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虹色の丘 9

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 それから数日の私の行動は、めまぐるしいほど忙しいものだった。
近くに住んでいた和美とはちょいちょい顔を合わせていたが、それはおもに
智佳子のお見舞いであった。

 あれ以降、智佳子の様子は日増しに悪くなっていった。顔色もさることな
がら食事にはほとんど手をつけない状況で、時折顔を出す祖母を見ると智佳子
は激しく騒ぎ出すのだった。私たちが来ても、智佳子は常にぶつぶつとつぶや
いていて、ほとんど会話らしい会話はしなかった。

 あれほど愛きょうのあった智佳子だが、すっかり表情も険しくなっている。
それでも私たちは時間の許すかぎり智佳子の病室を訪れていたのだった。

 

 そんなある日、いつものように病室を訪れると、智佳子は眠りながらうなされ
ていた。汗びっしょりでうわ言のように同じ言葉を繰り返していた。

「…虹色の丘、虹色の丘よ…!」

 その言葉が、何故か私には恐ろしく頭の中にこだました…。

 

 

 私たちは時間のあるとき、もう一人の仲間であった「へちま」を見つけること
にした。葬儀の日、「メガネ」の母親から住所は聞いていたから、同じ市内に
住む「へちま」の家を見つけることは簡単だった。

 何度電話をかけても通じなかったので、私たちは直接彼のマンションに出向いた。
郊外にあるそれほど大きくないマンションの二階に、へちまの部屋はあった。
呼び鈴を何度も鳴らしたが、中からはなんの返事もなかった。ドアには手紙など
が何枚か挟まったままで、新聞や雑紙のゴミもドアの外にだしたままである…。

「……中で倒れてたりして…。」

 和美はささやくような声で私に言ったが、本気では言っていない。
すると隣のドアがガチャリと開き、年配の女性が顔だけ出して言った。


「…田中さん、数日前から戻ってないよ。あんたら知り合いかい?」
「まあ…そうですけど。どこに行ったのか知りませんか?」

 隣の女性は顔だけ出したまま、疑わしげに私たちを見つめている。

「…あの人に友達がねえ?めったに外に出ない人だけど…なんか問題でも起こ
したのかい?あの男。」

 そういうなり、年配の女性は玄関から出てきて、なんともうれしそうに言った。
そして、私の腕をつかむと小声でささやくように話した。

「…田中さん普段はね、ほとんど外に出てこないんですよ。ほら、引きこもりっ
ていうの?それが、二週間前に突然部屋から出てきて…」
「二週間、前ですか?」

「まちがいないよ。私が声かけても全然反応なくてさ。なにか憑かれたように
階段を降りてったのさ。ありゃなんかやってる目だったね!」

 私は二週間前という、年配の女性の言葉に驚いた。二週間前というと、ちょう
ど例の葬儀の手紙が届いた頃だったからだ。でも、葬儀には来なかったへちま
は一体どこに行ったのだろう?

「あんたたち、警察か何かかい?」
「いえ…どうもありがとう!」

 私と和美は女性に礼をいうと、マンションの階段を降り始めた。その途中で、
思い出したようにさっきの女性が声をかけてきた。

「ああ、あの人、階段降りる途中で一言だけ言ってたわね。」
「なんて言ってたんですか?」

「嫌だ、お前には絶対に捕まるもんか!てね。」

 

 日が沈みかけた頃、私と和美は歩きながら駅に向かっていた。
辺りはすっかり暗くなってきていたが、まだ街明かりが灯らないこの時間がなん
とも暗かった。私たちは特に話すこともなく、黙々と駅に向かって歩いていた。
最後に残った仲間の「へちま」は行方不明となっていた。それも二週間前に…。
智佳子の状況も悪くなる一方だし、良い事は無い気がしていた。

 

「…私たち、何してるんだろうね?」
「結子が悩むことじゃないよ。」

 和美は私にそう言って肩に手をかける。

「でも、けっきょく智佳子も良くならないし…もう何もしないほうがいいんじゃな
い?私たち、よけいな事してるんじゃないのかな…」
「私は良かったと思ってるよ。だってこうして結子と会えたんだし!それに…」

 そう言いかけて和美は足をとめた。
コンクリートの地面を眺めながら、何かを考えている。昨日の雨が、所々に水
たまりを作っていた。

「…たぶん、会ったから悪いんじゃなくて、その前からずっと問題があったんじ
ゃないかな?私もね、ずっと何かを忘れてきたんじゃないかって。今でも解ら
ずに過ごしているのよ。でも…きっと解らないままの方が、怖くて嫌な気がす
るの…」

「…解らないから怖い、てこと?」
「そんな気がするのよ。だって、何でもそうじゃない?あなた、旅行から帰って
クローゼットや押し入れ覗かないうちに眠れる?私は覗かないと怖くて眠れ
ないわ。」

 和美は楽しげに言うと私に笑いかけた。
私もなんだかおかしくなって、下を見ながら笑いだした。

 水たまりに近くの街頭の光が当たり、きらきらと光っていた。車の油が黒々と
した水たまりに広がっているのが見える。

 

      油の色が鮮やかに水の上にじわじわと広がる…。

 私は笑いながらその水たまりを見つめていたが、急に目の前が黒いもやのよう
な物に包まれるのを感じた。前にも感じたことのある感覚で、私はその場で悲鳴
を上げて闇雲に逃げ出した。

 

 
 気がつくと、私は少しだけ先の歩道に腰を落としていた。地面は水たまりにな
っていて冷たかったが、誰かに支えられていて倒れてはいなかった。後ろから支え
ていたのは和美だった。

「…私、どうしたの?」
「急に走り出したのよ。通りに出ようとしてたから、慌てて捕まえたの!」

 見ると、和美は頬のあたりに傷ができていた。私が暴れたせいであろうか?
ズボンも泥だらけだった。

「大丈夫…?」

 人通りのない歩道で、しばらくじっとしていると段々と落ち着いてくる。私はゆ
っくりとその場で起き上がると、深呼吸を一つついた。

「うん、なんとか…。ごめんね、怪我させちゃった。」
「こんなの、どってことないよ。ちょっとかすっただけよ。道路なんかに飛び出さ
せるもんですか。」

 和美はそう言って平気な顔を向けたが、私は段々おそろしくなってきた。
恐怖にかられて逃げ出した理由がまったくわからないことに…。なぜ、水たまり
なんかに怯えて逃げ出したのか?

 そして、私にも智佳子と同じような状況にあるという事が、とても恐ろしかった。


(続く…)