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夜の観覧者 7話

 

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             7  迫る犯人像…


 10月6日 木曜 正午…

 夏美が目を覚ました時、外はすでに太陽が登っていて時計の針は十時を指し
ていた。完全な二日酔い状態で、ソファーからなかなか起きられずにいた。

 広い部屋を見回すと、菫の姿がなかった。
昨夜はひどく飲んでしまい、最後の方はほとんど記憶がない…。
彼女は先に帰ったのであろうが、どちらかというと彼女の方が酔いが回ってい
たように思う。


 何やらモラヴィア館の様子が慌ただしい事に気がつき、起きる支度を始めた
夏美は、買い置いてあるミネラルウォータ―を飲みながら窓の外を見下ろす。

 窓の外のモラヴィア館の入り口に一台のパトカーが止まっていて、何事かと
二・三人の人が入口を覗き込んでいた。

 と、部屋のドアをノックする音がして夏美はぺットボトルの水を飲み干しな
がら玄関へと向かった。

 

「…警察の者ですが…一昨日お会いした警部の部下で村山と申します。」

 ドアを開けると、薄暗い廊下に警察手帳を見せながら立つ女性がいた。
まともに会うのは初めてだったが、夏美は昨日スーパーの中でちらほらと見か
けていた。あの警部と一緒に。

「…ああ、昨日スーパーで私を見張ってた人ね?あら、何だか昨日とは違って
ずいぶん不機嫌そうね?」

 夏美が冗談まじりに言うと、若い女刑事はさらに険悪な表情に変わり半ば
喧嘩腰に言った。何か彼女からは殺気のようなものが感じられる…。

「…二・三質問したい事があるんだけど、よろしい?」
「……ええ、まだかたずいていないけど、どうぞ。」

 女刑事を部屋に呼び入れると、夏美はまた大きなソファーに座り直して頭を
抑えながら言った。

「…また旦那の事でも聞きにきたの?出来れば後にしていただければありがた
いんだけど…。」
「いえ、今日はその事じゃないんです。実は昨夜…」

 言いかけて、女刑事はしばらく言葉に詰り、涙ぐみながら唇を噛みしめた。
夏美は彼女の様子から、何か良くない事でも起きたのかと思ってソファーから
身を起こした。そう言えば…何故この女刑事は、あの警部と一緒ではないのだ
ろうか?

「はい、どうぞ?」

 夏美は言葉に詰まる女刑事に、コップにレモネードを一杯注いで手渡す。
彼女はそれを手にすると、いっき飲みして一息ついた。

「…ありがとう。」

 しばらく彼女が話を始めるまで、夏美はのんびり待とうと思い、自分もレモ
ネードを注いでちびちびと飲みながら正面に座る彼女を観察する。

 女刑事は夏美と同じくらいの歳に見えたが、彼女の方がなんとなく幼い感じ
が雰囲気から伝わる気がした。幼いというよりは…純粋な感じか?


「…昨夜、ある事件現場を再捜査中、利根川警部が何者かに襲われたようなん
です…。」
「まあ…一体誰に?で、あの警部さん大丈夫だったんでしょ?」

 その夏美の言葉に女刑事はうなだれながら無言で首を横にふる。

「…いえ、発見された時は心肺停止の状態で、なんとか持ち直したのだけれど
、今も意識は戻らないわ。首の骨が一つ折れていて、出血も激しかった…。」
「そんな…でも、どうして…」

 しばらく無言で考えていた女刑事だったが、何か開き直ったような表情で
夏美に話を始めた。

「あのね、これは警部が言ってた事なんだけど…今、この街で起きている連続
殺人事件と、羽田さん、あなたの元旦那さんが飛び降り自殺をした件は関連性
があるかも知れない…。」
「…連続殺人事件?そんな事件が起きてるなんて、ニュースでも全然聞いた事
ないけど?」
「そうでしょうね…世間には公表されていないし、そもそも連続殺人事件かど
うかも確定はしていないの。でも、警部はそう信じていたわ。」

 その女刑事の話を聞いて、夏美は自分が何やら複雑な状況になりつつある事
を知った。公表されていない情報を自分に教えるという事は、それだけ夏美は
事件に深く関わる者だと言われているようなものだ…。

 

「実はね、あなたの元旦那さんとあなたの離婚調停の弁護士川村は、ずいぶん
前から知り合いだったの。一昨日の飛び降り事故の後から、川村さんは姿を消
しているわ。そして何故か彼は、あの日このモラヴィア館の前にあるビルのレ
ストランにあなたたち夫婦を呼び出した…。」
「そんな…一体どういう訳なの?」

「…弁護士の川村の家に行ってきたわ。奥さんがいて彼女も彼がどこに行った
かよく分からないそうよ。川村はちょくちょく見知らぬお客と夜になるとどこ
かに出掛けていたそうなの。いつも奥さんが眠った後に帰ってくるそうよ。」
「…え?ちょ…それ、私の元旦那と同じだわ…!」

 夏美は立ち上がり、広い部屋の中をうろうろと歩き回る。
あの元旦那だった男が結婚当時、誰とも分からぬ連中とどこかへと行っていた
…飲みにでも行ってたのだろうと、当時の夏美は思っていた。だが…

「…つまり、あなたの元旦那と川村弁護士はずいぶん前から知り合いだった訳
だ。二人は知り合いであるという事を隠していた…それはあなたを騙していた
って事かしら?そして、ここへあなたを連れてきたのも、偶然じゃないのかも
知れません…。」

 しばらく夏美は窓の外の正面にあるビルを見つめながら考えを巡らせた。

 

「…それで、今日は私に何を聞きに来たの?」
「あなた昨日スーパーで坂崎菫というシスターに会っていましたね?今、彼女
がどこにいるのか知っていますか?」
「え?どこって…教会か自分の部屋にいるんじゃないの?昨夜は彼女と朝方ま
でここで飲んでましたけど…。」

 女刑事は夏美の返事に眉間にしわを寄せてから、手帳を開いて説明する。

「…今朝の七時頃、警察に110番通報があったの。モラヴィア館の前にある
公衆電話から。男性が公園のトイレで倒れていると…名乗らずに電話を切った
ようですが、このアパートの住人に聞き込みをしたところ、七時頃に坂崎菫さ
んが自分の部屋で悲鳴のような声を発っして、外に飛び出していったそうよ。
彼女がすぐ近くの公衆電話に入るのを見た人がいるの…。その彼女は現在、
部屋にも教会にも戻っていません。あなた、彼女がどこに逃げたのか…心あた
りないかしら?」

「…ちょっと、待って。何か、まるで彼女が悪い事して逃げてるみたいな言い
方じゃない?菫さんが何をしたっていうのよ、警察に通報したらいけないって
いうの?」

 少々興奮気味に話す夏美に対して、女刑事はなんとも冷静で、しかし迷って
いるような声で説明した。

「…もし通報が坂崎菫さんなのだとしたら、ちょっとおかしいのよ…。通報に
あった南の公園の公衆トイレは…利根川警部が調べていた事件現場なのよ。
昨日そこに警部がいたのは私しか知らない情報なの。しかも、実際警部が見つ
かったのは…その公園ではなくて、八キロも離れた場所なのよ…。」

 
 たしかに、彼女の話が本当だとすると菫にはおかしな点がいくつかある事に
なる…。

 誰も知らない捜査の情報を、彼女はどこで知ったのだろう?
彼女は警部が何者かに襲われたところを見たのか?でなければ通報など出来な
いはずだし…。しかも、その警部が見つかった場所が通報とはまったく別の
場所だったという事も不可解だ…。

 …そもそも彼女は昨夜、朝方まで自分とがっつりと飲んでいたのだ。
いや、自分の方が先に眠ってしまったから朝方までとは言えないかも知れない
が…。そして、何故彼女はここから逃げたのだろう…?


「私は一度署へ戻りますが、坂崎菫さんが戻ったら私に連絡して下さい。」

 彼女は携帯の番号が書かれた紙を夏美に渡すと、玄関の方へと急ぐ。
だが、もう一度振り向いてから、静かに夏美に言った。

「…あの、あなたも何か事件に関わりがあるかも知れないから、くれぐれも
安易な外出は避けて下さい。いいですね?この事件で動いているのは残念な
がら今は私一人なんです…。警察の全面的な支援はありません。だから…」
「ええ、分かりました。あなた一人でも充分心強いわ。」

 それを聞いて、女刑事は一瞬だけ照れくさそうに笑うと、夏美の部屋を出て
いった。


 彼女が部屋を出ていき、夏美は窓の外を見つめパトカーが走り去るのを見届
けると、急いで服を着替え始めた。何故なら夏美には菫が今いるであろう場所
が分かっていたからである。

 

 

 

 

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 モラヴィア館の螺旋階段を降り薄暗いロビーを出た夏美は、玄関の隣にある
茶店ラ・テーヌの入口に休業中の看板を見つけて中を覗き込んだ。

「こんにちは。」

 店内を覗き込むと、ウェイトレスの娘がしゃがんでドアの窓を拭きながら、ひま
そうにあくびをしている。

「あっ、夏美さん。部屋はかたずきました?」
「まあ、眠るくらいは出来るようにかたずいたわ。それより…マスターは?」

 店内は彼女一人だけで、背の高い痩せたマスターの姿が見えなかった。

「…それが一昨日の夕方に買い出しに行ってから戻って来ないんです。携帯に
連絡しても繋がらないし…どこいっちゃったんだろ?困るなぁ…。」

 
 一昨日といえば、あの人が飛び降りた頃だったと思い出し、夏美はまたもや
自分の回りで一人姿を消した事に驚く…。

「ここって、マスターのお店じゃないの?」
「いいえ、マスターは雇われ店長ですよ。私もバイトですしね、ここの経営は
管理人さんの知り合いがやっているそうです。」

 …自分の店でないなら、突然来なくなっても驚く事でもないか、と夏美は思
った。今どき突然やめるなんていうのは良くある事だし…それよりもー

「ああっ!私ちょっと用事あったので、またね。」
「はい、あ…そういえば管理人さんが今晩、夏美さんの入居祝いでご馳走して
くれるそうですよ!館の住人みんな呼ぶんだそうです。今晩大丈夫ですか?」

 入口にある小さな花瓶の白い花に、やかんの水を少しずつやりながらウェイ
トレスの娘が夏美に言った。星形の白い綺麗な花が咲いている。

「…もちろん!」

 夏美はOKサインをウェイトレスに送ると、慌てて店を出ていった。

 

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 モラヴィア館近くのスーパーマーケットにやって来た夏美は、わき目もふら
ずに店内を歩いていく。目的の場所はもちろん休息所のあるファーストフード
売り場である。

 今日も平日とはいえ、休息所でお昼を食べている人は少なかったが、その分
ひと目で菫がいるのを見つけられた。

「やっぱりここにいたのね。」

 急に後ろから声をかけられ、驚いて振り向いた菫は昨日と同じく涙で瞳を濡
らしていた。

「…ここ、あなたの泣き場所なの?」

 夏美は菫のテーブルへとやって来ると、向かい側に座る。
菫はハンカチで目を押さえながらずっと泣きじゃくっていたらしい。その両目
は真っ赤だった。

「…聞いたわ、若い女刑事さんに。あなたが通報したおかげで警部さん、なん
とか助かったそうよ?菫さん、とても良い事をしたと思うわ。でも、このまま
戻らなかったら、むしろ怪しまれてしまうよ?」

 菫は夏美の言葉を聞きながらも、ずっとハンカチで両目を抑えていた。
きっと昨日ここで泣いていたのも同じ事なのだろうと夏美は思い、不可解なが
らも、彼女の性格の良さを信じて言葉をかけた。

「どうやって警部さんを見つけたのか知らないけど…私も一緒について行くか
らさ、部屋に戻りましょ?」

 と、しばらく無言で泣きじゃくっていた菫がハンカチで顔を拭いて、気持ち
を落ち着かせながら小さな声で話し始める。

「……夢なの。夢で見たの。とっても恐ろしい…」
「夢?夢って…あの夢?」

 菫は夏美の言葉に大きく頷く。

「…これでもう四度目なの。その恐ろしい夢を見たあとに、それと同じ事件が
起きてるの…人が殺されて…!私どうしていいか分からなくて…もしかしたら
、夢なんじゃなくて…私が…」

 しばらく菫の話をぽかんと聞いていた夏美だったが、急になっとくしたよう
な表情で語りだした。

「そうよ、これは…予知夢よ!きっとそうに違いないわ。」
「…予知夢?」

 今度は菫の方がぽかんとした表情で夏美の言葉を聞き返す。

「少しだけ未来に起きることとか出来事が夢に出てくるのよ。ちょっとした
超能力みたいなものだけど、誰にでも備わってる能力だと思うの。そうよ、そ
うに違いないわ!菫さん、もしかして…自分が犯人だとでも思った?」

「…だって、犯人でなくちゃ分からない事を知ってるのだから…。」

 夏美は菫が言った言葉を、げらげらと笑い飛ばした。
さすがに菫も涙まじりの顔をムッと膨れさせながら、夏美に顔を向ける。

「あはは、だって…こんなところで毎日べそかいてる人が、そんな恐ろしい事
出来る筈ないじゃないの!私は信じるよ、菫さんのこと。」

「…私のこと信じてくれるの?昔の記憶も無い人間なのよ?昔どんな人間だっ
たのか分からないのよ?」
「ええ、信じるわ。昔とか今とか、人間の中身は変わらないよ。そんな恐ろし
い人間からあなたのような人には絶対にならないわ。」

 菫は夏美の言葉に、またも涙をこぼして今度は笑って言った。

「…ありがとう。私、その女刑事さんに話すわ。あなたが信じてくれたら勇気
が出るもの。」
「じゃ…その前に、何か甘い物でも食べようよ!」

 そう言って夏美は椅子から立ち上がると、菫の腕を掴みながらファースト
フードのデザートコーナーへと連れて行った。

 

 

 

 

 

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 病院の集中治療室の廊下で、涼子は夏美からの電話に応対していた。
坂崎菫が見つかったそうで、いつでも話をするとの事だった。

『…私たち今、スーパーの休息所であんみつ食べてるんだけど…刑事さんも
一緒に食べながらどうです?近いんでしょ?』

 などと夏美から楽しげな誘いもあったが、今はどうしてもそんな気分になら
ず、菫と話をするのは後でいいと断った。

 見舞いに来た涼子だったが、相変わらず警部の意識は戻っておらず、その姿
を見るのは痛々しいばかりであった。

 

 しばらく部屋の外で警部の姿を見つめていると、そこに主治医がやって来て
涼子を見つけると声をかけてきた。

「…君は、娘さんかね?」

 涼子は無言で警察手帳を見せると、主治医は急に背筋を整えて話を始める。
これはいつもの事で、涼子が刑事であると気ずく者は少ない。まだ若いという
のもあるが、おそらく彼女の性格的なものもあるだろう。

「…患者の家族はいますか?」
「いえ、警部は一人です。家族もいないと聞いてます。」

 それを聞いた主治医は、少し困ったような表情を涼子に向けて、それから
また話しを続ける。

「とても危険な状況です。あちこちに外傷がありますが…一番ひどいのは首
です。下から両手で絞められた跡があるのですが…通常では考えられないこと
になっています…。」
「…通常ではないって…どういう事です?」

 主治医は写真を取り出すと、涼子に見せながら説明する。

「…この痕から長時間両手で首を絞めた事が分かりますが、下から吊りあげる
ように首を絞めるというのは常識的には考えられない。分かりますか?」
「……ええ、よほど力があるか、体格的に大きな者じゃないとそれは出来ない
って事でしょ?」

「そうです。それこそプロレスラー並みの体格を持ったような…ですが、首の
締め痕から判断するに、どう考えても普通の人の手の平サイズなのです…。
そう、おそらく女性ですな。」
「…女性…。」

「患者の首の骨と顎の一部が折れているのは、長時間真上に吊りあげていたた
めであると考えます。大の大人を数分以上持ち上げ続ける事は、重量挙げの
選手でもそうは出来ません。まして、刑事さんが相手ともなれば…」

 その説明を聞いて、涼子はしばらく主治医の顔をぼんやりと見つめていた。


 …人生で初めて迎えた一人での捜査の相手が恐ろしい連続殺人犯かも知れな
い。おまけに、その相手が「ゴリラ並みの怪力」を誇る、どこにでもいる普通
サイズの人間であるという。しかも私たちが想像している犯人像は”女”である。

 そのエキセントリックな相手を想像すると、涼子はおもわず笑いそうになった
が、目の前の警部の姿を見ると現実の事なのだと唇を噛みしめた。


 すると、また涼子の携帯が鳴り、相手が署のお偉いさんだと知ると、廊下に
出ながらその内容を考えうんざりした。


 …今度も始末書どころの騒ぎじゃないかもね?と、涼子は一人ごちた。


(続く…)