ザ・怪奇ブログ

怪奇小説・絵画・怪奇の世界!

マテリアル2 4話

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            4  パヴァーヌ

 

 しばらくの間、真理は食堂のテーブルの椅子から動く事が出来ずにいた。
まるで金縛りか何かにでも遭ったような…不思議な感覚に陥ってしまったの
である。

 おかげで声をかけられているのも分からずに、真理はぼんやりと中空を眺
めていた…。

「………生、真理先生!」
「えっ……何?」

 目の前には先ほど食堂を出ていった雪恵が、真理の顔を覗きこんでいた。

「どうしちゃったんですか?先生、声かけても全然反応しないから…」
「…ああ、ごめんなさい。ちょっと考え事してたもんだから…どうしたの?」

 真理は先ほど二人が歩いていた外の広間を見回す。今はもう誰もいない。

 

「あのね、理事長さんが真理先生を呼んで来て下さいって、お客さんみたい
ですよ?すっごく綺麗な人でした!外人さんかな?」
「分かったわ、あ、ありがとう。」

「ああ、真理先生、海苔弁…!」

 雪恵に礼を言うと真理は弁当の袋も忘れ、慌てて食堂を出ていった。

 

 食堂広間を出て理事長室へと向かう間、真理の頭の中は思考が凄い勢い
でぐるぐると回転していた。


 ”あれはどう見ても間宮先生だった!けど…そんなはずあるわけ無い…!
だって…先生は…火事で……。いや、でもあれは先生よ!私が見間違うはず
ない……て、いうか、なに今の服装…完全に外国人のお嬢様って感じじゃな
かった?薫先生って…あんな感じじゃないはず……なんだけど、あれは絶対
先生よ!でも、でも…………ゾンビ?どうやって戻ったの?いや、仮に戻っ
たとしても、先生はお尋ね者なのよ!?あんなに堂々と姿を現せるの?いや
…でも、今のはほんとに先生なのよ!だってあの…背中から腰までのライン
の美しさなんてどう見たって薫先生…ああああっ、私ってば何を言ってんだ
ろう!じゃあ、先生じゃないとしたら……一体誰なのよ?”


 などと妙なことを考えながら、つむじ風のように理事長室へ急ぐ。
おそらく、廊下ですれ違った者はみな、真理の姿を見て振り返った事だろう。
競歩のオリンピック選手並みの早さで歩く、半分涙目の女が廊下を通り過ぎ
てゆくのだから…。

「…真理先生、今度の彫刻会の発表作について打ち合わせをー」
「後にしてっ!!」

 廊下の角で、声をかけてきた彫刻美術の準教授、蔵前氏を一喝して真理は
理事長室のドアを勢いよく開けた。まるでどこかに殴り込みでもかける勢い
で…。


「あら、やっと来たわ。入って、真理先生。」
「はい…はいっ!失礼します…。」

 理事長室に入ると、いつもとは違う匂いが部屋中に漂っている。須永理事
は普段違う香水をつけているからだ。おそらくこの、お客の…

     ”…なんて良い匂いなのかしら…?天国……?”

 部屋には須永理事長の好きな、静かなクラッシック音楽がかかっていて、
真理には何の曲かは知らなかったが、その音に紛れて二人の話声が聞こえて
くる。真理は心臓が飛び出しそうなほどバクバクいうのを抑えつつ、声をか
けた。

 

 


亡き王女のためのパヴァーヌ (Pavane pour une infante defunte) Classical Guitar Solo

 


「…り、理事長、なな、何か私に用でしょうか!?」

 背を向けるように座っていたブロンドの女性は立ちあがると、振り向いて
真理をしばらく見つめていた。その顔は間違いなく間宮先生そのものだった。
ブロンドの髪の毛、そして真理は初めて目にするのだが、へーゼルグリーン
の瞳…まるで美しい宝石のような輝きに吸い込まれてしまいそうだ…。

「真理さん、びっくりするような話なんですけど、こちらの方ね、間宮先生
の双子のお姉さんなんですって!今日、日本に来られたそうよ?」

 

 

 

        ……………………………。

 

 


「お姉さん……間宮先生の?お姉さん……お姉さんか…。」

 理事長の言葉を聞いて、真理はその場で一つ大きなため息をついた。
薫先生ではなかったという事実に、何か全身の力がいっきに抜けていくような
…しかし、どこかほっとしているという奇妙な気分…。

 

 そういえば前に薫先生が言ってたっけ…。自分には小さい頃に行き別れた
双子の姉がいると。ただ、別れたのは一歳くらいの時なので、記憶もなにも
無いそうだったが。父親、つまり亡くなったブルクハルト前理事長の旦那さん
だ。もちろん薫先生から母親があの理事長だったという事実は、真理には聞か
されてはいなかったが…。

 父親は日本人だと聞いている。双子の姉は、父親の方が連れていったという
話だった。今考えれば、父親がブルクハルト理事から離れたのも無理もない話
だったろう。それにしても…。


 薫先生の姉だという女性は、真理に軽く会釈をして手を差し出す。

「えっ…と、何語で挨拶したらいいの…?」
「稲本光と申します。あなたが…真理さんでしょ?お会い出来て凄くうれしい
わ!」

 見た目の容姿とは関係なく、光という女性は普通に日本語で話しかけてき
た。声質もほとんど薫先生と一緒である。

「父が日本人ですから。それに父の会社の同僚もほとんどが日本人なんです。
日本語はぺらぺらですの。」

 そう言いながら真理の差し出した手を、両手で握る光さんの手の温もりに、
何故か真理は、抑えていた涙が溢れるのを止めることが出来なかった。いい
歳をした女性が子供の様に泣きじゃくるのを見て、真理の苦労を知る須永理
事長も思わずもらい泣きしている。

「あら…どうしましょ…?」

 いまいち状況が分からない光も、釣られて一緒に涙をこぼしてくれた。


 それが、やって来た光との奇妙な出会いの始まりだった。

 

 

 

 旧ブルクハルト芸術大学の跡地の外れにある、小高い丘に間宮薫の小さな
墓標がある。一本の大きなカシの木の下で、三人が小さな墓標に手を合わせ
ていた。秋晴れの気持ちの良い風が吹き抜けてゆき、飾られていた小さな花
が風に揺れている…。

 

 数年前に起きた火災で、美しい建物は焼け落ちほとんどの建物は解体され
た。もちろん大学を囲む植物や木も焼け落ちるほどの火災で、僅かに残った
のは大学の敷地内で一番離れたところにある、このカシの木一本だけだった。
そのカシの木の下に間宮先生のお墓は作られた。もちろんお墓といっても、
あの火災の中で見つかった先生の遺留品は、溶けてフレームの曲がった眼鏡
だけであるが…。

 

 

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「このお花、真理さんが飾っているんですよ?毎日ここに…。」
「それは…薫さんは幸せですね。」

 理事長の言葉に光はそう答えながら後ろに離れて立つ真理を見た。
真理は少々照れくさそうに頭をかいてから、近くを歩きだす。


「私ね、ずっと行き別れた妹がいる事を父から聞かされていました。その父
も数年前に亡くなったので…妹に会ってみたくなったんです。幸い父の会社
を人手に売ったお金があったもので、探偵さんなんかを雇って行方を調べて
もらったりしたんです。妹が日本にいるらしい…というのが分かるまで数年
かかりました。」

 光さんの声が聞こえる範囲を真理は青い空を眺めながら歩く。汚れた白衣
が風になびく。真理は一人になりたくなると、いつもここへ来て空を眺めて
いた。

「こちらに窺う前に、大抵の事は調べさせていただきました。妹に起きた事
…そして母親の事も。それから真理さん、あなたの事もね。とっても悲しい
出来事だけど…妹は幸せだったんじゃないかしら。」

 そう言って光さんはお墓の前から立ち上がると、真理が見ている同じ青空
を一緒に眺めた。そこへ須永理事長がやってきて、真理に声をかける。

「それでね、こちらの光さんニュージーランドに帰られる前に一週間ほどこ
こに滞在したいんだそうよ?真理さん、あなたにお任せしようと思うんだけ
ど…だめかしら?」

「私が…ですか?私は別にかまいませんけど…」
「ありがとう!では真理さん、あなたに光さんをお任せします。大学のお客
様としてエレガントにおもてなしして下さいね?」

 真理は”まいったな…”という表情をしながら、にこにこ笑う光を見るに
つけ、これから一週間先が思いやられるなと感じた。


 だが、これから数日間の出来事は、真理が想像もつかないほど恐ろしい
ものだったのである。

 


(続く…)