ザ・怪奇ブログ

怪奇小説・絵画・怪奇の世界!

水面の彼方に 第10話

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          10  二つの変死事件


 深い森の奥に建つその白い洋館を下から見上げた涼子は、およそ芸術大学
は思えないその雰囲気に少々身震いを覚えた。不気味なほど辺りは沈黙に包ま
れていて、聞こえて来るのは気味の悪い鳥か何かの鳴き声だけである。

 だが、彼女が動揺しているのは、その建物と場所のせいだけではなかった。
ここへ来る前に、この大学と土地…そして起きた出来事を自分なりに調べて
きていたのである。恐ろしい秘密結社が存在していた事、そして間宮薫が所有
していたという奇怪な存在マテリアル…。不老不死を求めた結社の黒幕が起こ
した連続殺人…沢山の事件と悲劇が起きたこの場所。

 だが、それらは終わりをつげ、この土地は彼女らの安住の地となったのだと
涼子は信じている。何より、一年前自分が出会った彼女らの行動がそれを証明
している、と。無理やりケーキを丸飲みさせられたのは除いて…。


 その時、涼子の携帯が鳴った。
通話の相手は、今朝から別行動を取っている利根川警部からだ。

「はい、涼子です。」
『…ああ、涼子君、どう?そっちは。』
「たった今、大学に着いたところです。警部は?」
『…あの緑色の石ね?どうやら緑柱石っていう珍しい鉱石らしい。』
「緑柱石……ですか?」

 昨日、現場の川原に落ちていた奇妙な緑色の石…。
例の”皮だけ死体”と一緒に落ちていた美しい石は、やはり珍しい物だった。
この二つのものは、一緒に流されてきたのではないか?と警部は推測していた
のである。

『…それであの川の周辺でこの鉱石が取れる所はないか、調べてもらった。
そしたらあの川のさらに上流に、緑川っていう川が流れてるらしい。そこで
この緑柱石が取れるんだそうだ。私、ちょっと行ってみるわ。そっちの聞き込
み、頼むぞ?』
「分かりました、警部も気をつけて。」


 通話を切ると涼子は、螺旋状の階段を上に向かって登っていく。
すでに玄関には理事長や二人の探偵らも出てきていて、突然やって来た女刑事
が階段を上って来るのを待っている。彼らとは一年以上前に起きた出来事以来
の再会でもある。

 相も変わらず病的なまでに黒いスーツ姿にこだわり、その長い脚は自身にと
ってのセールスポイントだと思われるが、履き慣れないヒールのためか?少々
がに股になる傾向があった。


「…板橋警察署刑事、村山涼子です。二・三伺いたい事があって来ました。」

 そう言うと涼子は玄関ロビーに集まった懐かしい顔ぶれに、颯爽とスーツの
ポケットから警察手帳を取り出し見せた。

「…えっと……ツルヤのビデオ・レンタルカードですわね?」

 須永理事長は涼子の開いた手帳を近くで覗きこむように見て言った。
どうやら涼子は警察手帳の上に、ビデオレンタルのカードを入れていたようで
、慌てて彼女はそれを外し警察手帳を見せようとして、数枚の小銭を床にばら
撒いてしまった…。

「あらあらあら…皆さん、拾ってあげて?」
「…五円玉とかばっかりだな。」
「あっ、博士ほら、五十円玉見っけた。」

 クールに決める筈が、皆に小銭を拾わせるという失態を演じた上に慣れない
ヒールでしゃがんだために、よろけてパンチラまで見せる始末…。

 ロビーに失笑が漏れる中、やって来た涼子は須永理事長の案内で部屋へと向
かう。その間、自分がみなにお笑い刑事のレッテルを貼られたという事実に、
人一倍プライドの高い涼子は、もう帰りたい…と思わずにはいられなかった。

 

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 聖パウロ芸術大学へと一人で向かう途中、弘毅は郊外に建つ病院へと立ち寄
った。ここには弘毅の妹が入院していて、何か危険な仕事の前にはいつもここ
に立ち寄っている。

 もうかれこれ十年以上この病院に入院している妹は、遷延性意識障害と呼ば
れる昏睡状態にあった。早くに両親を亡くした二人は成人してからも仲の良い
兄妹だったが、ある夜、自動車で出掛け交差点で酔っぱらい運転のトラックに
ぶつかり妹は大怪我を負い、そのまま意識が戻らないまま今日に至る。

 それからの弘毅は妹の治療費を稼ぐため、さらに過酷な仕事、危険な場所へ
と自分から志願していった。気がつけば弘毅は、アメリカのレインジャー部隊
の一員として世界中の紛争地、危険地帯へと飛び回るようになり、妹の意識を
取り戻すため、様々な治療をためした。

 だが、それらはことごとく効果を示さず、妹はこの十数年間ずっと眠り続け
たままである。


 四階の外れにある小室へとやって来ると、何も無い部屋の隅に一輪の花が
飾られてあった。これはおそらく看護師の誰かが持ってきてくれたものだろう
と弘毅は思い、ここしばらく見舞いに来れなかった事をなさけなく思った。

「やあ、今日はずいぶん美人じゃないか?」

 昏睡状態とはいえ生命活動は停止してはいない。
声をかける事は脳に刺激を与え、意識を取り戻すには良いとされている。

 妹は相変わらずべッドの上で、点滴をしながら静かに眠っていた。
少し痩せたのではないか?妹のおでこを撫でながら弘毅は思った。彼女は特別
美人でもクラスのアイドルでもなかったが、兄の弘毅には今でも可愛い妹なの
だ。

「俺たちもすっかり、おじさんおばさんになったよな。あれから十年も経つな
んて考えられないよ。」

 弘毅は妹の冷たい手を握ると、しばらくの間こうべを垂れ目を閉じた。
思えば十数年前の事故の日、妹はドライブの最中に自分が危険な仕事に就く事
に、とても反対していた。今こうして妹の意識が戻らず、十数年にも亘り自分
が苦しんでいるのも、何かの罰なのかも知れない。ましてや、自分の仕事は
けして人から褒められるものではないからだ。

 だが、妹のためには稼いでおかなくてはならなかった。
いつ自分が何処かで先に命を落とす事になるかも知れない毎日で、自分が死ん
だ後も、妹が入院なり治療なりを続けられるように。いつかは良い治療法が見
つかるかも知れないからだ。

 そんな事を考えているうちに、弘毅は僅かな間だけ椅子で眠ってしまった。


「あら、どなたかいらしてたんですね?」

 看護師の声で椅子から飛び起きた弘毅は、慌てて時計の針を見つめて安堵の
ため息をつく。眠っていたのはほんの数分の事だった。これから夜にかけての
作戦行動に支障をきたすことのないよう、そろそろ病院を後にしなければなら
ない。

 看護師はいつものように点滴のパックを変え、心電図の様子をチェックして
いる。機械的に作業をこなす看護師の態度に、弘毅はあまり良い感情は抱かな
かったが、毎日動きの無い患者を診ていれば仕方がない事なのだろう…。

「あら……大変だわ、先生を…!」
「お、おい…どうしたんだ?」

 心電図を見た看護師は目の色を変え、慌てて病室を出てゆく。
弘毅は心電図の線が真っすぐなのを見て、すぐに妹の手首を掴んだ。元々冷た
い手がいつも以上に冷たくなっている。

「そんな…まさか…。」


 この日、十年以上続いた昏睡状態の彼女は、とうとう目を覚ます事なく天に
召されたのである。

 

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 涼子が持って来た写真には見た事の無い女性が写っていたが、もう一枚の
集合写真には見覚えのある人物がいるのが分かった。

「これ、私ですわね。あ、そういえば…こんな女性確かにいた気がしますわ。
ほとんどお話もしませんでしたけど。」

 その写真は先ほど理事長のファイルにあった、ウィスキー品評会の時の集合
写真である。須永理事長の持っているものとは違うが、確かにその時の写真だ
った。博士や光に送られた茶封筒に入っていた禿げ頭の男と、涼子が見せてく
れた中年女性も一緒に写っている。

「…彼女は川岸利恵、生物学者よ。良くは知らないけど、けっこう有名な人ら
しいわ。」
「知ってる…彼女の著書を持ってるんだ。確か彼女の専門は古生物学だ。」

 意外な所で彼女を知る人物がいる事に驚きつつも、涼子は理事長に質問を続
ける。

「…彼女の交友関係を調べていたらこんな写真が出てきたんです。ここに見た
事がある顔…須永理事長が一緒に写ってたもんだから…こちらにお話を聞きに
伺った訳です。で、もしよろしければこの男性の事で何か知っている事があれ
ばお話いただけるとー」
「いや、知ってるなんてもんじゃないよ。」

 禿げ頭の男を指さしながら涼子は言うと、理事長では無く博士が答えて言っ
た。涼子はまたもや知っているという博士の言葉に、今度は彼に質問をぶつけ
る。

「どうしてあなたたちが…ああ、一昨日の火災でこの男性が行方不明になって
るのはニュースで聞いてるのね?テレビでやってたもんね。」
「いや、ニュースも何も…ありゃ全部嘘だ。」

 さらに奇妙な事を言う博士に、涼子は眉毛をひそめる。
相も変わらず、このおじさんは毎度奇妙な事を言う人だ、と涼子は内心思った
が、須永理事長の入れてくれた高級な紅茶を一口飲みながら冷静な口調で博士
に聞いた。

「嘘って…どういう事よ?」
「一昨日の晩、私と秘書の二人はあの火災の起こった家にいたからさ。」

 

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 博士の言葉に、涼子は飲みかけていた紅茶を勢いよく吹き出した。
派手に咳き込む女刑事は、ソファーから立ち上がり、興奮しながらまくしたて
る。

「ちょっ…! 何であなたたちがあの家にいんのよ!?じゃあ、あの男性がど
こに行ったか知ってるの!?」
「ああー…ちょっと目を離した隙に部屋で”皮だけ”になってた…。」

 と、涼子は驚きのあまり、自分がこぼした紅茶に脚を滑らせ大きくバランス
を崩して見せた。当然、本日二度目のパンチラを披露する事に…。

「愉快な刑事さんですわね!」

 理事長室は笑いに包まれる中、博士は涼子にこれまでの経緯を順に説明して
ゆく。信じられない出来事の連続ではあるが、それは博士らにとっても同じ事
である。お互いの情報を交換する事で、幾つかのことが分かってきた。

 


「…つまり、別の場所で二つの同じ怪死事件が起きたって訳か。それらは繋が
っている奇妙な事件で、どうやらその事を力ずくでも隠そうと考える輩がいる
って事だな。そしてもう一つ重要な事は、その情報を俺たちにリークしようと
思ってる人間もいるって事だ。」
「でも、その茶封筒を送ってきた人物の目的は何なのかしら?火事の件を考え
ると…その謎の組織だか軍隊だかは、警察機構とは別のもののようね…。」

「あの、ちょっといいかしら?」

 暮れかかる夕陽をベランダのテラスから見つめながら、光が口を開いた。
もうすぐ辺りは闇に包まれるだろう。この大学は数キロ先まで森が広がってい
て、夜になれば明かりはまったくといっていいほど無くなるのだ。

「その、”皮だけ死体”なんだけど…それってほんとに死体なのかしら?」
「…どういう事?人が全身の皮だけになったら、生きてる訳がないじゃないの
よ?」

 光の言う疑問に涼子は眉毛をひそめながら言った。
自分があの河川敷の草むらで見た、あの皮だけになった状態に生命を感じさせ
るものはなかった。まるでゴムで出来たおもちゃのマスクのような…冗談のよ
うでいて、しかし現実の人間の身体の一部なのである。

「でも、その謎の組織だか殺し屋集団だかは、何を恐れて二つの変死事件を
隠そうとしたのかしらね?警察の捜査を誤魔化し、たった一人の頭の禿げた
おじさんに十二人もの暗殺部隊まで送り込んだのよ?一体その二人が何をし
たっていうの?なぜ二人とも、そんな奇怪な状態で見つかったの?」

「もう一つあるぞ、例の茶封筒を送ってきた人物はおそらくそれらの謎につい
て全て知りえる立場にいる筈なんだ。そのうえで俺たちに情報を流してきたん
だよ。警察でもマスコミでもなく、俺たちに…ね。それはつまり…この事件で
助けになるような者は他に存在しない、という事なんじゃなかろうか?」

 そう言いながら。博士は理事長室の戸棚をしげしげと眺める。
驚くほど高価そうな小瓶のウイスキーが並んでいるが、どれも須永理事長の
コレクションだ。

「その茶封筒を送ってきた人物って…女性なんですよね?彼女は味方なの?
それとも敵なのかしら?」

 涼子は先ほど聞いた、送り主が入れてしまったというコンビニのレシートを
見ながら博士に質問する。彼は戸棚の小瓶を一つ取り出し、上にかざすように
しながら瓶を揺らす。その小瓶は、戸棚にあるウイスキーコレクションの中で
は一番中身が減っていた。理事長が半分ほど呑んだものだろう。

「さて、ね…。今のところはどちらとも言えないな。少なくとも、危険な目に
遭っているし、この先だって何が起きるか分からない。だけどー」

 そこで博士は言葉を切って、またも先ほどの小瓶を手に持ち目の前にかざし
て見つめている。理事長室に集まった者たちは皆、博士の方を凝視しながら次
の言葉をじっと待っていた。

 が、彼は見られているのもお構いなしに、部屋の回りをきょろきょろと見回
すと、自分の防寒着のポケットにウイスキーの小瓶を入れた。

 

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「………!」

 その博士の挙動不審な行動に、皆は唖然と口を開けて見つめていたが、一人
須永理事長だけは自分の頬に両手を添え、何故か恥ずかしそうにテレている。

「いや…良美ちゃん、そこはテレるとこじゃないでしょ?」


 ソファーに戻り、秘書の隣に深々と座り直すと、先ほど言いかけていた言葉
を博士は続けた。

「…だけど、我々を危険な目に遭わせてまでも送ってきた”彼女”のSOSは
、何か我々全体に対するSOSなんじゃないかという気がするんだ。何かが…
起きようとしているのかも知れない。」

 博士の言う、我々全体に対するSOSという言葉は、部屋に集まった全員が
当らずといえども遠からず、であると思えた。二人の人間の奇妙な怪死事件…
そして謎の茶封筒の送り主は、自分たちの過去の出来事を詳しく知っている。
知った上で茶封筒を送ってきたのだ。

 だが、実のところ我々に何が出来るのだろうか?
あるいは、茶封筒の送り主は、我々に一体何を望んでいるのだろうか?

 現時点では、それ以上の事はまるで分からない状態だった。

 

 と、辺りがすっかり暗くなってきた頃、須永理事長は腕の時計をちらりと見
てから立ち上がり、部屋にいるお客全員に向かって言った。

「あの、そろそろ夕食の時間なのだけれど、今晩は是非とも皆さんに私の傑作
テルマエにご案内させていただきますわ。刑事さんももちろん夕食は食べてい
きますでしょ?」

 須永理事長のお誘いに、涼子は驚きつつ部屋の面々を見回すと笑顔で頷いて
いる。どのみち、涼子は警部からの連絡待ちで、戻ってもする事が無い状況だ
った。

「…いいんですか?でも、テルマエって何です?」
古代ローマの公衆浴場だよ。」

 博士が涼子に言うと、光は顔をしかめながら須永理事長を見る。
彼女は小さく舌を出して、光から視線を外した。

「良美ちゃん、あなたまた…無駄使いしたわね!?」
「うん、まあ…でもね、凄く美しい浴場になったのよ?」

 
 その時、学内には夕方の五時を知らせる鐘の音が鳴り響いた。
皆が理事長室から食堂へと向かおうとソファーから立ち上がる…

「あっ…博士、大変だ…!」
「ん?どうした早紀君。」

 突然、博士の隣に座っていた秘書が、その場に立ちあがって言った。

「…分かったのよ、封筒の送り主の正体が…!」
「なんだって?ほんとかー!?」

 いきなりの秘書の言葉に、部屋を出ようとしていた全員が足を止めた。
今現在、最大の謎でもある「茶封筒の送り主」の正体が分かったというのであ
る。


 そしてそのことが、この奇怪な事件全体の謎に大きく近ずくことになるのだ
った。


(続く…)