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マテリアル2 3話

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            3  回帰


 真理にとってのこの数年は、けして幸せとはいえない苦悩の日々だった。
奇跡的に回復したとはいえ、その数日間は肉体的な苦痛にさいなまれ、一時
は生死の境をさまよったのだ。

 回復して以降、仮設に作られたプレハブの大学で一年、友に囲まれて過ご
した日々は小さな頃から孤児だった真理の人生では最も安定したものであっ
た。親友の沙織や奈々子にはとても感謝しているし、今でも付き合いのある
親友である。


 真理はあの当時、間宮先生が事件に関わっているのを漠然と感じていた。
もちろん、何といえるものではなくて、先生を良く知る真理だけが分かる事
だったのかも知れない。奇妙な事件が次々と起きたあと、真理は悩んだ…。
あの頃は自分でもどうかしていたんだと思うが、薫先生を守りたいという思
いでいっぱいだった。からっぽの人生の中で、何かに夢中になる楽しさを教
えてくれたのは、あの人だけだったからだ。

 その後に真理に起きた事は、その結果でしかない…。

 でも、自分が守るという想いが結果的にはあの人を追い込む事になった。
後から聞いた話では、守られていたのは実は真理の方であったのだ。薫先生
は自分をここから自由に羽ばたかせたかったのだという事を沙織から聞いて
、真理は感謝の想いと共に、さらに苦悩にさいなまれたのである。


 ”…先生は分かってない。一緒にいられるなら…自由も翼もいらなかった
のに…例えそれが、どんな場所でも…私だけ生きたって何にもならないじゃ
ない…。”


 そんな思いで日々を過ごしていた真理が見つけた答えは、先生と同じ道で
ある美術講師となる事だった。せっかく先生にもらった命なのだから、何か
目標があれば生きていける。真理は大学を卒業し講師になる実力をつける
ために一人美術に打ち込んだ。二年近くの間、ほとんど真理一人での活動は
、辛く寂しい日々であった。卒業した真理にはプレハブ大学の友達に会う機会
はそんなに無かったし、元々身寄りの無い真理にとって話をする相手は当時
よく通っていたうどん屋のおばさんだけだった。

 ある時、須永理事長がこの芸術大学に講師として呼んでくれた…いわゆる
コネであるが、色々な人たちに良くしてもらい今日にいたる…。

 だが、数年前の事件を知る人はそう多くないが、真理の生活にあの事件は
今も暗い影を落としていた。心にぽっかりと大きな穴が開いたまま、真理に
は埋められずにいたのである。

 


 街の警察署から真理が戻った頃にはすでに朝の七時を回っていた。
大学があるこの土地は、けして大都市ではないが、小さな都市でもない。
おまけにこの大学は街の外れにあった。

 昨夜の騒ぎが嘘のように、聖パウロ芸術大学は静寂に包まれていて、あれ
だけいた記者や報道陣もすでに姿を消していた。というのも、女性徒の怪我
はたいしたことはなく、意識不明とはいえ犯行を行った暴漢もすでに捕まっ
ている事から、事件性に乏しいと判断したのだろう。

 だが、実際はその通りではないようだった。
数年間行方不明だった給仕婦が戻り凶行に及んだのは、何らかの予兆である
との警察の見解であった。十分警戒しなければならないと注意され、警備の
者を置いてくれるという事であった。

「真理さん、どうでした?」

 大学に戻ると須永理事長が真理を出迎えるようにやってきた。
彼女は報道陣の相手をしていて、ほんの今しがた帰っていったところであっ
た。

「…分かりません。でも、川村さんの怪我は軽いそうです。二、三日入院す
れば帰れるそうですが…心配なのは怪我よりも精神的な問題で…。」
「そうですね…。ところで、あれはやはり…給仕婦の青山さんでしたか?」

 理事長の言葉に真理は無言でうなずく。
数年前の事件の最中に行方不明となった、前大学の青山給仕婦。ずいぶんと
大きな身体をしていた記憶がある。そういえばあの人は、特製ジュースを作
るのが得意だったっけ…。

「とりあえず、今日明日は土日だから…その間に問題が解決すると良いです
ね…。」
「…だと良いんですけど。理事長、お腹ぺこぺこなんで朝飯にしてもいいで
すか?」

 須永理事長は心細そうに腕を組み、小さく頷いた。
この芸術大学は基本的には須永理事長を中心に、女性が重要なポストにいる。
こんな出来事が起こると、少々心細いのは否めなかった。

 真理はコンビニで買ってきた弁当の袋を手に、疲れた足取りで朝の食堂へ
と向かった。

 

 

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 食堂は百人ほどが食事を出来る広さがあり、食事はセルフで好きなものを
手に出来るスタイルを取っていた。小さな芸術大学とはいえ、食事には気を
使った物を出している。野菜中心の健康的な献立は、須永理事長の意思でも
ある。

 今この食堂には土曜日という事もあり、僅か数人が食事を取っていた。
まあ、朝の食事には少し時間が過ぎていたので、皆すでに食事を終えてしま
ったのかも知れないが。ちらほらとそれぞれ離れたテーブルで食事をしなが
ら、昨夜の出来事をひそひそと話している。

 真理はカウンターで今日の献立を眺め、果物入りヨーグルトの皿だけを取
ると一番奥のテーブルに座った。相変わらず汚れた白衣を着たままで、真理
は疲れた目でコンビニの弁当を開け無言で食べ始める。ここが一番、真理が
落ち着く場所であった。

 すると遅れて食事をしに、一人の女性徒がトレイに食事をのせてこちらに
向かってやって来る。清水雪恵である。彫刻の授業を受けている、真理の教
え子だ。昨夜、美里とともに襲われた二人の女性徒の一人である。


「…あー、真理先生。駄目じゃないですかー、こんなコンビニの海苔弁なん
か食べてちゃあ。身体に悪いですよ?」

 顔がまん丸の可愛らしい娘は、真理が食事を取っているテーブルに自分の
トレイを置くと、椅子に座って一緒に食事を始めた。彼女は緑物野菜中心の
ヘルシーな物ばかりとリンゴジュースを選んでいた。

 真理はちょうど、チクワの天ぷらをかじる所だった。

「…いいじゃない別に、油がギトギトのが好きなのよ。」

「駄目ですってば、コレステロールの取りすぎはプロポーションにも良くな
いんですよ?真理先生。」
「…別に気にしてないから…あ、それよりあなた…動いてて大丈夫なの?」

 真理は急に昨夜の出来事を思い出し、雪恵の顔を覗きこむ。昨夜あの給仕
婦に突き飛ばされて気を失い倒れてしまったのだ。

「はい、大丈夫です。世の中おかしな連中や事件がいっぱいですから。こん
なことで驚いていられません。」

 彼女はにっこりと笑いながら、ホークでレタスをほうばる。

「…強いのね。でも、今日くらいは部屋でおとなしく休んでいなさい。」
「はーい。真理先生がそう言うなら。あ…先生、美里…大丈夫なんですか?」
「ええ、怪我はたいしたことないわ。二・三日で退院だそうよ。」
「そうか…良かった。」

 雪恵はほっとした顔で目をつむると、食べ終えた食事のトレイを手に椅子
から立ち上がった。

「あっ、先生。昨日家に帰った時にクッキーを焼いたんだけど…後で食べて
下さいね!」

 そう言って雪恵は小さな可愛らしいリボンに包まれた箱を真理に手渡すと、
照れながらトレイを手に走り去っていった。
「…………。」

 真理はその後ろ姿をぼんやりと眺めながら、彼女に数年前の自分を重ねて
いた。この学内の講師の中でも、真理は若くて綺麗な方だ。ここに来て一年
になるが、こんなプレゼントを貰う事も珍しくはない。


 昨夜は一睡もしていない真理は眠い目でプレゼントの箱を開けると、中に
はいびつな形のクッキーが数枚入っていた。まるで馬のひずめのような形だ。
「かってぇ…。」

 真理はその塊をかじりながら食堂の入口をちらりと見た。
その時、食堂の外にある中央広間を須永理事長と一緒に歩いてゆく人物を見
て、真理は口からクッキーを落とした。

 理事長の後ろを、きょろきょろとあちこち見回しながらついてゆく人物は
背が高く、そして髪はブロンドだった。一見、外国人かと見間違うその立ち
姿ではあるが、見覚えがある。いや、見間違うはずがない。

 

 

 それはブルクハルト大学の建物と一緒に焼けたはずの、間宮薫先生そのも
のだった。

 

 

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(続く…)