ザ・怪奇ブログ

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水面の彼方に 19話

 

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            19  湖畔で待つ者 


 145号線に入り沼田市を通過している博士らのワゴンは、ここまで何の邪魔も
無く軽快にロマンチック街道を走っていた。

 

 市街地を抜け山へと入ると、美しい景色と急カーブの連続だが少し遅い昼食を取
るため、車は「吹割の滝」へと向かった。そこのお食事処で吹割うどんを堪能した
面々は、東洋のナイアガラと呼ばれる滝を観光して回る。

 天然記念物にも指定されているこの滝は、落差七メートル、滝幅三十メートルで
奇岩が一キロ以上にも渡り続く珍しい自然の創造物だ。この日も大勢の観光客で溢
れていたが、博士は”意図的に”観光を楽しむよう皆に伝えていた。

 これはもちろん、自分たちを観光目的でやって来た部活動の一団であると周囲に
アピールするためである。命からがら逃げている者たちが、まさか楽しそうに観光
などする訳がない…と、敵は思っている筈だと博士は思ったからだ。美しい滝を背
に、秘書や光らは記念写真を沢山撮っては女子高生の修学旅行的なものを満喫して
いたのである。

 

 ただ一つだけ、気をつける事は車の外にいる間は仲間をけして名前で呼ばない事
であった。それは敵がどこに潜んでいるかも知れないから、うかつに人前で名前を
呼び合うのは危険だったからだ。

 

 

 


Rock'n Rouge 松田聖子 耳コピ

 

 

 吹割の滝を後にしたワゴンは、またも急カーブ連発のロマンチック街道を日光市
へと向けて走る。

 現在は十五時を過ぎたところで、出来る事なら日没までには緑川町へと到着した
いという博士の思惑であったが、ことの他ドライバーの真理が厳しい山道を苦にせ
ず、かなり時間の短縮に貢献してくれた。彼女の運転技術もさる事ながら、おまけ
にかなりのスピード狂である。

 

 目的地に予想以上に楽々と着きそうだと感じ始めた一行は、この頃にはすっかり
旅行気分で車内カラオケで盛り上がっていた。もっぱら一人で歌っているのは光で
、80年代の有名アイドルの名曲をぶりっ子しながら熱唱する。女性陣全員で陽気
に「気持ちはYES!」シャウトしている時も一人博士は何かの本を読みふけって
いた。

 

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 そうして沼田市を抜け、栃木県へと入ったワゴンはこれまた景観の美しい、戦場
ヶ原を横目に日光市へとひた走る。この辺りはすでに国立公園になっていて、広が
る見晴らしの良い湿原はまさに壮観だった。もう少し進むと、そろそろ大きな湖で
ある中禅寺湖が見えてくる。


「ちょっ、真理さん、スピード出し過ぎじゃない!?」

 戦場ヶ原の直線道路をスピードを上げてかっとばす真理の運転に、刑事の涼子は
少しだけ緊張しながら言ったが、楽しそうな表情の光は運転席の真理の横に顔を出
しながら答えて言った。

「この子、エロ教師姿で観光地歩き回ったせいで少しハイになってるのよ。」
「朝っぱらからラブホテルで眠らされて、おまけに男の人がいるところで生着替え
までさせられたんだから、観光地歩き回るくらいどってことないわ。」

 光の言葉に答えて真理は落ち着いた表情で笑う。
この娘は会うたびに大人になっていくといつも感じていて、どんどん子供になって
いく自分とは正反対なのだと光は思った。


「あ、そういえばこのおじさんも一緒だったのね。なんか車の中にいる気配がしな
いんだもの。」

 涼子が冗談めかして言うと、本を読んでいた博士はちらりと彼女の方を見る。

「うーん、そうね、確かに気配が無いっていうか、匂いかしら?」

 車内で鼻をひくひくさせながら光が言った。
ワゴンの中は五人の女性陣、特に光や須永理事長は特殊な香水を使用している。
理事長の香水にいたってはお話にならないほど高価で珍しい物であり、この世の物
とは思えないほど甘くさわやかな匂いがしており、これは秘書も貰って使用してい
た。狭い車内にはそれぞれ髪の毛やシャンプーの香りもあり、つまり女臭さが充満
しているのである。

 そこに一人だけ頭皮の薄いおじさんがいるのだから、どうしたって男性特有の
男臭さのようなものがあるはず。体臭なり、整髪料の匂いやら洗濯臭、あるいは
それらを誤魔化すための香水など、人によって様々な匂いが存在するのだ。喫煙者
などにいたっては部屋全体、服や布団にまで匂いが染み込んでいる。

 が、良くも悪くもこの博士という男には、その独特の匂いというものが無かった
のである。先にあげた物事とは無縁の生活を送っているのか…?匂いとはイコール
存在感だ。それらを完全に消しているこの男はまさに存在感の無い男である…。

「でも博士、ずっと私たちといたら逆に女臭さがうつるんじゃない?」 
「…女臭さというか、ベリー系の匂いだろうな…。」


 そんな事を話しているうちに、正面には大きな湖が見えてきた。
日光市最大の大きさを誇る中禅寺湖である。

 

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 時刻が十六時を回った頃、江田という男は中禅寺湖の畔にあるカフェバーの駐車
場で黒いランドクルーザーを停めて情報がやってくるのを待っていた。

 江田は軍人ではないが、地下基地のプロジェクトに参加する者の中では特殊な
存在だ。元々はコンピュータ関係の仕事に従事していたのであるが、その腕を見込
まれてプロジェクトに参加したのである。

 その腕とは、ハッキングである。
今も運転席で自前の小さな高性能ノートパソコンで、ある情報を盗み見ていた。


 朝方一度は連中が潜伏していたという聖パウロ芸術大学へと車を走らせ、その
脱出ルートを考えていた江田は、すぐさま日光市へと引き返してきたのである。
大学はすでに休校状態となり、もぬけの殻だった。おそらく反乱分子の仲間である
連中もあの場には残ってはいないだろう。

 それというのも、藤原司令の部下たちが姿を消して以降、連中も姿を消し高速
道路や公共機関を使用したという情報は入ってきていない。それもその筈、連中は
数年前の事件で国道を使い新潟へと抜けあるスキー場へと逃げ込んだ事がある。
つまり連中は”そういう事”をする者たちなのだ。

 そして彼らの情報を調べたところ、全員があの大学よりも東側の生まれなのであ
る。逃げ込むとしても土地勘のない関西側へ逃げるよりは東側…関東東北よりへと
向かう筈だと江田は判断したのである。

 とするなら、派手な東京方面は避け、東北方面へと抜けるのではないか?と思っ
た。前と同じ関越方面に逃げる事は無いと考えると、おそらく群馬から栃木へと
抜けていくルート…つまり120号線を通り、東北方面へと向かうのではないかと
考えたのである。しかもこの日光市ならば、基地関係の施設がいくつかある。そこ
からヘリで追跡することも可能だ。

 何より江田という男は、自分の勘という物を大事にした。
連中はわざわざ面倒な道のりを通り、フェイントをかけるような奴らなのだ、と。
となれば、間違いなく120号線を抜けこの日光を通過していく筈。ここが我々の
本拠地とは知らずに、である。

 おまけに江田には他にもいくつか違法な手段で様々な仲間から情報を引き出す事
が出来た。現代生活はあらゆる部分で機械に頼る生活をしている。いずれ連中とて
それらを使う時が必ず来る筈で、その時は確実にその場所周辺を抑える事が出来る
と。

 必死に逃げる者たちを違法な手段でもいいから見つけ出し、その驚きと恐怖に満
ちた表情を見るのが江田という男の一番の楽しみなのだ。事実そういった連中を、
これまでに数十人と恐怖の底へと突き落としてきたのだから…。


”向こうは俺の事はまるで分かりゃしないが、こちらには連中の身長体重からスリ
ーサイズまで、頭の先からつま先まで全ての個人情報が覗けられるんだからな!”

 
 と、江田は目的の情報をとうとう見つけた。
クレジットカードの個人情報で、現在追跡中の連中が所持するものである。
そのうち二人の人物がカードを所持しており、その番号を知る事が出来て江田は
満足げにパソコンの画面から目を離した。


 そしてジャンバーのポケットから銃を取り出すと、弾丸を確認しながら通り過ぎ
る車を見つめ、彼は運転席で一人にやにやと笑った。

 

 

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 道路の右側に大きな湖が見えてくると、車内の女性陣は窓の外を覗きながら歓声
をあげた。日本一高い場所にある湖、中禅寺湖である。

 今から約二万年前に男体山の噴火で出来た湖で、日光市最大の観光地として人気
を博していて、湖畔には海外の大使館別荘なども数多く存在するリゾート地にもな
っている。

 湖の畔沿いには、観光地らしく宿や洒落たホテルが立ち並んでいるのが見えてき
た。良く見ると喫茶店やお土産屋など様々なお店があり、美味しそうな物が沢山あ
りそうだった。


「少し早いけど、この辺りで軽い夕食取っていかない?この先は緑川町までゆっく
り出来そうな場所も無さそうだし。」
「賛成!お昼は和食だったから、夕食は洋食がいいな!」

 光の提案に秘書が賛成し、車内の誰も反対する筈も無く、ワゴンは湖畔近くの
レストハウスの駐車場へと車を入れた。駐車場にはたくさんの車があったが、その
いずれも県外ナンバーで、ここが観光地である事がよく分かる。

「あっ、見てよあの車、今朝の暴走車だわ。」
「ほんとだ、こんなとこまで来てたのね?」

 博士らのワゴンの三台隣に、今朝がた145号線を乱暴に追い抜いていった黒い
ランドクルーザーが停めてあった。秘書らのところからは運転手の姿は見えない。


 真理の引率で、レストハウスの端にある洋風レストランへと向かって歩く一行は
、女子高生も板についてきた女性陣に加えて、何故か頭にバンダナを巻いた博士が
後に続く。黒い防寒着を脱いだだけで、元々学生らしく見える服装の博士だったが
、完全に目を隠すような黒いバンダナがかなり怪しく見えた。

「博士、それ足元見えてんの?なんか怪しい。」
「そうかな?若者みたいで良いと思うんだけどなぁ。」


 レンガ造りの店内は、南欧風スタイルの料理を出しているレストランだった。
窓の外には少し日が落ち始めた湖が見える美しい景色が広がっていて、六人用の
テーブルに座った博士らはさっそく夕食を注文する。

 店のおすすめ、タンドリーチキン・カレーに興味を示した光は皆にも勧め、おま
けにデザートには山盛りのヨーグルトもつけた。秘書や真理も同じ物を注文したが
、デザートは各々違う物を嬉々として選ぶ。

 中でもメニューを選ぶのに一番時間がかかったのが須永理事長で、一人だけ違う
物を細かく注文した。おっとりとした口調ながら、パンの焼き方から紅茶の入れ
具合まで長々と細かく注文するという…いわゆる”嫌な客”である。

 しかし、博士が注文した物はその中でも異彩を放っていた。
目深にバンダナを巻いている博士は、中禅寺湖ランチなるお子様ランチを注文した
のである…。

「…ちょっと、本気なの?」
「ああ、急に食べたくなったんだよ。色んなのついてるし。」



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 メニューを注文し終わり、さすがに長距離ドライブの疲れも見える面々は料理が
やってくる間、ぼんやりと窓の外の湖を見つめていたが、その間も、一人だけ光は
レストランの中を注意深く見回していた。まばらの客の中には怪しげな者は無く、
いずれも観光目的の中高年や家族連ればかりだった。

 そこで光は深夜、一人で大学に侵入してきた男が言っていた事を思いだす。

”この二・三日ある作戦行動に大部分の兵士を投入する事になる、お前たちが逃げ
るにはこの間しかない”と…。おそらく連中は何かの問題で自分たちを追いかける
ための人員を送り込む事が出来ないのかも知れない。それは好都合な事だけど…

 何かの秘密に近ずいた私たちを抹殺する事よりも重要な作戦とは一体何だろう?
何が起きるのか分からないけど、たぶん茶封筒を送ってきた人物は、その重要な作
戦とやらに関係がある筈…。

「どうかした?」

 隣に座る真理が、頬杖をついて何かを思案している光の顔を覗き込んで言った。
マスカラつきで、少しけばいくらいの厚化粧顔の真理だが、光にとっての彼女は
いつでもドキマギさせられる存在だ。

「ああ、いえ…何でもないわ、あっ、カレー来た!」


 食事の間は、ほとんど誰も口を利くことも無く黙々と平らげてゆく。
が、どうしても女性陣の目は博士の食べるランチにいってしまう…。皿の中央には
男体山を模したケチャップ・チャーハンがあり、その山頂付近に日光と書かれた旗
が刺さっている。その麓には中禅寺湖と思われる青色のラムネゼリー。明らかに
インスタントと思われる平べったいハンバーグに、異様なほど赤いタコさんウイン
ナーつき。

「…パサパサだな。何でランチだけこんなクオリティー低いんだろうな?」

 博士の独り言のような言葉にも、女性陣は無言で食事を続けた。
とにかく、タンドリーチキンの香ばしい匂いが食欲をそそり、次々とカレーを口に
運ぶ手をとめる事が出来ない。

「…チキン・カレーうまいかい?」

 彼女らの食べる姿を真面目な顔でじろじろ見つめながら博士は言った。
女性陣は無言ながらも、みな可愛らしい表情でうんうんと頷く。女性というものは
美味しいものを食べている時、少女の顔に戻るそうだ。

 博士はランチについているプラスチックで出来た白鳥の玩具を手にして、無言で
食事を続ける彼女らにさらに言葉をかける。中禅寺湖名物の白鳥型ボートを模した
玩具だ。

「…自分らもさー、このランチ注文すればよかったと思うだろ?え?」

 何故か喧嘩腰の博士の口調に、彼女らは無言で下を向いて食事を続ける。
博士は青いラムネをスプンですくって舐めると、何とも言えぬ渋い表情でぼそりと
呟いた。

「あまっ……カレーにすればよかったな…。」

 そこで堪らずに、彼女らは吹き出して笑ってしまった。

 


「あら、私くしとした事が、お財布忘れてきちゃったわ。」

 食事もあらかた終わった頃、須永理事長が自分のカバンを漁りながら言った。
皆ばたばたと大学を逃げ出してきたので財布も持ち出してはきていなかったのも
無理も無い話だったが、無銭飲食というわけにもいかず、理事長は一人レストラン
を出て、はす向かいのコンビニにお金を下ろしに行った。

「あのさ、博士。ここ通り過ぎたら例の町までノン・ストップでしょ?」
「ん?ああ、たぶんそうだね。」
「もう日も落ちて暗くなるし、車に乗ったら服着替えてもいい訳でしょ?ほら、向
かいにお洒落な洋服屋さんがあるの。買い物していこうよ?」

 秘書の提案で、レストランを出た面々は、一度警部に電話をかけるという涼子を
残して向かいにある洋服屋へと向かった。こうなるとほとんど観光気分であったが
、実はこの時とんでもないミスを犯していたのである。

 


 ランドクルーザーの運転席で横になり情報が入るのを待っていた江田は、ノート
パソコンに待望の知らせが届き飛び起きた。それは、連中の一人がATMを使い
現金を引き出したという知らせで、もちろん違法な手段で得た情報である。

 しかも、そのATMの所在場所はこの日光市、それも江田がいま車を停めている
駐車場のはす向かいにあるコンビニであった。

 カードの持ち主は須永良美…たった今、十五万ほど引き出している。

 すぐさま江田は外のコンビニを覗き見る。
女子高生風の女が中から出てくると、隣にある洋服屋へと入っていった。間違い
ない、あれは聖パウロ芸術大学の理事長だ。大きな胸が特徴だというのはすでに
知っている。

「…そうか、連中は学生に扮して逃げているな。そうか。」

 そう思って江田は今朝がたすれ違った奇妙なワゴン車を思い出し、駐車場を見渡
す。あった!清感高等学校バトミントン部と書かれた奇妙なワゴンである。よく見
ると、マジックで書かれた子供だましのような細工だ。

 江田はあまりの幸運に笑いが止まらず、車の外に出て連中が先ほどまでいたレス
トランへと向かった。服屋に入った連中が戻るまで、悠々とコーヒーでも飲んで待
とうと考えたのである。

 連中がワゴンに戻ってきたら、暗くなった駐車場でサイレンサー付きの銃で撃ち
殺し、一人だけ生かして連れ去るのだ。情報を聞き出すのは一人いればいい訳だし
、元々一人残らず抹殺するのが目的である。


 江田がレストランへと入ると、店内には数名の客と、女子高生らしき服装の女が
一人、奥のテーブルで携帯をいじっていた。おそらく連中の一人、刑事の村山涼子
であろう。多少変装しているとはいえ、彼らの画像を確認済みの江田にとっては、
騙されようがないし、その身体的特徴は変えようがない。


 つい笑みがこぼれそうになるのを抑え、江田は携帯をいじっている涼子の横を通
り過ぎ、レストランのカウンターに座りコーヒーを注文した。

 

 


 涼子は何度かけても利根川警部の携帯に繋がらない事に不安を覚え、メールを
うって携帯を閉じた。

 これから自分たちが向かう緑川町へと一足先に向かった利根川警部の身に何か起
きたのではないか?何度かけても繋がらない携帯を見つめてそう思った。何か通話
の呼び出しが途中で打ち切られるような、そんな奇妙な現象が起きていた。

 例の緑川町という町がよほどの山奥なのか?あるいはその町に電波を妨害する何
かがあるとでもいうのか?


 すると、先ほど秘書や光らと共に洋服屋へと入っていった博士が、レストランへ
と引き返してくるのが見えた。彼は一度、店の入り口付近で立ち止まり駐車場の方
をしばらく見つめていた。腕を組んで考え込むしぐさをしたり、しゃがんで何かを
覗くような態勢をしたりしている。

      ”…あの人、一体何を見てんのかしら?”

 レストランへと戻り、にやにやとした笑みを浮かべながら窓際の涼子のテーブル
へとやって来た博士は客も少ない店内を見回した後、涼子に聞こえる程度の小声で
ぼそりと呟くように言った。

「…よし、いっちょうやるか。」
「はっ?何のこと?」
 
 涼子が飲んでいたコーヒーをいっきに飲みほし、水の入ったコップを手にすると
博士は席を立った。

 

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      (続く…)