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灰色のシュプール 19

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 少女のどろんとした灰色の目は、傍にいる私を見てはいなかった。
ただ中空を見つめ、どこか別の次元を覗くかのようにぼんやりと床に座りこ
んでいる。そして何かぶつぶつと呟きながら、抱きついて押さえこんでいる
私を振り切ってその場から立ちあがろうとしていた。

「ちょっと…どうしたの?」
 私の言葉に、ようやく少女はこちらを振り向いて言った。

「…行かなきゃ…呼んでるの…。」
「呼んでるって…誰が?」

 その問いには答えずに、少女はなおも立ちあがりどこかに向かおうともが
き出す。押さえつけている私が振り払われそうなほど、少女の力は強い。

「誰か…手伝って!私の力だけじゃー」

 そう言いかけた時、私たちの横をふらふらと歩いて通り過ぎていく人影が
あった。

「お…おい…どこ行くんだよ…?」

 コジが棒立ちのまま、歩いてゆく健吾に向かって声をかける。
健吾はすでにロビーの外れ近く…例のX印の近くまでやってきていた。少女
を押さえつけていた位置から健吾の表情が見えると、私はその灰色に濁った
両目に驚く。少女と同じ、灰色の目をしていた…。

「止めて…!誰か健吾を止めてちょうだい!」

 私が叫んだとき、ロビーの外れに灰色の亜衣子が現れた。
ただ黙って、静かに音もなく立ちつくしている。まるで、仲間を迎えに来た
みたいに…。

 ぼうずの男がX印の外へと歩き出そうとしている健吾に走りながら追いか
ける。そしてタックルを仕掛けようとした時、健吾がくるりと振り向き添え
木代わりの新聞紙を巻いた手で、やってきたぼうずの顔を手で薙ぎ払った。

「ぐわっ!?」

「………!」

 私は横を静かに通り過ぎていく健吾の顔を見た。
それはなんとも幸せそうな…安らぎのような表情をしていた。好きな人に会
いに行く時のような、そんな幸せそうな表情である…。

 通り過ぎてゆく健吾だったが、私はその場から動くことは出来なかった。
私が離せば、この子もきっと憑かれた様にX印を越えてしまうだろう。


 …健吾はX印を越えた。

 亜衣子であったものは一瞬にして姿を変え、まるでチューリップの花のよ
うな形に変化して、傍へとやってきた健吾を頭からすっぽりと丸呑みにする
と、ムチの様な素早さで身体を伸ばし空中で振り回した。健吾の両足だけが
ばたばたともがくように暴れていたが、それもあっという間に飲み込まれて
、ビデオの逆再生のように灰色の物体はロビーの奥へと流れるように消えて
いった。ほんの僅かな時間、後には何も残さずに…。


「な…何で!?どうなってんの?そんな…」

 突然の事にミッキーはその場に立ち尽くしている。
助かるかも知れないという希望が出てきた矢先、とうとう仲間が目の前で犠牲
になってしまった。コジも同様に、信じられないというような表情で、壁際に
ぼんやりと佇んでいる。

 ロビーにいる全員が、声もなく灰色の物体が消え去った通路の奥を眺めてい
た時、突然バチーンという激しい音で私は我にかえった。見ると、ぼうずの男
がぼんやりと立ちつくしている吉井さんの頬を平手で叩いたのである。

「……!」
「…大丈夫かな?あんたも連中と同じ目をしていたぞ?」
「え…?ああ、大丈夫、私どうしたのかしら?」

 吉井さんは目をぱちくりさせながら、自分の頬をなでて言った。

「何なんだ?今、何が起きたのだ…?」

 防護服の隊長も椅子から身体を起こすと、静まりかえったロビーを見渡し
た。


 皆が何が起きたのかと様子を窺っている時、私はまだ少女を無理やり抱き
しめて離さないでいた。少女は今だに放心状態のように、虚ろな灰色の目で
中空を眺めている。良く判らないが健吾に起こったように、この少女も私が
手を離せば、同じように灰色の物体の餌食になってしまうのだ…。
それだけはさせまいと、私は少女に声をかけたり、ゆすったりもしたが少女
の表情は変わらなかった。

 ただ口元が動き、声は出てこないが何かを言おうとしている。
私は少女が何を言おうとしているのか…口元の動きを見つめた。繰り返し、
少女は同じ言葉をつぶやいているようだった。

         ………?

         ……ま、ま…?


         ……ママ!そうか、ママだわ!

「…ほら、起きなさい!起きないとママ怒るわよ!?」

 私はとうとう恐怖と腹立たしさから、少女を怒鳴りちらす。
すると、掴んだ少女の小さな肩がびくんと震え、目の灰色は同じだったが、
急に我にかえったような表情に変わった。 

「…ママ……ママなの?」
「そう、そうママよ!大丈夫?今、何が起きたか分かる?」
「うん、あのお兄ちゃんが…」
「大丈夫、あなたを同じようにはさせないわ!」

 私は少女を抱いたまま、X印から遠ざかるように皆のいるソファー周辺へ
と、引きずりながら戻った。

 

 

 

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「およそ考えられん事だが、あの若者を操っていたのは例の物体だろう。
念動力とかサイコキネシスとかいうものかも知れません。」

 防護服の科学者は、信じられないとばかりに静かに語った。

「…離れた場所にいる獲物へ、意思の力だけで操り自分の所へ引き寄せる。
こんなことは、よほど高度な知性がなければ出来るものじゃありません!」

「何億年もの間、星から星へと移動して生き延びてきた生物なんだ。様々な
生き物の能力を学習してきたのかも知れないな。生き物を操る事など朝飯前
なんだろうさ…。」

 ぼうずの男は手にした小さな食塩の小瓶を見つめながら、科学者にという
よりは一人ごとのように言った。まるで無敵のように見える灰色の物体に唯
一効果のありそうな武器が、こんな小さな小瓶一つなのである。

「ね…ねえ、私たちどうなんの?ここで餓死して干からびるの…?」

 ミッキーがこれまでにないくらい不安そうな表情で言った。
たとえこのX印の中へと化物が入ってこなかったとしても、私たちはここを
動けない。温度は低いうえに食べるものも無い…いつかは力尽きる運命なの
である。

「いや、そんなに時間の猶予は無い。二十四時間こちらから連絡が無ければ、
異常事態宣言が出される…我々は非常事態専門の部隊だからだ。飢えで死ぬ
より先にここへ攻撃が加えられるかも知れない。それも数時間の内に…事実
そうした事柄は過去何度も起きている…。」

 防護服の隊長はそう言うと、自分の腕時計をちらりと見た。
現在は午前十時を少し過ぎた所で、昼に近いとはいえ薄暗い空模様である。

「…まずいな、そろそろ二十四時間が過ぎようとしてる。」

「て、ことは、我々に残されたのはあと数時間ってところかな?」
「…おい、あんたのその食塩を使ってこのロッジから出よう!外に出るくら
いなら、そのくらいの量でも足りるだろ?外に出てバラバラにでも逃げれば
誰かしら逃げられるはず…」

 コジが塩の瓶を手にしたぼうずの男に言った。
その提案に、震えていたミッキーも賛同しながらやってくる。

「それがいいわ!とにかくこの建物から脱出さえすれば…だってあの生き物
寒いのが苦手なんでしょ?どこに隠れてるか分からない化物の心臓を捜すよ
りは助かる確率があるんじゃない?」

「…それは危険だ。たとえこの塩を使って無事にロッジを出れたとしても、
外へ出た瞬間、あの物体は我々に襲いかかってくるよ。連中はバラバラでも
動けるんだ、皆で別々の方向に逃げたところで、全員捕まってひと飲みだ。」

「そんなの…やってみなけりゃ分からねえじゃねえか?どのみちここにいた
って、いずれは健吾みたいに…僕はごめんだ!イチかバチかここを出る…。」

 語気を荒げて喋るコジは、先ほどまでの彼ではなかった。
おそらく目の前で健吾の最後を見たコジは、恐怖に心が支配されてしまって
いるのかもしれない。

「…なんならその瓶を無理やりにでも…」
「分かった。君にも選択する権利はあるはずだ。塩を分けよう。全員の分を
わければ公平だ…どうだろう?」

 ぼうずの男の提案に、コジは無言で小さく頷いた。

「でも、その前に、ほんとに塩が奴らに効くのか試してみたい。みんな少し
離れててくれ。」
 
 そう言うとぼうずの男は、瓶からほんの僅かな量を手の平に取り出す。
そしてまたも新聞紙を丸めると、ロビーのX印の外に放り投げた。
あっという間にあちこちから灰色の物体が姿を現し、転がる新聞紙めがけて
群がるように飛びかかる!

 そこへぼうずの男は、手の平の塩を灰色の物体へと投げつけるようにふり
かけた!
「きゃっ…!」

 その時、私の両手の中にうずくまっていた少女が小さく悲鳴を上げた。

 と、肉が焼ける時のような激しい音と共に、灰色の物体から白い湯気のよ
うな物が立ち昇った。そして塩をかけられた物体はあっという間に床に黒く
焼け焦げたような跡を残して、きれいさっぱり消え失せてしまった。あとの
物体は、磁石に反発して弾かれたような勢いで元の場所へ逃げるように消え
てしまったのである。

「…すげえ!」
「…確かに、効き目はあるようだね。」

 あっという間に焦げ跡と化した塩の効力に、コジは喜んでいた。
そして焦げ跡を近くで調査している防護服の科学者の横で、ぼうずの男は塩
を瓶からコジに分け与えている。

 もちろん私も、その効果の想像以上の効き目に驚きを隠せなかったが、ど
れぐらいの数の化物が潜んでいるか分からないロッジを出ていくというコジ
の提案は危険としか思えなかった。

「…隊長、このサンプルは人類にとって貴重なものになるかもしれません…
なんとしてもこれを持ち帰り調査・研究しなければ…」

 防護服の科学者は、灰色の物体の黒焦げの一部を瓶に詰め、眼鏡の奥の目
を輝かせて言った。科学者としての本能だろうか?

「幸い私は大型ヘリの運転は苦手ではありません。あの若者と共にこの建物
を脱出してヘリまで戻れば、基地へ戻る事も可能でしょう。それから助けを
連れてここへ戻れば…残りの全員を救出できます。ロッジからヘリまでは、
百メートルほどしかありません。」

 防護服の隊長は、しばらく腕を組んで思案していた。

”もちろん、危険であることには変わらないが、助かるためにはやってみる
価値はあるかもしれん…。”

「…よし、いいだろう。その代り基地に着いたら大量の塩を積んで戻るんだ。
生存者の救出が第一だ。防衛省に連絡を入れて、無茶な作戦を取らんように
クギをさすのを忘れるな?」
「分かりました。」

「…よっしゃ!それじゃひとっ走りするか!」

 コジがウェアのジッパーを上げて、両手をパチンと合わせて気合を入れる。
そこへぼうずの男がゆっくりとやって来た。

「…おっさん、色々世話になったな。言いたい事は分かるが…助けを呼んで
戻ってくるさ。外に出ればなんとかなる。奴らいくらなんでも寒さの中じゃ、
ここよりは動きも遅くなるはずだろ?」

 そう言うコジの言葉に、ぼうずの男は眉をしかめつつも小さく頷いた。

「…雪の中を走るときは、スキップするように飛びながら行くと早く動ける
よ。」
「サンキュウ、覚えとくよ。」

 コジは自分からぼうずの男に握手を求め、両の手でしっかりと握った。

 

 私はウェアを着込み支度をするミッキーの傍へとやってくると、声をかけ
た。
「…ねえ、ほんとに行くの?」
「うん、健吾があんな事になって…私ここで待つのはもう耐えられない…。
ごめんね、香菜。こんなとこに連れてきちゃって…ごめんね。」

 涙ながらにうったえるミッキーに、私も無言で唇を噛みしめながら彼女と
抱き合って別れを惜しむ。

「あの子、守ってあげて。じゃあね…。」
 そう言いながらミッキーはソファーに座る少女を指さした。

「あんたは?僕たちと行かないのかい?」
「え…私は……いえ、ここに残るわ。」

 吉井さんはコジの言葉にも、ここに残るという選択をした。
ここを出ていくのは、コジとミッキーと防護服の科学者の三名である。

「…いいか?三人同時に走りだすんだ。ロッジの出口までは五十メートルく
らいで、ロビーを抜ければ後は出口まで一直線の通路があるだけ。奴らが出
てきたら素早く塩をまく…いいな?」
「了解しました。」

 コジの言葉に科学者は頷いて、拳の中に塩を握る。
ミッキーはまだ不安そうに、ソファーに座る私の方を時折振り向いていた。


「よし!いくぞっ…!」

 掛け声とともにコジと科学者は飛びだすように走りだす。

「痛ぁーっ!?」

 二人が走り出したと同時にミッキーは、その場に転がるように転倒した。
だが、勢いよく走りだしたコジと科学者は、後ろを振り向く事も無くロッジ
の出口に向かい駆けだしていった。

 

(続く…)