ザ・怪奇ブログ

怪奇小説・絵画・怪奇の世界!

マテリアル2 1話

 

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 激しい雨が窓ガラスに打ちつけられ、強い風が外の木々を揺らしざわざわ
と音を立てる。突然夕方から発生した嵐のような天候は、今晩から明日にか
けて激しい雨を降らせるようだった。

 嵐の中、郊外にある森の真ん中に、ひっそりと佇むように何かの施設があ
った。かつては巨大なお城の如く存在した、ブルクハルト芸術大学の跡地で
ある。数年前の大火災で焼失したが、現在名前を変えて建造された新しい建
物がそこにあった。そのシルエットは白い教会のようでもあり、暗い森の中
にあっては不釣り合いなほど美しいものだった。

 

 そんな激しい雨音にかき消されるように、まだ新しい建物の廊下を歩く靴
音がコツコツと響く。暗い誰もいない廊下を足早に移動し、そしていくつか
の角を曲がるその大きな身体のシルエットには、鋭いナイフのような物が握
られていた。

 作りたての白亜の宮殿を進む巨体の人物は、雷鳴と閃光が鳴るたびにその
瞳だけが暗闇の中で照らし出される…。
 
 その瞳は暗闇の中、燃えるようなへーゼルグリーンに輝いていた。

 

 

 

 

 


【無料フリーBGM】優しいオルゴール曲「Music-box_Gentle」

 

 

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           1  戻る悪夢


 白い宝石箱を開け、中から一枚の写真を取り出すと、机の上に置いて柏木
真理は頬杖をつきながら小さなため息をついた。

 机の上は女っ気を感じさせるような物は何も無く、彫刻の削りかすやら粉
が辺り一面に落ちている。新しく生まれ変わった芸術大学の美術講師になり
一年が経つが、その間も真理の生活は寝る暇も無く、美術に打ち込む毎日だ
った。

 数年前のあの出来事以来、真理は奇跡的に回復し今日までどこにも異常は
無く生活していられる。その事には感謝しつつも、色々と悲しい出来事が重
なり、それらを忘れるためにも美術彫刻にぼっとうする日々だったのである。

 事件のあと、仮設に作られたプレハブの小さな大学での一年間は真理には
かけがえのない記憶となったが、尊敬する間宮先生と同じ彫刻の美術講師を
目指すために努力を重ね、新しくこの場所に建てられた聖パウロ芸術大学
彫刻美術講師になったのである。


 電気スタンドの薄明かりの中で、真理は一枚の写真を手に取った。
写真に写っているのは真理本人と、親友の沙織、そして大好きだった間宮先
生の三人である。場所はあの事件が起きる前の食堂だ。楽しげな真理と沙織
の後ろに、そっけないすまし顔で写る間宮先生。彼女が写ったものはこれ一
枚だけで、それ以外に先生の存在を確認するものは何一つ残されていなかっ
た。

 親友の沙織は、私の一年後にプレハブの大学を卒業して、さらに自身の才
能を開花させるべく一人海外へと旅立った。彼女は今でも真理に手紙を送っ
てくれる、良い親友である。

 親友が海外で様々な物を勉強し、吸収しているのを絵ハガキで見るたび、
真理はこの日本で講師となったことに後悔がないか?と、いえば嘘になる。
講師になれば、その才能を広い世界で開花させる芽を自ら摘むことにもなっ
てしまうからだ。
 
 だが、真理にはこの地を離れる事が出来なかった。
小さな頃より孤児だった真理が唯一人、尊敬し愛した間宮先生の記憶はこの
場所にしかなかったからだ。自分に命を与えてくれた先生と、同じ道に進む
事で彼女と一つになれる、そんな気がしたのである。


 真理はもう一度写真を手に取り、ため息を一つだけつくと宝石箱の中に写
真を戻して蓋を閉めた…見回り当番の時間である。

 


 あの火災の数年後に建造された聖パウロ芸術大学は、焼け残った旧校舎を
取り壊し、その跡地に建てられた。事件のあと半数以上の生徒が大学を辞め
ていったが、新たに校舎を建てるのに資金を出す者はたくさんいた。数々の
芸術家を輩出してきた大学だ、中には成功して財をなす者もいたようである。
旧大学に比べればその大きさは縮小され、階も全て二階建てまでとなってい
て、スッキリとした作りになっている。

 そして過去の忌まわしい出来事をふっしょくするため、聖書に出てくる使徒
の名を取り大学名としたのだった。理事長には元の大学で絵画の講師だった
須永先生が収まった。就任当初は不慣れな彼女であったが、「エレガントに」
をモットーに、約四年で百人近い生徒を集める芸術大学にしたのである。
実のところ、理事長本人の美貌によるところが生徒獲得の大きな要因であった
のは確かで…そこに真理が彫刻美術講師としてやって来たのは去年の事であっ
た。

 

 

 

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 校舎の電気は、二十一時を過ぎるとほとんどが消える事になっていて、寮住
まいの生徒たちにとっては自分の部屋へと戻る時間だった。現在は半数以上の
生徒が寮住まいを行っているが、元々郊外でしかも森の奥という辺境の地に建
てられている大学だけに、家から通う生徒は少ないのである。

 真理は彫刻の教材とライト一本を手に、二階部分にある寮周辺を見回りして
いた。案の定、門限時間を過ぎたというのに廊下の先から女性徒の笑い声が聞
こえてきた。

「ほら、早く部屋に戻りなさい。門限は過ぎてるわ。」
「…トイレ、いえ「おトイレ」に行こうと…」

 笑いながら小走りにトイレへ向かう二人の女性徒の一人、清水雪恵は真理の教
え子の一人だ。今年入学したばかりだが、彫刻の腕前は中々のもので、小柄な
身体ながら陽気な性格の娘である。もう一人は川村美里、同じく彫刻の教え子で
ある。

 私はきゃっきゃとはしゃいでトイレに向かう二人をもう一度振り向き声をかけ
た。

「二人とも…エレガントに、ね。」
「はぁい!あ、そうだ真理先生、実は聞きたい事があるんだけど…先生って…」

 なに?という表情を作って真理は二人の質問に無言で答える。極力無駄話は
しない主義の彼女は、顔の表情で生徒に伝える事がよくある。これは間宮先生
が得意としていたしぐさであった。

「先生って…彼氏とか作らないんですか?凄く可愛いのに…だから噂では先生
がレズなんじゃないか…って。」
「…バカな事言ってないで早くトイレ行きなさい。ほら、早く!」
 
 真理は二人の女性徒のお尻をぽんぽんと叩いて、追い払うように言った。
二人の女性徒は笑い声を押さえると、トイレの方へと小走りに駆けていく。
廊下の角を曲がり、真理が見えない位置までくると二人の女性徒はまた笑い声
を元の大きさに戻して走り去った。真理は立ち止り彼女らの方を振り向いたが
、あのくらいの年頃の女子の気分は知っているつもりだ。片方の眉を吊り上げ
ると、真理は一階へと階段を降りていった。

 

 今思えば、この時二人の女性徒と別れなければ、惨劇は防げたかも知れなか
ったのだが…。

 


 階段を降りたところは、天井までの吹き抜けのホールになっており、様々な
場所に向かうための中間点になっている。一つは各教室のある校舎へ。一つは
大きな食堂と、どこへ行くにも一度はここを通らなければいけないスペースで
あった。主にこの広い空間は、休憩や憩いの場になっていて休み時間や食事の
後の生徒や講師の休息場所である。

 このホールには芸術大学ならではの作品が飾られていて、中でも目を引くの
が、私がプレハブ大学時代卒業記念に作った彫刻であった。おそらく生徒のほ
ぼ全員が知らないと思うが、この白い彫像の顔やシルエットは、間宮先生を模
したもので、生徒時代の真理の最高決作である。

 真理は薄暗いホールに立ち、その彫像をしばらく眺めていた。
自身が尊敬した間宮先生と同じく、真理の白衣は彫刻作業で汚れている。
三十近い歳に近ずいてきた真理は、当時の間宮先生にも肩を並べるような講師
に成長していたが、彼女にはひとことお礼が言いたかった…。

 真理は一つため息を吐くと、ホールの上、二階のガラス張りテラスの方向を
見上げた。

「…ああ、なんてこと…!」

 見上げるテラスのガラスに先ほど別れた女性徒の一人、美里が血のついた手
で窓ガラスを叩いてこちらに何かを叫んでいた。大きなガラス張りの窓は分厚
い作りになっていて、一階のこちらには彼女が何を叫んでいるのかは当然聞こ
えなかった。彼女の服のあちこちからは、血が流れている。

 真理は急いで二階への階段を駆け上がり、ガラス張りのテラスへと走った。

 

 二階の寮部分へ着くと美里の悲鳴が遠くのテラスから響いてきた。
その悲鳴を聞いて寮の部屋から何人も生徒が廊下へと出てくる。

「…部屋から出ないで!いいわね!?」

 廊下の生徒を一喝すると、生徒たちは部屋の入口まで戻ったが、何が起きて
るのかと首だけは外に出して悲鳴の聞こえる方向へと向けていた。


 真理は廊下の角を曲がり、悲鳴の聞こえるテラスへと急いだ。
力無くガラス窓を叩く美里の姿が見えてくると、テラスの暗がりに大きな黒い
人影があるのが見えた。真理は心臓がバクバクと音を立てていたが、生徒の命
がかかっているこの状況ではそんな事を言ってはいられない。近くの清掃道具
用ロッカーからモップの棒を取り出すと、暗がりに潜む大きな人影に向かって
真理は大きな声を出して恫喝する。


「…あなた!一体何をしてるのっ!?」

 暗闇に潜む人影は、真理の声で慌てて振り返った。
その手にはナイフのような物が握られている…!美里を傷つけたのは間違いな
くこの大きな身体の人物である。

 その足元にはもう一人の女性徒が倒れうめき声をたてている。モップを振り
回して近ずく真理に驚いたのか、大きな人影は慌てて逃げ出した。

 だが、黒い大きな人影が走り出した方向は、大きな窓ガラスであった。
その大きな身体は、窓ガラスをぶち破り、一階のホールへと真っ逆さまに頭か
ら落ちていった…。

 

 急いで窓ガラスに近ずき下を見ると、大きな身体の人影は一階のコンクリに
頭を打ちつけ、血だまりとともにぐったりと動かなくなった…。
真理は傍に倒れている二人の女性徒に近ずいて声をかけると、たしかに切り傷
によって血が出ているが、いずれも重症ではなさそうだった。とはいえ、急いで
救急車を呼ばなくてはならない。

 

 何事かとホールに集まってきた生徒や先生たちを二階のテラスから静かに眺
めながら、真理は思った。数年ぶりに、あの悪夢が戻ってきたのだ、と…。

 

(続く…)