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虹色の丘 11

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  私は次の日、裕のプランを聞いてあぜんとした。
なんと、病院から一日だけ智佳子を連れ出そうというのである。もちろん
連れ出すことなど出来るはずもない。いつ発作がおきるとも限らないのだ
から…。

「でも、やらなくちゃならないと思うよ。でないと、このまま病院にいれ
ば薬漬けでほんとに病気になってしまう。もちろんお母さんには話をつけ
るよ。」

 彼はいたって真面目にそう言った。記憶をよみがえらせるために、あの
町へ戻り、皆で思い出そうというのだが、そう上手くいくものかどうか。
さらにひとつ不安なのは、もし思い出す事ができたとして、それによって
智佳子の状態を悪くするということも考えられる。


 私たちは考えたが、とうとう裕の言う通り智佳子を連れ出すことにした。
他に方法がないからだ。私にしても、いつ何時得体のしれない恐怖に襲わ
れるかも知れないと思うと、急がずにはいられなかった。

 そして行方知れずの「へちま」も気がかりであった。彼は何から逃げてい
るのだろう?

 

 裕のアパートの前で待つ私たちのもとに、和美の車がやってきた。
まだ辺りは薄暗く、昨夜の雨が地面に残っている。

「…朝帰りの女の子迎えに、こんな早く起こされるなんてついてないわ。」

 和美は窓を開けると、あからさまに愚痴をこぼしたが、顔はにやけていた。

「…雨で帰れなくなっただけよ。朝帰りには違いないけど…」
「わかってますって。早いとこ乗って乗って。」

 

 和美はズボンにジャケットというラフなスタイルで、帽子にサングラス
という久しぶりのお休みを満喫しているように見えた。

「休みっていってもさ、やることってそんなに無いんだよね。あそこで
キャンプするっていうもんだから楽しみで!んで、結子あんた裕くんと
寝たの?」
「…寝てませんって!」

 

 私たちを乗せた和美の車は、朝霧の中を街の中心部に向けて走り出した。
この長い長い一日を、その時の私には想像できなかったのであるが…。

 

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 智佳子の病院に向け車を走らせていたが、朝のラッシュに捕まってしま
った。助手席の私には、運転手の和美の表情があきらかにいらついてきて
いるのが分かった。私は話題を変えるべく、別の話を切り出した。

「あのさ、誰か最近、龍之介に電話した人いる?私が電話しても出ないん
だよね。」

 裕は後部座席で新聞を見ながら首を横に振った。

「…してないけど、どうして出ないの?今ちょっとかけてごらんよ。」
「何度か会った時は、龍之介くんはなんにも問題はないって雰囲気だった
けど…」

 私は和美に言われると、龍之介の番号にかけてみた。しばらく呼び出し
の音を聞いていたが、全然出る気配はなかった。

「…やっぱり出ないわ。」

 あきらめて切りかけた瞬間、携帯がつながる音がした。

「あ、もしもし龍之介くん?」

 しばらく相手の返事を待っていた私だが、いつになっても龍之介から返事
は返ってこなかった。たしかにつながってはいるのだが…。

 私はしばらく黙って聞いていると何か小さな音がすることに気がついた。
かすかな…ぱちゃぱちゃというような小さな水の音が。

「…もしもし?誰かいるの?」

 だが、電話に出た何ものかは、黙っているばかりだった。
そして電話の先から聞こえる奇妙な音は、どんどん大きくなってきている。
何かが水の中をずるずると滑る様な…それが段々と大きくなったかと思った
瞬間、携帯はぷつりと途切れてしまった。

「…どうかした?誰か出たの?」
「いや、切れたわ…。何も話さなかったし、でも…」

 私は何故か額から汗が噴き出していた。なんだか分からないが、電話の
先にはたしかに龍之介の携帯を持つ者がいたのだ。

 それきり、龍之介の携帯には一度もつながることは無かった。

 

 

 

 智佳子はちょうど母親と一緒に朝食を食べているところだった。
母親にスプーンで食べさせてもらいながら智佳子は少しずつ食事を取ってい
る。顔色はやはりよくなっていないようだった。美しい黒髪は、ぱさぱさ
に痛んでいて、私にはべッドに座っているのは智佳子であって智佳子でな
い者なのだ、と思った。

 私たち三人が部屋に来たのを見つけた智佳子だが、特に気にした様子もな
く、ゆっくりと口に運ばれるお粥を食べている。


「あのね、智佳子。私たち今日あの町に戻るんだよ。理由は…智佳子なら
きっと分かるよね?」

 その言葉を聞いて、智佳子は口を止め私を見つめた。その目には先ほどま
でのうつろな表情とは違い、明確な智佳子の意志のようなものが感じられた。

「私たち、二十年前に何が起こったのか自分たちで調べに行こうって決めた
の。みんな智佳子と同じように、忘れた過去の記憶に困ってるのよ?それで、
智佳子も一緒に連れていきたいんだよ。今から。」

 智佳子はしばらく、ぼんやりと私を見つめていた。それから母親のほうを
ちらりと見て、また私をみつめて言った。

「…本気で言ってるの、結ちゃん?正気?」

 智佳子はぷっと笑った。

「もちろん正気だよ。おまけにキャンプしようかと思うんだ。楽しいぞ!」

 裕が後ろから言った。たしかに入院患者を連れ出してキャンプしようなど
とは正気の沙汰とは思えない。


「行ってらっしゃい、智佳子。後の事は私がなんとかするから。」

 智佳子の母親は娘をみつめながら言った。智佳子は母親の意外な言葉に驚
きつつも、どうしていいのか測りかねていた。

「お母さん、あの炭鉱町を出てからあなたに何にもしてあげられなかったか
らね。あなたが何に悩んでいるのか分からないけど、もしこれで良くなるの
なら行ってきなさい。」
「お母さん…。」

 母親は智佳子のぱさぱさの髪の毛を優しく撫でながら話した。それを見た私
は、きっと失った記憶を取り戻して元気になって帰ってこよう、と心に誓った。

「そのかわり、薬はちゃんと時間に飲むのよ?いい?」
「うん、分かった。ありがとう、お母さん!」

 そう言うと、智佳子はべッドから身体を起こして、ゆっくりと床に足を降ろ
した。

「チコ、何か食べたいものある?行く前に買っていくから。」

 寝巻の上から上着をはおり、出掛ける用意を始めた智佳子に私は声をかける。
彼女はにんまりと笑いながら私に言った。

「バーガー、くいたいわ!」

 彼女はにんまりと笑った。


(続く…)