー部に所属していまし
たよ。」
「えっ!?ラグビー部だって!?」

 ぼうず頭の博士と呼ばれる男は、まさか!という表情で隣の秘書を見つめた
が、彼女はそんな事は気にもとめていない様子で、ロビーの豪華な合わせ鏡を
覗き込んでいる。

「…何か…まずい事でもあるんですか?」
「いや…そういう訳じゃないが…まあ、よろしく。」

 
 それで大体自己紹介はすんだのであるが、夏美はまだ菫がモラヴィア館に戻
ってきていない事に気ずいて、少し残念な気分だった。昼間、夏美の目の前で
倒れた神父の具合が良くないのであろうか…?


 数人の者たちが、薄暗く狭いロビーにぼんやりと立っている間、色白の男が
手にしたラジオから、夕方のニュースが流れる…。

 夏美はなんとなくそのニュースの話題を聞きながら、例の二人組みをちらち
らと見つめていた。ぼうずの男は、ラジオから流れるニュースに腕を組みなが
ら耳を傾けていた。


『”…数百年ぶりにやってくる惑星直列の天体ショーは、来週日曜の深夜にか
けて見られると天文学者は話していますが、むろん肉眼で見えるものではなく
、多くの市民には関心も薄い話題となりそうです。一部の天文学者は、星が並
ぶ時に微妙な引力の影響で、潮の満ち引きなどが起きるのでは…と話していま
すが…”』


 しばらくしてロビーの奥にある応接間と呼ばれる部屋のドアが開いて、中か
ら管理人の男が出てきて言った。

「準備が出来ましたよ。皆さん中に入って!今夜は楽しんでちょうだい。」

 応接間の中からとても良い匂いがロビーに漏れてくる。
新たな住人の二人と共に、色白の男と初老の男もぞろぞろと応接間へと入って
いく。


「でも…博士って…いったい何の博士なのかしら?」

 千枝子が怪しげな二人組みの方を見つめながら、小首を傾けながらつぶやい
た…。

 

 

 

 

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 神父の坂崎は、聖クリステル教会の自分の寝室でべッドから起きあがると、
椅子に腰かけながら机の引き出しを開けてしばらくその中にある物を見つめ
ていた。

 思えば、神父にとってこの机の中にしまってある物が、十数年間という歳月
の間、神父を悩ませ、そして困惑させてきた物だった…。

 昼間すぎに教会の入り口でめまいを起こしてふらついた神父は、夕方遅くま
で寝室で休養を取った。実のところ、この数日神父は眠れない日々が続いてい
て、倒れたのもおそらくその影響だろう。


「…神父様?」
「あ、ああ…シスターか。色々すまなかったね。」

 菫は部屋の入口に薬と水の入ったコップを置くと、神父の顔色が昼間よりも
ずいぶん良くなったのを見て、ほっとした表情を見せる。神父は机の引き出し
を静かに閉めながら、菫に優しげな笑顔を向けて言った。

「…今晩は先ほどの彼女の歓迎会なんだってね?楽しんでおいで。」
「はい…ありがとうございます、神父様。」

 アパートの住人の歓迎会だというのに、菫は教会の修道女連中の中でも最後
までここに残り、神父の世話をしていた。すでに日も暮れ、歓迎会は始まって
いる事だろう。

 お休みの挨拶をして、菫は神父の部屋を出ていく。
ほんとにあの子は心の優しい子だと、神父は思いながらもう一度机の引き出し
を開けた…。

 あの子が今、とても苦しんでいる事が何なのかは知らんが…きっと、この机
の中にある物が関係しているのは間違いないだろう…。


 神父は深いため息を吐き出すと、ぼんやりとその引き出しの中身を見つめな
がら思った。あの子に本当の事を告げるのは…そんなに遠い日の事ではない
のだという事を…。

 

(続く…)