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虹色の丘 8

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  智佳子の病室は三階の日当たりも良い場所にあった。
入院して二日ほど経っていたが、顔色はあまり変わっていなかった。
部屋の中は何もなく、べットの脇には点滴が置かれている。
智佳子は眠っていた。

 今、部屋には誰もいなかったが、私たち三人は静かに智佳子のそば
に立って様子を見ていた。静かに寝息をたてている智佳子を見ていると
私は、涙があふれてきた。再会して間もないというのに、なぜ智佳子が
こんなことになってしまったのか…。


 もしかすると、私たちは再会しなかったほうがよかったのでは?
そんなことを考えてしまうのだが、智佳子はそうは思っていないだろう。
その証拠に、例の「丘の絵」が枕元の台の上に飾られていた。
自分が倒れるきっかけとなった絵である。智佳子がこれをどんな思いで
見ているのか?考えるだけでまた涙があふれてくる。

 

「あら?お客さんが…お友達?」

 五十代半ばの女性が部屋に戻ってきた。手には花瓶に入った花を持って
いる。私はこの女性を知っていた。智佳子の母親である。顔立ちがそっ
くりなところは昔と変わっていない。

「おひさしぶりです。私、結子です。覚えてませんか?」

 智佳子の母親は、一瞬びっくりしたがすぐに二コリと笑って言った。

「もちろん、覚えてますとも。よく家に遊びに来ていたものね?」

 だが、覚えていたのは私だけで、和美と裕の事は覚えていないらしかっ
た。無理もない、家まで押し掛けて行ったのは私だけだったから。

「智佳子、かなり悪いんですか?」

 母親は無言でうなずいて、お花の花瓶を台の上に飾った。そういえば私は
慌てていたのか、花も持ってこなかった事を後悔した。

「この子、ずっと無理してきたから…疲れちゃったのかもしれないわね。」

 

 母親は智佳子の髪を撫でながら言った。智佳子の実家は歴史のある名家
で、よくは解らないがしつけや作法にうるさい家だと聞いたことがあった。
あの炭鉱町にいた頃は、智佳子は母親と二人で住んでいたこともあり、明る
く元気な子だった。とても愛きょうのある子で、私にとっても目に入れても
痛くないほど可愛い妹のような存在であった。


 すると、私たちの話し声で目を覚ましたのか、智佳子の目がゆっくりと開い
た。しばらくぼんやりとしていた智佳子だが、私たちに気がつくと一人一人
ゆっくりと眺めていった。そして何かを言おうとしたが、うまくしゃべれない
感じであった。

「この子、言葉がでないの。」

 母親がそう言うと、智佳子はなんとも複雑な表情を見せた。
私はそこまで彼女が悪くなっているとは、正直思っていなかった。

 私たちはしばらく、昔の楽しい思い出話を智佳子に聞かせていたが、彼女の
表情は曇るばかりだった。さすがに困ってしまった私は、そろそろ面会時間
が終わりに近いことに気ずいた。このまま帰ってしまうのが、なんとも心残り
だったが、私にはどうすることも出来なかった。

「じゃあ、智佳子。また来るからね!」

 私は涙をこらえつつ、言うと智佳子の小さな手を握った。ひどく冷たい手だ
った…。

「おっと…!忘れるところだった。」

 裕が急に何かを思い出したように、コートのポケットをあさりだす。智佳子
はびっくりしたように裕を見つめている。

 取りだしたのは、先ほどカフェで食べたランチのオマケのおもちゃだった。
それを裕は智佳子の手に持たせて言った。

「ほら、フ―してごらん?」

 智佳子はしばらくびっくりしたまま裕を見ていたが、パイプに息を吹きかけ
ボールを真上に浮き上がらせた。ボールは想像以上に上がった。

 それがおかしかったのか、智佳子はプッと笑った。

「それだけ力があれば大丈夫だよ!すぐに治るはずだ。」

 裕はそう言って笑った。

 私たちもその智佳子の笑顔に釣られて笑った。ちらりと母親を見ると、笑い
ながら涙がこぼれているのを私は見逃さなかった。

 ここに来て、始めて見せた智佳子の笑顔だったから。

 

 帰りぎわ、下に向かうエレベータを待つ間に私は裕に聞いた。

「あなた…あのためにお子様ランチなんて頼んだの?」
「いや、ほんとに食べたかったんだよ。」

 裕はそう話すと、やってきたエレベータにサッと乗り込んだ。その少しくたび
れたコートの後ろ姿を見ながら私は思った。

 …薬や点滴、治療以外にも病気を治す方法が、この世にはあるんだわ。と。

 だけど、発作の原因が解らない以上、智佳子は良くならないのだ、と私は思っ
た。それにはきっと、私たちの協力が必要なはず。

 

 だが、そんな私にも不気味な影が迫っているのを、この時は想像もしていなか
ったのである。
 

(続く…)