ザ・怪奇ブログ

怪奇小説・絵画・怪奇の世界!

マテリアル 2話

 

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  響き渡る女性の悲鳴と、何かがぶつかる音に私は暗闇の中で震えあがった。
そばには先ほど私にぶつかり、荷物を拾ってくれた女性徒が同じく悲鳴の
する方向を驚きのまなざしで眺めている。

「…行ってみましょう!あなた立てる?」

 背の低い女性徒は、私の腕を掴むと立ちあがらせ、暗闇の通路を音のした
方に向かって歩いて行く…。徐々に暗闇に目が慣れてくると、先はT字路に
なっていて中央は大きな階段になっていた。

 その階段の下、薄暗い廊下の端にうずくまる黒い影があった。
それはゆっくりと動いたかと思うと、すぐにぱたんと動かなくなった。背の
低い女性徒がその黒い影の傍らに近ずいてしゃがみながら言った。

「…奈々子さんだわ!」

 私も階段のそばにそろりと近ずいていくと、そこには女性徒が一人倒れて
いた。おでこの辺りに、うっすらと黒い色をしたものが滲んでいるのは、お
そらく血であろう。その場に倒れている女性徒は小さく呻いていたが、その
声は力無く、危険な状態である事を教えている…。

 私は恐ろしさのあまり視線を大きな階段の上の方に向けた。

 暗い階段の中段の辺り、そこにぼんやりと人影のようなものが見えた。
明らかに周りの闇よりも暗い色をした服装の何者かが、こちらを唖然としな
がらも凝視しているようだった。一瞬、チラリと何かが光った気がしたが、
それは私に姿を見られたと知ると、素早く階段を上に向かいその姿を消す。
ほんの一瞬の事だったが、たしかに階段の上に人がいたのだ。

「どうしたの?」

 背の低い女性徒が私の目の前に回り込んで言った。私は階段の上を眺め
ていたのだが、急に目の前に彼女の顔が飛び込んできたので驚きながら話
した。

「か、階段の上に人が…人がいたのよ!」

 にわかにざわめく人の声や、あちこちに明かりが灯り始めるとあちらこち
らから人が駆けつけ始めた。

 各々寝巻のようなかっこうをした女性徒や、男の子たちが大きな悲鳴と音
を聞きつけてやってきたのだ。

 誰かが階段の下に倒れている女性徒を見つけると悲鳴を上げた。

 

 薄暗い廊下は大騒ぎとなった。

 

 ほどなくして、私と背の低い女性徒の二人はある部屋でやってきた警察の
聴取を受けた。

 ここへやってきた初日に、こんな事件に遭遇するとは夢にも思わなかった
私だが、人が一人怪我をしているのだ、私は黙って部屋の椅子に腰をかけて
待っていた。隣には、背の低い女性徒も一緒であった。

 彼女は少しウエーブのかかった茶色い髪の毛を肩まで垂らしていた。
まつ毛の長い、くるっとした大きな瞳の可愛らしい女性で、名まえを真理と
言う。なりは小さいが、どうやらこの大学の寮長をやっているらしかった。
彼女は私を見ると二コリと笑い、そして部屋の隅にいる警部補に目をやる。

 同じ部屋にいる警部補はだるまのような大きな腹をしていた。そして部屋
の中をうろうろしては、時々腕時計をちらちらと眺めた。美術室と思われる
部屋のあちこちの物を、まるで興味のなさそうな顔で見つめてはいじった。


 すると、部屋のドアが開き一人の若い警官が入ってくる。彼は警部補に何
やら耳打ちすると、今来たばかりのドアから外に出て行った。

「あー…ここだけの話ですが、階段で倒れていた女性徒ね?とりあえず命には
別状はないそうだ。もっとも、意識はまだ戻らんがね。」

 ふとっちょの警部補が私たちの座る場所にやってくると、帽子を取りながら
言った。

「そうですか…良かった。」

 小さくため息をつきながら真理は言った。

「もう一度聞いておきますと…君が見たという階段の上の人影ね?どんな姿だ
ったか覚えてはいないかね?それがほんとだとすると、おそらく女性徒を突き
落とした犯人だという可能性が高いのであるが…」

 私は何度か同じ質問をされたが、ぼんやりとした黒い影のようなものしか見
えなかったのだ。

「…さっきも言ったとおり、黒い影だけがぼんやりとしか…」
「そうですか…あれだけ暗い中では無理もないですな。あ、ところで…」

 警部補は急に思い出したように今度は隣に座る真理の方へと質問を変えた。

「あなたはあの時間、どちらに行かれてたんですか?たしか…ここは二十時が
門限でしたな?」
「間宮先生に教材を運ぶように言われてたんです。この部屋に。」

 そう言って真理が教材の資料の山を指さした時、部屋のドアが開いてまた誰
かが入ってきた。

 

「ちょっと…真理さん!奈々子さんが階段から落ちたんですって!?」
「あ、間宮先生!本当です、頭を打ったらしくて…。」

 

 

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 入ってきたのは、歳の頃は三十手前の若い先生だった。大きな丸眼鏡をか
けた白衣のようなものをまとっている。白衣はあちこち色とりどりの塗料や
粘土のようなものがついていて、私が見るに明らかに美術講師であった。
まるで化粧っ気のない先生だが、身長はかなり高くスタイルは良い。

「理事長のいない間に事故が起きるなんて…」
「その理事長ですが、いつお戻りになられます?」

 警部補が真理が持ってきた教材を眺めながら聞いた。

「たぶん、来週にはお戻りになられると思いますが…気まぐれな方ですので
…戻りましたら連絡させていただきます。あの…もうよろしいでしょうか?」

 間宮先生は、私たちに気を使うように警部補を早々と退散させようとして
言った。

「ふむ…もう遅いですな。では今日は帰りますが…なにぶんにも他言は無用
ですぞ?階段から突き落とされたなどと噂になればパ二ックになりかねませ
んからな。それでなくても、行方不明者も出ているのですから…」

 それだけ言うと、ふとっちょの警部補は部屋を出て行った。

 

「やれやれ…ほんとあのふとっちょ、しつこいわね!この学内で犯人探しみ
たいな事ばかり…失礼しちゃうわね。あ、あなた今日ここに来るっていう娘
ね?」

 間宮先生は机に腰をのっけると、腕を組んで私をじっと見つめて言った。

「はい、沙織といいます。いきなりこんな事になるなんて…」
「大変だったね。この頃ここら辺りぶっそうでさ。人さらいがいるとか…なん
とかって、もっぱらの噂なのよ!」

 なんとも先生らしくない話し方だが、私はなんだか気に入ってしまった。

「ちょっと先生…今日来たばかりの人にそんな不安になるような事を…」

 間宮先生は奥でコーヒーを沸かし始め、三人分のカップを持って戻ってくる。
すると白衣のポケットから小さなボトルを取り出すと、コーヒーに数滴たらし
て言った。

「…これ飲んだらぐっすり眠れるよ。ブランデーなんだけど…ナイショよ?
それで、あなた何の専門なの?」
「絵です。おもに絵画のほうなんですけど…。」
「ああ、それならあの無愛想な女の授業受けることになるわね。ま、明日に
でも会えるでしょう。」

 

 ブランデー入りのコーヒーを飲んで、しばらくすると緊張していた気分も
ほぐれてきて、すっかり眠くなってしまった。

「今日はもう遅いから、あなたの部屋に案内するわ。見て回るのは明日にする
といいよ…」

 その声を聞きながら、私はフワフワと心地良い深い眠りに落ちていった。
それが入学一日目の、私の出来事だった。


(続く・・・)