ザ・怪奇ブログ

怪奇小説・絵画・怪奇の世界!

マテリアル2 5話

 

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             5 白い想い


 その日の夕方、真理は彫刻教材の整理のため自身の美術教室に残っていた。
お客である稲本光は理事長室に残してきていたが、なんとなく真理はぐずぐず
と作業をしながら時間を潰していた。

 ここは真理の城ともいうべき場所で、自身の彫刻作業場所でもあった。
普段は学生たちを教える教室で、生徒は十名ほどが真理から彫刻を教わってい
る。まだ若い真理ではあるが、彫刻の技術は高いものがあり、すでにいくつか
のコンクールで賞も取っている、優秀な講師であった。

 週末なので授業の無いこの日は、誰もいない教室で真理はぼんやりと、窓の
外の暮れゆく夕陽を眺めていた。実のところ、真理は一人で考える時間が欲し
かったのである。生徒が学内で襲われたというのもショックではあったし、お
まけにその襲撃者があの旧ブルクハルト大学の給仕婦だったのである。

 さらに真理を困惑させたのは、突然やって来た稲本光の存在だった。
あの数年前の火災で命を落とした間宮薫先生の双子の姉だという人物…。事件
が起きた次の日にやって来たのは偶然なのか?
なにより真理の心を騒がせているのは、あの事件と共に忘れようとしていた薫
先生の面影が、あの双子の光さんにはあるからだ。もちろん二人はまったくの
別人だ。服装も、雰囲気もまるで違う…だけど、何か匂いのようなものが間宮
先生と同種のものであるのは間違いないのだ。

 
 そんな事を考えながら、真理は暗くなり始めた教室を腕を組みながらうろう
ろと歩き回っていた。そろそろ夕食の時間が近ずいている。

「ああ、真理先生!ここにいたんですか。」

 教室の入り口から元気な声で雪恵が入ってきた。
見ると、教室の外には光さんがこちらを覗きこみながら立っている。

「真理先生、お客さんのお相手してなくちゃ駄目じゃないですかー?」
「…そうね。考え事してたもんだから…ああ、光さんこちらへどうぞ?」

 真理がそう言うと、光はゆっくりと周りを見回しながら、教室へと入ってき
た。間宮先生も背が高かったが、この光さんもかなり高くすらりとしている。
光は赤のジャケットに、これまた赤のロングスカートを履いていた。間宮先生
ジーパン以外履いているのを見た事がない。双子でもずいぶんイメージが違
うものだと、真理は思った。

「…真理さんが教えている教室なんですか?素敵ですわね。」

 そう言いながら教室内を物珍しそうにあちこち見て回る光は、真理の作った
彫刻を褒めてくれた。教室の隅に置いてある、一際大きな彫像の前で光は立ち
止まると、その白く美しい彫刻を見ながら言った。

「これ…薫さんの彫像ね?これは特にすばらしいですね。まるで生きてるみた
いですわ。」

 光はそう言って真理の顔を見つめると、急に恥ずかしくなってきたのか真理
は照れながら頭をかいた。もともと身寄りのない真理には、何か家族や姉に褒
められたような…そんな嬉しさがあった。

「あ、真理先生…今ちょっと照れましたね?」

 雪恵は真理の横で、ひそひそと囁くように言って肘でつついてきた。

「…いや、だって光さんはね、私の先生のお姉さんなのよ?」
「そうなんですか?じゃ、光さんも何か芸術をやってらっしゃるんですか?」

 雪恵の質問に、光はきょとんとしながら真理の方を見た。この質問には雪恵
よりも真理の方が興味しんしんである。

「…全然!芸術もスポーツもまるで駄目なの。勉強もからっきし!父がコーヒ
ー農場を経営してたから…ほとんど飲む事と、遊び回ることくらいしか能がな
かったのよ?」

 光はにっこり笑いながら言って真理の方へとやってきた。

「それにね、実の妹の薫さんの事もまったく知らないのよ…。」

 そう言って光は少し寂しそうな顔をしながら、真理の作った間宮先生の彫刻
を見つめている。

 真理や間宮先生とは違い、最初から天涯孤独の身ではない光だが、その父が
亡くなった今だからこそ、生き別れた妹に会いたくなったのだろう…。

「でも、やっぱりここに来て正解だったわ。この薫さんの彫像を見たら分かる
わ。妹を一番良く知っているのは真理さんなんだって。」

 光の言葉を聞いて、真理は少しだけ嬉しい半面、本当のところ薫先生の事は
真理にもよく判っていないんじゃないか、とも思った。

「…そろそろ夕食の時間です。食堂へ行きましょう。雪恵さん、案内してあげ
て?私も荷物運んだら行きますから。」

 雪恵は真理の頼み事を喜んで受けると、楽しそうに光さんを連れて食堂へと
向かっていった。

 誰もいない薄暗い教室で、真理は間宮先生の白い彫像を見つめていたが、急
に苦笑いを浮かべ、荷物を手に部屋を出た。

 

 雪恵と光が食堂へやって来た頃には、すでに夕食を食べ始めている者もいて
、広い食堂の端には数人の楽団が何かの準備をしていた。この芸術大学には、
それほど数は多くないが音楽系の学部も存在している。

「…何かあるんですか?」
「毎週土曜日の夜は、音楽部のバンドが夕食時に演奏しているんですよ。」

 光はそれを聞いて楽しそうに楽団の準備を眺めていた。

 食堂のカウンターには今晩のメニューがたくさん並んでいて、二人は好きな
ものをそれぞれ選びトレイにのせる。光は楽しげに食堂の給仕婦に挨拶しなが
ら雪恵の後について歩く。食事をしている寮生たちは、金髪青目の光を見て口
ぐちに何か囁いている。

「ねえ…雪恵、あの人誰?」
「光さん?ああ、理事長のお客さん。真理先生の知り合いなの。」

 雪恵は自分がエスコートしている光を自慢げに紹介しながら、先にテーブル
についた光を追いかける。光は食堂の一番奥の端のテーブルに座った。

「ちょっと光さん、どうしてこんな端っこに座るんですか?それにここはー」

 雪恵が言いかけたこの場所は、いつも真理先生が座る場所だった。先生の
知り合いとはいえ、今日初めて来た食堂の何百もある席の中から同じ場所に
座るなんて…と雪恵は不思議に思ったのである。

「だって、いちよお客ですし…それに端って落ち着きますから。」

 にこにこ笑いながら光はさらりと言った。
その光の前に置かれたトレイの中身は、これでもかというくらい肉系と油物、
そして唯一、果物たっぷりのヨーグルトだった。

「…信じらんない!これじゃ真理先生と一緒!」
「あら、そうなんですか?私の住んでるニュージーランドの食生活は、欧米化
が進んでるのよ?」
「欧米化とかいう問題じゃなくて…単に油っこいもんが好きなんでしょ二人と
も…」


 音楽部のバンドは今、少し前の有名なポップスの曲を演奏していた。
光は肩ひじをついてヨーグルトを食べている。

「真理先生、遅いですね…。」

 雪恵は首をめぐらして入口の方を眺め、真理を捜す。

「…真理先生は人気者なの?」
「ええ、少なくとも彫刻の講義を受けてる子はみんな好きですよ!それに真理
先生はいつも間宮先生の話をしてるんですよ。きっと真理先生にとっても大好
きな先生だったんだわ。」

「そう…良い先生なのね、真理さんは。」

 楽団の曲が軽快なポップスからバラードに変わる。
その僅かな伴奏の部分を聞いただけで、デザートを食べていた光は立ち上がり
上着のジャケットを脱いだ。

「あっ!これ、私の好きな曲だ。ちょっと行ってくるわ!」
「ちょ…光さん!?」

 つかつかと光は楽団が演奏している場所へとやって来ると、彼らが使ってい
たマイクを手に取り歌い出した。夕食中の生徒らは一瞬戸惑っていたが、楽団
は突然の飛び入りにも意に介さず演奏を続けた。

 

 

 


白い恋人達(P&Eデュエット) エレクトーン

 

 真理がやって来た時には、広い食堂は歌う光にやんやの喝采をあげていて、
入口近くで立って見ている須永理事長の横で真理は困惑して言った。

「なんですか?この騒ぎ…?」
「うまいもんね、光さんが歌っているのよ。」
 
 真理は食堂の入口で、楽しげに歌う光の姿をしばらくじっと見つめていた。
たしか男性ボーカルが歌うバラードの曲だったが、彼女は楽しげに踊りながら
歌っている。

 と、歌う光は入口で見つめる真理に気がつき視線を向け、笑顔で歌い続け
た。真理は何か催眠術にでもかけられたように、その場で光の歌に聞き入っ
てしまう…。

 一番奥のテーブルでリズムを取りながら歌を聞いていた雪恵も、真理がや
って来たのを見つけてにっこり笑いかける。が、真理はすぐに視線を光が歌
う方へと向けた。何かの力に引っぱられるように…。光も同じく真理の方へ
視線を合わせて歌う。真理はそのへーゼルグリーンの瞳に吸い込まれるよう
に見入ってしまった。

 その横に、お腹の出た警部補もやって来て、真理の顔を覗きこみ短く言葉
をかけてきた。

「…彼女がそうか?」

 無言で真理は頷いたが、視線は警部補を見ていなかった。
心の底から楽しそうに歌う光の姿が、なんだかとても美しく見えたのである。


 それは真理にとっては奇妙で、安らかな時間だった。

 

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             (続く…)