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灰色のシュプール 21(最終話)

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 日が沈む前に、私たちは双子岳ロッジのロビーおよび一階部分を自由に行き
来出来るようにした。地下の倉庫から運び出した食塩の量はかなりの物で、ダ
ンボールに三箱分はあった。

 私たちは食塩をロッジのいたるところに散布して、灰色の物体をひとまず追
い出す事に成功した。もちろん、追い出しただけで連中は今もどこかに潜んで
いるのだが。

「これで簡易トイレともおさらばね!」
 塩漬けにしたトイレから出てくると、ミッキーは満面の笑みで言った。

「…さて、のんびりはしてられないぞ。塩は手に入ってもここが政府から爆撃
でも受けたら我々の命は無い。灰色の物体の核の部分をやっつけなきゃ、生き
てこの雪山を降りれないからね。おまけにいつ我々も、灰色の物体に操られる
か判らない。」

 ぼうずの男は、防寒着のあちこちのポケットに塩を詰めながら言った。

「こんだけあるんだもん、こっちから乗り込んでいって溶かしてやりましょう
よ!」

 ミッキーも塩の袋を手に、ヤル気満々で答える。
ある意味、今ここではどんな銃や爆弾よりも強力な武器を手にしたのだから。


 と、そのミッキーの背後にいた防護服の隊長が、壁際の所でふらりと揺らめ
いた。

「大丈夫ですか!?」
「あ、ああ、心配ない。だが…何かひどく気分が悪いな…。」

 頭をおさえつつ壁に手をつくと、防護服の隊長はしっかりとした口ぶりで言
ったが、何か目の焦点が合っていないようだった。

 すると、私の横に立っていた吉井さんも、立ちくらみのようにその場に座り
こんでしまった。やはりその目は虚ろにどこかを見ている…。

「どうしたっていうの?まさか…」
「…怒ってる…!ここから追い出されたから…あいつが怒ってるの!」

 私の両手の中で、少女が震えながら叫ぶ。
相変わらず少女の両目は濁ったような灰色をしていて、どこかここではない場
所を見つめて恐怖している。

「君は…あいつが怒っているのが判るんだね?」
「うん…だってあたし、あいつと一緒にいるんだもん。」

 ぼうずの男の問いに答えて少女は言った。

「…灰色の本体が、活動場所を狭められて怒っているんだ。そのせいで、強烈
な念波をこちらに送りつけてきたんだよ。」
「なら、急ごうよ!下の温泉に塩を流し込んでやりましょう!」
「いや、ミッキー君はここで二人を見ててくれ。化物は私たちがー」

 ぼうずの男が言いかけた時、少女が私の両手をすり抜け、下の階に向かって
ロビーを駆けだした。

「…あたしがあいつを、やっつけるの!」
「誰か止めて…!」

 私が叫んだときには少女はすでにロビーを抜け、下への階段へと降りていっ
た。ぼうずの男と私は、その後を追った。

 

 階段を降りると、そこはもう外からの光はほとんど入らず、ぼうずの男が
持つペンライトだけが頼りであった。

 細長く狭い通路の先にはシャワー室があり、ドアは僅かに開いている。
少女が通っていったのだろう。その奥には温泉が湧いていて、そこに灰色の
物体が潜んでいると少女は言った。たしかに、ロッジのロビーに比べて気温
は高くなっている…。

「いきましょう…。」

 私たちは通路の先に塩を撒きながら、シャワー室へと向かう。その間、灰色
の物体はまるで姿を見せなかった。

 ドアを開けると、真っ暗なはずのシャワー室からはほのかに薄緑色の光が
ぼんやりと漏れていて、その先に少女はいた。もちろん、少女の先には暗が
りの中で、灰色の物体がゆっくりと動き出し始めた。

 

 

 


 日が暮れ始めた雪のゲレンデを見ながら、ミッキーは落ち付かない様子で
後ろの通路を振り返った。あの二人が少女を追いかけていってから、まだ数
分と経ってはいない。

「…心配?行ってもいいのよ?私なら大丈夫…。」

 ソファーに手をかけ、立ちあがりながら吉井さんは言った。
少々ふらつくようだったが、目はしっかりとしている。

「…ああ、いざとなったら君たちだけでもここを離れるんだ。」

 防護服の隊長も、顔色は悪かったが意識ははっきりしていた。
だが、二人の言葉にミッキーは首を振って答えた。

「いいえ、ここにいるわ。今から単独で動く方が危険だし…それに、あの子
たち…大丈夫だって気がするんだ。」

 そのミッキーの言葉に、吉井さんと隊長は首を傾げるようにして次の言葉
を待った。

「雪山から戻ってから、あの二人なんか少し様子が変わったのよ。なんてい
うか…香菜の事は私なんでも知ってるの。でも…なんか変わったの。なにか
に守られてるみたいな…」

「…雪山って、例の宇宙船かね?」
「そう、不思議なんだけど…悪い感じがしないのよね!だから、ここで待つ
わ。それよりさ、吉井さん。」

「えっ…何?」
「インストラクターって…大変な仕事?私、ここかたずいたら、吉井さんみ
たいな仕事つこうかなって思うんだけど…修行させてくれます?」

 にんまりとミッキーは吉井さんに笑顔を向けて言った。

「…ええ、大変よ!まずはホットドッグの焼き方からね。」

 

 

 

 

 

 


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 暗いシャワー室はかなり大きな空間だったが、奥にある温泉の浴槽を含め
そのほとんどが灰色の物体そのもので溢れていて、壁際も暗がりで何かが絶
えず蠢いていた…。
淡い光は浴槽の中からで、おそらく化物の本体が隠れるために大きく掘り下
げられてあり、ひときわ大きな物体が水の底に潜んでいるのが見える。

 その深い浴槽を覗きこむように少女は立っていた。
何故か灰色の物体は、少女が届く距離にいるというのに、その場を動かずに
いる。まるで睨みあいをしているような状態だった…。

「大丈夫!?今の内にこっちに…」
「…だめだよ!あたしがここにいて、あいつを押さえつけてるの!」

 少女は後ろの私たちを振り向かずに言った。
灰色の物体はどういう訳か、動きを止めて様子を窺っている。

「押さえつける…?君があいつを、押さえつけているのかい?」
「うん。あたしあいつと追いかけっこしながら、あいつを部屋に閉じ込めた
の!でも、ずっと閉じ込めてはいられないの。」

 すぐ後ろのぼうずの男に答えて少女は答えた。

「…もしかして、そこには他にも部屋はあるのかい?」
「たくさんあるわ…あいつが飲んだみんなをその部屋に閉じ込めているの。
あたし、うまく出しぬいてあいつをその一つに閉じ込めてやったんだよ!」

「ふむ…みんなが閉じ込められている部屋を開けられるかい?」
「出来ると思う…みんな無理やり押し込められたから…やってみる!」

 少女はそう言うと、また黙ってその場に立ちつくした。

 

「ねえ、どういうことなの?」
「…分からん。でも、きっと脳の…遺伝子レベルの世界でこの少女は化物の
核の部分を押さえこんでいるんだ。この生物も驚いているはずだよ、子供の
純真さというか…いや、愛かな?この子の君を助けたいという強烈な意思の
力さ。」

 そう言って彼は、げんこつを握り水の底を睨む少女の頭をなでる。
私は少女の小さな背中を、そっと寄り添うように抱きしめた。

 

 

「…何だ?急に頭痛のようなものが収まってきたぞ?」

 椅子にもたれるように座っていた防護服の隊長は、急に起き上がると辺り
を見回した。これまでロッジ全体に張りつめていた奇妙な圧力のようなもの
が薄らいだような気がしたのだ。

「ほんとだ…なんか、頭が軽くなった気がする…何?」

 ミッキーがそう言ってきょろきょろと辺りを見回している横で、防護服の
隊長は携帯無線を取りだしてどこかにかけ始めた。

 

「…やっぱりだ!繋がった、おい!良く聴くんだ!聞こえるか?」
(…一体どうしたんです!?何故今まで繋がらなかったんですか?)
「とにかく聞け!ヘリに大量の塩を積んでここへよこすんだ!生存者は数名、
いいか、塩だぞ!とにかく大量に積んでくるんだ!急げ…!」

 それだけ言うと、無線はまたも雑音のようなものでかき消えた。

 

「どうやら波があるようだな。それでも何かが弱まっているのかも知れん。
ちゃんと聞こえていればいいが…。とにかく連絡を続けてみよう!」

 ロビーの三人は、それぞれの携帯でここの外と連絡を取りだした。
その時、ロッジ全体に叫び声のような不気味な音が響き渡った。それは人の
声のようでもあり、何か別の生き物や風の唸りにも似ていた。

 


「何この音…!」
 いきなり耳をつんざくような激しい叫び声が暗いシャワー室にこだまする。
私にはその音に、何故か悲しみのようなものが含まれているような気がした。

「…閉じ込められてたみんなを外へ出したわ!ママも早く外に逃げて!」
「あなたを置いていけないよ!」
「だめなの!あたしが押さえてないとあいつが…」

 その時、水の中から一本の触手のようなものが伸びてきて少女の足に巻きつ
くと、少女を灰色の本体が潜む水の中へと引きずり込んだ。

「ママ…!?」
「だめっ!」

 私は少女が引きずり込まれた水の中へと飛び込んで、その小さな手を掴ん
で引き寄せようともがいた。浴槽は灰色の物体によって深く彫り込まれてい
て、かなり深い。そして物体自ら淡い光を放っていて、水底の奇怪な生物が
こちらを捕まえようと待っているのが見えた。それは悪夢のような光景だっ
た…。

「…!」

 水の中で少女を掴んでもがいている私のところへ、またも何かが飛び込ん
できた。激しい水の泡がおさまると、私の目に写ったのはぼうずの男の顔だ
った。地獄の入口のような水の底に沈みながら、彼は満面の笑みで私を掴ん
で手繰り寄せようとする。

 

 

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 水の中全体から、灰色の物体が私たちに群がるように押し寄せてきた。
最後に見る光景がこんな不気味な生物だというのが嫌だったが、私は少女を
抱きしめて目を閉じる…

 

 

 

 

 

 


 ところが、いっこうに化物は私たちに襲いかかっては来ない。
しびれを切らして私は目を開けた…

 

 緑色に染まる水の底に、灰色の物体は力無くゆっくりと落ちてゆく。
私たちに向かっていた物体の触手たちも水の底に沈んで、空気が抜けた風船
のようにどんどんしぼんでいた。私は水の中ぼうずの男と顔を見合わせると
、水面に向かって泳いだ。


 水面に顔を出した私は、少しだけ飲んだ水をむせながら吐き出す。

「…しょっぱい!この水、もしかして…」
「塩だね。私のポケットというポケットに塩をたらふく詰め込んであったの
が良かった!ま、飛び込んだ時は忘れていたけどね。」

 私は少女を水の中から出すと、シャワー室を見渡した。
大きなシャワー室いっぱいに潜んでいた灰色の物体は、水の底に沈んだ連
中と同じようにしぼんでいた。水の中の物体がそうなるのは理解できたが、ど
うして外の物体まで同じようになったのか…

「…そうか!本体、つまり物体の核の部分が傷ついたからだよ!核が傷つい
たから細胞がもう再生できないんだ。」
「…もしかして、やっつけたの?」
「うん、たぶんね。ロビーに戻ろう。」

 私たちは滅びゆく灰色の物体を残して、シャワー室を出た。

 

 

 

 階段を上がりロビーの入口までやってきた私たちは、それまで感じたロッジ
内の重苦しい気配のようなものが無くなっている事に気ずいた。

「……気ずいてるかい?」
「…ええ、前と違う、終わったんだわ…。」

 私は両手に抱いた少女の頭をなでながら、声をかける。

「ねえ、これで帰れるよ?あなたを家に連れていくわ。帰ったらー」

 その私の言葉に少女は答えずに、力無く首を上げた。
その目はもう灰色ではなかったが、虚ろで完全に生気は失われている…。

「ちょっと…どうしたの!?」
「…ああ、お姉ちゃん…良かった。あたしね、どんどん身体が無くなってい
くみたいなの…悪い事したからばちが当たったのかな?」

 私とぼうずの男は、少女の言葉を聞いて顔を見合わせた。
身体がどんどん無くなる…きっと灰色の物体が今まさに滅びつつあるのだろ
う。この子の精神はあの物体の核とリンクしていた。なら、物体の核が滅ん
だ時…この子の精神はどうなるのか?思いあたることがあった…。

「あなたのおかげでみんな助かったのよ?家に帰るの…帰ったらいっぱい遊
んであげるわ!楽しい事たくさんあるの!」
「…トランプしたいな…楽しかったもん…。」

「…ええ!たくさんやりましょうね!帰ったら他の遊びも教えてあげるわ!
近所にね、凄く長い滑り台があるの。山の上からいっきに滑り降りるの!
日曜になったら、おにぎり持って行こうね!」

 両目が涙で霞んでいたが、少女の口元がにんまりとしているのが見えた。

 少女はすでに目をつむり、ほとんど眠る寸前のように小さな口だけを動か
して必死に声を絞り出して言った。


「…お姉ちゃん……ありが…と…」

 少女がずっと握っていた手が力無く開くと、そこからすり抜けるように
半透明のきらきら入りのスーパーボールがロビーの床にこぼれ落ちた…。
少女はそれをずっと握っていたのだ。

 

 

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 ロビーに戻るとミッキーがこちらに気がつき、満面の笑みで大きく両手を
振ってきた。他の二人も元気そうに立ってこちらを見ている。
だが、近ずくにつれこちらの状況を理解したのか、ミッキーは手を下げて、
私たちがやって来るのを黙って待っていてくれた。

 


 日が沈み、真っ暗になったゲレンデにようやく数台のヘリがやってくる。
今度は救助隊がまっ先に降りてくると、ロビーに担架が数台運びこまれてき
た。別れ際、防護服の隊長は私たちに話した。

「…今回の事件は世間には明るみには出さないようにしよう。君たちにも
迷惑がかかる事もおそらく無いだろう。雪山の災害として事件は進む事に
なる。君たちに私が出来るのはそのくらいだ。」
「十分です。じゃあ…」

 ぼうずの男は隊長にそう言うと、迎えに来た救助隊についてゆく。
私やミッキー、吉井さんもそれに続く。その表情はけして明るくはなかった。

 

「…君、その娘さんは担架に乗せて下さい。」

 その救助隊の言葉にも、私は両手に抱いた少女を離すことはなかった。
あからさまに困った顔をする数名の救助隊員に、ぼうずの男が声をかける。

「…身寄りのない子なんだ。彼女の好きにさせてあげて下さい…。」

 それを聞いて救助隊員は渋々うなずくと、私たちが乗り込んだヘリのドア
を閉めて離陸の準備を始める。


 長く恐怖の一日はようやく終わりを迎えようとしていた。

 

 

 

 

 

 


My Memory 〜冬のソナタより〜 ピアノ

 

 

             エピローグ

 

 雪山での恐怖の一夜は、それからも私たちの心に暗い影を残した。
だが、私にはそればかりではなく、あの少女との素晴らしい出会いの記憶も
残したのである。


 私は大学を卒業後、名前を「早紀」と変えて、ぼうずの男と共に探偵業…
というか「なんでも屋」の秘書となった。名前を変えたのは、あの少女の事
をずっと忘れないためでもあった。

 

 今でも時々思い出す。
あのロッジで初めて出会った時の、スーパーボールに喜ぶ少女の笑顔が…。

 私はポケットから、ボールを取りだすと天井のライトにかざした。
半透明のゴムの中に、きらきらの小さな星がいくつもちりばめられたきれいな
スーパーボール…これを見れば、いつでもあの子の笑顔を思い出す事が出来
た。


 と、プレハブの小さな事務所に電話が鳴った。
どうやら久しぶりに仕事の依頼がやってきたようだ。

 

「…博士、ある調査の依頼が来ています。友達が行方不明になったそうで…
場所は群馬県のブルクハルト芸術大学だそうです。」

「ふむ、ブルクハルトね…ドイツ系の名前だな。よし、行ってみよう。」

 私とぼうずの男は上着を取ると、本だらけで足場の無い事務所をすり抜け
るように外へ向かった。

 

 

 

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        (了)