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灰色のシュプール 17

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 大きな窓ガラスの外は、またしても強い吹雪に見舞われていた。
穴のあいた部分から粉雪が入り込み、暖まったロビー内の気温を僅かばかり
下げている。

 私は怯える少女を抱きしめながら、あの灰色の物体が立ち去ったロビーの
奥を眺めていた。先ほどの恐ろしい光景が、ほんとに起きたことなのか?
静かなロビーを見ていると信じられなかったが、私の手の中で震える少女を
見れば現実に起きたことなのだと認識出来た。

 

「…もうこんな所にじっとしていられないぜ。あんな化物と一緒に過ごすぐ
らいなら吹雪で凍える方がましだ!」

 そう言いながらコジはウェアを着込み、帰り仕度を始めた。
時間は五時前の外はまだ真っ暗闇…夜明け前が一番暗いのである。おまけに
猛吹雪で前も見えない状況だった。

「…たしかに。化物に食べられるくらいならそっちの方が…」

 コジに釣られてミッキーと健吾も帰り仕度を始め、慌ただしく荷物をまと
める。

「ちょ…と待ってよ!外の吹雪も危険なのよ!途中迷いでもしたら、崖から
転落しちゃう場所もたくさんあるわ!マイナスの気温の中、何十キロも歩い
て山を降りるなんて危険すぎる…せめて明るくなってからー」

「明るくなる頃にはみんな食われてる…行こう。」

 コジは吉井さんにそう言うと、荷物を肩に背負って歩き出した。

 慌ただしく逃げるように荷物を持ち、ロッジを出て行こうとするコジたち
を止める言葉が私には出てこなかった。あんな惨劇を見たあとでは無理もな
いからだ…。

 ロビーの外れまで三人がやってくると、そこにぼうずの男が滑るように割
って入る。

「…どけよ。」
「ちょいと待ってくれ。これを見てから…」

 そう言うとぼうずの男はポケットから何かのぬいぐるみのような物を取り
出し、ロビーの床に放り投げる。すると…

「危ないっ…!?」

 あっという間に床の中から液体のような灰色の物体が染みだしてきて、ぬ
いぐるみを飲み込み、一瞬で床の中に跡かたもなく消え失せてしまったのだ。

「………!」

 コジやミッキーは、荷物を肩から降ろすと無言で元の位置に下がった。

 

 「…ほら、この床の線を見てくれ。これは先ほど灰色の人間たちが立ってい
た時に、観察しながら私がマジックでつけたものだ。」

「何なの?これ…」

 私がぼうずの男に尋ねると、彼は腕を組んで言った。
ロビーの床に、赤いマジックで書かれたXマークが丸く円を描くような位置
に点々と書かれていた。私たちがいた窓際のソファー周辺である。

 

 

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「今夜何度か、あの灰色の人間たちがここへやって来たが…どういうわけか
この位置より中へは入ってこなかったんだ。この線を越えて化物を追いかけ
た防護服の連中は…一瞬にして飲み込まれてしまったがね。」

「…一体どういうことなの?」

 ミッキーもXマークを恐る恐る覗きこみながら聞いた。

「それは分からない。だけど、あの灰色の連中が現れたり消えたりするのは
何故なんだろう?何か理由があるはずなんだ…。」

 ぼうずの男はそう言ってウロウロとロビーを歩き始める。もちろん、X印
の中である。

「…そういえば最初に灰色の亜衣子が現れた時…あの子あっという間に二階
へと歩いていったのよね?ここに留まることはしなかった…何故かしら?」

「たぶん二階に上がり、洗面所で倒れている男を…飲み込んだんだ。さっき
見たような生き物なら、床の血痕ごと跡も残さずに消化する事は可能だよ。
なにせ床の上を滑るように移動するんだからね。それにしても妙だな…何故
あの男の死体だけ、あそこに残されていたんだろう?」

 私に答えてぼうずの男は言った。

「でも、そのあとで現れた時はここにじっと立っていたのよね?私とあなた
は崖に行ってたから見ていないけど…。ねえミッキー、灰色の亜衣子が現れ
た時、何か特別な事ってなかった?その前は何してたの?」

「なにって…あの時ってたしか、みんなぼんやりしていたと思うんだけど…
吉井さんは何してました?」
「私ですか?えっと…そうねぇ…私はたしか持ってきたストーブをつけてい
ましたけど…」

「ああっ!?」

 と、突然ぼうずの男は吉井さんの言葉を聞いて大きな声を出した。
ソファーに座りこんでいた防護服の隊長も、その声に驚き私たちの方を振り
向く。

「分かった…ストーブだよ!あいつら、熱に寄ってきたんだ!」
「熱だと?」

 防護服の隊長はソファーから立ちあがると、ぼうずの男の所へとやって来
た。彼は今や頭の防護フードを取り去っていて、五十代半ばの顔を私たちに
さらしていた。おそらく、あの物体の前では防護服など役には立たないと判
断したのだろう。

「そう、熱だよ!あんたたちがやって来て、ロッジのあちこちに暖房器具を
設置しただろ?だからあの灰色の連中はたくさんロビーへやって来た。」

「ちょっと…待てよ、熱に集まって来たというなら、逆に言うと寒さに弱い
とも言えるのではないか?」

「でしょうね。さっきの大騒ぎの中、ロビーの暖房器具は壊れてしまったし、
窓ガラスが割れて外の吹雪が中に入ってきた。灰色の物体は逃げるように姿
を隠してしまったが…今思うと寒さに弱いのかも知れない。」

 たしかに思い出すと、今夜の間にこのロビー内は何度か温度差が変わって
いる。夕方ここに来た時は電気が切れていて、暖房が無く寒かった。
ストーブを点けてから灰色の物体が姿を見せ始めたところを見ると、あれは
熱に寄ってきたのかもしれない。それはつまり…寒さに弱いという事でもあ
るのだ。

「…ああ、そうか。二階の洗面所に男の死体が残されていたのは、窓が開い
ていたからだ。雪が吹き込んできていて寒かったんだが…窓を閉めてしまっ
た…それで、後からやってきてゆっくり飲み込めたという訳か。」
「なら、寒くすればあれをやっつけられるって事ね?」

 先ほどまでの恐怖の表情と違って、俄然、希望に満ちた顔でミッキーは言
った。

「いや…そうとも言えない。たしかに寒さは苦手だと思うが、あれを殺すと
いう事までは出来ないと思う。何億年も崖の中に埋もれていた宇宙船の中で
生命を維持しているし、地上に出てこの雪の中をロッジまで移動して来たの
だから。苦手ではあっても、あの物体を滅ぼす事にはならないだろうね。」

 ぼうずの男の説明を聞いて、ミッキーはまたも表情を曇らせる。
おまけに防護服の隊長は、追い打ちをかけるように私たちの置かれた厳しい
状況を説明してくれた。

「…それらの事柄が事実だとすれば、我々は大変危険な状況に置かれている
と考えられるな…。我々の隊がやって来て、このロッジのあちこちに暖房器
具を設置した。ほぼ全域に…そして壊れて消えたのはロビーの暖房だけだ。」

「となると…このロビー以外のロッジ全体が、灰色の物体で取り囲まれてい
るってことになるのか…こりゃ大変だなぁ。」

 ぼうずの男が絶対絶命の状況を説明した。

 

 

 


 空がしだいに明るくなり始めた頃、私たち生存者の疲れはピークにたっし
ていた。

 ミッキーとコジはロビーの温度を下げるため、割れた窓ガラスをさらに壊
している。だが、ロッジの分厚いガラスはそう簡単に割れるものではなく、
僅かに削りながら穴を広げている程度であった。

 しかも、穴を広げればそれだけ吹雪がロビーの中に吹き込むので、私たち
の体温が奪われる…おまけに食糧は得られない。いずれにしても、そう長く
は持ちこたえられないのである…。

 ぼうずの男は床のX印の傍に立って、手にした新聞を丸めロビーの外れに
放り投げた。

 その瞬間、床や天井の隙間から灰色の物体が凄まじい速さで姿を現し、荒
れ狂う波のように紙くずを飲み込んで消えた。

「…こいつら帰る家がないのか!?」

 ぼうずの男は、姿は見せないが確実にX印の外に潜んでいる灰色の物体に
向かって叫んだ。

「連中は、我々を取り囲んでくたばるのを待っているのか?」

「いや…あの生き物に知性のようなものがあるとしても、ただ我々が息たえ
るまで待つ意味が無いよ。飲み込もうと思えば、いつでも出来るはずなんだ。
それをしないのは…何か理由があるはずなんだ…何か。」


「ね、この窓ガラスぶち割って外に逃げるってのはどうかしら?」

 ミッキーが二十センチほどの割れた穴を覗きこみながらぼうずの男に言っ
た。外を見ると、分厚いガラスの下は木が並べられた通路になっていて、ゲ
レンデが見渡せるように小さなオープンカフェ・テラスになっている。
ぼうずの男は窓ガラスの下を覗きこむように観察すると、またも新聞紙を破
いて丸めた物を割れたガラスの穴から外へ向かって放り投げた。

 と、テラスの木をふっ飛ばして地面から灰色の物体が土煙りを上げて飛び
出してきた。そしてその巨大な粘着性の身体を、窓ガラスいっぱいに広げて
覆いつくす。私たちは悲鳴を上げて窓ガラスから離れた。

「やっぱり、このロッジ全体が今やあの灰色の物体に取り囲まれている…。」

 ぼうずの男が言い終えるのも待たずに、灰色の物体はあっという間にガラス
の上を滑るように地面へと戻ってゆく。まるで流れる水のように…。

 

 

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 何度も連絡を取ろうと無線を使う防護服の隊長に、ミッキーが近ずいて尋
ねる。相変わらず地上とは連絡は繋がらないらしい。

「ねえ、おじさんたちの隊が戻らなかったりしたら、誰か救援に駆けつけた
りしないの?」
「我々は特務部隊だ。こちらから二十四時間連絡が無かったり戻らない場合、
政府の中では非常事態宣言が出される事になっている。そうなれば、様々な
機関で会議が持たれる事になるが…ここへ人を送り込むのはずいぶん後にな
るだろう…。」

「そんな馬鹿な…冗談じゃねえ!そんな悠長なことしてる間に僕たちは…」

 隊長の言葉を聞いて声を荒げるコジの横で、白い防護服が付け足した。

「それどころか、会議の内容次第では、ここへ救助は来ないかも知れません。
事は地球外生命体に関わる事柄です。我々数人の命と比べれば細菌などの脅
威を考え、ロッジごと跡かたもなく消し飛ばすという事も考えられますね。」
「ちょ……!?」

 防護服の科学者は恐ろしい予測を私たちに告げた。
ミッキーはあまりの絶望的な見解に唖然としてその場に固まる。私や少女、
ぼうずの男や吉井さんは静かにその会話を聞いている。

「ましてや、ここへ情報もなく増援がやって来たとしても、あの突然襲いか
かる化物が相手では、ミイラ取りがミイラになるだけだ。」

 隊長はソファーに腰を降ろすと、深いため息をついてうなだれた。

 
 ゲレンデが一望出来る大きな窓ガラスの外は、しだいに明るくなり始めて
いたが、その明るい暖かな日差しが何故だか私にはとても遠くの景色に見え
ていた。


(続く…)