ザ・怪奇ブログ

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水面の彼方に 9話

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            9  聖パウロ芸術大学へ…


 食品加工会社の広い駐車場には日曜という事もあり、二台ほどの車しか停め
ていなかったが、杏は会社の入口を通りすぎると誰もいないロビーを抜け自分
の仕事場へと向かう。彼女の食品開発室は一階の一番奥にある。

 この会社は三年前にこの町に建てられた新しいもので、大きな会社も工場も
存在しないこの緑川町では、巨大な会社であり従業員の数もかなりのものであ
った。人口が五百にも満たないこの町で、約五分の一ほどの人間がこの会社に
関わっているのだから、ほとんどこの町はこの会社と工場でもっていると言っ
てもよかった。

 当初この工場が建てられた時、あまりにも性急な大規模工事のために一部の
住民とトラブルを起こしたが、今は問題も片ずいてこの町の顔としてこの会社
は存在していた。

 そうして杏がこの町にやって来たのも、この工場が完成した三年前の事で
ある。


 開発室のドアに自分のキーを刺し込み、中に入ると杏はすぐに鍵をかける。
それほど広くもない部屋にパソコンと幾つかの機器、そして試験管が並んだ
ガラスの管がいくつも並んだ棚があり、いかにも研究室という雰囲気だった。

 主に彼女が行うものは穀物や種などの新たな品種の開発で、この大きな工場
全体で生産されている食品などの加工、包装などとは大きく違っていた。杏の
開発室は彼女一人の仕事場であり、日々の仕事で他の誰かと関わるという事の
ない業務なのである。

 つまり、彼女が普段行っている仕事は誰の目にも触れる事は無い、という事
なのだ。出社して退社するのは分かるとしても、その間彼女がどんな仕事をし
て何を行っているのかは誰も知らないのだ。


 いや、そればかりか、杏はそもそもこの工場、この開発室で”仕事すらして
いない”のである。


 杏はその部屋も素通りすると奥の扉に先ほどのキーを入れ、ドアを開ける。
その先には階段が下に続いて伸びていた。

 杏は後ろを振り返ると階段の方へと足を踏み入れドアに鍵をかける。
階段を降りた先にはさらに通路が続いていて、遥か先まで伸びていた。薄暗い
ながらも二十メートル間隔おきに小さな電灯が点けられている。

 階段を降りたところに、何か棒状のような手すりがついた乗り物が置いてあ
り、その上に杏が乗るとかなりの速さで動きだした。通路の真ん中にレールの
ような物が取りつけられてあるところから、何処かへ向かうためのシャトル
あると思われる。

 その高速に移動するシャトルの手すりにつかまり、杏は先ほどラジオで聞い
た自分のリクエスト曲を涼しい顔で口ずさみながら目的地へと向かった。

 

 

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 一夜開けて、基地内は慌ただしく動き出していた。
地下の岩盤をくり抜いて建設された広大な地下基地とその施設は、数多くの
軍人あるいはオペレーターがそれぞれの仕事についており、その人間は日本人
だけではなく、白人に黒人、様々な人種がいる。

 一昨日あの家に送り込んだ部隊を壊滅させた二人組みの正体に近ずいた弘毅
らは、彼らの事務所へと人を送り込んだ。だが、すでに探偵の二人は姿を消し
た後であった。

 さらに彼らの行方を追いかけるために弘毅が出した提案は、謎の二人組みが
仲間の所にコンタクトを取るのではないか?という事だった。

「そう言う意味で、この二人組みにとって最も信頼を置いている者がいるとす
れば…この聖パウロ芸術大学の連中だろう。」

 地下基地の中央会議室のテーブルに地図を広げ、弘毅はある地点に指を刺し
て言った。それは市街地から数キロも離れた森の中にある場所だった。

「…群馬県渋川市353号線沿いの聖パウロ芸術大学ですね?指令、この大学
は数年前にも火災などの死亡事件が起きているいわくつきの場所です。謎の二
人組みが身を隠す場所としてはうってつけではありますね。」
「そうだ、これからすぐに現地に人を送り連中の身柄を確保しなくてはならな
い。」

 弘毅が言うと中央会議室に背の高い白石という部下がやって来て、司令官の
弘毅に小さな声で耳打ちする。百九十センチを超える長身の大男で、声はフラ
ンケンシュタインのように低くて野太い。

「…指令、準備は整っています。いつでも…」

 それを聞いた弘毅は辺りを見回してから、部下の白石に指で外に出ようと合
図すると、二人は大勢の人間がいる中央会議室から出てゆく。

 通路に出ると、白石は不思議な表情で司令官の弘毅を見つめながら言った。

「…あの、本当にお一人で行かれるので?」
「ああ、むしろ今回は俺一人で行った方が何かと都合がいい。万が一あの大学
に奴らがいなかったとしても、俺一人ならば連中を捜索する邪魔にはならん筈
だ。その分、別の場所に大勢の部下を配置出来るしな?それとも、この俺が
例の二人組みに不覚を取るとでも思うのか?」

 弘毅がにやりと笑ってみせると、背の高い男は首を横に振ってみせた。
この基地の司令官である弘毅は、数年前まではアメリカのレインジャー部隊に
所属していたエリート中のエリート軍人である。要人の暗殺、特殊な地域に
単身で乗り込み目的をたっせいする…一人で大局を動かせる力を持った特殊な
経験を積んだ軍人なのだ。

「…ですが、十二名の精鋭を倒した連中の力はまったくの謎です。いくら司令
でも何が起きるか。」
「そうだな、いざとなれば退避する事も考えよう。俺に何かあった時は、君に
ここの管理を任そう。」

 白石は無表情ながら小さく頷くとそれ以上は何も言わなかった。
実のところ弘毅には、この白石という野心家が自分を邪魔に思っているのだ、
と感じていた。ここで自分が不覚を取り戻らなければ…この基地の司令官の
地位を手に入れられるのだから。

 もっとも、弘毅にとっては基地司令官の立場や地位などに興味がある訳では
なく、どうしても欲しいならばくれてやるくらいの気持ちはあるのだが、この
白石という男はかなり偏見的な物の見方をするところがあり、どうにも好きに
なれないところがあった。

「では、行ってくるぞ。」


 弘毅が中央会議室を離れ、岩盤をくり抜いて掘られた広い通路で、一人の
科学者とすれ違った。

 

 

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「こんにちは。」

 岩の通路で弘毅とすれ違った人物は、白い白衣を着込んだ女性の科学者で
あった。こちらも先ほどの背の高い部下同様、顔に表情の無い人物である。

「ああ、入江博士、ちょっとお話を…よろしいかな?」
「ええ、良いですけど…何か?」

 足を止め振り返った入江博士は、いつものクールな女性だった。
その姿同様に、まだまだ幼い容姿をした彼女であるが、この基地で最も優秀な
科学者であり、遺伝学、物理学の権威でもある。

 このところ基地内から数件の事件が発生している異常事態の中で、常に変わ
る事なく自分の仕事に打ち込む彼女を見るにつけ、基地司令の弘毅は益々彼女
を、いや、科学者というものに嫌悪感を抱いていた。

 何故なら、本来彼女にとって”同胞”ともいえる者達が起こしている反乱に
自分はまるで関係が無いという顔で仕事に打ち込んでいるのだ。もっとも、
彼女が仕事をしてくれていなければ、自分達の飯のタネも無くなってしまうの
であるが…。

「博士、例の計画は予定通り行われますがー」
「ああ…心配はいりませんよ。」

 弘毅が何かを言いかける前に、それを打ち切り入江博士は言った。

「あれの位置は大体計算済みだわ。正確なものはもう少し時間があればしっか
りしたものが出せるはず。あとは壁の強度と浸食具合なんだけど、年代が経っ
てる割には充分なもので、おそらく核爆弾並みの衝撃にも耐えられる筈ね。 
私が知りえる”あれ”の情報とコンピュータ上の計算では、この先数万年以上
に渡って外壁が崩れる事はあり得ないと判断します。地殻変動でマグマでも
吹き出せば話は別ですけど。」

 いっきにまくし立てるように話す入江博士を見て、弘毅はこういうところが
好きになれない部分なのだろうと思った。同胞よりも研究と探求に情熱を傾け
る科学者気質…戦場で人の生き死にを見てきた弘毅だからこそ、彼ら科学者と
いう連中が好きになれなかった。

「…そうですか、それともう一つの件なんですが…」
「司令、その話は前にも言いましたが、あれの存在は完璧なんです。完璧!
もちろん、研究は続けますが…司令が期待するような発見はこれから先も見つ
かる事はないと言えます。ですから、私が行う仕事は目標物を安全かつ速や
かに回収し、何事も無く元の状態に戻す…それだけです。」

 相変わらずの彼女の態度に、弘毅は少々がっくりとしながら会話は無駄なの
だろうと感じた。

「博士、足止めをしてすまなかった。」
「いいえ、司令それじゃ。」

 入江博士はそう言うと、脇目もふらずに長い通路を振り返る事もなく歩いて
いった。

 

 

 

 

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 正午の時刻を知らせる美しい鐘の音が鳴り響くと、日曜は講義も無いので
朝はゆっくりと寝ている寮生らがちらほらと部屋の外に出て来ている。

 軽い昼食を食堂で済ませた博士たちは、大理石が美しい中央広間に出てきて
いた。ここは数年前、地下への秘密の通路が隠されていた場所だったが、今は
あの柱も忌まわしい地下の通路もコンクリートで埋められている。

「うん…それじゃ、何か分かるまでのんびりしていってね。」
「理事長、ありがとうございます。」

 秘書が礼を言うと、須永理事長はにっこりと微笑み中央広間から去っていっ
た。その時、理事長は何とも表現のしようがない表情を、真理と光の方に向け
ていたのを秘書は見逃がさなかった。

 あくびばかりしている博士の横で、秘書は一昨日からこの人がまともに寝て
いないのだということを思い出し声をかける。
 
「博士、少し休んだら?」
「それなら、私の部屋で休んでちょうだい。」

 二人の探偵のやり取りを見て、博士の顔を覗き込み真理が言った。
昨夜泊まった秘書が部屋の場所を知っているので、博士は彼女の後について
歩いていく。


 と、中央広間に残った真理と光は何ともバツが悪そうな表情で僅かな時間
だけ、お互いに奇妙な沈黙が起こった。そしてその沈黙を破ったのは歳の若い
真理の方であった。

「あっ…そうだ、光さん、見せたいものがあったの。来て!」
「なぁに?」

 そう言うと真理は階段を上に向かって登り出す。
光はその後ろを、何だか少し不安な表情を見せながらついてゆく。真理が光を
案内したのはこの大学の最上階部分、時計台の鐘が釣るしてある階段の踊り場
だった。

「これは…。」

 小さな小窓から太陽光が漏れ、階段の踊り場に鮮やかに刺し込んでいる。
その壁際に、おそらく等身大サイズと思われる女性の彫像が置かれてあった。
光はその白く美しい彫像に近ずいてゆき、静かに自分の手で触れる。

「これ…あなたが?」
「こんなものここで造れるのは、私しかいないわ。彼女の写真も絵も全部あの
火事で焼けちゃったから…自分の記憶だけで造ったから大変だったのよ?」

 その美しい女性の彫像は、真理にとっても光…いや、間宮薫にとっても良く
知る人物だった。数年前に亡くなった旧ブルクハルト芸術大学の理事長である
イリナ・ブルクハルト…間宮薫の実の母親である。

 およそ数十年という長きに渡り、他人に精神を操られていた悲しい女性。
光にとっては数十年の間、憎しみの対象だった存在…今は操られていた事実を
知り、その憎しみはすっかり消えた。

「…事件になったから、前理事長のお墓は別のところにあるけど、この土地に
彼女の碑を作っておきたかったの。ま、光さんならもっと美しく造れるんだろ
うけど…」

 気恥ずかしそうに言った真理の横で、光は知らずの内に涙を流していた。
確かに、造形的に美しい物は造れるかも知れないと光は思った。だが、人とい
うものは同じものを作っても、こうも違うものになるのかと、真理の彫像を見
て思う。

 それは結社の黒幕でもあった蔵前氏が以前に作った理事長の像だ。
出来という点では確かに、彼の狂気的な彫像と比較しても、真理の作る彫像は
評価的には下だ。しかしながら、その作り出す物によって人間の心が現れるの
である。彼の作品は技術は一流だったが、醜悪で下品極まりない想いが滲み出
ていた。これは全ての物ごとに通じるが、そうした心というものは隠しようが
ないのである。

 それに比べて真理の作り出す物のなんと情に溢れ、どこまでも純粋な出来栄
え…純粋な心には媚がない。真理の作品は昔からそうだった…。

 この美しい母の彫像は、真理の自分へのやさしさが形になったものだ。
だからこの像を見ているだけで涙が出て来るのだ、と光は思う。


「私ね、今でも光さんの最初の講義で言った言葉覚えてるの。芸術家はー」
「作品で語れ。」

 二人同時にハモり、つい吹き出して笑った。

 

 

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「あら…?サツよ。」

 時計台の小窓から外の美しい森を眺めていた光が、一本道をこちらに向かっ
てやってくる赤いサイレンのランプを見つけて言った。パトカーはとうとう、
大学の入口まで来て止まると、運転席から一人の女性が降りる。

 真理と光は顔を見合わせ二人の間に緊張が走ったが、足場の悪い砂利道を
ヒールの高い靴を履き、ぎこちない動きでこちらにやってくる女性警官らしき
姿を確認した光は、それが見覚えのある人物であると気ずいた。僅かにがに股
で歩く姿が遠目にも自分の記憶に残っていた。

「あれって……そう、涼子ちゃんだわ…!」
「…知り合いなの?じゃ、光さん下に降りてみましょうよ。」


 光と真理は急ぎ階段を降り、時計台を後にする。
もちろん、二人にはやって来た女刑事がまたも何かのトラブルを運んできたの
だという確信めいたものがあったのだが、どこか心が浮き立つような気分も
二人は感じていた。

 

 


 真理の部屋に戻ってきた秘書は、博士が借りてきた猫状態で部屋の隅の椅子
に腰かけているのを見て首を傾けながら聞いた。

「どうかしました?博士。」
「いや…何ていうか、女性の寝室ってものは…なかなか入る機会が無いからね
…遠慮なく眠ってもいいもんかね?」

 きょろきょろと部屋を見回しながら博士が言うと、秘書はべッドに腰を降ろ
して何やら自分のバックの中身をあさり始める。

「真理さんってすごく素直な人だから、そういうとこ気前が良いんじゃないか
しら?それより博士、ほら見て。」

 博士がべッドに座る秘書を振る返ると、その姿はどこかで見た事のある人物
のようであった。おまけにこのベリーのような甘い香りは…


「理事長があの高級な香水分けてくれたの!見て見て、こうすると彼女に似て
るっしょ?眼鏡も借りたの。」

 

 

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 秘書は理事長の眼鏡をかけ、おまけに上着のボタンを二つほど開けてポーズ
をとっている…。確かに髪の毛の形も揃え、元々童顔っぽいところも似てはい
る。

「ほらほら、博士。ちょっと嗅いでみるかね?」
「あんまり強烈な香水は好きじゃないんだけどねぇ…」


 と、博士の携帯が鳴りだし、慌てて防寒着のポケットを手探りで見つける。

「……あっ、パンチラ刑事からだ…。」
「涼子ちゃん?わあ、久しぶりね!」

 あのモラヴィア館での出来事から二年、もう会う事も無いと思っていた新米
刑事の涼子からの着信だった。

「…はい、今とりこみ中なんですが…」
『…あの、ちょっと聞きたい事があるんだけど、ある事件の被害者が別の男と
友人関係にあって、その別の男も行方が分からなくなっているの。』
「……ほう、それで?」
『…その別の男の身辺調査をしてたら、あの聖なんとか大学のすけべ理事長と
も面識がある事が分かったのよ。男の名前は海原邦男…。』

 通話先の女刑事、村山涼子の言葉を聞いて博士は一瞬だけ驚きの表情を見せ
た。なにせ思いもしないところから新たな情報が出てきたからだ。

「何だって?事件って…一体何の事件だい?」
『…こんなこと聞いたら、あんたたちでもびっくりして腰抜かすわよ?』
「それで、事件って何の事だい?」
『…驚かないでよ?昨日の朝、河川敷で女の変死体が見つかったの。それも
全身の皮が剥がされたような状態で見つかったのよ。びっくりでしょ?』

 その涼子の話を聞いて、博士はもちろんの事、秘書ですら顔色が急に変わり
、瞬きもせずに一瞬その場に固まった。そして秘書はそのまま上半身を起こす
と、博士に抱きつくようなかっこうで携帯に自分の耳を近ずける。

『…それでね、理事長さんにも話を聞こうと思ってその大学の前まで来てるの
よ。もし、あなたたちも興味があったらこっち来ないかなと思って…。』
「…そりゃあまた驚きだ。なんせ、もう来てるもんでね…。」
『…えっ?来てるの?うっそーじゃあ、そっち行くから!皆さんに言っといて
ちょうだいね!腰抜かすわよ!?』

 そう言うなり涼子は携帯の通話を一方的に切った。
博士は携帯を懐に入れると、にやりとしながら窓の外を見る。


     ”…腰抜かしてパンツ見せるのは君の方だと思うよ?”


 昼寝をする暇は無かったが、秘書と二人少しばかり楽しそうに部屋を出た。


(続く…)