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虹色の丘 10

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  あの夜、私は和美に送ってもらいなんとか自分のマンションに戻ったが、
次の日病院には行かなかった。おそらく病院では対処できないと判断した
からだ。

 そのかわりに私は、あるアパートを訪ねた。
街の中だが、ビルの陰に隠れてひっそりと建つそのアパートは、周りの建物
とは不釣り合いに古めかしいものだった。夕方近くの空は黒い雲が近ずいて
いて、ひと雨きそうな雰囲気だった。

 私は紙に書かれた住所を見ながら、丈夫ではない階段を上る。二階の端の
番号を見て、ここで正しいのだと私は思った。
裕は携帯を持っていなかったので、連絡をつけるのは難しかったが、ここで
待てばいずれ戻るはず。

 

 部屋のドアの前で私はしゃがんで待つことにした。待つ間、私は昨夜の事
を思い出していた。水たまりに広がる油…なぜそんなもので悲鳴をあげ走り
出したのだろう?いや、それだけじゃない。私は葬儀の日、裕に会って手を
握ったときにも倒れているのだ。私にも解らないが、何か記憶のどこかに忘
れている出来事があって、それが表に出てこようとしているのではないか。

 だけど、それは私だけに起こったことじゃなく、あの植物観察クラブの
仲間数人にも起こったことなのかも知れないのだ。智佳子にしてもそうだ。
一日も早く原因を突き止める必要がある。

 

 


【作業用BGM】雨の音【最高音質】

 

 気がつくと辺りは暗くなり、激しい雨になった。アパートには屋根がつい
ているが、雨が風とともに吹きこんでくる。服や髪の毛が濡れるのはもちろ
んだったが、まだ三月の半ばであり気温もぐっと下がっていた。
私はカチカチと歯を鳴らして、膝に埋もれるように頭を下げ目をつむった。
暗闇に飲み込まれそうになるようで、目を開けているのが恐ろしかった…。


 …あの町を離れてからの私は、それまでの私とは違うものだった。
表面的には変わらないように見えたが、どこかが醒めていた。これといって
目標があるわけでもなく、なんとなく学校も卒業した。いまの職場も、特に
入りたくて入ったわけでなく、その間付き合った男の子もいたが、それもう
まくはいかなかった。

 ありふれた、どこにでもいる小奇麗なあんちゃんタイプ。なにが悪いとも、
不満があるというわけでもなかったのだが、私の中の何かが反発したのであ
る…。気がつけば私も三十に近ずいていた。

 どこかで、私の人生は止まったままなんじゃないか?そう思えてきたのだ。
それも、恐ろしい何かが起こって。その何かも、私には分からなかった…。


「どうしたの?こんなところで…。」

 私は肩を揺らされて目を覚ました。裕がそばに立って私を覗きこんでいた。
どのくらい眠っていたのか分からないが、すっかり私の身体は冷えている。

「とりあえず、中にあがりなよ。」

 裕は私の手をとって立ち上がらせ、部屋の中に招き入れた。

 


 裕の部屋は、流しのあるキッチンを抜かすと部屋は一つだったが、なんとも
独特だった。なんといっても目を引くのが、その膨大な量の本だ。むしろ本の
倉庫の中に寝泊まりしているかのようである…。


 そして本以外にも目を引くのが、飾られた自分で描いた絵の数々である。
なんという自分愛!部屋の中は薄暗く、オレンジ色の淡いスタンドがついてい
るだけだったが、それほど暗い印象はなかった。

「これ、まだおろしてないタオルなんだ。使うといいよ?」
「あ、ありがとう。」


 彼は雨に濡れた私にタオルを渡すと、ヤカンをつかんで隣のキッチンに向か
った。私は一人部屋に取り残され、頭をタオルでふきながら傍のべッドに腰を
おろした。ある意味狂気じみた部屋ではあったが、私は何故か落ち着いた気分
になった。それはきっと、この部屋にある物が主人にとって嫌なものが無いか
らであろう。

「おまたせ、しょうが湯だよ。冷えた時はあったまるよ?ハチミツきらしてた
から、メイプルシロップ入りなんだ。知ってるかい?メイプルって、木の樹液
で出来てるんだよ。」
「そうなの?知らなかったわ…。」

 私はしょうが湯を、両手でつかんでゆっくり飲んだ。コップはクマの顔の形に
なっていて、非常に持ちにくかったが、甘くて熱いのでポカポカと温まった。
彼はそれを見ると満足そうにソファーに座って言った。

「こんな雨の中、わざわざ来たのはやっぱり…」
「だってあなた、携帯持ってないって言ってたもんだから。どうして持たない
の?便利じゃない?」

 彼は笑いながら自分のコップに口をつける。彼のコップは普通のだった。

「かける相手がいないからさ。」
「私がかけるよ?」
「なら、持つのも悪くないかな。」

 そう言って裕は笑うと、私もクスクスと笑った。

 しばらくぶりに、私は和やかで楽しい気分になったが、彼には伝える事がたく
さんあった。それはあまり良い知らせではなかったが、今はもう少し楽しい気分
に浸っていたかった。


 私は昨日あったことをかいつまんで裕に話した。彼はあぜんとして私の話を聞
いていたが、特に興味深い部分が「へちま」の言った言葉のくだりである。

「お前には捕まるもんか…?お前…誰かに追われているんだろうか?」
「智佳子も良くなっていないわ。むしろ悪くなるばかりで…」

 外は激しい雨になってきた。このままだと、話が終わってもすぐに帰ることは出
来そうにない。

「わかった。なら明日にでも行動に移ろう。」
「え?明日って…そんなにすぐに?それに行動って…」
「もちろん、僕達の隠された記憶を捜しに行くんだよ。あの町に。そのために来た
んだろう?」

 彼は意外にも、私がここに来た目的をあっさりと看破して言った。彼が同じ気分
でいたことに私は嬉しさを覚えたが、でも、どうやって記憶を捜すというのだろう
か?

「じゃあ、明日は朝から急がしくなりそうだから、雨があがったら近くまで送るよ。
それでいいかな?」
「ええ、雨があがったらね!それまでゆっくりお邪魔するわ。」

 私は口元に笑みを浮かべて裕に言った。

 


 その夜、雨は朝まで止むことはなかった。

 

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    (続く…)