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虹色の丘 19

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 入口付近の狭く真っ暗な穴を進む私たちだったが、ほどなくして広く作り
もしっかりとした坑道へと出た。

 岩盤を削り、きちんと整えられたその坑道内は水が滴り、私たちのライトに
反射してキラキラと光る。もう何十年も人の手を離れた洞内は、あちこちに
植物や苔が生え、湿気を帯びた岩壁はぬるぬると滑る。それは足元にもいえる
ことで、所々水たまりが出来た坑道内は非常に歩きにくかった。
しかし、その湿り気が私たちにある事を教えてくれた。

「ほら、靴跡が残ってる。小さいのはあっちに向かっているわ。」

 私は左右に道が分かれている坑道の、下へと向かう小さな靴跡を見つけた。
湿った生臭い空気が、僅かな風に乗って下から流れてくる…。
滑る岩の坑道を下に向かって私たちは歩きだす。もともと大人数が出入りする
炭鉱で、坑道は広く丈夫な作りになっているのだが、内部は網目のように入り
くんでいて地図でもなければ迷ってしまうだろう。

 

 しばらく歩くと入り組んだ場所に、裕はある物を見つけて立ち止まった。
それは昔、壁に取り付けられていた小さなアルコールランプで、まだ少しだけ
油が残っていた。裕はポケットからライターを取り出すと、何度もカチカチと
火をつけようとした。

「…これもうガスがないな。」

 何度目かでようやく小さな火がつき、ランプの油が燃えだした。辺りはぼん
やりとオレンジ色の明かりで満たされる。

「こうしておけば、目印になるよ。迷ってもここまで来れば外に出られる。」

 私たちはその場所を憶えて、無言でまた歩き始めた。

 

 一時間近く歩いた頃、曲がり角の隅にライトに反射して光るものを見つけた。
それは銀色をしていて小さな水たまりに沈んでいる。

「これ、龍之介の携帯じゃない?」

 あの葬儀の日や、食事をした時に見た銀色の携帯…。たしかに龍之介の持ち物
である。午前中に車の中で龍之介に電話をかけた時のことを思いだす。
あの時、龍之介はすでにこの坑道内にいたのだろうか?
その携帯を水の中から拾い上げ開こうとしたが、何か携帯自体が捻じれている
ような圧力がかかっていて開かなかった。

「…早いとこ智佳子を見つけてトンズラしたほうが…」

 大樹が言いかけたとき、背後の通路から石を蹴るような音が響いた。
他のみんなも、その音が聞こえた方向を振り向き、静かに聞き耳を立てる。
そしてもう一度…さっきよりは小さな石が転がる音がたしかに聞こえた。

 ライトの光が届かない闇の中で、カラカラと石が転がる音…そして、湿った
洞内を引きずる様な、ずるずるという音が通路の闇の中から聞こえてくる…。
私たちはその場で息を飲みその音を聞いた。それは断続的に聞こえてくる音で、
徐々にこちらに近ずいてくる足音であった。

「誰…?龍之介なの?」

 私の言葉に返事はない。ただ、静まり返る闇の中に湿った足音だけが聞こえて
くる。それはさらに近ずいてきていた。

 ライトを音の迫る方に向けた私は、チラリと光の中に人影を見て驚く。数メー
トルにも満たない場所に、それはゆっくりと迫っている。もう一つのライトを
持っていた大樹がライトを音のする方に向けると、そこに現れたのは人の顔で
あった。ライトに照らされた顔は光のせいなのか真っ白で、頭から水をかぶっ
たように濡れている。だが、遠目にもその落ちくぼんだ目や鼻は真っ黒であり、
まるで表情の無い顔は、のっぺらぼうの様だった。だが、ちらりと見えた人物
のシャツには見覚えがある。その肩口にアメリカの国旗が描かれていて、葬儀
のあとの食事の時、龍之介が着ていたものだった。

 それはさらに近ずいてくる。ゆっくりと、たしかに近ずいてくる…。

 私は自分のライトもそちらに当てて、顔が真っ白な理由に気がついた。
その顔は肉が削げ落ちた、骸骨の顔だったからだ。その顔の中で何かがうごめ
いた。目や鼻の黒く落ち込んだ部分に黒い大理石のような物体がひっきりなし
にぬらぬらとうごめいていたのだ。

 良く見ると背中や足元にも、真っ黒でぬらぬらとライトの光に反射する物体
がたえず動き続け、そして細い管のようなものを伸ばしながら這いずるように
こちらにやってくる。

 誰かが悲鳴をあげて、私たちは反対の坑道に向かい走り出した。

 

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 暗く湿った坑道内を方角も何も分からずに、私たちは口々に言葉を交わし
ながら走った。

「…あれと同じものを二十年前も見たわ!そう、たしか三人いたのよ!」
「私も見た!石油ポンプの…水の中に立ってた!動いてる…でも、どうしてー」

 息をきらせながら、私の言葉に和美も答えて言った。すぐ後ろには裕が走って
いて、その後ろを大樹が追いかけるように走る。二つのライトの光があちこち
に当たって揺れ動く。

「…あの黒い奴が、中に寄生して動かしているんだ。そういう昆虫を見た事が
ある。カタツムリの体内に寄生して、その身体を操るー」
「なんてこった…!じゃあ、何でも操れるっていうのか?」

「それは分からないけど、ペンションの鳥を見たろ?それにタイヤの植物の蔓
…あれもきっと、奴が寄生していたんだと思う。人間が動かせるんだ、植物や
動物を動かす事なんて訳ないはずだよ!」

 走りながら、今まで歩いていた加工されきちんとしていた坑道が、徐々に
自然のごつごつした洞窟に変わってきている事に私は気ずいた。岩肌や土壁か
らは、曲がりくねった木の根やツタが生えていて、上から水が滴り落ちている。
そのうねった根やツタが、あばら骨の様な壁を作っている。明らかに人口の物
ではない洞窟へと迷いこんだ私たちは、そこで立ち止まった。

「…ねえ、これ油の臭いじゃないかしら?」

 自然の洞窟になっている先の闇のほうから、たしかに油の匂いらしきものが
漂ってくる。闇の先にライトを当てると、徐々に通路は広くなっていた。

「となると、この先が二十年前の事故現場ってことになるのかな…?」

 裕がそう話すと、大樹や和美はライトを照らしながらゆっくりと先に進み出す。

 

 

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 私たちに起こった全ての元となった場所がこの先にある…。
その音もない闇の先を見つめると、何か得体の知れない不安を感じて私はその
場に立ちつくす…。

 それを見て、裕は立ち止まり私の方へと手を差し出した。私はそれをしっか
り握って歩き出す。真っ暗な闇の中で、しっかり握った私はもちろん他の誰に
も見えはしないが、その暖かさは私に伝わっている。

 ふとその時に、私は昔もこうして手を握って歩いた事があると思った。
葬儀の日、電車の中で会った裕の手を握った時に感じた、あのめまいのような
ものは実は、二十年前も同じことがあったという記憶が蘇ったからではないの
だろうか?大樹や和美に少し遅れて歩く私は、前を歩く裕にそっと囁いた。


「…ねえ、あなた昔もこうして私の手を引いて歩いた?」

 足を止め、裕は目をぱちぱちさせてその場で思案している。

「…そんな気がしないでもないね。」

 裕は暗がりの中、私を見るとニンマリと笑いながら言った。二十年前の私は
いつでも強気で、常にみんなの前に出る男勝りな性格をしていた。
方や裕の方は当時の私より背も低く、いつも皆の最後に動く遠慮がちな性格を
していた。なので当時この炭鉱内で、彼に手を引かれて歩く記憶というものは
意外な感じがした。

「君はいつも僕たちのリーダーで、やんちゃな性格だった。けど、ここで見た
当時の君はまるで怯えた子猫のようで可愛いかったんだ。」
「……今もそう見える?」

 私はさらに小さい声で囁く。

「うん、だってほら…両足も内股歩きじゃないか?ずっと見てたからね。入口
から。」

 そう言って笑う裕の前に出ると、今度は自分が先に歩き裕を引っぱった。
私の顔は真っ赤だったが、どうせ闇で見えやしないのだから。


 和美たちに追いつくと、私はその背中越しに闇がそれまでよりも辺り一面に
広がっているのが見えた。おそらく自然の洞窟が大きなホールのようになって
いるのだろう。洞窟の先には木で造られた柵が、ちょうど私のお腹ぐらいの
位置の高さで作られている。もちろん当時の作業員がこの先に落ちることがない
ように作られた柵である。

 

 ライトで照らすとその柵は、十メートルほど先で今度は直角に右に曲がって
作られている。おそらく学校にある体育館のような作りになっているのであろう
その場所は、二十年前に起こった炭鉱事故の石油採掘跡に違いなかった。

 

 

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  (続く…)