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夜の観覧者 6話

 

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             6  夜の影から


 10月5日 水曜 深夜…


 部屋の掃除も終えて、小さなテーブルに菫と向かい合ってお酒を飲む夏美は
、すっかり酔いが回っていた。もちろん、相手の菫も。

 二人とも今晩はお酒を飲んで色々な事を忘れてしまいたいという気分だった
ので、気がつけば買ってきたワインは、ほとんど開けてしまっていた…。
テーブルの上には上等のワインが二本、テーブルの足元には同じく別の種類の
ワインの瓶が三本ころがっている。

 

「…いや、たしかにね?私もまだ若かったのよ、ね?急に売りだしてよ?それ
なりにもてたりもしたわけさ。それなりに釣りあいのとれる男も近ずいて来る
わけ…分かる?」

 ワイングラス片手に少々絡みがちに夏美が言うと、菫もワイングラス片手に
うんうんと頷いて、いっきに飲み干す…。菫は真っ赤な顔の夏美と違い、ほと
んど顔色は変わっていない。だが、酔いは夏美よりもひどく、もうほとんど眠
りそうな目をしながら話を聞いている。

 広い部屋には蝋燭の明かりだけが、ぼんやりとテーブルの二人を淡く照らし
ていた。

「…ほんで、流れに乗っかって結婚したけど…いや、良い所はたくさんあった
の、でもね…なんていうのか…なんていうんだろね?一緒にいて…安心する事
が無いっていうか、落ち着かないっていうか…よくわかんないけど、同じ方向
を向いてない気がしたのよ。同じ事やってるのによ?私、すぐに彼と離れて暮
らし始めたの。三ヶ月も経たずにね…」


 今思えば、旦那だった男は奇妙な人物だった。
結婚前は彼の方から熱烈にプロポーズされていたのだが、入籍後は急に大人し
く、寡黙な人物に変わったのである。そして何故か、毎日のようにマンション
にお客を連れてきては、自慢の嫁だと”不自然なほど陽気に”振る舞うのだ。

 おまけにとても音楽関係とは思えない連中を家に連れてきては、何やら話込
んでいた。そして毎晩その連中とどこかへと足を運んでは、夏美が眠りについ
た頃、そっと帰って来ていたのである。


 夏美は片手で頭を抱えるようにうなだれて言った。
菫はそれを見て、ワインのボトルを彼女のグラスに近ずけながら声をかける。

「誰にでも間違う事ってあると思うけど…。」
「ない。だってあなた、男で間違い起こした事ある?」

 そう言われて、菫は夏美に返す言葉に詰まった。
教会にやって来てからというもの、この十数年毎日教会のお勤めに勤しんでき
たのだ、男の話など出てくるはずもない…。

「…だって私、この街に来るまでの記憶がないから…。」
「あ…そうだったわね…記憶がないのか…うん、それも良いわね。私も消した
い…そうすれば悩む事もない……」

 そう呟くと夏美は、ゆっくりとテーブルに倒れ込み、そのまま眠りについて
しまった。

 菫はその寝顔を見つめながら一瞬だけ微笑むと、椅子から立ち上がり夏美の
肩にそっとタオルケットをかけた。

 部屋は蝋燭の明かりだけで暗かったが、通りに面した窓から街の明かりが僅
かばかり入っている。菫は窓の傍へと歩いていくと、正面の眼下にクリステル
教会の黒いシルエットが見えた。

 と、いつもは消えているはずの神父の部屋の明かりがついていた。
彼はいつも八時頃には電気を消して就寝しているはずなのだが…今の時刻は
すでに二十三時を過ぎている。

”…どうしたのかしら神父様。ひょっとして朝に私があんな話をしたので心配
させてしまったのかしら…。”

 そんな事を考えながら、菫は静かに大きなテーブルに置いてある蝋燭の小さ
な炎の前で手を合わせ、何か短い祈りの言葉を呟いて、静かに夏美の部屋を出
ていった。

 

 

 

 


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 街灯も少ない夜の公園で、利根川警部はもう一度事件の起きた現場へと戻っ
て来ていた。かなり広い公園で、主に散歩やジョギングなどをする人たちがや
って来る公園だ。

 公衆トイレで首を吊っている男を発見したのも朝のジョギングをしていた者
である。
 
 目前に公衆トイレが見えるが、この辺りには人影は見当たらない。
この場所で起きた件が、最も早い段階で事件性が乏しいと判断されたのには訳
がある。

 一つには、この寂しい場所に過去にも同じく自殺を図った者がいるからだ。
そう言う意味では、都会の中でこのような寂しいトイレはうってつけの場所だ
と言える。

 二つ目は、現場であるトイレの小部屋に残った痕跡だ。
亡くなった男は小部屋の服かけから紐のような物で首を吊っていた。
男の身長は160センチだった事から、首を吊って足が下に届く事もない。
そして吊る前に、自分でパイプの部分に足をかけた後も残っているし、壁の上
の部分に手をかけた指の指紋もついている。

 それでも、やはり何かが気にかかる…。
というのも、ここでも例の女が目撃されていたからだ。

 三件の事件で唯一共通した情報が、現場に現れた謎の美女である。
目撃情報によれば、多少の違いはあるものの大まかな特徴は、長い髪の毛で
かなり濃いめの化粧を施していたそうである。

 だが…

 その女を目撃した者の話によると、トイレに吊るされた男の死亡推定時刻か
らずいぶん後、軽く五時間は経過している…それはつまりその女が犯人である
という事を立証するのは難しいと言うことだ。そもそもそんな女が実在してい
れば、の話であるが…。


 しかし警部の長い経験から、その女は必ず事件に何らかの関連性を持ってい
る…と考える。その大きな確信を得たのは、あの二人の奇妙な連中が伝え?て
くれた「首狩り族」というキーワードであった。

 おそらく犯人は、首にかなりの執着を持っている者の犯行であると、警部は
考えるが…一体何のために…?ただ単に狂っているのか…?何故この区内だ
けであちこちで犯行を行うのか?

 
 公衆トイレの中へ入ると、裸の電球がついたり消えたりを繰り返していて、
お世辞にも綺麗なトイレとはいえなかった…。

 トイレの中はすでに立ち入り禁止にはなっていなかったが、ここへくる者は
そうはいない。壁の落書きや荒れ放題なのを見ると、怖い物見たさで来る輩や
ならず者の若者集団くらいであろう。

 暗いトイレの一番奥の小部屋で、男は首を吊っていた。
警部は軋んだ音を立てるドアを開けると、小部屋の中へと入る。

 

「……………。」

 しばらく何も無いトイレの小部屋で、警部はじっと黙ってドアの服かけに背
を預けて考えを巡らせていた。警部も身長は160ちょっとである。

 四面ある壁の一つに背をもたれながら、警部はあることに気がつく。
右側の壁際に、首を吊った男が足をかけたというパイプが見える。たしか警察
の調べでは、そのパイプに足をかけ上から首を吊ったそうだ。隣の小部屋側の
壁の上に被害者の指の指紋がついていたところから、そのように推測された訳
だが…

 そうならば、少しおかしいような気がした。
ドアの面で首を吊るのに、何故右側の壁から無理やり斜めにあるドアの服かけ
に首を吊る必要があるのか?

 むしろ首を吊るならドアの服かけの下で、その場で紐を首にかけ足を浮かせ
たほうが簡単な気がする…。

 警部はトイレの床をじっと眺めながら考えを巡らす。


 …ひょっとすると…被害者の男は壁のパイプに足をかけ、上の壁に手をかけ
登ろうとしたのかもしれない。例えば、何かから逃げるとか…。いや、あるい
は…隣側を上から覗こうとしたのかも知れない…。

 警部は同じようにパイプに足をかけ、隣側の壁の上に両の手をかけて隣の小
部屋を上から覗こうと伸びあがった。

 

 

 

 

 

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 その瞬間、警部の目の前すぐ近いところに、隣の小部屋から同じように女が
音も無く顔を出した。

 警部は声も無くほんの一瞬だけ動きを止めてその女の顔を見つめた。
長い髪の毛に隠れるようにぎょろりとした目が見えたが、そのふちは黒い化粧
が施されていた。見た目にはとても美人に見えたが、もちろん知らぬ顔に見え
た。

 覚えているのはそれだけで、次の瞬間物凄い力で警部は首を両手で掴まれ、
トイレの壁のパイプから足を踏み外して宙吊りの状態となった。叫ぼうにも
凄まじい力で首を両手で掴まれているので、呼吸一つ漏れ出てこない。


 薄れゆく意識の中で警部は、せめて昨日うなぎを食べに行っとけば良かった
と思った。

 

 

 

 モラヴィア館の部屋のべッドで目を覚ました菫は、自分の激しい悲鳴で飛び
起きた。あまりにも恐ろしい夢を…たった今その場所で見てきたような、そん
な悪夢のような夢を、またも菫は見たのである。

 全身汗びっしょりで、なぜだかひどく疲れが残っていた。

 慌てて近くにある時計を見ると、時間は朝の六時…窓の外はうっすらと白く
明るくなりつつある。

「…大変…!もう間に合わないかも…!急がなくちゃ!」

 菫は慌てて服を着ると、部屋を出てモラヴィア館の外にある公衆電話へと
走った。もちろん、110番通報をするために…。

「…もしもし!あの…人が、人が倒れているんです!急いでそこに人をやって
ほしいんです!」

『…何ですって?あなたお名前は?どちらさん?』
「そんな事どうでもいいから急いで!手遅れになっちゃう…南にある公園の
公衆トイレです!お願いします…!」

 そう言って菫は泣きながら電話を切ると、慌てて電話ボックスを飛び出して
、まだ薄暗い街の中へと走り出していった。

 今どこを走っているのか菫には分からなかったが、ただ夢の中で見た知らな
い男が無事であるよう繰り返し祈りながら…。


 だが、男が見つかったのは公園のトイレではなく、別の場所であったのだが
菫がそれを知るのは、その日のお昼に近ずいた頃であった…。


(続く…)