ザ・怪奇ブログ

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水面の彼方に 15話

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             15  深夜の誓い 


 建設されてから半世紀近くは経つであろう地下の廃坑道へと博士らが降りたのは
すでに日をまたいだ後だったが、幸いにも武装した謎の集団が学園内へと乗り込ん
で来るということはなかった。

 それというのも、捕えた襲撃者の説明によれば軍隊としての組織を持った彼らが
、あからさまな活動を民間の大学内にまで広げる事をよしとしない、との推測から
必ず彼らはどこかに罠を張り、秘密裏に自分たちを捕えるつもりがあるだろうと考
えられた。

 それはおそらく、この芸術大学の外、誰の目にも触れる事のない深い森の中であ
る可能性が高い。

 それを知ってか知らずか、自分はもちろんのこと、真理のおめかしに一時間以上
もかけ遅れてやって来た光は、これ以上ないほど顔の表情をほころばせながら地下
の坑道へと降りていった。

「…一体何の意味があってこんな格好させられなくちゃならないの…?」
「何のって…可愛いいからに決まってるじゃないのよ。」

 緊張の中、一時間も待たされた他のメンバーたちとは対照的に、光は自分がコー
ディネートした可愛いらしげな服装に身を包んだ真理を見ながら、顔をにやけさせ
て地下への梯子を降りてゆく。


 この地下坑道こそが、かつてこの土地に存在した秘密結社らが利用した秘密の抜
け道であり、不気味な地下の実験施設の跡地なのである。

 第二次世界大戦当時に建設された巨大な地下の防空壕だったこの施設を、結社の
連中は中と外への移動手段として使用していた。黄金の魔術師とうたわれた謎の怪
人物、結社の黒幕だった蔵前教授のその強大な地下実験施設は、彼亡き後はコンク
リートで埋め立てられたが、昔の地下坑道の一部はそのまま今も残っている。

 そして、この地下坑道を知り尽くし、最も活用していたのが芸術大学の講師であ
り、魔女でもあった光…間宮薫なのだ。


「…しかしね、この土地に地下坑道がまだ存在している事は「連中」だって知って
いるんじゃないのかい?なら、この廃坑道に敵が待ち構えている可能性もあるんじ
ゃないかな?」
「ええ、その可能性が無いとは言えないわ。ていうか、むしろいるわね。」

 平気な声色で光が博士の質問に答えると、梯子を降りきった場所にある狭いスペ
ースに涼子がやってきて口を尖らせながら文句を言った。

「ちょ…と!あなたが安全だっていうからこの地下坑道を使おうってなったのよ?
今になって敵が隠れてるかも知れないって、あんたー」

「…あのね、敵が何者なのかは知らないけど、この事件の秘密を守ろうと住宅や
大学に殺し屋集団を送り込む連中よ?この森どころか、町全体…この国中に監視の
網が張られていてもおかしくないわ。当然、大学の地下に広がる廃坑道に敵が隠れ
ていても不思議じゃない。」

 光が涼子の質問にいっきにまくしたてた時、最後尾の博士が狭いスペースへと
降りてきた。秘密の抜け道とはいえ、その空間には先へと向かう通路も扉も無い。


「でも、この通路はそれとは別なのよ。大学の外からは入れないし、出口も誰にも
分からないわ。」

 そう言って光は片方の眉毛を上げて見せると、近くの壁の一部を掴み上に引き
上げて見せる。人一人がやっと通れるような狭い隠し通路のようなものが存在して
いて、光が通路の先にライターの明かりをかざすと、数メートル先に木製で作られ
た扉が見えた。

「さあ、どうぞ?」

 木製の重い扉を開け、入口のランプにライターで火をつけるとぼんやりと部屋の
全体が見えてきた。狭い小部屋の中は、何かの液体が入った瓶が沢山並ぶ木製の棚
と、ベッドが一つだけ置かれてある。部屋というにはあまりにも簡素なもので、
生活を思わせる物といえるのは唯一壁に貼られた一枚の大きなビール広告のポスタ
ーだけだった。

 だが、一つだけ妙な物が部屋の隅の机の上に置かれていた。
何か頑丈な素材で作られた四角い木箱があり、ガラスのケースに青い色をした光の
ようなものが淡く点滅している。その青い光を、真理と博士は前に一度見たことが
あると思った。

 数年前、蔵前准教授の隠し部屋にあったオルゴン・ボックスに似ていたのだ。
そっくり同じ物ではないと感じたのは、あの時の禍々しい吐き気を催すようなもの
が光のボックスからはまるで感じられなかったからだ。

 むしろ、その青い光を見ていると暖かで、何か奇妙な高揚感さえ感じる。

「ここ一体何なの?」

 部屋の中を静かに見つめながら、真理は隣に立つ光に聞いた。
光はにやついた表情を見せながらも、どこか気恥ずかしそうに笑いながら彼女の問
いに答えて言った。

「ここはね、私の……いえ、間宮薫の隠れ部屋よ。」

 淡いランプの明かりに照らされた光は、暗がりに自分の顔を隠すようにしながら
淡々と皆に説明を始めた。

 

 

 

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 数年前のブルクハルト芸術大学を全焼させた火災で、命からがら逃げ延びた間宮
薫は地下の廃坑道を通り、この秘密の隠し部屋へと逃れた。一度は命を捨てて大学
に火を放った薫だったが、再生の治療を施した真理が命を取り戻すのを自分の目で
どうしても確かめたかったのだ。

 秘密の治療を施したとはいえ、真理が命を取り戻す可能性はほぼ五十パーセント
ほどで、もしも彼女が息を吹き返さなかったその時…命を捨てるのはその時でいい
と薫は思った。そして、真理は見事に蘇生する。

 そして、薫は自分も何としても生き延びようと思った。


 だが、生き延びたとはいえ薫の火傷による全身の損傷は深刻な状態である。
中でもひどかったのが、ナイフで傷をつけた右腕の火傷、そして顔面と頭部周辺で
あり、薫の持つ秘密の再生薬を持ってしても、全身の大火傷を完治させる事は容易
ならず、実に半年近くもの時間をこの小部屋で費やした。

 まともな治療が受けられない以上、怖いのは火傷による細菌の感染だった。
そこで薫は、この無菌状態に近い小部屋から一歩も出ずに治療を続けるという事を
行ったのである。頭部の髪の毛も全て抜けるほどの火傷を負った。女として生きる
うえの美しさも全て失った。

 それでも薫が生きるのをあきらめなかったのは、たった一つの心残り…あの子を
、真理を見守りたいという想い。


 お尋ね者となった薫は、世間から身を隠す間もたった一人で傷の治療を行わなく
てはならなかった。それは想像を絶するほど過酷で辛い日々だったのである。


 
「…良かった、ここにある物で材料は何とかなりそうだわ。」

 光が木製の棚から何かの薬剤や液体を物色する間、博士らはぼんやりと部屋の中
を見回していた。入ってきた木製のドア以外に窓も出口も見当たらない小部屋を見
つめ、博士は首を傾げる。光はこの隠し通路が森を抜けるための秘密の通路である
と言っていたが、どこにもその先へ向かう通路のようなものが無いのである。 

 とりわけ博士が興味を持ったのが、何もない簡素な小部屋の唯一の人間生活を感
じさせる大きな広告のポスターである。大手のビール飲料会社の広告で、缶の蓋を
開け炭酸と泡がはじける清涼感に溢れたものだ。ビール好きにはたまらないポスタ
ーとなっている。

 それをぼうず頭の男は顎に手をやり、近くでしげしげと見つめた。いつの間にか
隣には秘書もやって来ていて、同じようにそのポスターをぼんやりと眺めている。
薬剤の選別をしている光は、その彼らの様子をちらちらと眺めながら博士らに声を
かけた。

「…さすがね。すぐにそこに興味がいくなんて。」

「まあね、半年もこの小部屋に閉じ籠っていたんだ、このビール広告のポスターが
君の精神的支えになっていたかと思うと泣けてくるな。おそらく火傷の傷を治すた
めにアルコールは控えていたはずで、毎日このポスターを眺めては飲んだ気分にな
っていたのだろう。心中察するに余りある。」

 光はずるりとずっこけ、棚の瓶をいくつか床に落とした。
名推理の博士の隣で、秘書が涙をこぼしそうな表情でわなないているが、見ように
よっては笑いをこらえているようにも見える…。

「…そんな訳ないでしょ…違うわよ、これよ、これ!」

 壁に貼られていた大きなポスターを光は素早く外す。
すると、ポスターの裏側だった壁には大きな四角いダクトの穴が開いていて、先へ
向かうほど通路は広くなっている。

「なるほど、これが外への抜け道って訳か。どおりで、こんないい抜け道があるな
ら、遅れてきても余裕があるはずだ。」
「そう、これは私と良美ちゃんしか知らない抜け道よ。私たちで作ったから地図に
も載っていな……あっ。」


 光がそれを口にした時、部屋の全員が光と須永理事長の方を一斉に見た。
ここは”お尋ね者”である間宮薫の隠れ家なのである。当の本人以外が知っていて
よい場所ではないのだ。

「…そうか、ここを動けなかった光さんがどうやって半年も過ごせてきたのか…
それで説明がついたな。」
「でも、それって……」

 博士の言葉に、刑事の涼子があることに気が付いた。
怪我をしていたとはいえ、間宮薫はお尋ね者であり、いかなる者も協力するという
事は許されないことだった。光と事件の真実を知る僅かな者たち以外の人間にとっ
て、間宮薫という人物は、大学乗っ取り並びに財産横領を企てた重罪指名手配犯な
のだから。


 一番驚いていたのは真理で、見つめる先の須永理事長は何とも申し訳なさそうな
表情で微笑んで見せる。

「…光さん、確かここに半年くらいいたんだよね…それって、あのプレハブの仮設
校舎で大学を私が卒業する頃まででしょ?」
「ええ、そうね。」

 いつになく神妙な表情の須永理事長も、真理の傍にやってくる。

「ごめんね、真理さん。あなたには黙っていて…でも、あの時は誰かが協力しなく
ちゃいけないほど薫ちゃんの状態は悪かったの。黙っていたのも、あなたに心配を
かけさせたくなかったからで…」

 その理事長の言葉を聞いて、真理は柔らかな笑みを浮かべながら言った。

「分かってる。そのおかげで今、私たちこうしていられる訳だし…全部私のためな
んだって。理事長にも光さんにも感謝しているわ。」

 真理の言葉を聞いて、光と須永理事長は顔を見合わせる。
長年気にかけてきた胸のつかえがすっかりと取れたような思いで、二人の魔女は
心底安堵の表情を浮かべ笑う。もちろん二人は涙をこぼすのも忘れなかった。


「それじゃ、早いとこ抜け出すとしますか。」

 光は自分のポシェットに棚から手に入れた小瓶をいくつか詰め込むと、壁の穴へ
と向かう。入口は狭いが、通路は大人が普通に歩けるくらいには広がっている。

「この通路はどこに繋がっているんだい?」

「ここから数百メートルくらい少しずつ上に向かっているわ。森の中にある丘の上
に出るの。そこから小さな川沿いに、けもの道を数キロ歩けば県境の国道に出る筈
よ。このけもの道は私しか知らないもので、ここに戻る時は利用してるの。」

 彼女の説明に須永理事長だけが一人、何とも嫌そうな表情を浮かべていた。
それもそのはず、真夜中に森を徒歩で数キロ歩こうというのだから。


「それにしても、私たちって…一体何の事件に巻き込まれているのかしら?どうし
て、私たちでなければいけなかったのかしら?」

 一番最後に部屋に残った秘書が、誰にともなくつぶやき首を傾げた。
その疑問は、単純ながら最も事件の核心に迫るものだったのだが、その時の秘書に
は見当もつかない出来事だったのである。

 

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 深夜の0時を過ぎても、地下基地内は慌ただしい雰囲気に包まれていたが、杏は
一人自分の研究室でパソコンの前に座り仕事を続けていた。

 どうやら当初の予定からみて大幅に作戦行動が早まりそうだと感じた杏は、これ
まで最後の手段だと想定していたプログラムを行う必要があると感じていて、今晩
は眠れない夜を過ごす事になるだろうと思った。

 これまで密かに行ってきた妨害工作や、「彼ら」を使った陽動作戦も全ては無駄
になりそうなほど早急な予定の変更に杏は面食らった。これは上層部の連中たちが
、この街で慎重にプロジェクトを行ってきた我々を切って、乱暴な強硬手段を行っ
てでも「あれ」を手に入れようとしているのだと杏は思った。

 恐らく上層部の連中は、あれを手に入れたらこのプロジェクトそのものを抹消し
、基地もろとも関わる人間たちを一人残らず生かしてはおかないはず…。

 

 ”あれが外の世界に触れれば、どんな事態を引き起こす事になるのか?他ならぬ
杏が誰よりも良く知っている。このプロジェクトはもう、自分たちの手を離れ強欲
で浅はかな連中の手に渡っているのだ。彼らは”あれ”の恐ろしさをちっとも理解
していないし、この星の未来についてもちっとも興味を持ってはいないのだ…。”


       ”そう、連中にあれを渡すくらいなら…”

 恐ろしいスピードでキーボードを叩いてゆく杏は、自身が作成した基地内のマザ
ーコンピュータにアクセスする。そして基地内の誰も知らない秘密のプログラムに
アクセスすると、杏は一瞬だけ躊躇してキーボードを打つ手を止めた。


          「 プログラム・end 」


        : パスワードを入力して下さい。:

 

 杏は画面の前で一つだけため息を吐き出すと、自分が設定したパスワードを打ち
込んでいく。すると何かのプログラムが起動を始めた。

 何かの文字がゆっくりと画面の上から下に向かって流れてゆくと、それと共に静
かな音楽が流れ始める。杏の好きな歌「 The end of the world 」だ。

 

 


The End of The World/Skeeter Davis【オルゴール】

 

 

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 その画面を静かに見つめながら、杏は小さな声で鼻歌を歌う。
何か重大な事を成すという割には、これという感慨も実感も湧かない杏だったが、
心のどこかに僅かな未練のようなものがあることに杏自身も驚いた。 

 今回の一件が持ち上がり、反乱分子としての秘密の活動を始めた時から杏には
覚悟していたことである。多くの同志たちが命を落とし、いつかは自分の番が来る
だけ、と…。

 だが、杏は唐突にもその奇妙な心残りに気がついた。


 そうだ、私は、”あの人たち”に会わずに計画を終わらしてしまうのか?と。
不思議な縁に繋がれた彼らと会うまでは、自分はあの人たちとの奇妙な運命を信じ
この計画を進めたのではなかったか?


 その時、広い研究室の隅から聞き覚えのある音が聞こえ、杏はキーボードを打つ
手を止める。杏の研究室は分厚い防音壁に覆われていて、外の騒がしい騒音もまっ
たく聞こえないほど静かなもので、その音は明らかに研究室の中から聞こえた。

 乾いた美しい鈴の音…自分がこの街にやってきた時、あるお土産屋で購入した
銀色の綺麗な鈴の音…。


「ベル…?あなた一体どうして…!?」

 机の隅から姿を現した三毛猫のベルは、素早く杏の膝の上に飛び乗ると、一声
鳴いてごろりと横になった。二日ほど家に戻らなかったベルは、どこをうろついて
いたのか、毛は煤で汚れている。首につけられた銀の鈴は、ベルに初めて会った時
杏がつけてあげたものだ。

「お前どこをうろついてたの?ていうか、どうやってここまで来たのよ?」

 ここは街の中心街から数キロ離れた地下深くの秘密基地で、おまけに杏の研究室
はその最深部にある。しかも厳重なセキュリティーに囲まれた要塞のような場所に
、この三毛猫は一体どうやって潜り込んだというのか?

 杏の驚きなどまるで気にもとめない様子で、ベルは膝の上でごろごろと喉を鳴ら
して丸く寝そべる。その呑気な姿に杏は、ぷっと吹き出して笑った。

 猫の行動範囲は人が驚くほどに広い。そして彼らが出掛けている間、どこで何を
しているのかまるで分からない…が、それにしても、である。この地下基地で働く
杏には、自分のところへとやって来たこの三毛猫が只者ではないと思いつつ、この
子にはそれが出来るのだと、妙に納得してしまうのだ。


「あんた、いつも私の肝心な時に現れるのね?」

 そう言って杏は、プログラムを強制終了させるとパソコンの電源を切る。
膝の上のベルを抱き上げると、杏は傍にあるソファーに倒れ込みじゃれ合うことに
した。


 まだ、時間はいくらか残っている筈…最後の手段を使うには早いと杏は思ったの
である。まだ自分にも出来る事があるはず、と。 



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 通路を抜け、森の中にある小高い丘へと出た光は背後を振り返り足を止めた。
深夜の森は暗黒に包まれていたが、唯一聖パウロ芸術大学が僅かだが彼女らに明か
りを与えてくれている。

 あそこを出る時にはまだ僅かなランプの明かりしかなかったが、今は大学のほと
んどに明かりが付けられてた。もちろん、停電は依然として復旧してはいない。


「きっと、あの執事の仕事だわね。森を行く私たちに少しでも明かりをプレゼント
してくれたのよ。」
「ええ、いい執事を見つけたわ。」

 光は傍に寄ってきた須永理事長に声をかけながら、二人並んで自分たちの故郷を
眺める。今や二人にとって故郷といえるのは、様々な出来事が起きたいわくつきの
土地と、この美しい大学だけだ。

「でも、良美ちゃん、どうやってあの執事を口説き落としたの?」
「あら薫ちゃん、私が自分の魅力で口説き落とせなかった男がいる?」
「…ほんとに?あの人、けっこうな歳よ?」

 光は良美の顔をまじまじと見つめ、二人してくすくすと笑った。

「嘘よ嘘。探偵さんとあの執事さんは口説き落とせなかったわ。」
「じゃあ、どうやって?」

「簡単だったわ。毎日のビールと衛星放送でプロ野球が見放題よ?って言ったら
あっさりと承諾してくれたの。」
「随分安上がりね。」


 そこに真理もやってくると須永理事長は彼女を真ん中に押し入れて、大学の美し
い明かりをしばらく見つめていた。

「綺麗ね。大学をこうして外から見る事なんて今までなかったから。」
「そうね。」

 答えた光はちらりと横に立つ真理の横顔を不安げに見つめる。
自分がここに戻って来てから、ずっとこの子は言葉にはしないが何か強い想いを
抱いているのだが、それを口には出さずに飲み込んでいるようだ。

 それが何かというのは、光にも嫌というほど良く分かっているのだが、今はそれ
を口に出す勇気がなかったのである。

「また、ここに帰れるかな?」
「…もちろん!今度こそすっきりと解決してみせる。皆で戻るのよ。」

 光は真理の肩に腕を回して自分の方へと引き寄せる。
真理もこの時ばかりは黙って光の肩に頭を置き、秋のさわやかな夜風に身をまかせ
ていた。

 そう、皆で戻ると言った自分の言葉を、この子が本気で信じてくれるように…
美しい聖パウロ芸術大学のシルエットを目に焼き付けながら、光はもう一度ここへ
皆で戻ろうと心に誓った。

 

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        (続く…)