ザ・怪奇ブログ

怪奇小説・絵画・怪奇の世界!

マテリアル 1話

 

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  沙織が駅に着いたのはすっかり日も落ちた後だった。
念願の大学の寮生活なのだが、四月の前にちょっとした病気にかかってしま
い同じ学年の連中とは一ヵ月も遅くの大学生活であった。小さいころから喘息
の症状があった私は、入学を前にこじらせてしまったのだ。

 もっとも、私が通うのは美術や芸術の大学であり、かなりのんびりとした
環境であるらしい。生徒数もそれほど多くなく、理事長は外国人であり独特の
教育方針であるらしかった。私はその方針が気に入り、ここなら存分に絵の
勉強が出来ると入学したのである。一ヵ月くらいの遅れはそれほど大変な事
ではないだろうと私は思った。


 沙織は改札を抜け、それほど大きくない地方駅の中を見て回った。売店
土産物屋でちょっとした菓子を購入していると、駅の出口付近に二人ほど警察
官の姿を見つけた。その警官は、すれ違う人を注意深く観察している。何か事
件でもあったのだろうか?小さな町は、事件が起こると誰もが知るところとな
るそうだが、都会育ちの私にはよくわからない。東京ではいつだって警官の姿
は珍しい事ではないからだ。事件も無数に起きているので、その全てに誰もが
興味を持つということはないのだ。


 大学へ向かう前に、私は駅の化粧室に入り大きな鏡の前に立った。
鏡に映る自分の姿をみつめて、私はしばらくぼんやりと過ごした。小さい頃
から目が悪い私は、黒いふちの大きな眼鏡をかけている。髪も無造作にカット
され、艶もなくパサパサだが私は気にならなかった。もともと身体の弱い私は
あまり外には出ずに、絵を描いて過ごすのが好きだった。

 今日から新しい生活が始まると思うと、少し緊張気味であったが、好きな絵
の勉強が出来るということもあり沙織は楽しい気分になった。

 手を洗い、化粧室を出た私は駅の出口を抜けて外に向かった。
駅の外は田舎とはいえ、いくらか賑わいがあったが人の数はまばらであった。
二台ほど暇そうに停まっているタクシーに乗り込むと、注意深くこちらを覗き
こむ運転手が言った。

「どちらまで?」
「ブルクハルト芸術大学まで。」

 

 初老の運転手はいぶかしげに私を見ていたが、小さく頷くと車を走らせた。

 

 


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 夜の繁華街はそれなりに明るい雰囲気であったが、しばらくすると辺りはす
っかり暗く寂しい場所に変わっていく。おまけにどんどん町から離れていって
いる。さすがに私は不安な気分を募らせていく…。

 

「…あの、まだ遠いんですか?」

 ミラーに映る運転手の深いしわを眺めながら聞いた。

「そうでもないですが…あんたあそこの生徒かい?」
「ええ、今日から寮生活なんです。どんな感じの大学なのかご存知ですか?
家を離れて住むのは初めてなので…。」

 しばらく考え込んでいた運転手は、ぼそりぼそりと話しだした。

「…ありゃあ、変わった学校でして…、スイス人の理事長がまた変わった女で
、昔はかなり美人でしたな。そういえば最近姿を見かけないなぁ。」
「どんな所が変わってるんですか?」

 

          

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 私は運転手の言葉に、妙な不安があるのを感じて聞いてみた。運転手は一度
私のほうを振り向いてからまた話を始めた。

「…いやね、あのスイス人がこの町に大学を作る時に地元の連中とひと悶着
ありましてな。それ以来、町の連中と関わるのを避けるようになりまして…
しかもどこからか資金が出てきて、あんなりっぱな建物をあっと言う間に完成
させたのには驚きましたな。それよりお嬢さん…」

 運転手はミラー越しに私をじっと見つめながら、詰まった話の続きを始めた。
私にはこの運転手が、どこか楽しげに話しているのが感じられたが、黙って
話の先を聞いていた。

「先日の事なんですが、あそこの生徒が一人行方不明になってまして…駅で
警官を見たでしょう?捜索は続いているらしいが、どうですかね…?実はあの
大学の生徒が行方不明になるのは、一度や二度ではないんですよ。」

 ここ数日は病院から退院したばかりで、何の情報もないままやってきた私に
はひどく不安を掻き立てる話であった。実際に私は駅で見回る警官の姿を見て
いるのだから…。

「噂じゃあ……やめときますか。これから入学のお嬢さんが心配になってしま
いますな。もちろん、田舎者のゴシップ話でしてな。実際あそこは良い学校だ
と聞いてますよ。建物は美しいし、何人も有名な人物を輩出しているという話
ですし。」

 そう言って運転手は笑った。私も釣られて笑ってみせた顔は、少しひきつっ
ていたが暗さのせいで運転手には見えなかった。

 

 

 街灯も少ない林の中に、その建物が見えてきた。大きな黒い屋根が林の上に
シルエットを作り、こちらを威圧しているかのようだ。近ずくと建物は洋風の
建築模式であったが、門の横には日本語で「ブルクハルト芸術大学」と書かれ
ていた。


 タクシーは門を越え、玄関の前まできて車を止めた。私は礼を言うと料金を
支払い車を降りた。エンジンの音が遠ざかると、辺りは風でざわめく木々の音
だけが聞こえてくる。人の姿はまったく見えない。


 その建物を下からのぞくと、改めてこの校舎の巨大さがうかがえた。しかも
装飾が施された細部は、古めかしいがとても美しいものだった。玄関の上には
白い女性の彫像が飾られていてシンボルのようにこちらを見下ろしている。
その彫像は赤子を抱いており、なんとも美しい像であった。
私はそれらを眺めながら、玄関の中に入り明かりのある方へと向かった。

 

 

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「すいません。誰かいませんか?」

 中を入るとすぐのところに、明かりのついた部屋があった。おそらく守衛か
管理者の部屋であろう。私はもう一度、窓口の所で声をかけると、奥からゆっ
くりと守衛らしき男が出てきた。窓口の上には「門限二十時」の大きな文字が
見える。

 私はカバンの中から生徒証明を出すと、その男に見せた。男はじろじろと私
の顔を眺めてから生徒証明を返して言った。

「今日は理事長は留守ですが、講師の誰か残ってるはずです。そちらに話を
通してください。部屋はそこを真っすぐ行った左の奥です…。」


 虚ろな目をした男に礼を言うと、私は暗い建物の中に歩いて行く。というの
も、建物の通路の所々にある明かりは小さなランプだけだったのだ。極力電力
を使わないのであろう。暗く長い通路を歩いていく間に、誰ともすれ違わない
のは、門限の二十時を過ぎているからであろうか?

 しばらくして、私は自分がどこにいるのかまったく判らない事に気ずいた。
暗がりの中であちこちいたるところに通り道や階段があり、初めての私には
迷うのも無理はなかった。

 私は少々パ二ック気味に、小走りで通路を駆け抜けていた。目には涙をため
ていて、暗い通路は私から視界を完全に奪っていた。
そのとき私は肩に何かがぶつかり、廊下に手をついて転んだ。


「ちょ…と、大丈夫!?」

 倒れた私に手を差し出してくれたのは、ぶつかった相手だった。
暗がりの中だったが、私より背の低い同年代の女性だ。おそらくここの生徒で
あろう。彼女は私を起こすと荷物を拾ってくれた。

「あなた一体……」

 彼女が私を見てそう言った時、通路の闇の奥から耳をつんざくような長く
甲高い女の悲鳴があがった。

 

(続く…)