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灰色のシュプール 16

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  静寂を破ったのは一人の防護服のマシンガンだったが、それは一瞬の内に
掻き消された。

 激しい閃光と破裂音は、そのほとんどが灰色の物体に飲み込まれるように消
え、粘着性の身体に防護服の男をすっぽりと包むとロビーの天井近くまで伸び
上がった。狭いロビーではあるが、天井まではゆうに三メートル以上はある。

 その姿はまるで蛇が鎌首を上げたようでもあったが、私にはむしろつきたて
の餅を伸ばしたように見えた。まるで床から伸びあがる波のような滑らかさが、
灰色の物体にはあったのだ。

 その物体の天井近くに飲み込まれるような状態で、防護服の男は激しい悲鳴
を上げる。それまで水のように滑らかだった物体が、徐々にごつごつとした姿
に変化していく。蛇や鰐の鱗のようなものが現れ始め、鋭いとげのような物が
いくつも現れてきて、半透明だった灰色の物体はいまや黒々とした岩の塊のよ
うであった。何か水気の物が弾けるような音がして、灰色の物体に取り込まれ
ていた防護服の男はそれっきり音を発っしなくなった。

「うわあああああっ!?」

 外から戻ってきた二人の防護服が、僅かの間に得体の知れない物体に襲われ
たのを見て、ロビーにいた四人の防護服たちも一斉に武器を発射した。

 

 


著作権フリー 商用利用可能 な 【効果音】 戦争

 


 激しい銃声と閃光がロビーにこだまし、私たちはまたもソファーの後ろで
耳を塞ぎ床にうずくまった。

「きゃあああっ!?」

 炸裂する銃弾が明るかったロビーの照明を壊し、流れ弾が様々な電気機器を
破壊した。火花が飛び散るロビーの陰で、うずくまる私の横ではぼうずの男が
床に伏せるようにしながらその光景を見つめていた。

 銃弾により僅かに灰色の物体が後退する。もちろん、その餅のような物体に
ダメージがあるのかは分からないが、四人分の銃撃はそれをたじろがせる事に
は成功したようだった。四人の防護服は、追い打ちをかけるように後退した灰
色の物体を追いかけ銃を発射する。

 …だが、それが彼ら四人の悲劇を招いた。

「…待て、それ以上追いかけるな!」

 

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 ぼうずの男が叫んだときには四人の防護服は、ロビーの外れまで灰色の
物体を追いかけていたが、その瞬間、ものの数秒でそいつは姿を変えた。

 巨大な葉っぱのような形に変形した灰色の物体は、ロビーの天井近くまで
伸びあがると、唖然とする四人の防護服の上に凄まじい勢いで落下する。
その時一人の防護服の背中のボンベがはじけ飛び、ロビーの大きな窓ガラスに
激しい勢いでぶつかり、私たちのソファーにもガラスの破片が飛び散った。

「…危ない!」

 鉄のボンベの勢いは分厚い窓ガラスに穴をあけ、そこから外の吹雪がロビー
の中へと強く吹き込んでくる。暖房のおかげで暖かかったロビー内は、またも
冷たい冷気に満たされてゆく。

 隊長と呼ばれた防護服の男は、四人の部下が一瞬にして押し潰されたのを見
て絶句した。巨大な葉っぱのような物体から、ロビーの床に四人の隊員の鮮血
がほとばしる。

「何てことだ…!」

 床の上に流れた四人の隊員の血は、巨大な葉っぱのような形の物体に吸い込
まれるように消えて行く。後にはきれいさっぱりとかたずいていて、六人もの
隊員が襲われたのが信じられないくらいであった。

 壊れた照明や、発電式の暖房器具などは防護服の連中が銃弾で破壊したもの
である。

 葉っぱのような物体がゆっくりとその巨体を上げると、その下にいたはずの
四人の隊員は跡かたもなく消えていた。あれだけ流れた血も…。

「…そうか、ロッジの人間たちが跡形もなく消えたのはこういう事だったの
か。あんな物が相手では、ひとたまりもないか…。」

 ぼうずの男が隠れていたソファーから立ちあがると、ぽつりと話した。
灰色の物体は急速に形を崩し、ロビーの床へと染み込むように消えてゆく。
それまで人型だった者たちも一瞬に形を崩し、灰色の物体へ流れる川のように
集まり、そして僅かな間に消えてしまった。

 照明も壊れ、暗さと共に静寂が戻ってきたロビーの中で、私はずっと眠り
続けていた少女の事を思い出し、慌てて後ろを振り向いた。
少女はソファーの上で身体を起こしていて、たった今ここで起きた恐ろしい
光景を目の当たりにし、身じろぎ一つせずに座っていた。

 


「…ああ、そんな…信じられない…!」

 私と共にソファーから身体を起こしたミッキーが今、目の前で起きたロビー
の惨劇に唖然としながらつぶやいたが、もちろん私も同じ思いであった。

 ロッジの人々が消えたのは、おそらく今の奇怪な物体の仕業であるのは間違
いなかった。

 武器を持った隊員たちが、あっという間に飲み込まれるように襲われる姿を
見れば、ここの従業員やスキー客ではひとたまりもなかった筈だ。
おまけに暴れた痕跡や、血の跡ひとつロビーに残されていなかった事も、あの
灰色の物体を見れば頷ける。まるで水のように滑らかに移動して、素早く襲い
かかる…そして獲物を包み込むように捕獲するのだ。

 亜衣子や傷のある男も、全てあの灰色の物体そのものであるようだった。
私たちは、人と思われていたものが、一瞬にして形を変えて防護服の連中に
襲いかかるのを目撃した。一瞬にして…。


「…ねえ、あの白い服の人たち、食べられちゃったの…?」

 ソファーから降り、私の所へやって来た少女が恐る恐る周りを窺いながら聞
いた。

「…あれは、吸収だ。あるいは同化か…。」

 ぼうずの男が少女にというよりは、ひとり言のように話す。
それまで唖然と部下がやられていくのを見つめていた隊長は、私たちの所へ歩
いてくるとぼうずの男に付け足すように話し始める。その後ろには一人残った
白い防護服が怯えたようにロビーを見回していた。

「…生物体が生体膜を通して物質を内部に取り入れることを吸収と言うのだが
、我々の世界では主に、栄養素を消化管壁の細胞膜を通して血管やリンパ管へ
と取り入れる。植物では根から水分などを吸い取るという事だ。」
「だけど、あんな一瞬で人間を吸収するなんて事は出来るはずがない…。」

「そうです、そんな事は出来る筈がない…。出来るとすれば恐ろしく代謝機能
が発達した…未知の生命体だ。」

 隊長の後ろで話を聞いていた白い防護服の隊員が、割って入るように興奮気
味に話し始める。

「…あんな生物は見た事がない!見ましたか?一瞬にして化物が姿を変えたの
を?イカやタコの仲間が自分で色や形、模様を変えられるように、あの物体は
別の物に…おそらく自分が吸収したものに姿を変えられる…細胞単位でDNA
をコントロール出来るのかも知れません!おまけに、人を吸収してさらに身体
の大きさも増したようでした。」

 しばらく声を潜めていたコジが、白い防護服や隊長と呼ばれた男に近ずきな
がら声をかける。

「おい…あんたら科学者だろ?一体ありゃ何なんだ?どこから来たんだ?」

 それについては誰も答える事は出来なかったが、白い防護服の男は思い出し
たようにポケットから一枚の紙を取り出すと、それを読みながら話しだした。

「…ここに来てからいくつか、奇妙なデータを収集しました。二階の洗面所
付近の床や、トイレの床などから微量のステロイド類が検出されてます。」
ステロイドって…あのステロイド?スポーツ選手が使う…あれのこと?」

「…ステロイドはどの生物、植物、菌類からでも見つかっている。ほとんど
の生物の生体内で合成され、細胞膜の重要な構成成分になっているんだ。生体
維持に必要なホルモン類、昆虫の変態ホルモンなどにも重要な働きを与えてい
るな。」

 ミッキーの質問に隊長が答えて言った。
ロビーの中は暖房が切れてまたも肌寒くなりつつあり、彼女は自分で腕の辺り
をさすって身震いする。

「…ひょっとして、あの物体は自分で強力なステロイドを合成しているのかも
知れません。あの異常な体細胞の増加や、他生物への変態運動はそれらが影響
しているのかも。それは、とてつもなく危険な生命体であると言えます。何故
なら、獲物を吸収して自ら体細胞を無限に増殖出来るとしたら…いつの日か私
たちはこの星ごとあの物体に吸収、同化されてしまうかもしれません。」

 

 私は白い防護服の話を聞いて、ぼうずの男と宇宙船の中で見た奇妙な映像を
思い出した。青く尾を引く彗星が横切った星が、灰色の惑星に変わっていく姿
を…あれは灰色の物体が星そのものを吸収、同化した死の惑星だったのかも知
れない。

「…それはつまり、あたしたち物凄くやばい状況ってこと?今夜の歌番組録画
したいんだけど…ちょっと間に合わなそう?えっ?」

 多少冗談気味に言ったミッキーに、この場にいたほとんどの人間が彼女の方
を振り返り、真面目な顔で大きく頷いた。

 

(続く…)